秋 the harvest hazard Ⅲ

 


 紅、橙、緑、と鮮やかに色づいてはたちまち消えていく、儚い虹色の光沢を帯びる雲煙の中。熟れすぎた果実が段々と朽ちて饐えていくような匂いで満たされている。

「ヒョーッホッホッホッ! この呪われし幻惑境で、彷徨い、苦しみ、もがき悶えるがいいッ!」

 魔女の高慢な高笑いが辺りにこだますると、彩雲で取り囲まれるだけだった視界が晴れていく。

 昼とも夜とも違う、ぼんやりとした薄墨色の世界だった。木々もその梢に広がる葉も、朽ちて落ちた枯れ葉さえも、灰を被ったようなモノトーンの色合いばかりである。その中で不思議と多様な色彩を帯びるのは、地面から覗くキノコの群れだ。蛍火にも似る大小柔らかな灯りがふわふわと浮かび、群生の周りを金色に照らしている。

 白銀色の空には、大きな弓張り月が冴え冴えとした光で威を張っている。その背後には、更に一際大きい鉛色の満月が、超然たる佇まいでそびえている。仄かでひんやりとした月明かりはあれど、星のきらめきはちっとも見当たらない。やはり今が真昼時だからなのか。

 成程、真昼の月の悪夢か――そうピックスは内心でひとりごち、口元を覆う腕をゆっくりと下ろした。饐えたような匂いはまだ鼻腔に充満していたが、呼吸は難なく行えている。飛翔装バードコートを開け、中にきつく押し付けたままだったリーンとウィリアムを解放してやる。

「……大丈夫か、身体に異変はねぇか?」

「は、はい。特におかしいところはないと思います」

「僕もだ。コートの中は息苦しかったがな!」

 有無を言わさず口を塞がれていたウィリアムは立腹だと地団駄を踏んだが、ピックスは皮肉気な笑みを浮かべた。

「直接吸わせたら、今度こそお前の頭はパッパラパーになってたろうよ。性質タチが悪ぃんだよ、あのキノコは」

 魔女の手にあったのは、ワンダーマッシュルーム。その臭気が強い幻惑作用と体内に歪みをもたらし、どんな病を引き起こすか分からないとんでもない代物だ。つまりは、呪具に当てはまる。ピックスも解呪師としてその知識は持ち合わせていたが、本物を見るのは初めてだ。絵本の中でしかお目にかかれない、伝説上の植物でもあったのだ。

 ピックスは首から下げた銀の細い警笛を鳴らすが、不思議なことに音が響き渡らない。舌打ちすると、地面にうつ伏せで横たわる魔術師マグスを見下ろした。その身体を足のつま先でツンツンとつつく。

「……そっちは生きてっか? うっさんくせえ薬師殿」

「……かろうじて生きてるよお」

 魔術師マグスは億劫そうに身体を横向けたが、お腹を抱えるようにして丸まってしまった。

「でもおなかがいたくて力が入らない……」

「お伽話のまんま、食あたりってか?」

「煙だけでも充分その効果はあるんだよ。今、内臓消化器系がチャンバラごっこしてるぅ……」

「あっそ、そいつはご愁傷様なこって」

「他人事だと思ってぇ……――ああぁっ、だめ、ホント、目の前真っ暗になりそう……」

 胃腸が悲鳴を上げるように捻じれていくのがたまらないらしい。青い顔の眉間が窮屈に寄って、脂汗がこめかみから滴り落ちていく。

 リーンは傍に膝をついて、魔術師マグスに呼びかけた。

「どの辺が痛みますか?」

 声も出せなくなった魔術師マグスは、力ない手付きで下腹部中心を撫でた。

 少女はためらうことなくカードケースを取り出した。その中から一枚の解呪符ソーサラーコードを選んで魔術師マグスに差し向ける。

 気休め程度です――そう前置きしてから、大きく息を吸った。

「其は血を滾らせし生命の石――エンコード:『カーネリアン』」

 札から細やかな紅い光の粒が零れ、腹部に撒き散らされていく。

 魔術師マグスは青い顔のままだったが、幾分呼吸を穏やかにして苦笑を浮かべた。

「……あ~、だいぶにラクになった。今日はどんなからくりを使ってくれたんだい?」

「これは、花のマナの力を強くするもので――ええと、体内のエネルギー代謝を補強する作用があります」

「つまり弱った消化器官を復旧リカバリーしてくれているってことだね、そいつはありがたい。……やっぱり君は、無防備なやさしさがあるね」

 魔術師マグスからくすりと笑われ、リーンはハッと気まずく、表情を困惑に歪めた。また、やってしまった――プリムローズが知れば、また憤懣やるかたない態度を取るに違いない。

