レタスを剥く時

かぎろ

台所でレタスの葉っぱを一枚一枚剥いている時、いつも決まってレタスマンのことを思い出す。

 台所でレタスの葉っぱを一枚一枚剥いている時、いつも決まってレタスマンのことを思い出す。レタスマンはあの時言っていた。「レタスを剥く時ってワクワクするよな」私は尋ねた。「何が?」レタスマンは答えた。「レタスを最後まで剥いたら、その奥底に、何か神秘が眠っているかもしれないだろ」


 私は困った。「はあ……」


 レタスマンは私が小学六年生の頃の同級生で、レタスが大好物の男子だった。給食にレタスが出るたびに物凄いシャキシャキ音を立ててレタスを食べていたのが印象に残っているが、本名の方はよく覚えていない。確か、さとしだかさとるだか、そんな感じだったと思う。


 レタスマンなんてあだ名をつけられた彼は嫌がっているかといえばそうでもなく、そのあだ名に誇りを持っているらしかった。クラスメイトには「オレのことはレタスマンと呼べ」などとアピールしていて、変な奴だったと思う。友達は偏っており、少ないようだった。私もまた、彼とは同じクラスなのにあまり接点を持つことはなかった。会話をした記憶も一度しかない。その一度きりの会話というのはつまり、冒頭のあれだ。家庭科の授業の時、私がレタスの葉を剥いている状況で、彼はレタスの深奥について唐突に語り出した。


「オレ、レタスを最後まで剥いたことないんだよ」

「ふうん」

「お母さんの料理を手伝ってレタスを剥くことがあるんだけど、毎回剥いてるわけじゃないから、小さくなったレタスを剥くチャンスはなかなか訪れないんだ。逃し続けてるんだ……奥にある、神秘を……」

「ないと思うけど」

「あるいはレタス賞だな。最後まで剥いたらレタスから『最後まで剥けましたで賞』をもらえるかもしれねー。それかかぐや姫みたいな『レタス姫』がいて、剥きまくった一番奥でオレを待ってるかもしれないな」

「いやないない……」


 レタスマンは「最後まで剥いてみるまでわかんねーじゃん」と言ってワハハと笑い声を出した。私はなんだこいつと引いた。当時から私は明るいノリがそこまで得意ではなかったのだ。なんだかイミフなことを言っているし、今まで以上に距離をとろうか、と思ったりもした。彼が変人だということは確かだったように思う。


 レタスマンとの会話はそこで終わってしまったのだが、もうひとつ、思い出すことがある。


 あの頃、クラスには無口な男子がひとりいた。いや、無口な同級生くらいは特段珍しくもなかったのだがその男子は本当にほとんど喋らなかった。いつも机に突っ伏していて、前髪が長いのもあってか、当時から私はその男子の顔を覚えられていなかった。それくらい影が薄い彼だったが、ある日、彼が上履きを履かずに教室で過ごしていたことがあった。


 無口な彼が上履きを履いていないことに気づいたのは私ではなく他のクラスメイトだった。好奇心旺盛なクラスメイトが「何で履いてないの?」と聞くと、彼はか細い声で「下駄箱になかった」と言った。

 思えばあれはいじめの初期段階だったのだろう。何者かに上履きを隠されたのだ。彼は上履きのことをとっくに諦めているようだった。いや、もしかすると、自分のことや他人のこと、環境のすべてを諦めていたのかもしれない。今となっては想像することしかできないけれど。

 クラスメイトは「先生に言った方がいいよ」とだけ言って彼のもとを離れた。彼はこくりと頷くと、先生に少し視線を送ったが、溜息をついて机に伏せた。その様子を見ていた私は、まあ彼がそれでいいならいいか、と自分に言い聞かせた。嫌なものを見てしまったな。そんな気分を振り払うために友達との雑談に戻る。しかしどうしても気になって、もう一度だけ、彼の方を見た。


 彼の机の前に、レタスマンが立っていた。


「新倉くん」


 私は、彼が新倉という名前だったことを思い出した。


「上履き、一緒に探そう。きっと見つかる」


 顔を上げた無口な彼は、それまでで一番驚いた表情で、レタスマンの顔を見ていた。

 新倉くんはしばらく逡巡した後、「授業が始まっちゃう」と小さく声を発して、俯いた。

 そんな彼の落とした肩を、レタスマンがばしばしと叩いた。


「確かに! じゃあ、オレだけ探しに行くわ。新倉くんは休み時間になったら来てくれよ。まずは中庭を探すから、そこで合流しようぜ!」


 それだけ言うと返事も聞かずに、レタスマンは教室を走って出ていった。

 新倉くんは唖然としていた。

 それはそうだ。レタスマンと新倉くんにはそれまで何の接点もなかったはずだ。ちょうど私とレタスマンの関係のように、会話もほぼなかったに違いない。


 レタスマンが行ってしまってから少し経って、国語の授業が始まった。先生はレタスマンがいないことにすぐ気づき、授業を中断。自習していてねと私たちに言い残して、レタスマンを探しに行った。私はじわじわと想像していた。今頃、レタスマンはたったひとりで、中庭を隅から隅まで歩き回っている。ベンチの下を覗き込み、花壇の陰を見回して、ビオトープの草むらに足を踏み入れる。草葉を一枚一枚かきわけ、その奥に手を伸ばすレタスマンを想像した。


 私はレタスマンのことを何ひとつ知らなかったのかもしれないと思った。


 それからは記憶が曖昧で、結局レタスマンは上履きを見つけられたのかとか、新倉くんがどうなったのかとかは、よく覚えていない。ただ、以降は少なくとも私の耳に届くほどのひどいいじめは起きなかったはずだ。レタスマンはあれからも相変わらず変人行為を繰り返し、給食の時間にレタスが出た日には物凄いシャキシャキ音をとどろかせ続けた。そして私は、うわやっぱり変な奴なんじゃんと遠めの距離を保ち続けた。中学は同じだったがクラスは別で、高校も別になり、成人式で一回見かけたが会話はなく、そのままだ。きっとこれからも会うことはない。会いたいとも別に思わない。


 台所でレタスを剥く。


 もうずいぶん小さくなってしまったレタス。ちぎるように剥いて、ざるに投入していく。水洗いする前に、今夜はもう少し食べようかと思い直した。普段より多めに剥いていく。そろそろ中心部分に到達する。

 やはりレタスマンのことを思い出してしまうな。

 レタスを剥き続けた果ての神秘を、あいつは見つけられたのかな。

 ねえ、どうなのレタスマン?

 私は最後の一枚を剥く。

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