2-6 魔女探偵の利用料金はとても安かった。

「その子は普通すぎて、魔女を直視することができないね。だから、解決編は君に任せよう」


 魔女にはそうやって託されてしまった。


 僕は依頼人のことを『普通』と定義することがどうしてもできなくて、魔女に食い下がった。


 なぜならば、ここを訪ねたことが、その証拠だ。


 僕が言うのもなんだが、まず、普通の人は『魔女の探偵事務所』なんていうものを頼ったりはしない。

 魔女の探偵事務所は、そこを頼るしかないような、どうしようもないどん詰まりにいる人ぐらいしか来ない場所だと、僕は思っている。

 普通の人ならば、もっと他にすがるべきわらがいくらでもあるはずなのだ。


「そりゃあね、君、以前までならそうだろうさ。けれど思い出してみなよ。君が私の事務所のドアを叩いた時と、今とで、うちの事務所にはたった一つだけれど、大きな変化があった」


「……僕が助手におさまったこと、ですか?」


「それはホームページには記載してない」


 従業員情報ぐらい記載すべきだとも思うが、僕としては記載されたくないのでスルーしておく。


 ……ともあれ、ホームページに記載されている情報で、なにか一つ、大きな変化があったらしい。


 なんだろう。本気でわからない……


 ……あ。


「いや、でも、まさか」


「気付いたのかい? ならもったいぶる必要もないかな? ああ、でも、一応、答えを聞いておこうか。君が間違えていたら、私はニヤニヤ笑って答えを引き伸ばすから」


 先生は僕が狼狽する姿が好きらしく、こうやって意地の悪いことをよくやる。


 これが本当にただの趣味なものだから、はた迷惑この上ない。


 なので、変な緊張を強いられながら、


料金・・ですか?」


「なぁんだ」


 つまらなさそうに言う。

 どうやら正解だったらしい。


 魔女はどうでもよさそうに、


「私への依頼料は、君がここにお客様として来た時に比べて、ずいぶん良心的になったよね」


「まあ、金額はサイコロで決めましたからね……」


 そもそも。

 ……僕がここのドアをノックした時、支払いは『魔女になること』だった。

 僕が現在、魔女の趣味の服を着せられ、薄給で助手なんかやらされているのも、すべてはあの時、依頼料も見ずに魔女に事件解決を願ったのが原因なのだ。


 将来と、時間。

 それがかつて、ここで依頼をする時に支払うべき対価だった。


 それが今や、お金で払える


 しかも、興信所として……というか出来高制の職業としては、ちょっとやっていけないレベルで安い。


 それこそ、高校生でも軽い気持ちで利用できてしまうほどに。


「さて、サービスというのは、利用料金が安ければ安いほどいい――というわけでも。ある程度の値段はお客さんの安心感を誘うこともあるようだ」


 ……急に話が現実的になってきたからだろうか。


 不意に、今まで感じていた奇妙な浮遊感がなくなって、今、自分がどこにいるのかを強く認識させられた。


 五階建てのオンボロアパート。

 エレベーターもない築五十年ほどの物件。


 その最上階の角部屋。

 異常なまでに差し込む夕日を背負って、真っ黒な影のようになった魔女が、テーブルを挟んで目の前にいる。


 なぜだろう、不気味な触手を生やした化け物のように見えるその影が、妙に見慣れた姿であるように感じられる。


 魔女は妙に耳慣れたように聞こえる声で、説明を続ける。


「料金を設定する側にとっても、『安ければいい』『客が多く来ればいい』というものではない。安すぎると客の質の低下を招くし、質の低い、マナーの悪い客は他のお客様を遠ざけるかもしれない――簡単に言えば、場の治安を下げるのさ」


 そうして、軽い気持ちで、人が来る。


 高校生でも依頼できるぐらいの料金のせいで――高校生が、来る。


「しかしですよ、先生。……それはまあ、理屈としてはどこかで聞いた覚えがありますけれど。それにしたって、高校生が『魔女の探偵事務所』なんてものをたずねるのは、けっこうな勇気がいりますよ。だって反社会組織っぽいですもん」


「そうなの⁉︎」


「まあ、まっとうな探偵には思えませんよ」


「いやあ、だってさあ! 魔女が誠実に魔女を名乗ってるわけじゃん! こんなにお客様に寄り添った名前、他にはないよ!」


「そうかもしれませんね」


 そもそも、魔女がいくら誠実に魔女を名乗ろうとも、魔女という存在そのものに誠実さを感じる人が圧倒的少数だろうという常識について、僕は説明を避けた。

 面倒くさいので。


「……ともあれですよ、先生。普通の高校生である僕の基準からして、こんな場所をたずねる高校生は『普通』ではないんですよ。……聞いてますか、先生?」


「ああ、うん。聞いてる。聞いてる。……まあ、君が『魔女の探偵事務所』を普通は人が訪れない屋号だと思っていて、それが世間の常識だと思い込んでいるあたりに寄り添っても、やっぱり、依頼人は普通の子だよ」


 この食い下がり方に、僕が魔女に常識を説明するのを投げる理由の多くが詰まっている。


 が、それはそれとして魔女の論理に興味はあったので、続きを促してみよう。


「どうしてそこまで、依頼人を普通視するのか、一言で言うと?」


「君は私の思考に負荷をかける趣味が? いや、まあ、そのための私だとはわかっているんだけれどね」


 探偵はため息をついて、


「その依頼人は、異常な目的を達成するために、異常な手段として、ここを頼った。だから、普通なんだよ」


「……でも、それは、」


「ああ、次は君との違いについてかな? 君が魔女を直視できるぐらいにおかしくて、今回の依頼人が魔女を直視できない程度に普通な理由について?」


「……そうですね。そこは、説明をしていただきたいところです」


「一言で言えば、設定したゴール地点の違い」


「……」


「君は、生物的生命と、社会的生命を捨てる覚悟を最初から抱いて魔女を頼った。君にとって魔女は手段だった。しかも、頼らなくてもいい、君の計画にとっての枝葉でしかなかった」


「しかし今回の依頼人だって、そこまで強くすがっている様子はないですけど」


「うん。依頼人は『そこにちょうどよさそうなものがあったから、ちょっとやってみよう』という感じで、魔女を頼った。占いかなにかと一緒さ。魔女は目的だった。よい結果がもたらされたらいいなー程度の気持ちさ。君とは覚悟が違う。というかね」


 魔女は虹色の目を細めた。

 その笑顔は、とびきり意地悪に僕を捉えて、


「普通の人は、覚悟なんか、できない」


「……覚悟のない人が、自分の殺人の立証なんか、出会って数分の探偵に依頼しますか?」


「あのさあ、その問答は必要? むしろ、その答えこそ、君も納得する、彼女の『普通さ』の証拠じゃないか」


 まあ、うん。

 今のは本当に、魔女に詰められてしまったのが悔しくて口からこぼれたうめき声みたいなものだ。


「というわけで」魔女はパンと手を叩き、「私は涙を飲んでハンカチをかじりながら、すべての探偵の夢を君に託そうというわけですよ」


「探偵の夢?」


「そりゃあもちろん、アレだよアレ」


 魔女はビシィッと人差し指で僕を指して、


「『謎はすべて解けた。犯人はお前だ!』ってやつ」


「……」


「指し示してやりなよ。高らかに宣言しながらさ」


 魔女はニヤニヤしながら言った。


「まあ、可能でしたら、そうしたいところですけどね」


 きっとそれが、依頼人の求めていた救いなのだろうということを痛感しながら。


 ……そんな幸福な結末はおとずれないだろうなと、僕はほとんど確信していた。

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