「へっ、お嬢の情け深さに精々感謝するんだな」

「それは勿論。ありがとね、雪のお嬢さん。このご恩は千年万年経っても忘れないよ」

 魔術師マグスが本当に安堵した表情で笑いかけてくれる。顔をしかめるピックスも、余計なことするなとは言わなかった。だからリーンは増々分からなくなってしまう。助けなければ良かったなんて後悔は、不思議と出来そうにない、そう思ってしまったからだった。

「素晴らしい! リーン嬢は僕のおばあさまと同じようなことが出来るんだな!」

 素直に目を輝かせるウィリアムに向けて、リーンははにかむような微笑みを浮かべた。

「プリムと同じことをしているだけよ」

「その妖精プーカと同じ技芸を嗜むのがすごいと言っているのだ。さすが、キャンベル領主の花嫁になるだけのことはある!」

「……え?」

「は? 嫁?」

 隣のピックスが聞き捨てならないと途端に眉をひそめるので、聞き間違いではなかったようだ。けれど心当たりのないリーンは戸惑うしかない。

「あ、あの、花嫁って……?」

「そう隠さずとも、村の皆は気付いているぞ。キャンベル家現当主、ヨークライン殿のれっきとした花嫁が、リーン嬢なのだと」

「私が……ヨッカの……お嫁さん……?」

 リーンはその言葉の意味を嚙み砕くようにして、ゆっくりと紡いでいく。やがてその色白い頬が、さっと染まった。バラ輝石のように甘く赤く、柔らかに色づいていく。たまらず胸元に両手を添え、小刻みに頭を振り回した。

「あ、あの……! ち、違うと思うわ……!」

 ウィリアムは首を傾げつつ追い打ちする。

「そうだろうか。父上はそうに違いないと言っていたのだが。領主様はまだお若いが、花嫁を迎え入れるのに何もおかしくはない歳頃だし、身よりない令嬢を手元に置く理由など十中八九そうに決まっていると」

「えっ!? そうなのかしら……!? でも、ヨッカからそんな話は一度も……」

「ふむ、リーン嬢はおぼこいようだから、ヨークライン殿も正式な婚約を切り出せずにいる――マダムたちの仮説は真実とみえるな」

「えっ、あの、マダムっていうか、皆そんなこと話してるの!?」

「この春から、ずっと村の話題の中心だぞ。パブのマスター曰く、噂話は平和で退屈な田舎人の格好の餌食、もとい道楽だそうだしな!」

「春から……ずっと……? 噂話は、餌食で道楽……⁇」

 幼い少年から滔々と語られる内容に、リーンは何処から何処まで突っ込んで訊いていいのか分からなくなってしまう。

「うむ、そうか。では、火祭りが勝負所ということだろう」

 ウィリアムは一人得意げに頷き、意味深長な笑みを浮かべる。

「秋祭りの最後の晩には、村の中心広場で火祭りを行うのだ。焚火をぐるりと囲んで皆で一晩中踊り明かす。その時に、意中の相手とダンスを申し込める。何事にも抜かりのないヨークライン殿が、その好機を逃す訳がない」

(ヨッカから、ダンスのお誘い……?)

 聞くだけで舞い上がってしまう言葉ではあった。冷めやらぬ頬を両手で覆いつつリーンは思案してみるが、昔ならともかく、彼からにこやかに手を差し伸べられるイメージがどうしても上手く浮かんでくれない。

「あの、その、やっぱり考えられないわ……」

「うむ? 何故だ、リーン嬢とて憎からず思っているのだろう? 手作りオムライスを食べさせ合うくらい仲睦まじい様子だと、通いのハウスキーパーが漏らしていたらしいが……」

