秋・第12話 紅葉クエストⅠ~そして寝不足へ~②こんな結末で終わらせちゃ、将来の俺が納得しねえ

 結論から言えば、真心は車を出すことになった。それも、その夜のうちに。


「安全運転で行こーう」

「だったら眠らせてくれ……」

「現地に着いたら仮眠が取れるさー」


 助手席のゆしかは遠足前夜の小学生みたいなテンションで笑った。


「隣で見てるから。もし舟を漕ぎ始めたらこの洗濯ばさみと紐を駆使して起こしてあげる」

「うわぁ具体的な方法知りたくねぇー」


 真心は半分閉じた目で無機質に返す。

 ミラーに映る後部座席の真香は、口を開けて無防備な寝顔を晒していた。


「何故こんなことに……」


 山へ行こう、とゆしかは言った。

 街中はようやく残暑が消え、肌寒くなったころだ。街路樹が紅葉するのは一ヶ月先だろう。確かに今紅葉を見たいなら、山へ行くしかない。


「なにを隠そう、我々は写真部だったのです」


 テーブルに三人で座り直してから、ゆしかは真っ黒な一眼レフをリュックから取り出した。


「……なにその今考えた設定」

「設定じゃないし! ねえ真香。嘘じゃないよね?」

「はい、そこは本当です」


 そこ以外は嘘だらけですが、みたいな実感がこもっていた。


「とは言え高校の写真部の活動範囲は、金銭的な問題もあって街撮りスナップがほとんど……わたしは以前真香と風景写真雑誌を見ながら語り合っていたのです。『いつか一緒に、山の紅葉を飽きるほど撮りに行こう』と!」

「はあ」

「しかし真香は受験に合格すれば、都心へ行ってしまう。ならば約束を果たすのは今をおいて他にない! と、さっき思い至ったのです」

「ふーん」


 気のない返事に、ゆしかの眉が吊り上がる。


「もうちょっと反応してよ!」


 言いながら、一眼レフのフラッシュをオンにして真心へ向けシャッターを切った。


「眩しい! ひとの目にストロボを向けるな!」


 腕で目を覆い、真心は口をへの字にする。


「だから勝手に行けばいいじゃねえか。俺を巻き込むな」

「だって山だよ? 車も免許も持ってないもん」

「俺は観光タクシーか……」

「やだなあ、友達じゃないか」

「あ、なんかデジャヴ。こんな友情の押し売りシーンをどっかの漫画で見た気が」


 その後も粘ったが、結局押し切られた。抵抗するだけ時間が経って休息の時間が減ると悟り、真心は「解ったから今日はもう寝させてくれ。朝になったら出発しよう」と観念した。


