『9月生まれの君に』

つい最近まで、僕は9月が嫌いだった。


なんとなく、ではない。もっと確固たる信念のもと、9月という月を忌み嫌っていた。


去年までなら、今この瞬間も、9月というだけで憂鬱な気分に襲われていたはずだ。それほどまでに、僕は9月に対して苦手意識を遥かに越える嫌悪感を抱いていたのだ。



まず、僕は学校が嫌いだった。9月1日は、つまるところ僕を理想郷から地獄へと突き落とす記念すべき日だった。


学校での僕は周りに馴染めず、ひとりで黙々と本ばかり読んでいるような子どもだった。イジメといえるほど大袈裟な出来事はなかったけど、僕にとっての学校は居心地の悪い場所でしかなかった。


さらに僕は花粉症を煩っていた。杉花粉ではなく、9月にピークを迎える草の花粉が原因だった。頭は重いし息はし辛い、そんななか、9月の終わりには運動会が待ち構えていた。残念なことに僕には運動神経というものは通っていないらしい。憂鬱以外の何物でもないその行事が、毎年9月を締めくくっていたのだった。



でも、僕の9月嫌いが決定的になったのは、小学4年生の時の授業中だ。


先生は、「一年で一番好きな月」というテーマを、グループで話し合わせた。僕は迷わず8月だと言ったが、他の三人は9月が好きだという。極め付けに、男子の一人が「8月が一番嫌い」だという余計な一言を持ち出した。


僕はかなりカチンと来て、理由を尋ねた。「夏休みは学校がないから」という信じられない答えが返ってきた。


この時の担任は最初の名前順の席のまま、一年間席替えをしなかったので、まだ半年は付き合うことになるグループのメンバー三人を敵にまわすのは愚かに思えた。特に男子、吉岡は僕の倍くらいの体格で、力も強かった。女子のうち、山本さんは大人しくて控えめな子だったけど、森野さんは物事をハッキリ言う明るい子だった。


僕は、実を言えば森野さんに密かに憧れていた。彼女は頭が良いだけでなく、可愛かった。だからここで、9月なんか嫌いだ、とは言うつもりなんてなかった。吉岡が8月についての悪口をやめてさえくれていれば。


「僕は9月なんか大嫌いだ」


ついにその一言を告げた時、グループの空気が凍ったのがわかった。山本さんが心配そうに理由をきいてきた。9月のすべてが嫌いだと答えた。吉岡は僕を睨み続けていたが、僕はそれを無視して、9月のどこがいいのか分からないと言った。その瞬間の、森野さんの表情を僕は忘れないだろう。彼女はあきらかに困惑していた。


しばらくの沈黙の後、森野さんが口をひらいた。


「9月は吉岡くんの誕生日だから。それで吉岡くんは9月が好きなんでしょ?私はそうだよ。私も9月生まれだから、9月が無条件に好きなの。私のためにお母さんがチーズケーキを焼いてくれて、可愛い猫のぬいぐるみをくれるの。一年で一番幸せ。だから9月が好きなの」

「そんなの、知るもんか!」


僕は、今にも教室を飛び出しかねないほど、物凄く腹が立って、思わず声を荒げた。だって僕は8月生まれなんだ。吉岡だってそれを侮辱したのに。それに母さんはチーズケーキはおろか、ホットケーキすら作ってくれない。忙しい母さんが、申し訳なさそうに渡してくる図書館が毎年恒例の誕生日プレゼント。それから母さんが仕事帰りに買ってきたコンビニのケーキを二人で深夜に食べる、そんな誕生日だから、嫌いではないけど、森野さんちみたいに美しい思い出にはならない。どちらかといえば、少し惨めになるのだ。母さんには悪いけど。


