第19話 母の特技

 たたんだ店の常連だったK氏から電話があった。

「隣のスナックで飲むので落ちあいませんか?」

と誘われた。

 私の店休日に合わせてもらい、久々にお会いした。

「こんばんは!」

「あら!いらっしゃい!」

 相変わらず威勢がいいママに、お持たせのシュークリームを渡す。

「お久しぶりです」

 カウンター席に座っていたK氏にあいさつした。

 K氏は隣のスツールの座面をぽんぽん叩いて私を促した。

 生えぬきではない地方出身の元◯應生は、涼やかで品がいいうえ、気さくなおじ様だ。

 勤めていた企業が粉飾決算で倒れるという憂き目にあったが、本人は見事に再生していた。

 K氏が飲んでいた焼酎のボトルは、我が店からの引きつぎだった。

 それを、ご相伴に預かる。

「お母さんはね、僕の師匠だったの」

 無敵に見えるK氏の唯一とも言える欠点は“音痴”だった。

 幼少期に民謡を習っていた母は、ろうそくの火を前に消さずに歌が歌えた。

 上京して子育てが落ちつくと、素人のど自慢大会を荒し、胡散臭い歌の師匠にもついたが、ついには公共放送ののど自慢大会にも出場した。

 家のサイドボードは母が獲得した盾やトロフィーでいっぱいだった。

 そんな経歴の母の手解きを受け、K氏は歌のレパートリーを増やしていった。


「お母さんには恩義がある。あんな男に騙されるとは……。無念だねぇ……」

 K氏はしみじみつぶやいた。

「連絡は?取れているの?」

「いえ、まったく。どこにいるかもわからないので……」

「そうですか……。薫も大変でしょうが何かあったら僕に知らせなさい。いつでも力になりますよ!」

 K氏は私の肩を軽く叩いた。

「ありがとうございます」


 K氏と母には長い親交があった。

 どんぶり勘定で赤字続きだったが、底抜けに明るくひょうきんな母を慕って店に通った客は、ほかにもたくさんいたはずだ。

 Nが土足で踏みにじるまでは……。



 

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