秋 the harvest hazardⅡ



「にいちゃまからオーケーもらえたの?」

「うん、君をしっかり安全にエスコート出来るのなら構わないって」

 ジョシュアが昨日の提案をさっそくヨークラインに伝えたところ、あっさり快諾が下りた。末妹の気鬱を憂いていたのは、ヨークラインも同じだったらしい。

 リーンの気配が失せた後、台所に姿を現したプリムローズは、みるみる頬を柔らかく喜色に染め上げる。

「ありがと! ジョシュアちゃん大好き!」

「これで少しでも君の心が晴れるといいな」

 抱き付いてくるプリムローズをしっかり受け止めて、ジョシュアは微笑む。

「で、そのパートナーは誰なの? にいちゃまのお眼鏡に適う人ってなかなか少ないように思うんだけど」

「この夏に色々お世話になった彼だよ。お礼代わりに、収穫祭を楽しんでもらおうと思って招待したんだ」

「もしかして、あの……!」

 目を輝かせてプリムローズが言葉にしようとしたら、玄関の大扉をノックする重厚な音が響く。

「噂をすればだね。お迎えを頼めるかな、レディ」

「合点承知!」

 プリムローズはエプロンドレスの裾を持ち上げ、駆け足で玄関ホールへ向かっていく。

「ようこそ、お待ちしてたのよ! あたしの素敵なパートナー!」

 嬉々と呼びかけ両開きの扉を内へと開けば、長身の背丈がまず目に入った。プリムローズを包み込もうと、大きな体躯に伸びる両腕が目一杯に開げられる。

「熱烈歓迎、光栄の極みだぜ! 可愛い可愛い俺のプリムローズちゃ……ッ!」

 男の感極まったと言わんばかりの、満面の笑みを瞬時に捉えた直後、プリムローズは渾身の力を込めて扉を閉め直した。前のめりになった訪問者の顔に容赦なくぶつかり、扉越しに悶絶の声が弾ける。

「……うっかり汚いものを見た」

 プリムローズは深呼吸を繰り返し、精神統一を試みる。背後から姿を見せたジョシュアにゆっくり振り向き、地を這うような声音で問いかける。

「ねぇ……この、上げて・落とす戦法は、いつまでもうじうじと鬱陶しいあたしへの宣戦布告?」

「君への来客だと思ったんだけど、違ったかい?」

「どう見ても招かざるゴミ屑箱にしか見えなかったのよ!」

 マーガレットとは犬猿の仲であり、己の天敵。確かに夏の天空都市において世話になった相手に違いないが、プリムローズからしてみればこちらが助太刀した割合の方が強い。

 扉の向こうから、ゴミ屑箱――もといピックスの弱々しい声が響いた。

「プリムローズちゃあん……いくら俺様でも顔面アタックは正直きっつい……」

「隊長が驚かせるからですよ。怖がらせてどうするんですか」

 すぐ傍の呆れたような穏和な声がピックスを咎めた。耳拾ったジョシュアが、本当の客人の来訪だと気付いて扉を開ける。

「ようこそ、我がキャンベルへ。歓迎するよ」

「お招きありがたく存じます、ジョシュアさん」

「あっ……!」

 プリムローズが、まじまじとピックスの隣に並ぶ若者を見据えた。オリーブドラブのくすんだ髪と灰褐色の瞳。長い体躯に、鷲の羽毛のような黒い外套――飛翔装バードコートを羽織る。

 遊撃鳥リベラルバード隊長ピックスの部下である彼には、確かに世話になった記憶だった。穏やかに微笑む彼の懐へと、プリムローズははしゃぐ勢いで飛び込んだ。

「あの時は飛んで運んでくれてどうもありがとうなのよ!」

「いえいえ、こちらこそプリムローズ嬢のお手伝いが出来て光栄でした」

 少女の援護はおろか、ジョシュアを天空都市へ招集するために遥かキャンベル領まで飛び立たせ、そして誰もいなくなった屋敷の留守番までさせてしまっていた。危機に陥ったキャンベル家の陰ながらの功労者であると、ジョシュアは非常に彼を気に入っていた。

