春・第32話 名前は要らない②三十路男のツンデレに需要はない

「でもさ、じゃあ『一緒に寝てる』ってなに? どういうこと?」


 状況を整理しようと、考えるポーズになった遠江が呟く。


「だから、それはこいつが……俺が寝てる間に勝手にベッドの中に入ってくるんだよ」

「添い寝ってことですか?」これは真香だ。

「うん」


 ゆしかは先ほどからほとんど変わらないテンションで淡々と説明する。


「寝苦しそうにしてることが多いから、誰かが一緒に寝たら安心するかなと思ってさ」

「何度も言ってるけどな」


 真心が躊躇いながら言う。


「むしろ狭くて身体が痛くなるんだよ。お前の顔面裏拳で夜中、起きることもあるしな」

「でも実際、目の下の隈、ちょっとずつ良くなってるじゃん。自覚症状はともかく、わたしは効果あると思ってるもん」

「だ、だけどなお前。俺の理性が……精神衛生上だってな」

「そこはだから、我慢しなくたっていいのに」

「んなわけいくか!」


 ふたりで言い合い始めたゆしかと真心を見て、周囲の三人はあっけにとられた。


「……どういうこと?」遠江は怒りを忘れて呆然とする。

「そもそもなんで夜、同じ家にいるんだ? 同棲?」國谷も首をかしげる。

「そこは前からよくゆしか先輩が押しかけて客間に泊まってるって言ってましたけど……両想いを自覚し合ってて付き合ってないとか、だけど添い寝はするとか……なんなんですかね?」


 腑に落ちない視線を向けられていることに気付いた真心は、畳みかけるように言った。


「と、とにかくゆしかの気持ちをもてあそんでるってのは誤解だ。解っただろ」

「それはまあ……」遠江が納得できない顔でゆしかを見る。「ゆしかちゃんは、いいのそれで?」

「はい」


 ゆしかは淡く微笑んで、頷く。


「わたし、固定観念が好きじゃないんですよね。

 男とはこうあるべき、女とは、恋人とは、家族とは……世の中には色んなテンプレがあって……前のわたしは、幸せの形が決められてるみたいだと思って、そこから外れてる自分がなんとなく居場所がないみたいで、どこにいても居心地の悪さを感じてたんですよ。

 けど真心はわたしをどこまで知っても引かないし、切り捨てないし、固定観念で見ない。

 こんなに居心地のいい場所はありません。『友達』とか『親友』とか『恋人』とか『夫婦』とか『親子』とか……世の中に関係を表す言葉はたくさんあるけど、その中身は親しくなればなるほどオリジナルで、名前を付けにくくなるんじゃないでしょうか。

 だからわたし、この関係に名前なんて要りません。これまでの人生で、今が一番幸せです」


 照れもせず言ってのけるゆしかに、一同思い思いの顔を向けた。大きな方向としては、全員肯定的な感動を示していた。


「お前、酔ってんだろ。さっきから密かに大分飲んでるし」


 真心が口元を押さえながら指摘する。


「なんだよ真心。酔ってるけど、だからなにさ。嘘じゃないんだからいいだろ」

「岩重さん、にやけてますよね……?」

「に、にやけてねえし」


 真香は「よかったですねえ」という顔で笑っている。


「岩重、三十路男のツンデレに需要はないよ」

「じゃ、次は岩重君の語りを聞こうか」

「語らないよ!?」


 國谷と遠江の間に流れる空気も、心なしか柔らかくなっていた。

 ゆしかは本当に酔っていたのか、しばらくして珍しく、ブルーシートの上に仰向けに転がった。真心は自分のコートを掛けてやり、また國谷や遠江にからかわれたが、それでも以前のようにゆしかへの想いを否定するようなことはなかった。


 先にゆしかのサークルの花見がお開きになり、それに合わせて真香が帰るというので、真心もゆしかと一緒に帰ることにした。だが揺さぶってもゆしかは起きない。仕方なく背負うと、無意識のまま首根っこはしっかり掴んできて、真心は微かに笑う。


「じゃああたしはここで。先輩によろしくです」


 真香が繁華街にあるタクシー乗り場の前で、振り返って笑った。


「なんか、ごめんな。しばらく会えないだろうに」

「だいじょぶですよ、先輩はいつも先輩ですし。……あの、岩重さん」

「ん?」

「あたしね、さっき先輩の話を聞いて嬉しかったです。先輩は強くて……あたし、いっぱい助けてもらいました。けど先輩を助けてくれるひとはいるのかなって思ってたから、もう、ひとりじゃないんだなって。知ってますか? 岩重さんといる先輩って、凄く可愛いんですよ?」

「……そう」


 真心は仏頂面をした。「多分君以上に知ってる」と思ったが、さすがに言えない。


「じゃ、また」

「ああ。気をつけて」


 真香の乗り込んだタクシーを見送ってから、真心は歩き出す。続いてタクシーに乗っても良かったが、ゆしかは健やかな寝息を立てていたので、そのまま川縁に出て歩くことにした。

 真っ暗な中、町中を海まで流れる川の音を聞きながら、ゆったり歩いていく。普段はランニングロードになっている道だが、深夜なので誰もいない。


「……真心?」


 半ばほど来たあたりで、背中から半分眠ったままの声がした。


「起きたか?」

「……帰り道?」

「ああ。お前が潰れるなんて珍しいな。大丈夫か?」

「うん、多分。ちょっと……実は今日、微熱でさ。アルコール回るの早かったのかも」

「それでほとんど真顔だったのか? 具合悪いなら言えよ、飲ませなかったのに」

「でも楽しかったし」

「お前、自分の発言覚えてるか? 結構恥ずかしいことを」

「覚えてるよ」


 今まで眠っていたからか、微熱のせいか、首と背中から高い体温が伝わってくる。


「でも別に恥ずかしくない。恥ずかしいことなんてひとつもない」

「馬鹿、違う」


 真心は苦笑いしながら言った。


「俺が恥ずかしい、ってことだよ」

「それは萌えるね」


 少しだけ声を出して笑って、ゆしかは頬を真心の頬に押しつけてくる。


「熱いな」

「でしょ? へへ」


 顔は見えないが、どんな顔をしているのか真心には解った。


「髭剃ったから、じょりじょりしないね」

「そーっすか」真心もつられて軽く笑う。


 しばらく黙ったまま歩いた。規則正しい呼吸音をさせながら、ゆしかが寝言のように言う。


「桜、綺麗だったね。ゴールデンウィークには新緑とチューリップ行こうね……」


 吐息がくすぐったくて真心は目を細める。軽く頭同士を擦りつけるように触れさせて、


「ああ。とりあえず体調を治そうな」


 と、子どもに言い聞かせるように答えた。



 ゆしかが寝込むようになったのは、それからすぐのことである。

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