終章


「……どうしたの?」

 

 その言葉で島崎は我に返った。

 ──夕暮れの生徒会室。

 問いかけてきたのは、傍らで事務を手伝っていた植村である。

 

「大丈夫? 島崎君、元気なさそう」

「ああ……いや。ちょっと考え事をしてたんだ」

 

 島崎は頭を振って雑念を追い払い、目の前の書類に意識を集中した。

 机の上に広げられているのは、学年通信に載せるための原稿だった。ほとんど完成済みのそれの末尾に、結びとして記名する。

 ──生徒会長・島崎栄一。

 自分の名前の前に記された肩書きをまだ慣れない思いで見つめながら、島崎は回想した。

 

 あの日──。

 最大の政敵を選挙を目前にして失った島崎は、拍子抜けするほどにあっさりと生徒会長に当選した。

 それから二か月──未だ何も問題は起きていない。それは一般への公開を最優先するというクリーンな生徒会活動への方針改革を島崎が推し進めた成果と言うこともできるし、またあるいはこれまでの連上の大暴れによって既存の有力組織があらかた潰されたことによる当然の結果と言うことも可能だった。

 連上は渡英する直前に例の録音テープをデータ化して学園サイトの掲示板にアップロードしていたらしく、テコンドー部は責任を問われて廃部となった。新生徒会を組織する前に、校内の勢力図は完全に白紙に戻されたわけである。そんな状況だったからこそ、新たに生徒会長に就任した島崎がスムーズに改革を行えたとも言えるだろう。

 その段取りの良さが──引っ掛かる。

 まるですべてが──予定調和のような。

 島崎は顔を上げた。

 

「植村さん。僕は最近、気付けばいつも同じことを考えているんだ」

 

 植村が顔を上げて島崎の方を見た。

 気弱で優しく、しかし正義感の強い彼女は今、副会長という立場で島崎をサポートしている。本来植村は正規の期間中に立候補していなかったのだが、これも連上が去り際に何らかの方法を用いて選挙管理委員会に出馬を認めさせたらしい。

 今となっては推測することしかできないが、連上は選挙管理委員会の中にも手駒を用意していたのではないかと島崎は睨んでいる。思い返してみれば、選挙管理委員会は立候補者総会の開催など連上のシナリオにとって都合よく動いていたきらいがある──内通者がいたと見るのが妥当だろう。ならば期間を過ぎてから立候補者を登録させることも可能なのではないか。

 しかしどうしてそんな行動を起こしたのだ? 連上に頼んだのは植村本人だと言うが、しかし連上はこの学園を離れてゆく身だったのだ。自分にはなんのメリットにもならないことをどうしてわざわざ他人を使ってまで実現させたのだろうか?

 ──それは。

 その答えは。

 

「思うんだけど、連上は……あいつは、もしかしたら……」

「島崎君」

 

 植村は穏やかな声で島崎を止めた。すべて了解していると言いたげな表情で──少し悲しげな表情で、島崎を見つめる。

 

「何を言いたいのかわかるよ。でもね、答えなんてないんだよ」

「──うん」

 

 釈然としないものを抱えながらも、渋々頷く。

 確かに、今出ている結論から見れば大して意味のない思索ではあった。それに考え続けていればいつか答えが出るという類のことでもない。

 実のない考えをいつまでも弄び続けるのは無為なことでしかない──しかし島崎は、植村のようにはっきりと割り切ることもできずにいる。

 少し気まずくなった場の空気から救いを求めるように植村は壁にかかった時計を見上げ、声を上げた。

 

「──あ、もうこんな時間だったんだね」

 

 時計が五時二十分を指していた。

 植村は資料をファイルし直し、筆記用具を片づけ始めた。植村は毎日この時間に帰り、島崎はもう少し仕事をしていく。

 

「じゃあ、私はお先に」

「うん。鍵は閉めとく」

 

 植村は荷物を持って立ち上がり、言葉を残して部屋を出て行った。

 

「じゃあね島崎君、また明日」

 

 その台詞に僅かな既視感を覚えながら、島崎は誰もいない空間に向けて答える。

 

「また……明日」

 

 脳裏にあの日の情景が浮かんだ。

 そう言って二度と戻らなかった少女。彼女こそ、現在の島崎が抱えている疑問の中心に位置している存在だった。

 夕焼けの光も薄れ、空は深い紫に支配されつつあった。蛍光灯の光の届かない部屋の隅にはすでに薄暗がりができかけている。

 夕闇に浸食されていく部屋の中で、島崎は独語した。

 

「もしかしたら……」

 

 もしかしたら。

 すべては、連上の目論見通りに転がっていたのだろうか。

 最後の最後で戦線離脱──選挙戦という舞台から降りることまでも、彼女の綿密な計画の中に織り込まれていた規定事項だったのだろうか。

 帰国時期が最初から決まっていたのならば、生徒会を倒した後のことも考えておかなければならなかっただろう。また新たに陽陵学園を食い物にしようとする輩が出てこないとも限らないからだ──それを防ぐためには、信用の置ける生徒会長を後釜に据えることまで視野に入れておかなければならない。

 しかし、その人物は普通の人間では駄目だ。かつて巨大な闇が存在していたこの学園には、未だにその毒気に中てられた野心家が虎視眈々と次の支配者の座を狙っている──そんな有象無象に排除される、あるいは取り込まれるような平凡な資質の者には生徒会長は務まらないのだ。

 少なくとも、連上クラスの策士が本気で仕掛けた策を打ち破るくらいでなければ──


 ──あの日、島崎は連上と決別した。

 その契機は、コンピュータ準備室で発見されたA型バリケードである。

 事件の翌日、あれは路上に放置されていた。

 それがコンピュータ準備室に保管されていたと言うことは、連上はあの日──島崎と別れた後であれをわざわざ回収したことになる。

 どうしてそんなものを回収したのだ?