「ごめんね、今の今までお名前聞いてなかったのよ」

「これは失礼を。名乗る程の身ではないのですが……カウスリップ・アイヴスと申します」

「カウス君ね! じゃあ、もしかしてカウスくんが……?」

 プリムローズが今度こそ期待を込めた眼差しでジョシュアを見つめれば、彼は正解だと頷いた。

「彼に君のエスコートを頼もうと思ってね」

 カウスリップは話が見えないようだったが、プリムローズとジョシュアを交互に見つめて嬉しげにしている。

「収穫祭へお招きいただいただけかと思ったのですが……、もしやプリムローズ嬢も一緒にお過ごしくださるのですか?」

「プリムは少し調子を崩していてね。君さえよければ、我が家のレディの外出に伴った護衛をお願いしたいんだ」

「僕でよろしければ、そのお役目喜んで果たしましょう」

「ありがとう! カウス君大好き!」

 プリムローズはぴょんと跳ねてカウスリップの首周りに抱きつき、その頬に感謝のキスを贈った。ピックスが絶叫を上げるが、幼い少女は視覚の外れにも入れない。

「お礼にフラウベリーの中、案内してあげる! おいしいパン屋さんとね、おいしいケーキがあるパブもあるのよ!」

「ありがとうございます。光栄の至り尽くせりですよ、プリムローズ嬢」

「もう、プリムって呼んで? カウス君はあたしの素敵なパートナーなんだから」

「ですが、キャンベルのご令嬢を不躾にお呼びするわけには……」

「じゃあ、二人っきりの時にだけ。それならいいでしょ?」

「困った方ですね。無邪気なふりして、とんだ小悪魔だ」

 子猫がじゃれるようにねだるプリムローズを、カウスリップは甘い苦笑で応える。

 二人の仲睦まじい様子に肩をわなわな震わせるピックスが、ひたすらに妬みがましい視線を送る。

「あんにゃろう……生クリーム級の甘々ご褒美クッソ羨ましすぎんだろ……。どうして俺にだけはいっつもしょっぱさ満点……」

「でろでろの下心が透けて見えるからでしょ。招かざる客にはウチの庭からお好きな花を選ぶ権利を差し上げるわ」

 玄関ホールの騒々しさにマーガレットが様子を見に来たらしい。肩を萎れさせるピックスを嘲笑うように見やった。

「へっ、花なんぞ気色悪ぃ。自分の墓に供えろってか?」

「あらやだ、身の程を良く分かってるじゃない」

「生憎こちとら我が身可愛さにが信条でな。目にクマ拵えて不養生してるテメーの方が、よっぽど老い先短かそうだ」

「はん、食い扶持もまともに得ようとしないキリギリスがこの冬を果たして越えられるのか見ものね」

「ふざけんなこの引きこもり令嬢が。俺様は兵鳥バードとして、毎日身を粉にして働いてんだよ。今日やっと公休日にありついたとこだ」

「だったら休日らしく家でゴロゴロしてればいいでしょ。ここまでわざわざ来る必要ある?」

「部下がプリムローズちゃんに会いに行くってんだから、上長が何事も無きよう目を光らせにゃならんだろうが!」

 火花散らすように応酬を重ねる二人だったが、ピックスの弁舌が段々馬鹿らしく思えてきたマーガレットは呆れ気味にため息をついて収束させる。

「ま、休暇をどう使おうがご勝手に。でもアンタはウチに泊まらせないわよ。村のホテルに金落としていきなさい、この高給取り」

「へいへい、言われずとも貧乏伯領にはお布施差し上げますよっと」