「やだっ、あのっ!」

「あああああああああ‼」

 あまりの筒抜けっぷりに増々頬を紅潮させて慌てふためくリーンだったが、先に音を上げたのは、両耳を塞いでのたうち回る魔術師マグスだった。

「あああああああああもうムリ! ヒトの恋バナ程、こそばゆくてむず痒くて聴いてられたもんはないよ‼」

「オメーをなぶり殺すにゃ刃物はいらねえようだな……」

 いささか失笑する口振りのピックスだったが、パンパンと手を打ち鳴らして少女と少年に注意を向けさせる。

「ま、クソ甘ったるいお祭りを現実にしたきゃ、ひとまずこのみょうちきりんの、ルナティックキノコランドから脱出せにゃならんぞ」

「あの、お祭りは構わないんですけど……とにかくそうですね……」

「ああ。ここならてんてこマイタケも見つかるかもしれないしな!」

 赤らめたままのリーンは心細そうに辺りを見回していたが、ウィリアムはちっとも物怖じしていないのがピックスには妙に映った。

「ジャリ坊は、このみょうちきりんランドが何なのか分かってんのか?」

「僕も詳しくは知らんが、キノコの魔力で作られた幻惑の世界なのだそうだ。異国へ飛ばされた訳ではないし、ここも実際は村の森の中だ。ただ、いつもと少し見られるものが違う――僕の素敵なお隣さんはそう言っている」

「素敵なお隣さん? そいつって……」

「ウィル君のご近所さんみたいなんです。本当に色んなことを知っているのね」

「多分、雪のお嬢さんの知る『ご近所さん』とは似て非なるものだよね」

 魔術師マグスはまだ青白い顔をしていたが、上半身をもたげて興味深そうに尋ねてくる。

「ここでなら、きっと皆見えるんじゃないかな。ちょっと挨拶させてよ」

「うむ、構わんぞ」

 ウィリアムは胸を張って両手を広げ、おまじないのような言葉を高らかに告げる。

「『エヴリロウズ・グロウズ・メリウィタイン、僕の素敵なお隣さん、どうぞこちらに』……ルミ、クー、クッカ!」

 リーンが瞬きした瞬間のことだった。ウィリアムの肩と頭に、その姿を三つ顕現させていた。

 右肩には小さな白鼠。つぶらな黒い目とふわふわの綿毛のような丸い身体。少年の首筋側へぴったりと寄り添って、もじもじと恥ずかしそうにしている。

 左肩には一羽のコマドリ。胸元の杏子色の模様がとても鮮やかで、細やかな音色を陽気に口ずさむ。

 そして頭のてっぺんには好好爺という風情の小人。釣鐘のような形の白い花の帽子を被り、首には花輪を下げている。

 白鼠を「ルミ」、コマドリを「クー」、小人を「クッカ」。ウィリアムはそれぞれを指で示して名を紹介をする。

「皆、僕の素敵なお隣さんだ!」

「……その、とてもかわいいご近所さんなのね」

「まあ、つまりは坊ちゃん村長の守護妖精みたいなものだね。何かの契約の下で使役されているようだ」

 彼らの愛らしさにそわそわした表情を見せるリーンを、魔術師マグスが朗らかに見やりながら説明してくれる。

「さよう。ヴァイオレット・バーフォードの遺志に則り、坊やが妖精我らを必要としなくなる日までその傍らにあれと、それが契約じゃ」

 小人のクッカがいきなり口開いたので、ピックスがぎょっと目を剥いた。

「喋れんのかよ、いよいよこちとら頭がラリってきやがったか」

「ここは幻惑境。世界の糸を異なる方法で紡ぐ我らとお主らがり合うには、格好の場所だでの」

 ピックスを嘲笑うように一瞥したクッカは、ぴょんと弾んで下方のキノコの群れに降り立った。その姿がたちまち大きくなり、ウィリアムの半身程の背丈となった身で丁寧にお辞儀をして、リーンを見上げる。