何より、森野さんが吉岡の誕生日を知っていたことが、僕のプライドを砕いたのだった。


中学、高校、大学と進むにつれて、内気だった僕にも友だちができたし、大恋愛も経験した。そんな折に行われた、小学校の同窓会で十数年ぶりに再会した当時のクラスメートたちは、口を揃えて僕のことを「変わった」と言った。悪い気はしなかった。あの頃大嫌いだった吉岡とは、同窓会で意気投合して、それ依頼飲み友だちになっているし、他にも何人か連絡先を交換した。


でも、わだかまりは溶けたけど、僕の9月嫌いは治らなかった。ある時の飲みで、吉岡にこの話をしたら、吉岡は全く覚えていなかった。僕の話をきいた吉岡は、先に8月を嫌いだと言ったことを謝ってくれた。僕は黙って軟骨を追加注文して、吉岡の前においた。


「なんだよ?」

「僕はまだ9月が嫌いなんだ」


吉岡は苦笑しながら、昔からおまえは頭が固いと言って、軟骨を盛った皿を中央においた。


「そういやモトキ。由希ちゃん、9月生まれだよな?」


吉岡が軟骨を頬張りながら、事も無げに言う。由希は僕の今の彼女で、吉岡の協力のもとでのアタック大作戦はなかなか楽しかった。そのかいあって告白が成功した時は、飛び上がって喜んだものだ。


「由希の誕生日なんてよく知ってたね」

「前に誕生日の話したんだよ。由希ちゃん、俺と1日違いだからさ」

「そっか、そういえばそうだった」

「来週のお前の誕生日はどうするんだ?」

「由希がうちに来てくれることになってるよ」

「くそっ、羨ましいなコイツ」


僕らはその日、かなり飲んだ。薄れゆく意識の中で、そういえば誕生日をちゃんと祝われるのは、母をのぞくと初めてかもしれないと思った。


僕の誕生日に、由希はでっかいチョコレートケーキを焼いてきた。こんなに二人で食べきれるの?と笑って聞いたら、余った分はお母さんに分けてあげましょうと微笑んだ。母は近所に住んでいるし、母さんも由希のことは知っていたから、それは良いアイデアにおもえた。


「そういえば、よく僕の誕生日なんか覚えてたね。」

「誕生日、なんていわないの。ずっと覚えてたわよ、夏休みバースデー」

「あんまり誕生日って実感がなかったんだ」

「今日から、絶対忘れさせてあげない」


由希は楽しそうにケーキを切り分けた。


「ありがとう」

「誕生日は大切な日よ。だってあなたが生まれた日じゃない。こうして一緒にいれることに、私は感謝してるの」


由希の作ったケーキは、おいしかった。余った分は、母さんだけじゃなく、歳の離れた妹にのところにもお裾分けにいくことにする。


「由希の誕生日、何がしたい?」

「祝ってくれるの?9月嫌いなのに」

「……そんなことよく覚えてるなぁ」


僕はあの苦い思い出話を、改めて由希にした覚えはない。


「忘れないわよ。ねぇ、私がなにが欲しいか分かる?」

「何?」

「モトキくんが欲しい」

「え」

「モトキくんが一番欲しいものが欲しい」


由希はいたずらっぽく笑った。だけどこの日から、僕は由希の誕生日が待ち遠しくなった。


もう9月、嫌いじゃないかもしれない。


そう思ったのだ。



そして今日。9月が好きになりはじめて、1ヶ月。僕は今、由希へのバースデープレゼントを持って由希の家へ歩いてる。不器用なりに頑張って焼いたチーズケーキと、小さな箱に入ったプレゼント。それから一枚の紙切れ。


僕は今、心からこの日を好きだと思った。長年せき止められていた気持ちが一気に溢れ出す。


9月、悪くない。今日、この日は一年で一番最高な日になって、きっと一生忘れない。


神様、由希のお母さん、由希を産んでくれてありがとうございます。


秋晴れの空を見上げて、僕は心の中で呟いた。



今日、森野由希は、元木由希になる。僕たち『家族』の誕生日が、この日でよかった。


僕は9月の風を一身に受けて、由希の待つ部屋へと急いだ。

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即興短編集 紺野智夏 @con_772

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