 ピックスは面白くなさそうにしかめ面していたが、ふと辺りに気を配った。

「……キャンベルは仕事なんだろうが、お嬢はどうした?」

「リーンのこと? ジョシュのお使いで村の大通りへ出かけてる筈よ」

「ふーん……。こっちにはすぐに戻って来るのか?」

「どうだろうな。レディにお小遣い渡したから、寄り道してくるかもしれないね」

「おいおい、道草を推奨してんのかよ。ちっとばかし不用心なんじゃねえか?」

 小馬鹿にしたような口調を、マーガレットは気軽にあしらった。

「村の中を少しお散歩する程度じゃない。あの子に何かあればすぐに報せが入るわ、村人の目ざとさはハンパないわよ」

「収穫祭にかこつけて、外部からの出入りが多くなってんだろ? ヘンな輩がうろつくにゃ格好の期間だろうが」

 しばし何か考え込むように横目になったピックスだったが、飛翔装バードコートを大きく広げ、空中に上昇する。

「宿の確保ついでに、ちょっくらパトロールでもしてやるかね。お嬢を見つけたら真っ直ぐ帰るよう言いつけといてやる」

 翼を強くはためかせ飛び立っていたピックスの姿は、たちまち遠くなっていった。マーガレットが渋い表情で首を傾げる。

「……あの男、なーんかリーンには馴れ馴れしい、っていうか甲斐甲斐しいのよね……。プリムのとは別の意味で心配だわ」

「大丈夫ですよ、隊長は仕事はする人なので。……要領よくサボってはいますが」

 密かなため息をつくカウスリップに、マーガレットは肩をすくめてみせた。

「あなたも苦労してるのね。ま、今はキリギリスのことは忘れてゆっくりしていって頂戴。プリム、客間へご案内してあげて」

「心得たのよ、メグねえちゃま。さ、カウス君、のんびりお茶しましょ。ジョシュアちゃんのお菓子はとってもおいしいの!」

 プリムローズは、カウスリップの腕をぐいぐいと引っ張って誘導していく。

 ジョシュアは扉を閉める手前、村の大通りの方角に少しだけ視線をやった。ふと、その手が中途半端に留まるので、マーガレットが不思議そうに振り向いた。

「……ジョシュ?」

「メグ、客人だよ。……君のお相手じゃないかな」

「えぇ? 今日来るのって、確かイタズラ電話だと思って……」

 てっきり来ないものだと勝手に判断していたのは、顧客リストの人物名と在中都市の名が、架空のものだったからだ。

 『ツイン・ベイリーフ』『魔法都市サザンベル』――それは、お伽話の中だけに現れる筈の名前。

 けれどお伽の国の客人は、屋敷正面のハーブガーデンを真っ直ぐ進んでやって来た。生成りの煤けた外套を頭まで纏っており、表情は良く見えない。ジョシュアが警戒するようにマーガレットの前に進み出た。

 客人は一度頭を下げると、中年の男の低い声を響かせる。

「――ミス・マーガレット・キャンベルにお取次ぎ願えましょうか?」

「……わたくしですが、どちらの方かしら?」

「本日はお時間をいただき誠に有難く存じます。ご商談のお伺いに参りました、タッジー・ベイリーフと申します」

 取り払われたフードの中身は、何処かくたびれたような顔つき。シルバーグレイの控えめな髪、宝石のように艶めく柘榴の瞳。無頼さを強調させるかのような不精髭が、顎から頬の輪郭に沿って広がる。

