001-2-02 相性が悪い理由

「ハニートラップ……ないな」


「?」


 一総かずさの呟きに、微動だにしない表情のまま首を傾ぐ蒼生あおい


 蒼生が準備を整えた後、二人は学校へ向かっていた。波渋はしぶ学園の中で一番校舎に近い学生寮に住んでいるため、徒歩での登校となる。


 二人が歩くオフィス街は通勤通学の時間帯というだけあって人通りが多く、制服やスーツを着た人々が忙しなく動いていた。ただ、その場にいる者の全員が、一度は足を止めて一点を注視してしまう。


 その視線が向かう先とは蒼生だった。


 彼女が美少女であることは初対面時から感じていたが、ここまで注目を浴びるのは予想外だった。男性だけではなく、女性も蒼生へ視線を注いでいる。端正な顔立ちに加えて小柄な体格、表情が薄いことから、愛らしい人形のように見えるのかもしれない。


 そんな注目を浴びる中での先程の言葉は、政府の思惑、誰が見ても美少女であること、先の微笑みで思わず見惚れてしまったこと、それらをかんがみて口にしたのだが、改めて隣の蒼生を見たところで否定した。


 もし、蒼生が一総を誘惑して手中に収めようとする政府の刺客ならば、こんなにも無表情で無愛想なのはあり得ない。もっと愛嬌を振りまいて気に入られようとするはずだ。


 ハニートラップの線を真っ先に切り捨て、政府の真意へ考えを巡らせていく。


 朝の喧騒の中、二人はひたすら無言で歩を進めていく。


 普通なら蒼生が右も左も分らず不安だろうと思い、話しを振って気を紛らわそうとするのだろうが、一総はそんなことしない。何となく、彼女は不安を感じていないと思えたからだった。ただ単純に面倒くさかったという理由もあるが。


 そうして、しばらく言葉もなく歩き続けたが、結局政府の目的を推測することは叶わなかった。昨晩もずっと思考を巡らせて答えが出ず、本人と直接顔を合わせれば大方分かると思っていたのだが、あまり芳しくなかった。


 ひとつも判明しなかったわけではない。少なくとも、記憶喪失というのが本当のようだ。


 異能――精神干渉系の魔法で記憶を読んだのだ。一定時間は傍にいなくてはならず、慎重に扱わないと相手を廃人にしてしまうので、ここまで時間がかかってしまった。蒼生に気づかれないよう術を行使していたことも要因のひとつだ。


 走査の結果、ここ数日の記憶以外が見当たらなかった。完全な記憶喪失というわけではなく、思い出のみ喪失しているようだ。ただ、普通に会話はできているが、異世界生活が長かったせいか知識も一部不足している部分がある。その辺りのフォローをする必要も出てくるだろう。


 一方、記憶がないということは、現在の彼女は政府関係者ではないことの証明となる。そうなると、


「なんでオレなんだろうか」


 誰にも聞こえない声量で言葉をく。


 普通の指名依頼だったのではと思いたいところだが、それはあり得ない・・・・・


 蒼生の世話をするという依頼。これの真意は「蒼生に異能を使わせないようサポートをする」というもの。それは他の救世主――特に勇気ゆうきならともかく、一総にとって相性最悪も良いところだった。


 そして、相性が悪い理由の“分かりやすい一例”が早速現れた。


 通学路の途中。人通りが学園の生徒のみとなった波を割いて、一人の男子生徒が仁王立ちをしていた。


 巌のような巨漢だ。胸も腕も足も全てが筋骨隆々としていて、着込む制服がハチ切れんばかりに押し上げられていた。彼の体から滲み出る迫力のせいで、周囲の生徒たちは気圧されている。


「伊藤一総、俺と決闘をしろ!」


 突然の決闘の申し出に周囲がざわめく。


 一総は「またか」と内心溜息を吐く。


 目の前の巌男は一総の知り合いでも何でもない。それなのに“また”と表現したのは、彼は幾人もの勇者たちから決闘を吹っかけられていたからだ。


 日本の法律で暴行が犯罪であるように、アヴァロンでも私闘の類は認められていない。それを認めてしまえば異能を用いた戦いが頻発し、都市内は一挙に弱肉強食の魔窟まくつと化してしまうだろう。