 手掛かりを残さないという目的であれば、テコンドー部が井守を襲撃し終えて撤収した直後に回収すればいいだけの話だ。警官にも見られていたし、下手をすれば証拠物件として押収されるおそれもあった。

 タイミングが──どう考えてもおかしい。

 それを無視したとしても、回収したそれを何故持ったままにしておいたのか?

 あれは井守襲撃に一役買った要素──言うならば加害者の証である。そんなものを回収してまで後生大事に抱え込む必要などどこにもない。明らかにちぐはぐで気持ち悪い無駄な行動──


 いや。

 連上は絶対に無駄な手など打たない。一挙一動がすべて後の展開を見通した下準備なのだ。

 つまりそれは。


 島崎に見つけさせて。

 敵に回し、戦って。

 それまでの共闘によってどれだけ素質を伸ばしたか──力量を測るための。

 最後のテストへの──

 布石、だとしたら。


 ──こんな気はしていたんだ。一切妥協無しの作戦をあたしが構築しても、君の理を超えた本気が打ち破ってしまうような予感が、なんとなくね。

 ──予感?

 ──うん、予感していた。いや、もしかしたら期待していたのかもしれないね。あたしの冷たい論理を、退屈な常識を、閉じた世界観を──君が打ち壊してくれることを。


 連上は、全力で島崎を潰しにかかっていながら──最後の最後で負けるという結果を見通していた?

 

「……いや」

 

 そんなはずはない。

 いつものように島崎は自分の考えを否定する。

 策が計算外の要素によって破られること──それ自体を予測していたなんて、そんなことはあり得ない。

 そんな戯言を真とするなら、あの連上千洋という年端もいかぬ少女は理を超えた理を持っていたということになってしまう。

 偶然すら見通した予測などあってたまるか。それはほとんど予知ではないか。

 驚異的に明晰で狡猾な策士が編み出した、極限的に巧緻で難解な策略すら──そんなものを持っているなら、軽く飛び越えてしまうことになる。理を超えた理──それは次元が違うという結論ですべてを説明してしまう。

 確かに連上の戦いを傍で見続けてきた島崎にとって、その仮説は何よりも真実に近いところにあるような気がしてならないのだけれど。

 しかしそんなことはあり得ない。いや、あり得ると信じたくない。

 もし、それが事実であるのなら。

 連上千洋という、まだ生まれてから十六年と少ししか経っていないあの少女は今も島崎を操っているということになるのだ。

 様々な事象を配置して、舞台に上る演者全員の心理を誘導して──邪魔者をことごとく罠に嵌めて片付け、味方すらも追い詰めてその力を底上げし、その他諸々のことをすべて思い通りに動かして、果ては自分が去った後のことすらも完全に対策を打って。

 そして──彼女にとっての聖域を、完全な形に浄化した。志半ばで殺されてしまった正義の人、八幡浜硬介が愛したこの学校を。

 今ここに至り、島崎の目に見える情景こそが──稀代の策士がついに完成させた大計の全図。

 

「……ふふっ」

 

 そこまで考えて、真面目面でこんなことを考えている馬鹿馬鹿しさに思わず笑いが込み上げてきた。

 答えを手に入れることのできない今となっては、これは単なる思考実験でしかない。確かな事実でも何でもない、ただの取るに足らない一つの仮定──こんな見方をすればそう説明がつくという、ただそれだけのことに過ぎないのだ。

 だから──同じように裏付けを持たない結論を断ずる。

 連上がそんな超越者であるはずがない。

 それは、あるいは単にそうであってほしいという願望でしかないのかもしれないけれど。

 しかし島崎はそう思う。唯一の根拠は、最後に見た連上の顔──今も記憶に焼き付いているあの笑顔。


 あの笑顔は。

 周囲のすべてを操りきった翻弄者の嘲笑ではなく、

 取り巻くすべてを支配しきった征服者の哄笑でもなく、

 もちろん──すべてを超える境地に到達しきった超越者の歓笑でもない。


 ただ単純に──

 幸せを手に入れた少女の微笑でしかなかった。


 だから。

 だから、僕はお前を──。

 

「僕は──お前の計算の外にいるぞ」

 

 自分に言い聞かせていることを半ば自覚しながら、島崎はそう呟いた。

 もうすっかり暗くなった部屋の外から一陣の風が舞いこんで来て、島崎の頬をさわりと撫でた。

                            (了)

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策略生徒会 中川大存 @nakagawaohzon

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