 弱々しい風情ではあるが、寝ぼけたような目元はこちらを爛々と見据えている。つまりは、見事に胡散臭い――マーガレットの第一印象は決して良くはなかった。

「タッジー・ベイリーフ――ええ、確かにお約束をしておりますわね。お電話では、もう一人いらっしゃるということでしたが」

「あ、すいやせん。相方は所用で別行動を取っちまいまして。ま、どの道、商談はオレがメインなのでご心配なく」

 心配そうに窺うジョシュアに、マーガレットは一度首を横に振って『平気』だと伝える。

「ジョシュ、こちらは奥間で応対するわ」

「……分かったよ、じゃあお茶はそちらへお運びするね」

 先に台所へ向かっていこうとするジョシュアに、男はにこやかに呼びかける。

「お気遣いなく~。キャンベルのお家芸をこの目で見れることが、何よりの褒美に違いないですから」

「では、どうぞこちらへ」

 奥間へと続く廊下を先に歩きつつ、マーガレットは上品な笑みを浮かべた。

「珍しいお名前ですわね。魔法使いを騙ったイタズラかと思いましたわ」

「ハハ、良く言われますよ。ま、実際、千年万年生きてる人間なんて、絵本の中だけのお話でしょう」

 ベイリーフの双子魔導士の片割れ、タッジー・ベイリーフ――お伽話の魔法使いと同じ名を持つ男は、へらりと気負いなく微笑みかけた。





 朽ちた落ち葉を踏みしめると、芳醇な香りが浮かび上がってくる。若草ばかりの草原の爽やかさとは違う、こってりとした甘い匂い。

 背の高い真っ赤な木々がアーチとなった下をウィリアムが意気揚々と進み、その後ろをリーンが続く。初夏に立ち寄ったサマーベリーの大樹がある森とは対の方角にある雑木林だった。村人も良く出入りするのか、敷き詰められた枯れ葉は細々と踏み散らされて細い路を形作っている。

「てんてこマイタケが妖精のキノコと呼ばれる所以はな、単純に妖精プーカたちの好物だってのもあるのだ。熟成させると黄色いバターみたいな汁が出てきて、パンにつけて食べるそうだぞ。まあ僕ら村人はシチューとかパイとかに入れるけどな。でも父上は火で炙ってそのままいただくのがツウだと言ってたな」

 得意げにウィリアムが解説してくれるのを聞きながら、リーンはふと訊ねてみる。

「前々から思ってたんだけど、プリムのことをどうして妖精プーカって呼ぶの?」

妖精プーカ妖精プーカと呼ぶにどうしたもこうしたもないだろう。リーン嬢は不可思議なことを訊くんだな」

 ウィリアムは、質問されること事態が不可解だという眼差しを向けてくる。

「ええと、つまりウィル君は、プリムを妖精プーカだと信じているのね」

「そうだとも! 村の皆は騙せていても、僕と僕のおばあさまには、ちっとも通用しないのだ!」

「ウィル君のおばあさま……。村の人にたくさん慕われていたみたいね」

「ああ、おばあさまはとても賢くて優しくてな。村の皆からも大変尊敬されていたすごい人だったのだ」

 リーンは農夫たちが教えてくれた話を思い返した。立派なフェアリー・ドクターだったと言われるくらいなので、妖精のことには誰よりも詳しかったのだろう。それを寝物語に聞くウィリアムのことは、簡単に想像出来た。

 そんな祖母のことをウィリアムもとても誇らしく思っているようだった。

「生きていた頃は僕をとても可愛がってくださった。勿論、プリムのこともな!」

「そ、そうなの……?」

 プリムローズの口からは一度も聞いたことがなかったので、リーンは単純に驚いた。ウィリアムは枯れ葉を踏み散らしながら、無邪気に続ける。

「ああ、おばあさまから頼まれているんだ。『あの子は迷子の妖精プーカだから、お前が良く見ていてあげなさい』って」

「迷子の妖精プーカ……」

 そう呼ばれる所以、妖精のような秘密を抱えた少女の何かしらを知っていたのだ。生きている時に、是非とも会ってみたかった。少女を元気づけられるような名案を考えてくれたかもしれない。

 拓かれていた道は、細く険しくなっていく。朽ち葉に溢れ、色味が失せつつある茂みも深まっていく。獣道にも見えなくもないのに、ウィリアムは迷うそぶりもないまま案内を続けていく。

