優等少女の翔子

「あら、あなたここへきたのね」

「ちょっとびっくり」


「……」


 気がつくと、翔子の目の前に黒いゴスロリ衣装を着た二人の少女、イブとヤエがいた。


 無表情のまま抑揚のない声で驚いたことを言っているが、翔子にはそう思えなかった。


 そして、見回すと自分はさっきまで居た場所とは全く別のところにいることが分かった。


 建物の中という意味では一緒だがとても広く、四階あたりまで吹き抜けで、窓がステンドグラスになっているため、教会を思わせた。


 調度品も二人が使っていたであろう、黒塗りされた木製のイスとテーブルがあるだけでがらんとしており、どこか寂しげな雰囲気があった。


「あの、ここはどこかしら?」


 翔子は笑顔をつくりながらイブとヤエに訊いた。


「ここは異空間にある館の中」

「通称、楽園というところから解放されて、あなたはここにいる」


「……」


 イブの言葉を聞いて、翔子の顔から笑顔が消えた。


 せっかく嫌な現実から逃れられる場所にいたのに、そこを強制的に出された。


 あの人は自分のためを思ってのことをしたらしいが、今ひとつ実感というか納得できないところがあった。


「私、どうなるのかな?」


 暗い表情のまま、あらためて訊く翔子。


「現実世界に帰ることはできるけど」

「慌てる必要はない」

「まずは入浴よね、イブ」

「そうね、ヤエ」


「え?」


「汗をかいたままではよくないわ」

「スッキリしましょう」


 言われて、制服姿の自分が激しい戦闘のあとだったのを思い出した。


「あ、ちょっと──」


 イブとヤエ、それぞれ翔子の手を引っ張って奥へと連れて行き、そこにある大きな木製の扉を開けた。


「!……」


 扉から強くまぶしい光がれ出し三人を包んだ。


 そして、光がおさまったのを感じて目を開けてみると、三人は別の部屋へ移動していた。


「浴室よ」

「服は洗神せんしんに頼むから心配ない」


「頼むって、きゃっ!」


 どういうことか尋ねようとした瞬間、翔子が身に着けていた衣服の全てが消えた。


 それはイブとヤエも同じだったが、翔子と違い、慌てる様子もなく恥ずかしがっている風でもなかった。


「器具は必要ない。念じればいい」

「石鹸も浴室が用意してくれるわ」


 そう言うと、イブとヤエ、一人一人に見合った分の量でシャワーのような雨が天井付近から注がれた。


 湯気が立ち昇り、見ため十歳の髪が濡れ、その肌を伝って温かい水が流れていく。


 そして、ほどよく潤ったところで湯雨はみ、同時に、木で作られた専用のイスが現れて二人は腰を下ろすと、右の手の平を上に向けた。


 すると、空間からシャンプーが適量たらされ、それを使って髪を洗い始めた。


「……」


 それを見て翔子は、これが機械ではなく、この浴室に仕掛けられた魔法によるものだと思った。


 そもそも浴室と言っているが十メートル四方の空間があって天井も高いので無駄に広く、水色の床タイルこそ現代的だが、内装は洋風で、貴族のおたわむれといった印象があった。


