第二十八話 デッサン

「なあ、画伯。聞いてくれよー」


「なに、どうしたの?」


 帰りのホームルームの後、生田くんがスケッチブックを僕の机に広げて来た。


「美術でさ、デッサンやってんだけどさ、まーじでできない。助けてくれ」


 芸術科目は選択で、美術・音楽・書道の三つから好きなものを選べる。僕は美術学院での授業があるから学校の芸術選択は書道を履修していた。


「デッサンか」


「ちょっと見てこれ」


 生田くんが広げたスケッチブックのページには人の頭だと思われるオブジェクトが刻まれていた。確かにデッサンとしての出来はお世辞にも完成しているとは言えない状態だ。


「石膏デッサン?」


「そう。動かないからたくさん観察できるのに、それでも何だこれは。保育園児が書いた落書きにしかならねんだよ」


「気持ちは分からなくも無いけど。うーんとね」


 僕は生田くんの作品から彼の癖を分析した。

 何かいい感じの説明はないだろうか。


 隣に被写体として満点を超える女の子が座っていた。


「花恋さん」


「ん?」


 彼女がこちらを向く。


「ストップ」


「ひぅ」


 その途中の体勢で手のひらを彼女の目の前に出して動きを止めた。予想通り素直に止まってくれる。


「例えば、今の花恋さんをデッサンするってことを考えた時に、生田くんなら何を意識する?」


「え、絹舞ちゃんを? うーん、かわいいなぁってことかな」


「それはそうだけど、かわいいなぁじゃデッサンにならないでしょ」


 被写体はなにやらもじもじしている。


「さっき生田くんが言ってた観察するってのは間違いじゃないよ。すごく大事なこと。でも生田くんのこのデッサンは、目で見たものをそのまま再現しようとしてる感じがするのね」


 僕は花恋さんの手首を優しく持って、両手が彼女の口元を隠すような位置に動かした。


「む」


「かわいい」


「今さ、花恋さんの口見えないでしょ? 手で隠されてるから」


「おん」


「同じように、制服も着てるでしょ?」


「うん、似合ってるな」


「制服の向こうには何がある?」


「えぁ? え、えっと、え? おっ」


「肌だよね」


 ぎりぎりで遮る。


「おぉそうだな」


「でも制服の上からは肌が見えないよね」


「……エロ漫画描こうとしてる?」


「違うよ」


「ちげーのか」


「当たり前なんだけど、目っていうのは表面の情報しか伝えてくれないんだ。一度何かで隠されるとその向こう側に何があるのかを知ることが出来ない」


 紙に鉛筆を立てて、仕上がりに向けての支柱となるラインを紙の上でなぞる。


「これは僕の絵描く時の感覚なんだけど、人間は骨が肉を着てて、肉が肌を着てて、肌が服を着てるって考えてるんだ。もちろん観察はする。ただし、外側だけじゃなくて中身をイメージしながら……」


 僕は説明しながら、軽く花恋さんをデッサンしていく。

 生田くんは被写体と見比べながら、その鉛筆の先を目で追っていた。 


「おぉすげすげすげ、あっという間に」


「私も見たいーっ」


 花恋さんは僕の手元が気になって仕方ないというようにもぞもぞ動こうとしている。


「もうちょっとだけ待ってね」


 僕は八分と少しをかけて、花恋さんのデッサンをあらかた完成させた。これ以上は別の硬さの鉛筆を使うのだが、今の手持ちは一本しかない。


「とりあえずこんなものかな」


「すげー! こんな短時間でできちゃうのかよ」


「そうだね。うーんと、生田くんのと比べた時に……」


「やめてくれ恥ずかしい」


 彼は自分のものを慌てて手で隠した。


「いいから」


 僕はその手をどけて、生田くんのデッサンの上に印をつけていく。


「さっき言った内部を想像するっていうのは何十枚も描いてやっと何となくわかってくるくらいだから難しいんだけど、簡単に直せるところもあるんだ」


「お、ありがたい」


「例えばこの輪郭線。デッサンの時はある程度写実的に、というか、あんまりがっつり輪郭線引いちゃダメ。人の顔の輪郭って厳密には境界線ないでしょ?」


「そ、そうだな。でもどうすんの? なかったらなかったで、顔が空気に溶けちゃうぜ」


「一番はっきりするのは影。とにかく影を観察して。それから色の違い。鉛筆デッサンだと色の濃さで表現するしかないけど。境界線を引いて塗り分けるんじゃなくて、違う濃さがある結果、そこに境界があるように感じさせたい。鉛筆で描くだけじゃなくて、指の腹で馴染ませたりとか」


 そうやってレオナルド・ダ・ヴィンチは十年以上かけてモナ・リザの輪郭線をひたすら柔らかくした。


「めちゃめちゃ大変じゃんか」


「デッサンは慣れもあるよ。僕だって最初はこんなに早く型取れなかった描けなかった」


「高坂君は何枚くらいデッサンしたの?」


 花恋さんが口元に手を当てたまま首を捻る。


「僕は人物だけだとまだ850とか?」


「850!?」


 二人が揃って声を上げた。


「一日五枚とか描いてればあっという間にできるようになるよ」


「そんな描けねぇよ」


「努力の賜物なんだ……」


 僕は被写体の周りに軽く影と雰囲気を付け足して、デッサンを花恋さんの方に向けた。瞬間に彼女の瞳の輝きが一層増す。


「え!? す、すごい! え、え……わたし、こんなに、可愛く見えてるの……?」


 彼女はスケッチブックを手に取って小刻みに震えながら僕に視線を渡す。


「デッサンだから、見たまんまだよ」


「ぁ」


 彼女は顔を赤らめて停止する。


「おい、プロポーズするな」


「してないよ」


 教室の後ろのドアが開いた。


「花恋〜? あ、いた」


 安達さんが入ってくる。その手には銀のトランペット。部活の時間に食い込んでしまったか。


「あ、結衣。そっか、もうこんな時間」


「何してたの?」


「えへへ、見てこれ!」


「何これ、花恋じゃん! すっご、鉛筆……?」


「高坂君が描いてくれたんだぁ」


 彼女は嬉しそうにスケッチブックをふりふりしている。


「可愛い〜けど、早く行かないとすみれちゃん待ってたよ」


「はっ。そうだ練習しないと。高坂君、これ……」


「あげるよ。スケッチブックは生田くんのだけど」


「あげる〜」


 生田くんは肘をついて微笑ましそうに言った。


「ありがとう!」


 花恋さんはデッサンしたページをきれいに破り取って鞄の中にしまうと、安達さんと一緒に駆け出して行った。


「絹舞ちゃん足速ぇな」


「僕も思ったことある」


「普段結構ほんわかしてるのに。ギャップ萌え」


「生田くんは、部活あるんじゃないの?」


「今日は休み、行かなきゃいけないとこある」


 彼はいつの間にか帰る支度を終わらせていた。


「そっか」


「じゃな、画伯。レッスンありがとう」


「うん。じゃあね」


 爽やかに手を振って立ち去る生田くんに手を振り返す。それから先の少し丸くなった鉛筆を筆箱の中にしまい込んだ。

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助けた美少女JKが可哀そうすぎて同棲を始めるしかなかった かんなづき @octwright

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