「ガーランドの姫君。本来であればお目にかかれる立場ではござらぬが、良きご縁と判じ、ご挨拶申し上げますぞ」

「あ、あの、ご丁寧にありがとうございます。リーン=リリー・ガーランドです」

「ヒュ~、妖精プーカが人間に首を垂れるのなんて初めて見たかも」

 魔術師マグスが軽快に囃せば、クッカはケタケタと笑い返した。

神の花嫁エル・フルールに敬意を表さずにはいられますまい。神のお傍に在ることを許されし一族だでの」

 クッカは再びリーンに向き直ったが、ふと表情を訝しげにする。

神の剣エル・グランの姿が見えぬが、いかがいたした」

神の剣エル・グラン……?」

 リーンには馴染みの薄い言葉ではあったが、天空都市の騒動で、ヨークラインがそう呼ばれていたことを思い出す。

「ヨッカなら、村のお祭りの準備で忙しくしているけれど……」

 小人は少々呆れたような表情で嘆息した。

「珍しいことよの。神の花嫁エル・フルールの傍らに、終始付き従うのが大義と言わんばかりの一族に思っとったが、時代は変わってきおるのかの」

「あの、私何も知らないんですけど……、ヨッカの、その『神の剣エル・グラン』というのは、ガーランド家にとってどういった関りが?」

「関りも何も、守護者ガーディアンが……――待て。……今、姫は、何も知らぬと仰ったか」

「は、はい。私、自分の家のことも、ヨッカのことも、良く知りません」

 クッカはその小さな顔にある丸い双眸をこれ以上なく見開いてから、ゆっくりとした声音を響かせた。

「姫は、知りたいと思うておるのか」

「……ヨッカが黙っていたいことを、聞きたいとは思いません。でも……」

「知りたいと思うておるのかと、我らは問うておる」

 ヘーゼルの瞳が射抜くように少女を見据えており、それに怯まぬようにリーンは胸元に手を置く。一つ呼吸を置いてしまえば、本音が自然と零れていった。

「……知りたいです」

 頼りなく、けれど切実な声音に小人は満足そうな笑みを浮かべた。

「我らが語るは、騙り事。そう思うて聞くのなら、多少のやましさは薄れようの。そうとなれば、茶の席を設けねば」

 クッカはキノコの群生を掻き分け、心なし弾んだ足取りで灰色の道を歩き始めた。

「どうぞこちらに、神の花嫁エル・フルール。我らの隠れ家へ案内しようぞ」

「あの、でも、ここから出なくては」

「なあに、ここは時間の流れがあっても詮無きもの。ここで一晩眠ろうと、姫の世界では三歩進んだ程度のことよ」

「道草には絶好の世界ってか。ま、休憩にゃ丁度良い」

 当てもなくやたらに歩くよりも、状況の打開策が見つかるかもしれない。ピックスは悪くないと誘いに応じた。

「僕も妖精プーカの隠れ家は初めてだな! お招き有難く頂戴しよう!」

「あんまりはしゃぐとこけるよ、坊ちゃん村長」

 飛び跳ねんばかりのウィリアムを魔術師マグスがなだめながら歩き出し、ピックスも立ち止まったままのリーンを促すようにその肩をひとつ叩いた。

「ちょっとばかし一息つこうぜ。……それとも、やっぱり知ることが怖くなったか?」

 リーンは彷徨うような表情でピックスを見上げ、やがて気弱くかぶりを振った。

「……分かりません。でも、知りたいと思ってしまうことは、止められないから……」

「本能にゃ逆らえねえよ、誰だってな」

 苦笑混じりの穏やかな物言いは、やはりリーンの気分をほんの少しだけ軽くしてくれるのだった。


 先頭で行道を導くクッカは、臆病な風情の少女をちらりと見やってほくそ笑む。

「知らないままでいさせることを神の剣エル・グランは望んだか。……だが、周りは容易く放っておかぬぞ」





「ありえない……ありえないわ」

 眉をきつくひそめるマーガレットは、一人きりのリビングで盛大なため息をついた。両腕を広げ、一人掛けのソファにだらしなく仰け反るような姿勢で、天井に描かれた装飾模様をいたずらに見続ける。

 白けた気分にさせているのは、数十分前まで奥間で応対していた男のせいだ。

 タッジー・ベイリーフは流れ者の商人だった。風の便りで耳にしたキャンベル家の解呪法について根掘り葉掘り質問をし、その技術を会得したいと打診してきた。それ自体は他の訪問者――七大都市の解呪師や領主のお抱え技術者と同じではあるし、ましてや技術を独占したいと強欲さを滲ませる彼らよりかは小物の要求だった。しかして彼らとの違いは、引き換えにする献金の値である。タッジーの付け値は、マーガレットの一週間分の食費といったところだろうか。

 ――金はない! だが欲しい! その卓越たるお家芸を、結集されし叡智を、万人に等しく分け与えていくださいますよう、どうか貴きお嬢様の尊大なご慈悲を! お恵みを……!