「え? 駄目だよなに言ってんの」

「ああ?」

「今から出るよ」

「なんで!?」

「夜明けにしか撮れない絵がある。写真は光が命だってことくらい、真心も知ってるでしょ」

「……どうしてそう思う」

「だって、ほら」


 ゆしかはガラス戸のある本棚を示す。指の先には、クラシック調のデザインが特徴的な、レンズ交換式ミラーレスカメラがあった。


「真心も撮るひとでしょ? もしくは、撮ってたひと」


 真心はそれには答えず、


「……準備するから、三十分くれ」


 と言った。既に日が変わっており、真香はテーブルに突っ伏して眠っていた。

 かくして車は、ゆしかの指示に従って隣県で最も有名な山へ向かう。

 真っ暗な中、目的地の駐車場に辿り着く。ケーブルカーの始発は六時で、まだ時間があった。


「時間になったらわたしが切符買ってくるから、寝てていいよ」


 ゆしかの言葉が合図になったかのように、真心は意識を失う。

 そして見事に全員、寝過ごした。


「真心、起きて!」


 渾身の力で頬を張られ、混乱しながら周囲を見渡す。


「なんだ!? なにが起きた!? ここはどこだ!?」

「寝坊だよ馬鹿ぁ! なんのために寝ずに来たんだ」

「思い出した! お前切符は?」

「今からだよ。なんで起こしてくれなかったんだぁあ」

「えええええええ……」


 寝起きで気の利いた突っ込みもできず、真心はただドン引きした。

 時刻は既に八時を回っており、切符売り場にはネットで評判のラーメン屋かよ、ってくらいの大行列ができていた。


「ごめんなさい……あたしずっと寝ちゃってて」


 三人で並びながら、真香が申し訳なさそうにうなだれた。

 太陽光の下で改めて見ると、グレーのタートルネックニットにピンクのウインドブレーカー、ウールのショートパンツにパープルのレギンス、足下はマウンテンブーツで頭にはニット帽という格好で、カメラ女子と言うよりは山ガールだ。背中までの茶髪も下ろしていて、制服姿の印象とは大分違う。化粧もこなれているので(多分家に来たときはほぼすっぴんだったがいつの間にしたのか不明)、これが初対面なら社会人と言われても信じただろう。首にはキャメルの細いレザーストラップの先に、ホワイトのミラーレスカメラを提げている。


「真香は悪くないよ。勉強で疲れてるんだし……むしろごめん。真心の奴が」

「さすがに怒るぞ!?」


 こんなやり取りをしながらかれこれ一時間は待ち、ケーブルカーで標高千メートル以上の高地へ赴く。山に来たと言っても、登山をするわけではない。ここからは高山バスで、一気に標高二千四百メートルまで上る。

 朝の光は横からシャワーのように注がれ、色も淡いオレンジだ。眩しいのに優しい、と目を細めながら、ゆしかは頂上で待つ紅葉の風景に期待した。

 そして裏切られた。


「オウ……ウインタァ、ハズ、カム……」


 とても透明度の高い空気の、美しい場所だった。池の水は自然界のものとは思えないほど鮮やかな蒼で、枯れススキも山小屋も、下界と比べて遥かに解像度が高く見える。


「綺麗だな」

「そうですね」


 真心に真香が相槌を打つ。ふたりとも無表情だ。


「雪景色だな」

「そうですね」


 見渡す限り完膚なきまでに、真っ白だった。


「いやあ、先日降っちゃいまして、紅葉は全滅です。この下もね、ほぼ枯れ木。はっはっは」


 遠くから、他の観光客に説明するガイドらしきじーさんの声が聞こえてきた。


「……帰るか」

「そうですね」


 三人の頭も真っ白になり、すごすごと地上に下りてゆくのだった。

 紅葉編、完。


「ってこのままで終われるかよ!」


 駐車場に戻った真心が、頭の中へ流れるエンドロールに抗った。


「岩重さん?」真香が首をかしげる。

「せっかく早起きして、もとい眠らず来たのにこんな結末で終わらせちゃ、将来の俺が納得しねえ。てめえはあのとき、できることを全てやり切ったのか? 可能性を追い求めたのか? ってな。終わりよければ全てよし……今日という日を、必ず紅葉で終わらせる!」

「ゆ、ゆしか先輩。このひとどうしたんですか?」

「ああ……寝不足でテンション変なんだよ」


 真心の叫びと真香の呟きで、放心気味だったゆしかの目に、僅かながら光が戻る。


「けど具体的には、どうするのさ」

「俺の頭には、地域一帯の紅葉名所マップが入っている……フフ」

「うわ、気持ち悪っ」

「なんでだよ!」

「や……内容じゃなくてドヤ顔が」


 折角上がったテンションに水を差され、真心は傷ついた顔で小声になる。


「とにかく、その中で多分紅葉が見頃な場所へ行ってみる、でどうだ?」

「おお、賛成。真香もいいよね?」


 呼ばれた真香は「あっ、もちろん……嬉しいです。でも」と言いにくそうな顔になる。


「どうした?」

「だったら最初からそうすればよかったんじゃ、と思って……」


 真心が「それを言うなよ」という疲れた顔で固まる。

 ゆしかは悪びれず、一度だけ深く頷いて指差した。


「それな!」

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