2-5 この事件には最初から救いなんかなかった。

『その事故については、とても、スマホ越しでは話せない』


 と、僕の唯一にして絶対の友人は、僕から話を持ちかけられた瞬間に沈痛な文面になった。


 僕の友人はとてもいい男で、人の悲しみを我がことのように思うし、困っている人がいれば放っておかないし、すべての人類は救われるべきだと本気で思っている、気持ち悪いやつなのだった。


 そしてコミュニケーション範囲が広い。

 とても広い。


 だから僕は、手軽に聞き込みができる情報源として、まず真っ先に彼を頼った。

 彼は僕からの頼み事ならば力を尽くしてくれる傾向もあって、そこをあてこんだというのも、もちろんある。


 当然ながら依頼人の親友が亡くなった事故についてクリティカルな情報を持っているとは思っていなかった。

 そこにつながるなんらかの人物とのコネクションか、あるいは小さな情報でもないかなーと、いわば雑談のノリで話をもちかけたわけである。



 だというのに、実際に会って話すことになってしまった。



 十二月二十六日の午後三時だ。


 学校はとっくに冬休みで、僕は始まったばかりの長期休暇のスケジュールを、新しいアルバイトを探すのと、魔女探偵の助手というバイトとですっかり埋めてしまう腹づもりでいた。


 けれどなんの間違いか、こうして学友と会っている。


 僕らのいるハンバーガーショップの二階、カウンター席の端っこ、店の中でもっとも奥まっているこの場所には異様な雰囲気が流れはじめていた。


 なにせ、友人の雰囲気があまりにも重い。


 彼はまるで当事者のように悲しげに目を伏せて、亡くなったのが自分の家族であるかのように重々しく口を開いた。


 その雰囲気を前に僕は食事の手を止めざるをえず、食べながら話を聞くはずだったのが、背筋を伸ばして拝聴する羽目になってしまった。


「よく覚えてるよ。痛ましい事故だった」


「……ええと、亡くなった人と中学が同じだったとか?」


「いや、中学は違った」


 それでここまで沈痛になれるのは、もはや『いい人』のカテゴリに入れていいはずもない。

 ただの異常だ。


 それはもちろん、人が亡くなった話題なのだから、食事のついでに、だなんていうのが不謹慎なのはわかる。

 でも、それはそれとして、自分に関係のない、しかも二年前の事故の話なんて、飯のさかなにするぐらいが、人間としてちょうどいいゆるさだと思うのだけれど。


 僕の友人は人間として正しすぎて、まったく人間的ではない。

 そのあたりが僕の姉の好みにヒットしていたようなのだけれど、僕はやっぱり、こいつのことを気持ち悪いと思う。


 僕らは相変わらず、互いに相手のことを気持ち悪いと感じながら続いている友人関係の中にいた。


「猫をな、助けたらしい」


「……ええと」


「住宅街で、普通の速度で走っていたバンがあって、その進行方向に猫がいた。左右を石塀に挟まれた一車線道路なものだから、道幅が狭く、運転手が気付いても左右に避けられる状況になかった。そこで、タナカさんは、その猫を助けるために、車の前に飛び出したらしい。そうして轢かれたと、そういうわけだ」


 もちろん依頼人から聞いて、おおまかに、知ってはいたけれど――

 それでも、改めて概要をざっくり聞いただけでも、なかなか、胸がふさがるような、痛ましい話だ。

 ついついコメントに困って、でも、沈黙が嫌で、なにか言おうとしてしまう。


「お前みたいにいい人だったんだな。猫のために命を懸けるだなんて」


「いや、俺にはそこまでの勇気がない。……というか、猫を助けようとして命を落としたと言うと、いかにも暴走トラックの前にでも飛び出したかのようだけれど、言ったろ? 車は、普通の速度で走っていたバンだった。そして、狭い道だから、そこの制限速度は二十キロだった」