「もう少ししたら『月の庭』が見える。そこにならてんてこマイタケが生えている可能性が高いそうだぞ」

「『月の庭』?」

「僕の素敵なお隣さんが、月夜の晩にそこでダンスをしているそうでな。踊った後にはたくさんのキノコが生えまくるそうなんだ」

「ウィルくんちのお隣さんって、夜にこんなところまで来ているの? それって危ないんじゃあ……」

「大丈夫だ、彼らには夜が一番味方をする」

 そのお隣さんとは、一体どんな人物なんだろう。後でウィリアムを家まで送っていく時に出会えるかもしれない、その機会に恵まれたら紹介してもらえるだろうか。

 小道が急に広がり始め、円形の広場が現れた。中央には大木の切り株がまるで舞台のように鎮座している。その周りをウィリアムが指し示した。枯れ葉の覆い被さる隙間から檸檬色や紅色、まだら模様のこぶりなものといった様々なキノコが生い茂っている。リーンが歓声を上げようとしたが、ウィリアムが不意に手で制して声を潜めた。

「しっ、先客がいる。村の者ではない」

 赤茶の葉が絨毯にして広がる奥地には、真っ白なローブを纏った者が一人しゃがみ込んでいた。キノコを摘んでじっと見定めるようにしては、投げ捨てている。肩から下げられた籠には薬草と思しき草花の束があり、数々のキノコも一緒に混ざっているようだった。

 二人は草場に身を隠しながら、ひそひそと言葉を交わす。

「薬師さんなのかしら」

「この村の薬師ではないな」

「じゃあ、薬師さんの泥棒……?」

「しかも選り好みする贅沢な泥棒だッ」

「とりあえず、誰かを呼びに行かないと……」

「待てい、そこの盗っ人ッ!」

 リーンが止める間もなく、ウィリアムが勇ましく飛び出していった。

「村の貴重な財源を盗もうなど不届き千万ッ、このフラウベリー村長ウィリアム・バーフォードが、貴様を成敗してくれるッ!」

 少年の威勢の良い声に驚いたのか、白いローブの肩が一瞬跳ね上がった。一度立ち上がり、ゆっくりと振り向いてウィリアムを好奇の眼差しで見つめる。

「……へえ、坊ちゃん村長なんて千年万年生きてて初めてみるよ」

「あ……」

 中性的な穏やかな声と、硝子細工のような面差し。その姿に心覚えがあったリーンは立ち竦んだ。覚えのないところは肩上に留まる真っ直ぐな黒い髪、それと対照的な真っ白な外套。見目形を変えようとも、滲み出る繊細な風貌はリーンの目の奥まで焼き付いてしまっている。

