5-8 幻と嘘

 

 翌日。

 約束通り、島崎は登校した。

 監視者がいなくなったということだけで解放感に満ちた気分になる。これまで自分がいかにストレスに晒されていたかを島崎はしみじみと実感した。

 

「ああ、島崎」

 

 後ろから呼び止められて振り向くと、選挙管理委員会の顧問をしている教師が立っていた。

 

「お前、どうして昨日の臨時集会に出席しなかったんだ? 確か学校来てたよな。まあお前はお前で都合はあるんだろうが、生徒会長に立候補した身だってことをそれなりに自覚しろよ。必要な連絡も受け取れないようでは後が心配だぞ」

 

 昨日──作戦決行の直前に放送があった、あの集まりのことらしい。

 

「あ、まあ」

 

 島崎は戸惑った。

 ここで本当の事情を言うわけにもいかない。

 

「ええと……どうもすいません」

 

 とりあえず謝る。

 頭を下げた島崎に、教師はまあいい──と答えた。

 

「今日になってはっきりしたことも併せて、ここで伝えておこう。昨日の午後五時をもって意思確認期間が終了し、十一人の棄権が確定した。生徒会長部門はお前を含む三人が正式な立候補者として登録された」

「え」

 

 教師の言葉に島崎は引っ掛かりを感じた。

 予定調和の棄権者──連上の選挙工作に使われた人数は十人のはずである。

 ということは、連上の意図とはまったく無関係な人間──一般からの立候補者の二人のうちどちらかが棄権したということなのだろうか。

 

「あの、棄権者の内訳って分かりますか?」

「ああ、わかるぞ。ちょうどリストを持ってる──ええと、棄権したのは小野寺明日実、鶴崎亮太、長屋優一、三田香苗、秋原当麻、内山朋子、葛西るる、七川光、功刀弘毅、六番町詩乃」

 

 その十人は元々棄権を予定としていた連上の手駒だ。問題は残りの一人だ。

 リストを指で追いながら名前を挙げていた教師はそこで少し詰まって、二三度頭を掻いた後に口を開いた。

 

「ん? ええと……ああ、あと一人は──連上千洋だな」

「……え?」

 

 島崎は意表を突かれて間抜けな声を上げた。

 

「どういう……ことですか?」

 

 教師は肩をすくめる。

 

「いや、どうもあいつは最初から意思確認票を提出する気がなかったらしいんだよ」

 

 連上が──他ならぬ連上本人が、意思確認票を提出しなかった?

 想像もしていなかった衝撃に、島崎の内部は大いに揺るがされた。

 

「そ、そんな……それはどうして」

「ああ。これが昨日の臨時集会で他の候補者に連絡したことなんだが──あいつは昨日の最終便でイギリスに戻ったんだ」

「!」

 

 イギリスに──戻った。

 あまりに唐突に直面した事実に島崎は何も言うことができず、ただ小さく吐息を漏らした。

 

「そんな予定があったことは数日前に俺も初めて聞かされたんだが、どうやら元から短期帰国の予定だったそうでな。ならどうしてわざわざ立候補なんてしたのかがよく分からないんだが、もしかするとあれで案外いっぱしの学生気分を味わってみたかったのかもしれないな。ははは、プロのチェス選手といっても年相応の──」

 

 それから先は島崎の耳には入らなかった。

 教師の姿も目の前から消えていた。

 島崎はいつの間にか、分かれ道で最後に微笑んで見せた連上を幻視していた。

 眼前に像を結ぶその少女は、昨日と同じようにその言葉を口にした──島崎に、最後の嘘をついた。

 

 ──また、明日。

 

 次の瞬間、幻の連上は一陣の風に吹き散らされて消えた。

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