(7)家族の物語

 黒木家がかつて医者の家系だったことはお義父さまから聞いて知った。片田舎の親方百姓であった者が遍歴の旅人から知識を授かることで村医の地位を築いていったらしい。村人からは重宝されていたのだろう。名士だ何だと分不相応に持ち上げられていたそうだけど、それも曽祖母さまが子どもの頃までの話。お祖父さまや、お祖母さまの時代には土地や家財を売り払いながら細々と暮らしていたそうだ。母の代になると受け継がれていたのは昔からあるお屋敷だけで、あのひとはそれすら持て余していた。何せ暮らしていたのは母と私たち姉妹の三人だけだった。小さい頃にはお祖母さまもいらしたけれど私が五歳の頃にお亡くなりになった。父については何も知らない。母である恵理と、姉の上羽、そして私。それが代々続いてきた黒木家の生き残りだった。

 上羽と私は二卵性双生児だった。なのに顔がそっくりで他が正反対という変な双子だった。私は母譲りの黒髪を褒められるのが嬉しかったけれど、あの子はいつも鬱陶しいと切りたがっていた。私が蝶が好きと言えば、恐竜が格好良いと胸を張り、夏が好きと言えば、春が綺麗だと笑う。引っ込み思案な私と違い、上羽はとても活発で、私が家に閉じ籠って図鑑を眺めている間も虫取り網を手に男の子たちと走り回っていた。「これが本物よ」と、バケツ一杯の御玉杓子を見せられたときは卒倒しそうになった。結局あのお玉杓子はどうしたのだろう?

 何より違っていたのは、あの子には記憶を喰べる力がなかったことだ。記憶を読むことも、感情を察知することも、何もできなかった。上羽は普通の女の子だった。……いや、それは正しくない。。黒木家には、もう何代も能力者……陰喰と呼ばれる存在が生まれていなかった。母の恵理も、お祖母さまも、普通の人間。高祖母に当たる人物に記憶を読む力があったらしく、辛うじてお祖母さまが実物を知っていたけれど、母に至ってはお祖母さまから伝え聞いていた程度で、そんな話があったことすら忘れていた。私が、陰喰と分かるまでは。

 最初は些細な違和感だったようだ。

 覚えのない予定を私に指摘され、メモを見て記憶が欠けていることに気付く。私が、知るはずのない東京の街並について語り出し、それが友人と訪れた場所と重なっている。にこやかに笑う近所の婦人を指して「このひとは怒っている」と泣き出す。何も話していないのに夕飯の献立を言い当てる……。母は、不可解に感じながらも、偶然や子育ての疲れを理由に深く考えようとしなかった。しかし、私が絶対に知るはずのない……その日、母の職場で起こった内密のトラブルについて言及したとき、ようやく祖母に聞かされたお伽話を思い出し、それが事実なのだと気が付いた。私が七歳のときだった。

 母は焦った。既にお祖母さまは亡くなっていらしたから、陰喰をどう扱えば良いのか教えを乞う相手がいなかったのだ。黒木家に伝わる記録を漁ってはいたけれど現代人の母にそんなものが読めるはずがない。母は、娘の片割れが得体の知れない化け物だったという事実に、只々恐怖し、混乱していた。それでも母は、残された記録を探っていくうちに祖母の日記に名前のあった医師の姫神灰爾ひめかみはいじに……やがて私の養父になるひとに辿り着いた。彼も陰喰の伝承に関しては祖母から聞かされていた程度で、知識があったわけでも、信じていたわけでもなかった。けれど母は、藁にも縋る想いで彼に助力を求め、彼もまた戸惑いながらも協力を約束した。

 尤も姫神灰爾の存在が私の人生に関わってくるのは、もう少し後になってからのことで、私と母が一緒に暮らしている間、彼が黒木家のためにできたことは何もなかった。能力や意志の問題ではなく、何かを解明するにはあまりに時間が足りなかったのだ。

 そんなだから母は、依然として得体の知れない私を過剰に恐れた。元々神経質なひとだったけれど、さらに拍車がかかったように思う。私を見る目が娘を見るそれではなくなり、外へ出すことも厭うようになった。陰喰に何ができて、周囲にどんな害を及ぼすのか。知識はなくとも世間に曝せない存在であることだけは理解していたからだ。そして母が嫌がっていることが私も逆らおうとしなかった。家で過ごす時間が増え、それが休学に繋がるまで時間はかからなかった。やがて私の一日の大半は家の座敷で消費されるようになった。

 寂しくなかったと言えば、嘘になる。

 私は内気な子どもで友達も少なかった。ちょっかいをかけてくる男子が怖くて、いつも上羽の背中に隠れていたぐらいだ。なのに「外へ出るな」と繋がりを断たれた途端、不意に騒がしい教室が恋しくなった。みんなの声が懐かしくなった。いつしか登下校の時間に縁側に座り、塀越しの声に耳を傾けることが唯一の楽しみになっていた。好きではなくとも、時に煩わしさを感じようとも、それでも私には必要だったのだ。みんなと一緒に過ごす時間が。

 そんな身勝手な寂しがり屋の相手をしてくれたのが上羽だった。あの子は私が家に閉じ籠るようになってからも変わらず外で遊び回っていた。変わらず野山を駆け回り、変わらず蝶や蜻蛉を追いかけていた。

 そして、その記憶を私に喰べさせてくれるようになった。

 その想い出は上羽のものだからと断っても「遠慮しないで」と手を握ってくれた。

「代わりに、白亜が私にお話をして」

 みんなと遊んで楽しかったこと。

 先生に褒められて嬉しかったこと。

 白亜が食べた私の想い出を、白亜が私にお話をして。

 お母さんが絵本を読んでくれたみたいに。

 そうやって毎日を分かち合えば、それはいつか二人の想い出になる。私たちはたった二人の姉妹なんだから。楽しいことも、苦しいことも、半分こにして生きていこう。

 上羽はそう言って微笑んでくれた。お母さんには内緒だよ、と。

 嬉しかった。涙が出るほど。

 暗く、静かな座敷が光で満たされていくのを感じた。

 私は、あの子が願ってくれた通り、あの子がくれた、あの子の想い出を、毎晩あの子に語って聞かせた。かけっこで一等賞だったこと。教科書の落書きが傑作だったこと。なわとびで派手に転んで笑われたこと。ちょっかいをかけてくる男子の背中にお玉杓子を流し込んでやったこと。雨の日に泥だらけになってはしゃいだこと。川縁に咲く桜が綺麗だったこと……。指折りに数えても切りがない。上羽の想い出はいつも楽しくて、いつもきらきら輝いていた。嬉しさが胸いっぱいに踊って、言葉が溢れて止まらなかった。そして、うんうんと頷くあの子の瞳も、硝子玉みたいにきらきらだった。

 母には内緒だった。あのひとは私が力を使うことを嫌っていた。上羽の記憶を喰べるなんて以ての外だ。私たちは、母が家事や雑事に追われている間に二人だけでお喋りをした。二人だけの秘密の夜会だ。母のいる居間を離れ、奥の部屋の戸をそっと閉める。それだけで笑みが零れそうなほどわくわくした。人生でいちばん幸せな時間だった。

 そんな上羽の想い出の大部分を占めていたものがある。隣に引っ越してきた男の子の記憶だ。上羽は、どこか都会からやって来たその子とすぐに仲良くなった。その子を連れて集落を探検したり、小川で水遊びをしたり。随分お姉さんぶって世話がっていたようだ。

 名前を、風間想太くんといった。

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