「……人が死ぬ速度か? それ」


「まあ、車だから――時速二十キロで走る、人間よりはるかに重い金属の塊だから、人を殺す威力はあるだろう。でも、実際に目の当たりにしたら、さほどの脅威は感じないかもしれない。だから飛び出したんだろう。直接の死因は、道の左右にあった石塀への後頭部の強打だ」


「んんん? なにか微妙な不自然さが……ええと、その前に、どうしてそこまで知ってるのか、っていうところに突っ込んでも?」


「……というか、知らずに俺に聞いたのか」


「……ごめん、なにか僕が質問前に知っているべき情報が?」


「いや。まあ、そもそも、お前がなんでこの話題を持ち出したのか、こっちが最初に聞いておくべきだったか。……俺、幼馴染なんだよ。事故死した子の」


 ……当事者のように沈痛な顔をするわけだ。

 思いっきり当事者だった。


「それはその、不謹慎で申し訳ない」


「いや、幼馴染とは言っても、幼いころに一緒に遊んだぐらいの仲なんだけどさ。家は近かったけど、小学校以降は付き合いがない。ちなみにタナカさんが亡くなった原因になった石塀、うちのなんだ」


「僕は今すぐ首を切って詫びるべきでは?」


「それはやめてくれ」


 友人は顔面を青くした。


 ……まあ、今の発言もまた、不謹慎だったかもしれない。


 なにせ、人が死んでる事件の話をしているのだ。

 現実に、実際に、物質的に、人が亡くなっているのだ。


 友人はため息をついて、


「まあ、そんなわけだから、その事件については、いくらか知ってる。葬式にも出た」


「な、なるほど……」


「……これも不謹慎な話だけれど、この件で一番割を食ったのは、バンを運転してた、おじさんだと思う。なにせ、法定速度で走っていたら、飛び出してきた中学生を轢いて、その中学生は運悪く亡くなってしまったんだから」


「ああ……でも、道幅の狭い道路なんだから、急に視界外から飛び出してきたってことはないと思うけど。それとも現場は十字路だったとか?」


「いや、飛び出したんだよ。石塀の上から」


「……」


「石塀って完全な壁じゃなくて、塀の向こう側をのぞける穴とかあるだろ? そこからな、猫を見つけて、石塀をのぼって、シュタッと飛び出して、猫を拾い上げて、まあ、そこまではよかったんだが……」


 目測より、車が速かった。


 そして予想より、車の急ブレーキが効かなかった。


 なにより想定よりも運が悪かった。


「誰も助からない事故だったよ」


 と、この友人の口から出たということは、被害者はもちろん、被害者が救いたかった猫も、そして、被害者を轢いてしまった人も――

 車にか、社会にかという違いはあるが、殺されてしまった、ということなのだろう。


「あいつ、めちゃめちゃ上るんだ。猫を助けたあとも、石塀をのぼって逃れようとしたんじゃないかな……それで上りきれずに、すべって落ちて、バンにぶつかって、石壁にぶつかってという……ほら、片手に猫を抱えてたはずだろ? 誤ったんだろうな、速度というか、運動性能というか……」


