馬鹿と成功

 ロイスは歯がみして、転移の指印を解いた。


 伸ばされた手には威圧感があって、ロイスは身をすくめる。

 この腕から逃れる。結界で防ぐ。まずはそれだけに意識をむけ、別の結界をはろうとしたその瞬間。

 ゆらりと、何かの気配を感じる。


 ──なんだ?


 ぞわぞわと背中を駆け上がるなにか。

 魔王に最初に遭遇した時に感じた威圧感とよく似た。しかし奇妙に重たい気配。

 周囲を漂う冷気。

 汗が吹き出るという感じではない。むしろ逆。血の気が引く。そんな感じがした。

 ロイスはその気配の持ち主を捜そうとして、すぐに、カレンがゆらりと立ち上がるのを見た。


 ──カレン? この気配はあいつ?


 今まで感じたこともない気配に焦燥感にかられる。

 思わず。ロイスはカレンの名を呼んだ。


「カレン……?」


 そこに返事はない。

 いや。むしろ別の言葉が返ってくる。


「……て……い」


 カレンがなにかを呟いた。

 今の今まで黙って勇者の後ろにいたカレンが発した言葉に、ロイスは困惑をありありと表情に出す。

 それは魔王も同じらしい。

 振り返ってカレンを見ている魔王が、怪訝そうな声色でカレンを呼んだ。


「カレン? 今なんと──」


「嫌い」


 遮って出てきた言葉は一言。

 

「?」

 

 魔王が首をかしげる。

 次の瞬間、カレンは全力で叫んでいた。

 

「パパなんて! 大っ嫌い!」


 それは目に見えない衝撃波のようであった。

 文字通り、強すぎる攻撃力をまとった言葉だった。

 そして、それは、魔王にクリティカルヒットしたらしい。

 いわゆる「ガーン」というやつだ。

 まさにそれだ。他に言いようがない。

 その言葉の攻撃が、魔王をのけぞさせ、さらに膝すら付かせ、そして両手を地につけた魔王が情けない声色で呻く。


「……そんな……大っ嫌いなんて……そんな……」


 ──親ばかだ。


 ロイスは本気でそう思った。

 呆然とする一同。

 肩透かしを喰らったのは、ロイスとレイ。流石にそこは同意見だったらしい。

 こんな状況で、コミカルさなど求めていないが、それをここで発揮してくる魔王に呆れを通り越して笑えてくる。

 

 ──アホか。こいつ。

 

 ロイスはただ呆然と目の前で落ち込む魔王を見下ろして思った。

 なんだかバカらしくなってきた。そんな風にすら思うが、気は抜けない。


 実際、魔王の背中から魔力が立ち上がった。

 警戒をして構えるロイス。

 そこに、地を這うような魔王の声が轟く。

 

「おぬしのせいだな……」


「は?」


 ロイスは思わず間抜けな声をあげる。うずくまった魔王が、両手の間からロイスをジロリと睨んでいた。


 ──なんだって?


「おぬしがカレンをたぶらかしたのだな!」


 その怒号に、ロイスは叫び返していた。


「ひどい誤解だ!」


 ひどすぎる誤解だ。まったく誑かしていない。

 むしろ誑かしたのは多分さっきの──。


「問答無用だ!」


 叫ぶ魔王。

 立ち上がり、こちらに両手をぐわっと上げて襲いかかろうとする。その姿勢で何ができるかは知らないが、とにかくロイスは、今しかないと覚悟して、用意していた指印を目の前で組んだ。

 転移魔術。


 ──もういい、多少強引でも、今しかない。


 ロイスは確信して魔力を込める。


 ──とにかく、ここではないどこかへ。


 遠くへ飛ぶ。それだけを意識して全力で魔力を回す。みなぎる。そして発動する魔術。


 光が渦巻く。

 周囲の木々すら飲み込んで、ロイスの周りが歪む。


「げほっ、まて、待てよ! ロイス!」


 そんな勇者の声をわずかに捕らえたが、すでに遅い。

 ロイスは強制的に、転移を果たしたのだった。



◇ ◇ ◇


 

 ふわっと体が浮いて、次の瞬間。

 どすん。

 と音をたてて、ロイスは地面に落下した。

 奇妙な体制で行ったつけだろう。上空数メートルから落とされなかっただけでも御の字だ。とロイスはしたたかに打ちつけた背中を押さえながら悶絶する。

 さらに時間差で砂やら木屑やらが落ちてくる。

 これも無理に転移したせいかもしれない。時間差が発生している。

 自分の体が時間差で落ちてきて、部位欠損。なんてことにならずによかった。とロイスは本気で青ざめながら思った。


 しばらくそうしてうずくまっていたロイスは、ほおをくすぐる草のかおりに、うっすらと目を開けた。

 のろのろと起き上がる。

 

 そこは、草原だった。


 無我夢中だったから相当の距離を飛んだようで、場所は明確にはわからない。

 ヨウラ村のそばにはこうした草原はなから、近くではないことは確かだ。目的地すら指定しないで転移したのは、ロイスも初めてで、成功したことにほっとしていた。


 ともかく。なんとかこれで暴れてもしかたないと思って、魔王が引き下がってくれることを願う。勇者もいることだし、大きな被害にはなるまい。とロイスは楽観的すぎると自覚した上で考える。

 レイのことは正直剣士としての能力は評価していないが、聖剣の持ち主としては、その力を充分に発揮できていると思っている。そういう意味では信用していた。

 とにかく、難はさった。

 ロイスは草原に腰を下ろして、大の字になった。

 今はとにかく休みたい気分だったのだ。


「そんなとこに寝てると、風邪ひくよ、人間は弱いんだから」


「わかってる。少しの間だけ……」


 カッと目を見開き、ロイスは転がるように起き上がった。

 そして目の前の光景にぽかんと口を開ける。


「このそばに村とかないの? 私も今日は休みたいなー」


「……なんで」


「え? だって朝からパパの本気を見ちゃってびっくり。流石に全力疾走して足ガタガタだし」


 ──そうじゃない。そうじゃなくて。


「…………なんでいる」


 ロイスの問いに、気まずそうに魔王の娘は目を背けた。

 


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