 男は誠心誠意と言い張った、土下座という低予算かつ無遠慮な力技で立ち向かってきたのだった。まずはサンプルだけ渡してお帰り願ったが、したり顔を浮かべていた男には、何やら良からぬものを感じている。恐らく懲りずに、何度も破格の交渉を迫ってくるに違いない。

「なぁーにがご慈悲よ。これまで費やした研究コストを……人の渾身の努力を何だと思ってんのよ」

 思わず苛立たしげに舌打ちをしそうになるが、リビングにヨークラインが入ってくるので慌てて姿勢を正す。品がないと口うるさく説教されるのは、消耗している今の状態では極力避けたかった。

「お帰りなさい、兄さん。明朝早々のお出かけご苦労様」

「昼食を取ったらまたすぐに出る。それより、お前宛の珍しい書面が来ていたぞ」

 戻って来た際にポストを確認してくれたらしい。不可解そうなヨークラインが寄越してきたのは、封蝋印に三日月とニガヨモギの紋様が施されたもの――天空都市の解呪師局長、アルテミシアからだと明示していた。

「……お前が局長とやりとりするとは、一体どういう風の吹き回しだ」

「あのヒトのワガママに付き合う代わりに、ちょっと色々ね」

 中に入っていた書面に目を通すと、マーガレットは深い笑みを漏らした。アルテミシアのサインが入ったそれを、丁寧に撫で上げる。

「おかげで体重……じゃなくて体調は元に戻ったし、きちんとご褒美も授けてくれたわ。恩は売っておくものね」

 ホッホッホとこれ見よがしな高笑いをするマーガレットに、ヨークラインは興味薄くため息をつくだけだ。

「何だか知らんが、お前が上機嫌であるなら結構」

「ま、良いニュースだけじゃないけどね。悪いニュースもご紹介させてもらっていいかしら」

「手短に頼むぞ」

 マーガレットは書面のひとつをヨークラインに差し出した。最初訝しげだった青年の表情が、内容を辿っていくごとに、淡々とゆっくり強張っていくのをマーガレットは窺いつつ、少し興ずるような声で喋る。

「解呪師局に依頼した、とある患者の検診結果よ。珍しいでしょう、頭からつま先、身体の隅々まで稀に見る健康体――なのに、唯一心臓だけに毒素が溜まっている。いえ、溜まっているというよりは、蓄積された疲労や老廃物、毒素がそこへ集中し、浄化が行われているといって良いのかも知れない。だから悪種までにはギリギリ至っていないのね。そのメカニズムは不明だけど、その臓器が不浄の集約と浄化なんて――心臓が、そこまでの機能を果たすなんて考えられないの。たかだか人の身で、容易く及んで良いものではないわ」

 ヨークラインは硬い表情を改めなかった。薄い微笑みのマーガレットへ、冷ややかで感情の見えない眼差しを送る。

「人の身に及ぶものでないというのなら、お前はどう考えている」

「神か人かは分からないけれど、誰かしらの悪意が込められたものだと思っているわ。局長も、スノーレット女史も、きっと同じ見解よ」

「俺に黙って、俺の腹を好き勝手に探るのは、不愉快極まりないんだが」

「時間がないんでしょう? だから女史は、あたしたちキャンベル総員へ声をかけた。神の呪いなんて馬鹿げた力を、本当にどうにかするために。ねえ、そうなんでしょう、ヨーク兄さん」

 マーガレットはソファから腰を上げ、大股でヨークラインの正面傍へと向かってきた。柔和な弧を描いていた金の瞳が、瞬時に険しい色を帯びる。

「黙ったままではいさせない。兄さんだけの都合ではまかり通らせない。これはキャンベル家全体の問題なのだから」

「……俺の都合、か」

 ヨークラインの独り言は随分自嘲気味ていた。マーガレットが一瞬眉をひそめる程度には、珍しいものだった。


 知らないままでいることで都合が良いのは、誰にとってなのか――。

(それは、『彼女』にとってでありたいと、願っていたというのに)

 一つの節目を感じ取り、ヨークラインは目を閉じて、小さく音もなく嘆いた。

 誤断であるならば、受け入れて正さねばならない。そうとなれば、解き放たねばならない。全て何もかも、秘め隠してきた宿命さえも。この都合は、決して己のためではないのだから。

 マーガレットの非難を装う問いかけは、ヨークラインには賽を投げられたような音として聴こえた。

「一体、いつから呪われていたの。林檎姫メーラの呪いは、いつから兄さんの身体の中にあったの?」


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リリー・ガーランド・ゲイン -林檎姫の呪いと白百合の言祝ぎ- 冬原千瑞 @hyhr_yk

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