「めちゃめちゃ上るのか……」


「うん。幼稚園のころからな。中学に上がっても、かなり、活発だったらしい。なんていうか――」


 ――猫みたいに。


 そう、友人は言って、


「お陰で今でも、クリスマスは祝えない。昨日は法事だったしな」


 重々しく語る友人がようやく冷め切ったコーヒーを口に運んだので、僕の方も冷めたバーガーの包装紙を開くことができた。

 ずっと包まれていたハンバーガーは自らの水分でへなへなになっていて、それから、温かい時には感じない、変な風味があるような気がした。


 周囲には普通に喧騒があったし、店内BGMも流れていたのに、僕らの周囲一メートルぐらいだけが、呼吸の音さえ立てるのもためらうような空気になっている。


 あまりにも、重苦しい……


 事件の概要自体は、あらかじめ聞いてた通りではあった。


 サトウさんというおじさんが加害者で。


 タナカさんという女子中学生が被害者で。


 依頼人はタナカさんの友人であったスズキさん。


 事件についての解像度が上がった結果浮かび上がった新しい登場者は『タナカさんに救い出されようとした猫』ぐらいのもので、他の登場人物は、やはりどこにもいなかった。


 タナカさんの幼馴染である男が目の前にいるのだが、これが一枚噛んでいたとしたって、依頼者の殺人を立証する手掛かりにはなりそうもなかった。


 それにしても、長い沈黙だ。

 胃痛がしてくる……


 僕はまずいハンバーガーをトレイに置いて、困りに困ったすえに、聞く予定ではなかった話題を振ってみることにする。


「ええと、それで、事故で亡くなった人なんだけどさ……親友の夢に出てきて『お前を殺したのは私だ』とか言いそうな性格だった?」


「いや、まったく」


 間髪入れずに断言された。


 友人はコーヒーを置いて、


「むしろ、その子が夢に出るなら、『くよくよするな!』とか、言いそうだ。……まあ、小学校以降付き合いがなかった俺の意見ではあるけれど……なにせ、家が道路一本挟んで向かいだったからな。聞こえてきたよ。笑い声とか」


「活発な人だったっていう話だもんな。というか、石塀って二メートルぐらいの高さがないか? そこに上るって、運動神経もかなりすごくない?」


「すごかった。……寝坊癖があるらしくてな。よく、朝とか、登校前にこう、ショートカットするんだよ。石塀を乗り越えて。うちの庭もよく通られたみたいだ。母さんが笑いながら言ってたよ。『今日も元気だったわよ』って」


 運動神経がいい人はみんな性格が活発であるべきだとは全然思わないが……

 少なくとも、タナカさんにかんしては、死後に人を呪うような人格の持ち主じゃないと思って間違いないだろう。


 そして、依頼者はたしかに、タナカさんが夢に出てくる、と述べていた。

 夢に出て、『お前が私を殺したんだ』と呪いのような言葉を吐いたのだと、そう、述べていた。


 そうなるともう、結論が一つしかない……

 まっとうで救いのない、ひどいものしか、浮かばない。


「そういえば」


 僕が悩んでいると、友人はなにかに気付いたようにやや上方を見ながら、


「俺なんかよりよほど事情に詳しそうな人が同じ学校にいるぞ。……ああ、でも、そうか、事故当時は海外旅行だったな。それでも興味があるなら紹介しようか?」


 それは間違いなく依頼人本人なのだった。


 依頼人に同じ学校の生徒であることを隠しておきたい僕としては、学友の紹介で依頼人と会うというのは避けたい事態だ。

 呼びたいなら連作先を交換したし、探偵助手として事務所でお出迎えしたい。


 しかしここで曖昧に断ると『なんでだよ』からの追求が始まり、連絡をとってもらうことを避けられなさそうだ……


 仕方ない。


「その人なら知ってるよ。バイト先で出会ったんだ。僕は店員で、向こうはお客さんだったけれど。ちょっとあってね」


「そうだったのか。ああ、だから急にこんな質問を?」


「実はそうなんだ。その話にいたった詳しい事情はさすがに言えないよ。そこは、察してほしい」


「……そうか。まあ、そうだな。彼女は親しい人を一気に二人も喪ったわけだし、その話に首を突っ込むほど、俺も野暮じゃないさ」


「二人?」


 僕は首をかしげた。


 友人は『しまった』という顔になった。


 だけれど、


「お前は押しが強いし、ここまで言ったら、きっと聞き出さずにはいられないだろうな……」


 いや、その……

 押しが強いのは、僕ではなく、僕の姉の特徴なのだが……


 どうにも友人は僕と姉を混同しているところがある。

 気を払っているようなのだけれど、根っこのところでわかってないものだから、こういう勘違いをちょいちょい発生させるところが、わりと絶望的だ。


 しかし話してくれるというなら遮る理由もない。


 僕は黙ったまま友人の言葉の続きを待って、


「実はな――」


 ……聞かなきゃよかった、としか、思えなかった。


 この事件には最初から最後まで、救いなんかなかったのだと、思い知らされるだけだった。

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