第28話 何万年もの戦史は、何を求るのか?

 血を吐くツチダを注意深く見止めながら黒魔術師は淡々と語る。ツチダはその時間を使って息を整え、黒魔術師が言った内容を反芻する。「黒魔術師は纏われと言った。纏われとは、まさか『堕ちし纏われの崇忌すいき』を指しているのか。馬鹿な! あれは御伽噺の類だぞ。現実に存在すれば六律の頂点である律龍に届き得る禍神まがかみ―――大物忌神に他ならないのだぞ」意図せずして冷や汗が垂れる。黒魔術師が使う魔女の『恩寵』ですら、いかさまの力なのに『崇忌すいき』の力をも欲するのか! わななく自分の胸中に気付き、ツチダはハッとする。敵の術中に落ちてどうするのだ、このような与太話など真に受ける必要はない。

 ツチダは我に返り、自らが企図した作戦の進捗を確かめる。もう少し幻影で翻弄させたかったのだが、こうなってしまっては仕方がない。直接に戦い合う段階に入ったということだ。ただ好都合な点が一つ。奴らの注意が俺に向いているということだ。都市の中央エーテル結晶石の隠蔽さえ気が付かなければ、この作戦は俺の勝ちだ。そのためにも俺がここであと数分ほど時間を稼ぎさえすれば、都市住民の系譜離脱の準備は全て完了する。系譜原典の目を誤魔化す為に、浮島を爆破。それと同時に系譜を切り裂き長距離転移する。全てを一瞬のうちにやり遂げよう。だが、俺自身はこの場で黒魔術師もろともに砕け散ろう。

 ツチダはエーテルの減少が引き起こす腕の痙攣を力を入れて無理矢理に抑え、戦闘態勢をとった。

 「俺に残されたエーテルは僅か。黒魔術師2人を相手するには不足過ぎるな。だが、俺がここで尽きても、浮島の皆の命を守れるのだ。大したことではないさ」ツチダは聖霊複合制御式を宙に描く。この制御式は命そのものをエーテルに変換させる『天互律』。これをもって自身の枯渇したエーテルを補充して、最後に残される中央エーテル結晶石と共に連鎖爆破を生じさせ、黒魔術師との終局と為そう。

 ツチダは終局までの道筋をつけるのだが、その構想を簡単に黒い雷槍が消し去ってしまった。黒魔術師が間髪入れずに放った黒き雷撃がツチダの四肢に突き刺さり、彼をそのまま背後の壁に釘差す。緩慢になった体では避けようもなく、黒魔術師の企図通りに標本のように壁に磔にされてしまった。

 黒き雷槍がツチダの四肢を焼く。思わず痛みによる叫びが口から出て、黒魔術師を楽しませていた。ツチダは身動きさえできない。黒魔術師の冷えた視線がツチダの心臓を一撫でして漆黒の声音がツチダの魂に響いた。


『聖ヱ術・白き陽炎に従いし針と果実』


 ツチダの四肢を貫く4つの雷槍の石突部分が円を描き、黒魔樹師はその中心に向かって人差し指を向けた。すると、その雷槍の円はツチダの肉体を歪め、彼の血肉と骨を一つの球体に凝縮させようと収縮を繰り返していくのだ。

 ツチダの顔が苦痛に歪んだ、そのとき―――


「黒魔術師。その汚れたかいなで我らがツチダ守護職しゅごしきを砕くこと、まかり成らん!」


 轟音が天地に割った。黒魔術師に侵略され崩れ行く都市が、力の限りの咆哮を暗雲の空に向かって叫ぶが如くに。

 ツチダの視界は血で濡れていたが、見覚えのある豪腕が彼の視界を通り過ぎていくのが分かった。その拳がツチダを拘束していた雷槍を砕き、その勢いのままに黒魔術師に向かって渾身の突きを放つ。

 突然の偉丈夫の転移に、黒魔術師は僅かに間合いを広げ観察を巡らせる。もちろん、それは驚愕ではなく、自らの糧として聖女に奉納するエーテルとして相応しいかどうかを見極めるため。そんな彼らの思惑など巨躯の男にとってはどうでもいい。それよりも自らの上官であるツチダに息がある事を確認するや否や、エーテルの詰まった円筒エーテル・シリンダーを開封し、急ぎ彼に注ぐ。


「遅れて申し訳ありません。少々、難儀をしました」

「‥‥‥ミハイロフ、俺は退避しろと命じていたはずだ」

「はっ、そうであります。確かに、軍令はであると拝命しており、何も違えてはおりません」

「まったく、その言辞は誰に似たのか。いや、だが助かった。このエーテル・シリンダーの回復で何とか目的を果たせそうだ。だからお前は、今のうちに早く戻れ」

「いいえ、出来ません。私は、貴方と共に行くの決めたのですから―――」


 そう言って振り返るミハイロフを黒き閃光が包み込む。あまりにも強大な力に、そのまま高層建物と同様に粉微塵となると思われた。だが、ツチダの制御式の構築が一歩先に展開し、ツチダとミハイロフを黒魔術師からさらに遠くの高層建物の屋上に転移させた。


