2-7 彼女のもとにサンタクロースは来なかった。

 十二月二十七日、午後二時のことだ。

 魔女は席を外し、事務所で一番いい椅子には僕が腰掛ける羽目になってしまった。


 僕の身長に合わせて調整されたその椅子は、決して値段が高いわけではないが、さすがにパイプ椅子よりは物がいい。

 背もたれに体重をあずけて、くすんだ白い天井を見上げていると、コンコン、という音がした。


 依頼人が来てしまったようだ。


 まあ、呼び出したのは僕なので、それはもちろん来るのだろうけれど……


 いっそ、魔女の探偵事務所なんていう気色悪い組織からの呼び出しなんか無視してくれた方がよかったのに、と思わざるを得なかった。


 重い気持ちのまま立ち上がり、部屋の横いっぱいを占有するテーブルの下をくぐって、お出迎えする。


 そっとドアを開ければ、今度はちゃんとドアの前にスペースを作っておいてくれたので、きちんと開くことができた。


 来客は、相変わらず制服姿だった。

 今日その服装なのは、きっと、正装として、それを選んだのだろう。


 ……彼女が依頼に来たクリスマスにはすでに冬季休暇が始まっていた。


 だというのに依頼時に制服を着ていた理由は――

 それが彼女の、喪服だからだろう。


「寒いでしょう。お入りください」


 声を作って呼び掛ければ、依頼人は不安そうにしながらも導きに従った。


 彼女が靴を脱ぐのを待って、スリッパを与えて、それから少しだけ先行して事務所のメインスペースに戻る。

 ……そしてテーブルに着くのだが、その前に『テーブルの下をくぐる』というやたらと不細工な動作が入ってしまうので、なんていうか、そういうのもあり、僕はスカートルックをとりたくないと思っている。


 そんな構造上、僕が席に着いて依頼者も席に着いてしまうと、飲み物を振る舞うのさえ一苦労だ。


 来客を想定していなさすぎる構造の事務所では、滞在時間が長引くほど客の不快指数が上がっていく。


 時限式の針のむしろ。構造が遅効性の毒。


 だから、印象を少しでもよくするためには、さっさと真相を突きつけるしかない。


「調査の結果、あなたは殺人を犯していません」


 そりゃそうだ、ということを言った。


 依頼人もそりゃそうだ、と思ったらしい。


「ああ、はい。そうでしょうね……」


「たとえば、『普段から石塀を上ったりする移動方法をよくとっていた被害者を注意し、その癖を改めさせなかった依頼人に責任がある』とか。そういう無理くりな説明で責任を問うことは不可能ではありませんが、たぶん、それでは、あなたは納得しないと思います」