魔術師マグス……」

「おや、雪のお嬢さんも。偶然だねえ……ってことはないか。この界隈に君が住んでいることは承知済みだもの」

 魔術師マグスは奥に佇む少女に気付いて、ひらひらと手を振った。リーンは固唾を飲んで向き直るが、足はその場に凍ってしまったかのように動かない。

 強張った表情の少女に向けて、魔術師マグスはくすりと微笑んだ。

「その警戒心は快く歓迎しよう。君の純な無防備さはいささか心配だったからね」

「……私に、何か用事がおありですか」

「そう怯えずとも、恩人に不作法はしないって前にも言ったじゃないか。今日はね、悪い魔法使いじゃなくて、善き賢者としてここにいるのさ」

 その証拠とでも言うように、薬草が入った籠を手で軽く叩いて示す。

「身内がどうにも身体が弱くてねえ。何か精のつくモノでも食べさせようと思ってさ。ねえ、てんてこマイタケって君ら知ってる?」

 ウィリアムが噛み付くように言い返す。

「知ってるも何も、その幻のキノコは僕らも追い求めるものッ! だが選り好みの薬草泥棒に、分け与える情けは無用ッ!」

「つれないなあ。見かけたら君らにも分けてあげるからさ、一緒に探してくれないかな。前払いとして、イイものだってあげてもいい」

 魔術師マグスが長い指爪で手招くようなそぶりを見せた。『イイもの』という言葉に耳をくすぐられたウィリアムは、その傍らへ近付こうとする。

「ウィル君、こっちに戻って来て。その人に近付いちゃ……!」

 リーンが怖気づいた足を何とか一歩前に出そうとしたところで、周りの風が大きく揺れ動いた。

「お前はちっとここで待て」

 不意に耳の後ろからそう囁かれ、慌てて振り返る。けれど背後には誰の姿もない――と戸惑いを覚える間もなく、魔術師マグスのふぎゃっという間抜け絶叫が響き渡った。

 リーンがまた振り向き直れば、青ざめた魔術師マグスが大木の幹を背にしてへたり込んでいた。耳の両側付近に刺さった細身の小刀が、フードを磔にしている。

 今にも魔術師マグスの手を取ろうとしていたウィリアムは、きょとんとしてその姿を見つめていた。

「ん? 何故にいきなり大道芸……うわっ!」

 途端にウィリアムの身体が宙に浮いた。背後から忍び寄った輩の手によって捕らえられたのだ。足をばたつかせて抵抗をしてみせるが、つま先が地面に着かないのもあって歯痒さが増すだけだ。

「こらっ! 苦しいではないか、その手を離せ不届き者ッ!」

「知らねえ奴の美味い話にゃ気を付けるんだな、ジャリ坊。食うどころか頭からまるごとパックリ喰われちまって終いだ」

 粗野な物言いは何処か説教じみていて、それでいてなだめるような響きを併せ持つ。背の高い若者が、呆れるような眼差しでウィリアムの首根っこを捕まえていた。

「解放されたきゃ頭に叩き込め。『知らない奴がくれる林檎は毒入りだ』。ハイ復唱」

「お前だって知らない奴なのに、言うこと聞く道理はないッ!」

「今すぐその小っちゃなオツムからバリバリ喰ってやってもいいんだぜ」

「し、『知らない奴がくれる林檎は毒入りだ』ッ!!」

 頭を鷲掴みされ、さすがに恐怖を覚えたウィリアムが声を張り上げて繰り返す。

「よーし良い子だ。きっちり覚えとけよ」

 あっさり拘束をほどかれ、リーンの傍らへ向かうよう背筋を一つ叩かれる。促されたウィリアムは、今にも泣き出しそうな表情で少女の懐に突進していく。

「こ、怖かったぞリーン嬢……!」

「ウィル君が無事で良かったわ。……それに」

 リーンは改めて若者の大きな体格を見やった。その日焼けた肌に浮かぶのは、澄んだ若草の瞳。後ろ首に結われた硬質そうな鋼色の長い髪は、今日も軽快そうに風に遊ばれている。出会った頃からまるで鳥のような人だと思うのは、その身に纏う飛翔装バードコートだけのせいではない。

「よ、ガーランドのお嬢。ピクニックにゃ絶好の日和だが、あんまり道草マシマシに食ってると皆に心配されるぜ」

 きっとその飄々とした物言いに、心を気楽にさせる軽やかさが備わっているからだろう。リーンはそう感じつつ、温かな苦笑を漏らすピックスを見上げた。

「ありがとうございます、ピックスさん。でも、どうしてここに?」

「収穫祭にお呼ばれしたクチだな。で、ついでに防犯パトロールしてたってところ。そんでまあ、カンに従って来てみりゃ案の定というか……」

 ピックスは磔になった魔術師マグスを見やった。口元だけを歪に弧を描いて問いかける。

「ハジメマシテ、うっさんくせえ薬師殿。ここには何を目的としたご滞在か?」

 魔術師マグスはひとつ大きく瞬きして、心得たとばかりに薄ら笑う。

「ハジメマシテ見ず知らずの兵鳥バード君。滋養強壮剤を探しに、この森に赴いた次第なんだけどね。大事な人に食べさせてあげたいんだ。探す許可をいただいても?」

「……少しでも変な真似してみろ、即刻その喉笛掻き切ってやる」

 ピックスは短く息を吐くと、間近に寄って苛立たしげに小刀を引っこ抜く。その拍子に魔術師マグスがひっそり耳元で嬉々と囁いてきた。

「どうして隠すかなあ。今の私は悪い魔法使いじゃないのにね」

「……身の程を忘れてんじゃねえぞ。多少化けてもそのゲスさは一目瞭然だからな」

 そう吐き捨てるように囁き返せば、魔術師マグスは愉快そうに目を細めるだけだ。都合が悪いのは確かにこちらなのだと、ピックスは内心で理解しつつもむしゃくしゃが止まらない。だが、今はまだこの少女に、繋がりを気付かせる訳にはいかない。