「この場所なら黒魔術師からも十分に離れている。ミハイロフ、もう一度言おう。いや、これは命令だ。早く皆と共に撤退するんだ」

「ツチダ守護職殿、こればかりは承諾できません。私は貴方を助けに来たのです」

「何を言っているんだ。ミハイロフ、先程の黒魔術師との戦いで既に満身創痍ではないか」


 ツチダはミハイロフの姿を、その拳から流れる血を見て、彼の胸倉を掴んで言い放つ。


「俺は戻れと言っている! こんなところで無駄に命を散らすな。お前には住民と軍人を率いていかねばならぬ身だぞ。俺はそれを望んでいる」

「無礼を承知で申し上げるが、その言葉をそのままツチダ殿にお返しする。皆を率いるべき存在は、貴方です。ツチダ守護敷殿」

「―――っ、押し問答など。ここで時間を無駄にするわけにはいかないのだ。分かった、お前を中央エーテル結晶の場所に強制転移させる」


 転移の制御式を描くツチダの手を、ミハイロフがその大きな手が握り掴んだ。ツチダの手は、限界を超えて展開し続ける幻影魔術によって痙攣が波のように繰り返していた。ミハイロフはツチダの目を直視する。ツチダの瞳は死地に赴く兵士そのもの。聖霊世界の怨念が彼の命を手招いている。


◇◆


 思い出すのは、遠い記憶の欠片。


 雨に濡れる墓標。雨粒が大きくなり、佇む青年の頬を叩く。水溜まりに爆ぜる音が次第に強さを増していた。青年の隣に立つ大柄な男もまた雨のしぶきの中にその姿を霞ませている。彼らの目の前に広がる丘陵には、幾千、幾万もの墓標たる石柱が整然と並んでいた。その一つ一つが黒魔術師によって喰い殺された浮島の数々。そして、それ以上の聖霊がえさとなり輪廻に還ることも出来ず囚われ続けているのだ。


「ミハイロフ。どうしてだろうな? 名前だけが刻まれたこの石柱の下には何も無いのに、この場に心は引き寄せられ、足は固まったように動こうとしない」

「ツチダも私も、戦いそのものに捕らわれていたのかもしれません。守るべき存在を忘れ、助けを呼ぶ小さき声すらも切り捨てて、この地に増えいく墓標を甘受している。いや、それすらも戦い続けることの理由にしてしまっている。度し難いものであります。喜ぶのは黒魔術師に他ならないにもかかわらずに」

「すまないな、ミハイロフ。六律使いと煽てられた結果がこの始末だ」

「そんなことはありませんっ。貴方の妹エリカは、決して貴方を恨んではおりません」


 青年の前髪に雨の雫が滲む。彼は雨空の黒雲を見上げて、それから大柄な男に振り返った。エリカが一番に懐いていたのはミハイロフだ。ミハイロフの屈強な体も雨の冷たさに震えているのか、時折震え、口元を固く結んでいた。

 エリカが好きだった聖桜花が咲く時期に、冷たい雨が降る。聖桜花は堅く蕾に身を閉ざし、凍てつくような雨に濡れていた。

 思い出すのはいつかの光景。


『お兄ちゃん、幸せって何だと思う?』

『黒魔術師を殲滅して平和を勝ち取とること。皆が平和を享受できる状態が平和だろう』

『えー! そういうことじゃなくて。ほんと、分かってないなあ。お兄ちゃんは。今こうやって家族が一緒に過ごせるってのが幸せなんじゃん』

『一緒に居ることが出来るのも、戦いによって勝利を手にしたからだ。だからこそ、黒魔術師を殲滅させて平和を手にしないとな』

『はあ。もう何と言うか、頭が固いというか、戦闘狂というか。困った兄を持ってしまったものと、妹は嘆きます』

『ん? ミハイロフが来たようだな。確か有名店の菓子を持ってくるとか言っていたが』

『それは耳よりの情報ですね! 菓子に免じて、この私の嘆きをミハイロフにぶつけてあげましょう。うん、これぞ妙案! こほん。私の妙案をもって全てを丸く解決してみせよう‥‥‥どう? 今のお兄ちゃんに似てたでしょ?』

『‥‥‥俺は、そんなに眉間に皴を寄せているのか?』


 戦場にいる時間が長いツチダをエリカはいつも笑顔で迎えてくれていた。だからこそ、俺は戦前に立ち続けていた。一刻も早く平和を手にするために。だが、それが後方を手薄にすることに繋がってしまった。三百年前の、黒魔術師による大規模侵攻。その苛烈を極めた戦いによって幾百万の精霊たちの魂が黒魔術師に飲み込まれた。その中の一つに、エリカの魂が囚われてしまっている。災呪の穢れ、その身の内に。


「ミハイロフ、俺に付いて来い。俺は天異界1層に行くことになった。そこで、もう一度最初から始めてみようと思う。そして、必ずや妹の魂を、黒魔術師に囚われた者たちの魂を輪廻に還すことを、わが友ミハイロフに誓おう」

「ツチダ殿はお強いですな。‥‥‥いえ、失言でした。このミハイロフ、この命尽きるまでツチダ殿と共にある事を誓います。必ずやエリカの魂を輪廻に、願わくばエリカが願っていた『幸せ』が、この世界に咲き誇らんことを」

「ああ、そうだ。世界の中心にあるという『叡智の法』を手に入れ、一人でも多くの者たちが家族と共にある世界を目指すのだ」


◇◆

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