 真ん中にある白いバスタブが広さに臆することなく、精一杯、存在感をアピールしている。


  こうなれば仕方がないと、翔子も念じてみた。


 サ────────。


 ちょうど良い勢いのあたたかい雨が降り注ぎ、全身を潤していく。


「気持ちいい……」


 翔子は思わず呟いた。


 そのあと、翔子はとにかくイブとヤエを真似て、髪を洗い、身体を洗って、石鹸の泡と一緒に汗と汚れを湯雨で流した。


「終わったわね」

「出ましょう」


「え、あ、ちょっと……」


 再び二人の少女に腕を掴まれると、眼前に木製の扉が現れ、小さな二つの手がそれを開けた。


 入室時と同じく、扉から強く眩しい光が三人を包んで移動させ、最初に出会った教会のような場所にいた。


「あ、あれ?」


戻ってきたことよりも、濡れていた髪や身体が乾いていて、制服を着ていることに驚く翔子。


 制服はしわ一つなく仕上がっていて、ほのかに良い香りもしていた。


 神様が洗濯してくれてるみたいなことを言っていたが、なるほど、と

翔子はその完璧さに得心した。


「お腹がすいたでしょう」

「食事にしましょうか」


 イブとヤエが言うと、そこにある黒塗りされたイスとテーブルに促された。


 戦っていたこともあり、空腹であることに間違いはなかった。


「ありがとう」


 翔子は礼を言ってイスに座った。


 イブとヤエが並び、テーブルを挟んで翔子は二人に向かい合う。


「本来は好きなものを食べさせてあげるんだけど」

「私たちが作ったものを食べてほしい」


 すると、三人の目の前にライスが盛られた皿とスプーン。


 そして、テーブルの中央にカレーが入った鍋が現れた。


 ライスはゆるやかに蒸気がのぼり、温められたカレーは野菜を中心に具だくさんで、美味しそうな見た目とただよう匂いが翔子の食欲を大いに刺激した。


「そのレードルでわけるといいわよ」

「まだあるから遠慮は不要よ」


「わかったわ」


 レードルを手に取り、自分にあった量のカレーを自分の皿にわけると、レードルをイブに渡し、イブがヤエの分までカレーをわけて、レードルを戻した。


「いただきます」

「いただきます」


「いただきます」


 姿勢を正し、手を合わせて言うイブとヤエにならう翔子。


 それからスプーンを右手で持って、カレーをライスにからめ口へ運んだ。


「美味しい……」


 翔子は呟くように素直な気持ちを言った。


 甘口で食べやすく、子供からお年寄りまで受け入れられるような優しさや、懐かしさが感じられた。


「よかった」

「詩子にレシピを教わったかいがあったわね」


 その様子に、作ったイブとヤエも無表情ながら安心した。


 詩子?


 誰のことだろうと思ったが、なぜか自分と同じ女子高生ではないかと考え、翔子は詮索することをしなかった。


 とくに話すこともなく、美味しいことも相まってスプーンが進む三人。


「……」


 ──食べているうちに翔子は幼い時の記憶がよみがえっていた。


『翔子、今日はカレーよ』


『わああ!』


 母の作ってくれたカレー。


 とても美味しかった。


 甘口で、いつ食べても飽きることはなかった。


 自分でも作れるようになりたいと、一生懸命に教わっていた。


『翔子は将来、何になるのかな?』


『学校の先生と、お父さんのお嫁さん!』


 父と入浴した時、そんなことを言ってた。


 理想の男性像だった。


 いつか自分はこういう人と結婚するんだ。


 そう思っていた。


 だが、憧れと理想は翔子の想像を超えていた。


 それぞれ愛人をもち、欲望におぼれていた。


 家では夫婦円満なようでいて、陰ではその愛を否定する行いをしていたのだ。


 その事実に翔子は耐えられなかった。


 だから、母も父もいない場所を求めていたのだが──。


「私……、やっぱりお母さんもお父さんも好き……」


 涙を流す翔子。


 どんなに否定しようと、否定されることをしていても、親であることに間違いはなく、そばにいたいという本心に気がついた。


「慌てることはないわ」

「気持ちの整理がつくまでここにいていい」


 静かに声をかけるイブとヤエ。


「ありがとう……」


 相手を思いやる言葉を受け、翔子の心にとどまっていたものが溢れ出した。


 ──翔子は泣いた。


 声をあげて泣いた。


 涙はとめどなく流れ制服を濡らした。


「……」

「……」


 翔子を苦しめる全てのものが流れていくまで、その場にいた真心は温かく見守った。






 ──三年後。


「おはよう!」


「おはよう。翔子」


 通学途中の友人に声をかける翔子の姿があった。


 現実世界へ帰って高校の寮生活を始め、そのあと大学ヘは一人暮らしをしながら通っていた。


 独立したかたちで距離を取る。


 それが翔子の出した答えだった。


 家で顔を見合わせていては許せない気持ちが勝ってしまうが、離れていれば割り切ることができる。


 みんな笑顔でいられる。


「……」

「……」


 その様子を異空間からイブとヤエが見ていた。


 その笑顔がいつまでも続くように祈りを込めて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

イブとヤエ~かの館で主を守れ! 一陽吉 @ninomae_youkich

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