 気分を切り替えるように、魔術師マグスからそっぽを向いてリーンに呼びかけた。

「んで、お嬢たちは何でこんなとこまで来てるんだ?」

「あ、あの、実は……」


 リーンが魔術師マグスと似た理由で幻のキノコを探していることを伝えれば、ピックスは仰々しく肩を上げ下げしてため息をついた。

「プリムローズちゃんのためとは言え、二人だけで探そうってのはあんまり賛成しねえな」

「だが、この森にてんてこマイタケはあるッ! 僕の素敵なお隣さんが言うんだから間違いないッ!」

「で、ジャリ坊はてんてこ舞いの実物ソレは見たことあんのか」

「昔一度見た程度だ! でも見ればすぐに分かるって聞いているぞ」

「……お嬢、素人のキノコ狩りの危険度は素人でも知ってるぞ……」

「そ、そうなんですよね……」

 ピックスから不信な眼差しを送られて、リーンもさすがに心許なくなってくる。

「まあ、一目見れば分かるってのは違いないね。どうかな、雪のお嬢さん。やっぱり一緒に探す方がお互い利害一致なベストになると思うんだけどな」

 魔術師マグスが茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせる。リーンはおどおどとした表情で向き直るが、口は噤んだままだ。その肩を、ピックスがぽんと優しく叩く。

「……ま、俺が目を光らせておくから安心しろ。何かしようもんなら、ちょいとそこらでなぶり殺してやっから」

「怖いことをお茶しに行くみたいな気軽さで言わないでほしいなあ……」

 魔術師マグスのげんなりした独り言をピックスは無視しつつ、少女に向けてにっかりと笑ってみせる。

「さくっと見つけてちゃっちゃと帰って、プリムローズちゃんを喜ばせてやろうぜ」

「は、はい……ありがとうございます!」

 リーンはようやくホッとしたように口元を綻ばせた。

「でもねえ、ここら界隈にはてんてこマイタケは見当たらないみたいだね。もうちょっと深い場所に行かないと」

 魔術師マグスが何かを探るようにして、辺りを見やった。日なたに注がれながら枯れ葉の落ちる様、風の揺らぎ具合、その流れる行く末、ひとつひとつを丁寧に感じて手繰っていく。