 しかし、現実はこの通りだ。勇者たちの間では“決闘”が暗黙の了解で成り立ってしまっている。世界を腕力によって救った者が大半の勇者たちにとって、ある程度のいさかいは腕力で解決した方が手っ取り早かったのだ。さすがに警察などの前で堂々と戦っては逮捕されてしまうが、大事にならない程度ならば問題にならない。


 とはいえ、決闘が行われるのはもっぱらら同レベルの者らのイザコザが主立つ。シングルがダブルに、ダブルがトリプルに、などの格上に挑んでは、誤って死んでしまう可能性を孕むからだ。それだけ世界を救った回数の格差とは大きい。


 では何故、救世主セイヴァーである一総が頻繁に決闘を申し込まれるのか。


 決して、彼の実力を超える者たちが挑んでいるわけではない。というより、公に・・彼より召喚回数が多いのは勇気を除いて存在しない。今いる巌男もトリプルだ。


 理由は、一総の持つ世界記録ふたつにある。


 ひとつは、歴史上二位タイの召喚回数十回を記録していること。


 もうひとつは、歴史上最速の帰還速度を記録していること。


 最たる原因となっているのは後者だ。彼は召喚されてから僅か半月で異世界から帰還している。それも一回や二回ではない。十回のうち、半数はそのペースで帰ってきているのだ。しかも、他の召喚も一ヶ月や二ヶ月、長くても一年しかかかっていない。


 これがどれほどの偉業かというと、普通の勇者ならば一回の召喚に二、三年はかけるものなのだ。勇気でさえ、最速で半年を労している。世界を救うということは、そう易々と行えないわけである。


 ――と、ここまでの説明であれば、逆に決闘を挑むバカなど現れないはずだが、一総には更なる原因があった。


 彼の公表している異能のほとんどが、交渉系のスキルか速度重視で威力最低の下級魔法ばかりなのだ。実習でも気の抜けた戦闘訓練しか行わず、使う異能も弱いモノのみ。


 それが繰り返されるに従い、周りからの反応がどうなったかというと、


『救世主の名折れ』


『運が良かっただけ勇者』


『楽して世界二位』


『最弱救世主』


 etc. etc.


 と、都市内において、様々な蔑称がつけられるようになった。


 レベルの低い異能しか見せなかったがため、最速帰還を記録できたのは「大した危機ではない異世界に呼ばれたから」と認識されるようになった。それはシングルでも勝てるのではないかと噂されるほど。


 世界二位タイの記録保持者に勝てれば名声を得られる! その保持者は弱いから勝てる望みがある!


 そんな話が出るのは当然の帰結で、結果として一総に決闘を挑む者が続々と名乗りを上げたのだ。


 周りにいる生徒たちが「何事?」「決闘だ」「また異端者か……」などざわめく、


 注目を集めるな中、決闘を申し出られた一総はどう対応するかというと、


「……」


 当然とばかりに、無言のままスルーを決め込む。自然な流れで巌男の横を通りすぎようとした。


 こういう場合、一総は毎度無視という形を取っていた。それによって「逃げた」などのレッテルが貼られるが、知ったことではない。何が楽しくて決闘をしなくてはいけないのか、と知らぬ存ぜぬだ。


