1-4 神聖都市

迷子と無視

 人は、ただ一つの文明的存在でなければならない。

 人は、最初に誕生した文明でなければならない。

 人は、何者にも侵されない崇高すうこうな精神を有していなければならない。


 だから魔族を認めてはならないと。神は言った。


 ◇ ◇ ◇


 風に乗って流れてくるかすかな魔力の気配。

 それに気づかないふりをしながら、ロイスはひたすら道を西に向かって歩いていた。

 まばらに木が立ち並ぶ街道は、数日前に雨でも降ったのか、わだちのあとが残る凸凹でこぼこした地面を踏みしめる。

 歩きづらいその道をただひたすら無言で進んでいたロイスは、ふと空を見上げた。

 時刻はすでに昼過ぎ。青々とした美しい空が、そこにあった。視界を黒い影が通り過ぎる。よく見かける小さな鳥が数羽、ロイスの頭上を追い越して西に飛んでいく。

 その姿をながめながら、ロイスは思った。


 ──さて、ここはどこだろうか。


 魔王から逃げるため緊急転移した先は草原。それもどこかは定かではないときた。今は歩いてはいるものの、どこに向かっているかわからない。

 逃げることが目的であったから、それも仕方ないと割り切ってはいるが、それでもロイスは内心で頭を抱えていた。


 ──まいったな。

 

 正真正銘の迷子である。

   

 場所さえわかれば、近い街に行って宿をとることもできるだろうが、今はそれもむずかしい。

 迷子だから近くの街がわからない。それもある。しかしそれ以上に問題なのは、ロイスは魔王に追われているということだった。

 安易に街に止まってまた魔王が襲ってきたらと思うとゾッとする話だ。


 本当は、魔王のことなどすっかり忘れて、次の目的地を定めたいところではある。

 ロイスの目的であった魔界に行って魔界の遺跡いせき、あるいは本を手に入れること。それはった。

 数年来の目的を達成たっせいしてしまったわけだから、今思いつく限りでは、隠れに送った本をじっくり読みたいということくらい。それから目的を作るのも悪くない。

 しかし……。

 

 ──魔王に追われている現状で、隠れ家に転移するのもなあ。微妙びにょうにまずい気がする。


 隠れ家を知られたくはない。

 街にも入れない。

 ということで、現在動くに動けない状況だった。

 とはいえ。

 いつまでも迷子気分で、ここはどこ? などとは言っていられない。動かないわけにはいかない。

 ある意味、焦燥感しょうそうかんられる形で、ロイスは目的地もなく西に向かっていた。

 


 さて、西を選んだ理由については色々と事情がある。

 くだらない。なんてことない事情だ。後ろをついて歩いてくる少女が、東に向かうと言ったから、その逆を目指した。それだけのことだった。

 彼女が東を選んだ理由も大したことはない。太陽がのぼる方角に興味があった。それだけなのだ。

 どうやら魔界では太陽が登ることは滅多めったにないらしい。終始しゅうし夜というわけでもないようだが。よくわからないがそうなのだそうだ。

 

 彼女もまた魔王に追われている。もしかしたら、否、確実にロイス以上に魔王に追われている。彼女と離れれば、もう追われないのではとすら思える。

 ならばできるだけ一緒に行動したくないわけで、彼女とは逆方向に移動したのだが。

 彼女と離れるのは今の所は失敗している。

 

 ついてくるなと言っても、カレンはロイスの背中を必死に追いかけてくるのだ。


 後ろを歩くカレンの歩幅ほはばなど気にしないから、カレンはわずかに駆け足になっている。それをあわれんでやる気もない。

 それなのに、後ろを歩くカレンの存在を気にしないようにしても気にしてしまう。

 後ろをついてくるのだからだ当然だが。


 ──くそ。気になって仕方ない。

 

 どうしてか、意識の外に追い出せないでいる。

 こんなことは経験がない。だからだろう、とロイスは結論付ける。

 

「ついてくるな」

 

 ロイスは後ろを振り返らずに声を上げた。

 不満げな言葉がかえってくる。

 

「同じ方向に用があるの」

「この先に何があるのか知ってるのか?」

「し、知ってるし」

「そうか、ぜひ教えてくれ」

「……ちょっと、知らないで歩いてるわけ? じゃあどこに向かってるのよ」

「知ってるんじゃなかったのか」

「……性格悪いって言われない?」

「余計なお世話だ」

 

 ──全くもって失礼なやつ。 

 

 ロイスはやれやれと首を降ってカレンを意識から無理やり追い出そうとした。

 そうして思うのは、ヨウラ村のことだ。

 おそらく、境界が開いた以上あの村は安全ではなくなるだろう。

 魔王に境界を閉じる力があるなら別だが、そんなことは聞いたこともない。


 思い出されるのは、あの熱量、あの攻撃力、そして勇者レイの姿。


 あの後どうなっただろうか。

 

 ──考えても意味はない……んだが……村を巻き込んだようなものだしな。


「ヨウラ村のこと気にしてるの?」


 カレンが言った。

 本当に妙に勘が鋭い。


「別に」

「村にきてる旅人たちがなんとかするって言ってたじゃない。境界が安定すれば、そんなに魔物も頻繁に出入りしなくなると思うよ」


 だから気にするな、という。


「気にしてないと言ってる」


 ぶっきらぼうに返しつつ、内心でなるほど、安定するのか、と初めて聞いた情報を噛みしめる。

 たしかに、よくある境界も怒涛のような魔物の大群が押し寄せてくるような場所ではない。ちらほらと魔物が現れるという印象の場所だ。


 ──本当に大丈夫ならいいんだが……気にしてもいないが。


 少しだけモヤモヤと形容しがたい気分になって、ロイスは考えるのをやめることにする。

 今考えるべきは、カレンをいかに撒いて、魔王から逃れるか。であろう。



 魔力を結構消費したし、今現在の場所もわからないとなると、無闇矢鱈むやみやたらと転移もできやしない。

 転移ができないから、カレンをうまくけないでいる。

 どうして転移というのはこうも魔力消費が激しいのか。とイラつくばかり。


 土の匂いと、ほのかな木の匂い。それにうっすらとざる花の香り。

 清々しいまでの晴天。それとは裏腹に、ロイスの腹の中は嫌な気分が渦巻うずまいていた。


「ところでさぁ。本当にどこに向かってるの?」

 

 カレンが不安そうに、そのような言葉をロイスにぶつけた。

 

 ──それは一番俺が知りたい。


 カレンの問いに無言で答える。カレンがふくれ面になって機嫌を悪くしたのが、背中越しでなんとなくわかった。

 

「ねえ、ロイス」


 無視。


「ロイスってば。ローイースー…………聞いてってば!」


「うるさい。なんだ」


「前。人がいるわ」

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