 その様子をウィリアムはじっと見やっている。少年にしては、淡々とした静やかな眼差しだった。

「……なあ、薬師。お前にも聞こえているのか?」

「君よりかは聞こえないよ、全てを統べる程度に知ってるだけさ」

 魔術師マグスはウィリアムを見つめ返し、少しだけ含み笑った。

「――へえ、坊ちゃん村長は、この時代にしちゃあ珍しくなっちゃった気質を持っているんだね」

「僕はウィリアム・バーフォードだ。全てを統べる者、お前の名を知りたい」

「残念ながら、名前は忘れているんだ。けれど、そうだね、敢えて言うなら、大魔女ルナリアってところかな」

 魔術師マグスが名乗ったのは、お伽話に出てくる魔女の名前。それに過敏に刺激された者は、ここで唯一ただ一人。

「ルナリア――ですってぇ!?」

 空から衝撃波のごとくの、圧迫ある奇声が落下した。

「な、何……!?」

 リーンはとっさに耳の塞いだが、甲高い鈴の大音響はこんこんと鳴り渡る。

「大魔女ルナリア……! その名を告げる者をどれ程待ち侘びたかしら……!」

 風が嵐となって荒れ狂う。梢が怯えるようにさんざめく。枯れ葉が逆巻くようにして上昇し、散り散りとなる。

 ピックスが無言で飛翔装バードコートを広げ、リーンとウィリアムを中へ押しやった。左右を見回し、感覚を研ぎ澄まして気配を拾おうとする。

「――上か?」

「うん、そうだね」

 魔術師マグスだけは無防備に佇んで、枯れ葉の舞う虚空を悠々と見つめていた。リーンも飛翔装バードコートの内側から、つられるように視線を辿った。

 逆巻く枯れ葉の中心より軽やかに舞い降りるのは、瑠璃の瞳の小柄な少女。風と共に踊っているのは、ラベンダーグレイの二本のおさげ髪。薄い生成りの外套と、星屑のようにきらめくローブが風で否応なく舞い上がっているが、中には膨らみのあるハーフパンツをきちんと履いている。

 広場中心の切り株の上に、コツンと小さなブーツのつま先が降り立つ。

「――幾星霜を重ねた旅路に、幾度も夢見たこの邂逅……!」

 枯れ葉を盛大に頭に積もらせつつ、少女は不敵な笑みを形作った。手に携える細い小枝の杖を、魔術師マグスに威勢良く突き付ける。

「ここで会ったが千年目ッ! 魔女っ子マッジーが貴様を成敗してくれるッ!」

 自称魔女っ子がそう高らかに言い放ってから少し間をおいて、ピックスが逡巡としながらも横目で問いかけた。

「……テメーの知り合いか?」

 魔術師マグスは怪訝そうに肩をすくめた。

「さてね、覚えがないな。でも人って、生きているだけで誰かしらに妬み恨まれるものだからさ」

「長生きしすぎて心当たりありまくりなだけだろ」

「えへ、そうとも言う」

「待てい、魔女っ子ッ! この薬師を成敗するのは僕の役目だ、手柄の横取りはよしてもらおうッ!」

 ウィリアムがローブの隙間から飛び出そうとするが、すぐにピックスが首根っこを掴まえる。

「話がややこしくなるからジャリ坊は黙ってろ」

「そう慌てずとも、後でちゃあんとお相手してさしあげるわ。ガーランドの日和ひよっこちゃん共々ね」

「わ、私!?」

 突如矛先を向けられて、リーンは肩を縮こまらせる。高圧的に見下ろす魔女マッジーは、感情の高ぶるままにうっとり微笑んだ。

「日和っこちゃんを尾行ツケてみれば、思わぬところで一挙両得! これは天が味方してるわッ!」

「コイツ、当初の標的はお嬢ってか」

 ピックスは舌打ちし、飛翔装バードコート内へリーンを更に引き寄せた。抱える腕にぎゅっと力が込められる。その様子に魔術師マグスはむず痒そうにしながらケタケタ笑ってみせる。

「大丈夫だよ、兵鳥バード君。アレは派手なだけで大したタマじゃない」

「うふふん、そう悠長に構えてられるのも今のうちよ!」

 マッジーがローブの内から取り出したのは、手の平大のキノコだった。丸みを帯びる形は桃色に染まっており、まるで本物の果実のように柔らかそうで、ずっしりしている。魔術師マグスに向けて、嘲り笑うようにしながら見せつけた。

「これが何だか知っているでしょ、月魔女ルナリア!」

 魔術師マグスは一瞬きょとんとしてから、たちまちに「うわ……」と低い声で呻く。

「ワンダーマッシュルーム……」

「は!? それってお前……ッ」

 キノコの名前を聞いて、ピックスも顔をぎょっとさせる。

「すぐに撃ち取ってッ!」

 魔術師マグスの焦り声とほぼ同時に、ピックスは懐の小刀を手早く投げた。掲げられたキノコを見事に突き、それはまるごと宙へ放られる。

「遅いッ!」

 魔女は空中のキノコを素早く杖で指し、呪文を謳う。

「『パスリセージ・ロズマリアンタイン、これは忘憂の花見酒、真昼の月の悪夢を君に』ッ!!」

 朽ち葉の舞い踊る秋の森に、轟音と共にすさまじい雲煙が立ち昇った。


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