 だが、易々と通してくれるほど、相手は甘くない。


 巨体とは思えぬ俊敏な動きで一総の前に回り込み、彼に指先を突きつける。


「無視をするな、『異端者ヘレティック』! こちらが正々堂々決闘を申し込んでいるんだ。受けるのが筋というものだろう!」


 知己でもない者の決闘など受けたくもない、無二の親友であっても受けたくない。そのような筋は知ったことではなかった。


 いくつも文句が浮かび上がるが、ぐっと我慢。こういう手合いは反応すればするほど、突っかかってくる。


 再び脇を通り抜けようとする一総を見て、巌男は盛大に顔をしかめた。今度は強引に引き留めてやろうとした時、彼は一総に追随する影に気がついた。


 蒼生だ。彼女はただ一総の後ろをついて行っていただけなのだが、巌男には最弱男が美少女を侍らせているように映った。


 そして、立て続けに無視されて苛立っていたこともあって、巌男は一総が最も恐れていた事態を引き起こす。


 なんと、一総を引き留めようと伸ばした腕を、蒼生の方へ方向転換したのだ。素早い動きで巌男の手が彼女へと迫る。対し、蒼生はくらい瞳で虚空を眺めるのみ。


 それを確認した一総は青冷める。


 蒼生が巌男にケガをさせられるからではない。


 巌男は蒼生が自分の動きを捉え切れていないと勘違いしているようだが、彼女はしっかりと彼の動きを補足していた。ギフト【魔力視】で見ると、反撃を与えようというのか、蒼生の魔力に急激な変化が見て取れた。異能、それも特大の魔法を行使する前兆。スキル【危機感知】にもビンビン反応がある。最大レベルの脅威が蒼生から放たれようとしている。


 ――世界崩壊の危機。


 これが一番懸念していた事態であり、今回の依頼が一総にとって不向きである理由だ。


 戦いを頻繁に挑まれる彼が異能を使わせたくない者の傍にいれば、一体どうなるだろうか。答えは一目瞭然、その戦いに巻き込まれる。蒼生の容姿が優れていることも、劣情や妬みというブレンドを加えてしまっていた。


 一瞬、真っ白になりかけた思考を、コンマ秒のうちにフラットまで捻じ伏せる一総。今は焦っている時ではない。迅速に、的確に行動しなければ、ここにいる者どころか世界が滅ぶ可能性がある。


(あまり大っぴらに力を使いたくないんだが)


 四の五の言ってはいられない。


 一総は歩法【縮地】とスキル【無拍子】を併用し、予備動作や重心移動なく巌男と蒼生の間に滑り込み、合気を用いて巌男をあらぬ方向へと受け流し、【魔力中和マナ・ニュートラル】で魔法へ転換されかかっていた魔力を元に戻した。


 この間一秒にも満たない。一般人が見たら、何が起こったから理解できないことだろう。ここには勇者たちがたくさんいたが、巌男の体が偶然・・陰になっていたため、詳細は判然としないはずだ。都合良く、巌男が足を踏み外したと考えてくれたら嬉しいところ。間近の目撃者たる巌男には、小規模の【精神魔法ショック・ウェーブ】で記憶を曖昧にさせたため問題ない。魔法を使ったとバレることもないはずだ。


「うげっ」


 受け流されバランスを崩した巌男が、盛大に地面とキスをする。何が起きたのかとギャラリーが一層騒然となる。


 だが、一総は周囲のことなど気にしない。あんなことがあったのに表情ひとつ崩さない蒼生の手を取り、素早くその場を後にするのだった。



 学園への道とは外れた人気ひとけのない路地。そこまで駆け込んだところで一総は足を止めた。連れられて来た蒼生も黙って立ち止まる。


 頭を抱えたい気分だった。


 巌男はトリプルで、一連の所作から実力はそれなりに高い部類だと判断できる。見た目や動作の機微からして戦士系だろう彼の動きを、蒼生は余裕を持って目で追っていた。体つきなどから魔法系メインであろう彼女が、だ。


 ともすれば、他の者たちの実力差と比較すれば、蒼生は確実に救世主級の能力の持ち主であることは疑いようがない。それどころか、一総と同等数の世界を渡っている可能性だってある。そうと仮定すれば、記憶喪失であることや瞳の湛える昏さも理解できるというもの。さりとて、彼女自身の記憶がない以上、想像の域を出ないが。


 問題は“異能を使うことに躊躇いを見せなかった”ことだ。


 一総は蒼生が異能を使わないように監視する依頼を受けているというのに、当の本人が異能の行使に躊躇がないのでは防ぎようがない。今回は一総が持ち込んだ事態ではあるが、それと本人が自制心を持たないとは別の話だ。


 そういえば、彼女の異能が危険であることを政府が伝えた記憶がなかった気がする。


 ……もしかしたら、これが目的だったのかもしれない。一総と蒼生が共に行動をすれば、蒼生が異能を使う場面が発生するのは火を見るより明らか。それなのに、一総への依頼を強行したのは、彼の実力の一端を垣間見たかったからか。


