第36話 納骨

 線香の煙りには場を清めるとともに魔よけの意味もある。

 墓地に入る前に火を着け、それを頼りに先祖の墓に参るのだ。

 納骨当日は快晴だった。

 墓参するときはいつもそうだ。

 道ゆきが曇りや雨でも、到着して掃除をしているうちに不思議と晴れ間が覗く。

 なにも言われなかったので持参したが、石屋が先に掃除を済ませて立派な仏花を飾ってくれていた。

 墓石の脇に真新しい祖母の戒名が刻まれている。

 そこへ次代の息子だけがふらっと現れ、簡易的な経を唱えた。

 生前、信心深い祖母が

「あれの経は歌謡曲だ!」

とボヤいていたのが思いだされ、笑いが込みあげてきた。

 石屋が納骨してカロートを閉めると、次代の息子はふたたび歌謡曲を唱えた。

 儀式はたった、それだけだった。


 坊舎(庫裏)まで歩くと、若き坊守(◯土真宗住職の妻)が母と私を出むかえた。

 菓子折りと余った仏花を渡す。

 その日は法事用の奥の間の個室には通されず、一般行事用の大広間に通された。

 奥方が母にだけ、あいさつにきた。

 参列者がなく、仕出しを頼まなかったこともあり、お茶を頂いた母と私は早々に寺を出た。


 母が住む街までタクシーを走らせて純喫茶で一服する。

「一段落ついたね。次は一周忌だ……」

 ほどよい湿度の中、ネルドリップのブレンドコーヒーを味わいながら、チンチラのソファーに沈んだ。

 ミックスサンドをつまむ母のお喋りに傾聴する。

 大気圧と脳の血流の関係からか?晴天の日の母はいつも冴えている。

 私の知らない祖母と母のエピソードは、まんざら嘘でもなさそうだった。

 母とて、苦労があったのだろう。

「そのスカートさ……」

 先日、量販店で購った母の礼服があつらえのようだった。

「自分で裾上げしたのよ」

 上京して縫製工場に勤めた母は裁縫が得意だ。

 私が赤ん坊のころに着ていたニットもすべて母の手編みだった。

「残業ばかりで食事もろくなもんじゃなかった」

 折に触れて母はボヤいた。

「あゝ◯麦峠みたいだった?」

「あの映画を思うと涙が出るよ……」   

 やがて、女子寮を抜けだした母は◯宿の街に流れついた。

「◯クザがいちゃんもんつけてきたから履いてた下駄を投げて逃げた」

 今より目に見えて混沌としていた危険な街で、地方出身で身寄りのない娘が独り生きていく……。

 なんとも勝ち気な母らしいエピソードであるのと同時に、血は争えないと思った(笑)。

 若き母は自分でアパートを借りられるようになると、少しのあいだ昼の世界に戻った。

「最近どうなの?新しいお友だちはできた?」

「それがこのあいだバスに乗ってきたの!」

 いつだって母の話は唐突だ。

 訊けば、Nと遭遇したのだと言う。

「見つからないように隠れてたら先に降りていったよ!」

「気づかれなかった?」

「気づかれなかった!」

『どうだろう?』

 今まさにロックオンしている“鴨葱”がいて、Nが母を必要としていなかっただけかもしれない。

 それでも、油断は禁物だ。

 ややもすると年金を奪われかねない。

 母は二度と金の匂いを漂わせてはならないのだ。


 駅前のスーパーで買いだしをする。

 若いころから母は腕力が弱い。

 米や飲料などの重たい物を重点的に購い、私が持って歩く。

 個人宅配など希な時代だった。

 今は本当に便利な時代になったと思う。

 



 

 

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