第7話 サラブレッド

 私の家族はゴリゴリの機能不全家族だ。

 さかのぼると、父方は不安症の家系で、

母方は神経発達症の家系だ。

 ときが今なら、しかるべき診断名が与えられ、すみやかに救済されていただろう。

 双方の遺伝要因や環境要因をかんがみると……だから、私はサラブレッドなのだ(笑)。

 要因があるなら、発現を抑制して生きるしかない。

 意識的にできることはしてきたつもりだ。


 私の血縁者は皆、奇人変人だ。

 それで名を上げられたならまだしも、そうではないので、ただの奇人変人止まりだ。

 自分勝手で無責任な人たちが、うっかり家族という単位を持ち、継続させてしまった。

 私は成熟した大人を一人も観ずに子ども時代を過ごした。

 それでも、直感や動物的な勘から、彼らを反面教師にしてきた。

 だが、それが私を疲弊させた。

 実の父母を蔑んでしまう悲哀と罪悪感は、私をひどく蝕んだ。

 私の望みは父母を敬愛することだった。

 血縁者を誇りに生きることだった。

 だが“不変不動”な彼らにそれを望むのは難しかった。


 あるとき、彼らの心や脳の謎を解きあかしたいと思った。

 心理学や精神医学は私の心の霞を晴らしてくれた。

 皆が“引きつがれた犠牲者”であるなら、加害者が“元々の犠牲者”であるなら、今がその流れを断ちきるときではないのか?

 怨恨から解放されるにはどうしたらいい……?

 どうしたらいい……?

 どうしたらいい……?

 血を血と思わないことだ。

 自分は彼らの子孫や血縁者ではないと夢想することだ。

 現代的な家族の常識や愛情を期待するから苦しむのだ。

 彼らの障がいゆえの薄情や裏切りなら、耐えられないこともないだろう?

 出自は変えられない。

 アブノーマルを承認するのだ。

 愛情をくれるのは、何も家族ばかりではない。

 家族でつまずいても次がある。

 他人がいるのだ。

 愛情の交換を諦める必要はない。


 幼き私の周囲には精神病質の人たちが常在していた。

 無意識に観察していたせいか、やがて、言葉を交わさなくても“その人たち”だとわかるようになった。

 私は“その人たち”に馴れていた。

 ゆえに、慕われることもあった。

 だが、距離を保つことを覚えた。

 Nの狂気に絡めとられずに再生できたのも“その人たち”の存在があったからだ。




 


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