「……そう、ですね」


「だから、どうあがいても、タナカさんが亡くなられた事故は、あなたのお父さんと、タナカさんの過失です」


「…………」


 今の沈黙で確信してしまったが、やはりというか、なんというか、依頼人は最初からこの探偵事務所にまともな捜査など期待していなかった。


 本当に、占い感覚で利用されていたのだ。


 まあ、探偵としての誇りなどアルバイト助手でしかない僕にはないので、なんだっていいのだけれど。

 ……あの魔女は探偵であることにこだわりがあるようだから、そのへんで不機嫌になったのも、依頼人を救おうとしない理由の一つにはあるかもしれない。


 この依頼には三人の登場人物がいた。


 加害者のサトウさん。

 被害者のタナカさん。

 そして、依頼人のスズキさん。


 タナカさんとスズキさんは親友だった。


 そして、加害者のサトウさんと、依頼人のスズキさんは、親子だった。


 つまりこの事件は――


 依頼人が、親のせいで親友を亡くした事件だった。

 そして、加害者であった親もまた、救われていないという、事件なのだった。


 少なくとも、苗字が変わるようなことがあったという、そういう、ものなのだった。


 だから僕は、依頼人を指し示さず、こう述べた。


「犯人は、あなたではないです」


 探偵として、どうかと思うが。

 そう述べるしか、ないのだった。


 依頼人は力が抜けたような笑顔になった。


「魔女でも、その結論でしたか」


「魔女でもこの結論でした」


 正しくは、この事件にかんして、魔女はなにもしていないし、する気があるかさえ、疑わしかった。


 けれど、魔女は僕に解決を託した。

 それはつまり、そういうことだった。


 依頼人は深いため息をついてから、目を閉じて、


「『お前が私を殺したんだ』って夢で友人が言いました」


「言うような人格ではなかったと、調査の結果、判明しています」


「……はい。嘘です。友人は夢に出てさえいません。いや、まさか、魔女がこんな、普通に探偵みたいな調査をするとは、全然思っていませんでした」


 すごく安かったし、と依頼人は言った。


 ……ある程度の料金の支払いは、払う側の安心感に寄与する。


 だから、彼女は、この探偵事務所がまともな調査をするだなんて、信頼しなかった。

 まともな調査をしないだろうと、信じたのだろう。


 依頼人は姿勢を正して、


「失礼しました。探偵にお願いするようなことではなかったですね。だって、解くべき謎が、なにもないんですから」


 彼女の知らないうちに起こった事故は、彼女のかかわる隙のない、ただの事故だった。

 事故当時、仕事だった父親を日本に残して母とともに海外にいた彼女には、その事故に干渉する余地がまったくなかった。


 彼女は事故と無関係だった。


 トリックはなく、オカルトもなく、ただただ純然と、無関係だった。


 しかし、それでも――


「謎は、あります。あなた視点では、なにもないかもしれませんが、僕らの視点では、あるんです」


「…………それは?」


「あなたが、こんな依頼をした理由。あなたが殺人犯になりたがった理由です」


 それは解き明かしたところで誰も救われないかもしれない謎だった。

 そしてなにより、物証を挙げることができない、予測するしかないものだ。


 心の中の問題。


 ……他人が心でなにを思おうが、関係がないとは思いつつも。

 その問題は、僕にとって、命懸けでのめりこむに足るものなのだ。

 放置できない、魔女にしか解けない、大きな謎なのだ。


 まあ、僕は魔女ではないけれど。


 実際の魔女と出会っていない依頼人にとって、きっと僕は、魔女なのだろう。


 なら、せめて料金分は、期待に応えよう。


「あなたは、あなたになんの責任もないことが許せなかったのではありませんか?」


「……」


「お父さんが、親友を殺したその事故に、あなたはなにも、かかわることができなかった。目まぐるしく周囲の環境が変わったその件にかんして、ほとんど当事者のあなたは、全然、なんの関与もしていなかった。……それが、許せなかったのではないですか?」


 だから、殺人犯になりたかった。


 自分の環境を別物に変えてしまったものごとの、中心にいたかった。


 もちろん、やってない殺人の犯人だという理屈を捻り出すことはできないと、わかってはいたけれど――

 魔女なら、こう、なにか魔法的に小理屈をつけてくれるのではないか? と、思ったのだろう。

 安いし、ダメなら、それはそれで、別にって感じで。


「あなたは、納得したくて、魔女を頼ったのではないですか?」


 たずねて、待つ。


 すると依頼人は、肩を震わせて、笑った。


「それは違いますよ、魔女さん」


「そうなんですか。それは、申し訳ない」


「……ああ、でも、でも……まったく的外れというわけじゃ、ないんです。私はたしかに、納得したかったのかもしれません。でも、あなたの言うような理由じゃないんです。私は……」


 少しだけ、沈黙があって。


 依頼者は、小首をかしげて、微笑んで、


「クリスマスを、返してほしかった」


 どことなくうつろな目。


「……まあ、敬虔けいけんな信徒というわけじゃないんですけどね。でも、ほら、なんか悔しいじゃないですか。みんなが普通に浮かれてる日、私はずっと、法事をやらなくなったって、父と親友の顔を思い出すんです。『祝ってしまっていいのかな?』という気持ちになるんです。これからずっと。ずっと、ずっと――」


「……」


「――私のクリスマスは、黒いんです。みんなが赤や緑や白で着飾っている時にだって、たとえ私が同じ色の服をまとったって、私のクリスマスは、黒いままなんです」


 喪服の色。

 葬儀の色。


 赤と赤に挟まれては、あいだにいる人は黒いわけにはいかないけれど。


 黒と黒に挟まれてしまっては、間の人は、赤いわけにもいかない。


「いっそ、その責任が私にあったらいいのに。私が原因なら、それを理由に納得するしかないのに。……私には、納得する理由さえ、与えてもらえない。サンタクロースは、いないんですよ。私にはね」


 靴下をぶらさげたって、罪は与えてもらえない。


 なぜなら、先方は良い子の元にしか訪れないのだと公言している。


 まさか罪なんていうものを良い子向けのプレゼントのレパートリーに加えるほど、サンタクロースも酔狂じゃない、ということなのだろう。


「魔女なら、どうにかなりませんか?」


 依頼人は半笑いで述べた。


 僕は、重苦しく質問を返す。


「魔女を、なんだと思っていますか?」


 すると依頼人はおどろいた顔をしたあと、笑う。


「少なくとも、プレゼントはくれなさそうですね」


 ――だって、黒いし。


 依頼人はそう述べた。

 僕は、なにも応じることができなかった。


 それで、この依頼は終わった。

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