第18話 悪い血

「飲んで騒いでるだけで金になるんだから幸せだよなぁ!」

 およそ金にならないフリー客がほざく。

「ですよねぇー」

“キャバ嬢は低能”というファンタジーにつき合ってやると、ちゃちな優越感を満たしたそいつは機嫌よく飲んだ。

 少しのあいだ我慢していれば二度と会うこともない“やっつけ”の対象だ。

 キャバ嬢の業界用語は“キャスト”だ。

 いつだって仕事上の役割を演じている。

 酔ったふりをし、楽しいふりをしている。

 そいつが望むような“自分より馬鹿だが話が通じる程度の女”を演じている。

 美しくもないのに美しいふりをし、優しくもないのに優しいふりをし、親しくもないのに親しいふりをしている。

 キャバ嬢の正体は熱血ビジネスパーソンだ。

 私なら、客の性格や嗜好や懐具合や行動パターンなどを分析して篩にかけ、残った殿方にだけ“お客様”になっていただく。

 それが、私というキャバ嬢の格を決定するからだ。

 商売の“看板”を汚す雑魚は要らない。

 ときどき、客に

「君は自分に自信があるんだね」

と言われるが、まるで的外れだ。

 人として女として、個人的に自信があるわけではない。

 すべては仕事上の戦略なのだ。

 キャバ嬢はお人よしや男好きでは勤まらない。

 正体を知ったら客が尻尾を巻いて逃げていくような仕事人間でなければ、生きのこれない。

 指名客に来店お礼の連絡をしたり、次回来店や同伴(買い物や食事などをして客と嬢がいっしょに入店すること)を取りつけたり、篩にかけて残った殿方に営業をかけたりと、キャバ嬢の仕事はサービス残業がものを言う。

 頭や気が使えない嬢は体を使うが、私はそれにはまったく興味がない。

 私は成果を上げることに没頭していた。

“キャスト”でいられる時間が長ければ長いほど、日常の煩わしさを忘れていられたからだ。


 いつもの週末の晩酌のとき、

「いっしょになろうか?」

ふと、彼が言った。

 うれしくてたまらないはずなのに、私は口ごもってしまった。

 私が頷けば、彼は私の人生を全力でサポートしてくれるだろう。

 人生のどん底で拾ってもらった。

 厄介を知ってなお、そばにいてくれた。

 惜しみないまっすぐな愛情で満たしてくれた。

 私を猿から人に、人から女にした人だ。

 無から有を生みだす強靭な魂の人だ。

 私の厄介な人生に今以上に参加してもらったところで、倒れてしまうようなやわな相手ではないのは重々承知している。

 だが、

「君といるのは命がけなんだよ!」

いつか、彼が酔って叫んだ言葉がよみがえった。

 本心だろうし、それだけの覚悟でそばにいてくれるのだとも思った。

 私は彼の子どもを産みたいと思った。

 彼もそれを望んでいた。

 そのための体や時間や環境は十分整っていた。

 だが、私は恐かったのだ。

 なにが?

 私の血が、だ。

 子どものころからずっと、潜在意識のさらに先から、この血を誰とも交ぜてはならないと戒められている気がするのだ。

 誰に?

 わからない……。

 馬鹿らしい……。

 それでも、心だけが整わないのだ。


 私は彼のプロポーズを曖昧にして、熱血ビジネスパーソンの道を突きすすんだ。



 



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