 一総の実力は大半の者には軽んじられている。逆を言えば、一部の者には実力を隠匿していると捉えられていた。だから、蒼生を押しつけて、隠された力を見極めようとしたと考えれば辻褄が合う。


 これが真実であれば、かなりの博打と評せざるを得ない。一総の力を信頼しているのか知らないが、彼が不測の事態に対処し切れなければ、世界が滅びることだってありえるのだ。正気を疑う。


 政府の思惑が何となく掴めかけたところで、思考を元に戻す。


 蒼生が異能を躊躇なく使おうとした件。これは今のうちに手を打っておかなくてはいけないだろう。ふとした拍子に能力を行使されて世界が滅びたとあっては、堪ったものではない。


 一総がそう思考を回していると、ふと蒼生が口を開く。


「さっき、なにか、したの?」


 昏い勝色の瞳がジッと見つめてくる。先程の巌男の一件を指しているのは言わずもがなだろう。背後にいた上、魔法をキャンセルされた蒼生は、一総が手を出したことを把握していたようだ。


 最初、どう答えようか逡巡した一総だが、すぐに手の平をヒラヒラと振りかざした。


「まあな」


 詳しく答えるつもりはない、そういう意図を込める。


「……そう」


 蒼生は短く頷く。変わらぬ無表情なので心境は覗けないが、詮索する気配はない。


 それを確認した一総は、真面目な顔に切り替えて蒼生を見る。蒼生もボーっとした顔で一総の顔を見上げた。


「村瀬、何で異能を使おうとした?」


 巌男は彼女に手を向けたが、それに対して世界崩壊級の異能は過剰防衛もいいところだ。そこら辺の心情を把握しておきたかった。


「?」


 しかし、蒼生は首を傾いだだけだった。


 一総は頭痛が酷くなるのをハッキリと感じる。


「まさか、無自覚に能力を発動させようとしたのか?」


 辛うじて口に出た問い。


 彼女はしばし黙考すると、小さく首肯する。


「……たぶん」


 それを聞いた一総は、片手で両目を覆うと天を仰いだ。


 依頼の難易度が高すぎる。


 それが彼の率直な感想。意識的な異能の行使ならば口頭で注意するなどの方法が取れるが、無意識かつ反射的に使われるとなると、対処法が一気に絞られてしまうのだ。頻繁に決闘を吹っかけられる一総なら尚さら。


 一総は一息いて、蒼生に声をかける。


「村瀬にひとつ頼みがあるんだが」


「……たのみ?」


「異能を使わないよう心がけてほしいんだ。可能なら絶対に使わないでほしい」


「ぜったい、に?」


 首を傾ぐ彼女に対し、彼は力強く頷く。


「ああ。さっきみたいに襲われそうになっても、何があっても異能は使わないでほしい。そのためにオレが傍にいるわけだし、何かあれば対処するから」


「…………」


 蒼生がジッと瞳を向けてくる。深海のような昏い蒼が真っ直ぐにこちらを射抜く。


 一総は逸らすことなく、それを受け続けた。


 やがて、コクリと蒼生は頷いた。


「わかった。わたしは、異能を、つかわない」


 表情は変わらないが、瞳の色に、声の色に嘘はなさそうだった。


「ありがとう。時間取って悪かったな。学校へ行こう」


 一総は満足げに頷き返し、蒼生を伴って通学路へと戻る。


 意識的に気をつけてくれれば、不意に異能を使うことも減るだろう。ゼロにはできないだろうから能力封印系のアイテムを生成した方が良いかもしれない。ただ、能力の詳細が分からないとなると、完成まで時間が掛かりそうだ。それまでは目を離さないようにしないといけない。


 本当に面倒くさい限りだと心の内で呟く。


 投げ出したいところだが、その後の処理を考慮すると、依頼続行の方が最終的な問題は少ない。今は我慢するしかなかった。


 これも全ては平和な日常のため。


 自身の唯一の願いを守るため、一総は静かに気合を入れ直した。

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