秋 the harvest hazardⅠ


「おつかい?」

 台所で一人朝食を済ませたリーンは、きょとんとジョシュアを見つめた。

「うん、今日はお客人が来るからそのおもてなしと、収穫祭のごちそうの下ごしらえをしなくちゃいけなくて。すまないけれど、君に頼みたいんだ」

 手渡されたものは、パン屋への受注リスト。来週一週間分の定期配達を依頼する内容だ。仕込みに手間がかかるからという理由で、ジョシュア自らがパンを作ることは滅多にない。ソーダブレッドならたまに焼くこともあるが、基本的には『餅は餅屋で』ということらしい。

 他には雑貨屋、村人の寄り合い先であるパブへの言付けと品物を手渡してほしいと言う。

「ついでに、何か美味しいものでもつまんでおいて」

 小遣いまで握らされて、リーンは快くキャンベル家から送り出された。


 晴れ渡る蒼い空には、うろこ雲がたなびくように浮かんでいる。

 雨上がりの草原からは、瑞々しさをたっぷり含んだ香りが立ち昇る。甘い爽やかさを感じつつ、ぬかるんだ道に気を付けながらリーンはフラウベリーの中心街へと向かって歩く。

 途中通り過ぎる橋の近くには水車小屋があり、陽の光をたっぷり浴びた小川の水流が、水受け板をゆっくりと回している。苔むす落ち着いた色合いではあるが、材木の状態からしてそれ程古びたものではないらしい。小屋自体は随分くたびれており、何かの建物だったものを水車として立て直したのだと思わせた。雨上がりとあって、小屋の中に人気はない。しばらくすれば、村人が小麦を挽きに来るだろう。明日の収穫祭のために、ご馳走を沢山作ろうしてしている筈だから。

 それもあってか、道を行き交う人々はいつも以上に明るく高揚した笑顔を見せている。大通りは一際賑やかで、特に生鮮市場は食材を調達する人々で溢れ返っていた。幾人もの農夫は、広場へ向かう道へと大きな資材を運んでいく。子供たちもつられるようにして、色とりどりの切り花が詰まった大籠を抱えてその後ろに続いていく。

 少女は祭りという行事がどんなものか知らなかったのだが、きっと素敵なものになるのだろうと、村人たちの陽気な笑顔を見つめながらときめく予感を膨らませていた。


 お目当てのパン屋は、大通りから二つ外れた細い路にあった。寄せ植えの植木鉢と、小さな青い看板が路上にあるこじんまりとした店構えで、道なりに進む少し前から焼きたての香りがふんわり漂っていた。大通りにも別の大きなパン屋が一軒あるが、この小さな店はジョシュアの友人が営んでおり、そのよしみ繋がりもあってここでの調達を決めているらしい。

 ジョシュアの御用達とあって、リーンは期待に心を弾ませながら店内に足を踏み入れる。けれど、そこには正面に簡素なカウンターがあるだけで、パンの一切れも置かれていなかった。客はおろか、店主も姿を見せない。

「あのう……こんにちは! キャンベル家から来ました!」

 リーンが勇気を振り絞って叫べば、奥の廊下から重くせっかちな足音と共に、強面の青年が姿を見せる。頭を覆う白いバンダナと白いシャツに、粉まみれの紺のエプロンを身に着けている格好からして、どうやらここの店主のようだ。不機嫌そうにリーンをじっと見つめるが、言葉の一つも発しない。

「あ、あの、これ、ジョシュアから……」

 リーンがおずおずと注文リストを取り出すと、店主は静かな手付きで受け取った。そしてチッと盛大な舌打ちを放つ。

 何か粗相があったのかと少女は思わず身を硬くするが、店主は構わずもう一度奥間へ引っ込んでいく。幾分の間もなく、小ぶりのバスケットを抱えて戻って来た。そして不躾にずいと差し出してくる。

 上面には布がかけられ中身は見えないが、漂ってくる香ばしさからして焼きたての商品に間違いない。今週分は頼まれていない筈だと、リーンは目を瞬かせた。

「あ、あの、これは?」

「……あいつの小間使いさせられやがった詫びだ」

 ぶすりとした小さな低い声だったが、静かな店内には不思議と穏やかに響いた。

 『いい奴なんだけど可哀想なぐらいの不愛想なんだ』、というジョシュアの事前の言葉を思い出し、リーンはゆるゆると笑みを花開いていく。

「ありがとうございます。じゃあ遠慮なくいただいていきます」

「……ん」

 バスケットを受け取れば、店主は変わらずの仏頂面でこっくり頷いた。リーンはついでにと、普段感じていることも伝えてみる。

「あの、ここのパン、いつも美味しいなって思って食べてます。うっかり切らしちゃうと、ヨッカも不機嫌になっちゃうくらいなの。作ってくれてありがとうございます」

「……ん」

 こちらの言葉に素直なまでに頷いてくれるので、やはり本当に不愛想なだけなのだろう。リーンはまだ温かみのあるバスケットを抱え持ち、別れの挨拶をして店を後にする。

 扉の丸窓からその後ろ姿を見送りつつ、顔面おばけと子供に泣かれる店主はぽつりとひとりごちた。

「……噂はマジだったんだな」



 リーンは少し軽くなった足取りで、次は大通り沿いのパブへと顔を出した。

 昼間でも薄暗い店内は梁の高い作りで、吹き抜け窓から淡い光が差し込んでいる。奥のカウンターで一人支度をするマスターが、少女の姿に気付くと嬉しそうに声を上げる。

「リーンお嬢様じゃないですか、いらっしゃいませ」

 すでに何度か顔合わせしていることもあって、リーンは気さくな笑顔を浮かべて声をかける。

「こんにちは、マスター。あの、お話がありまして、今大丈夫ですか?」

「ええ、構いません。さあさあこちらへおかけください」

 言われるままにカウンターの席に座ると、間もなく入れたての紅茶と小ぶりのキャロットケーキが出てくる。マスターはにこやかにしつつも、首を傾げた。

「お嬢様がこちらにお一人でいらっしゃるのは珍しいですな」

 いつもはジョシュアかプリムローズの付添いで来ているので、その疑問は当然だった。ティーカップを持ちつつ、リーンは苦笑する。

「あの、今日はジョシュアが忙しいから私が代わりに……。プリムも、まだ体調が優れなくて」

「そうですか。近頃お見かけしていないので、心配ですな。一日も早く、元気なお嬢様のお姿を見たいものです」

「はい……。私も、プリムに早く元気になってほしいんですけど」

 しんみりしてしまった空気を払拭するように、マスターはからりと笑ってみせる。

「ま、収穫祭ではご馳走が沢山作られますから、それを召し上がればきっと大丈夫ですよ。秋は力の付く食材も多いですし。それで、ご用件とは?」

「はい、ジョシュアからこちらと、伝言を預かってきました。『ここ最近は、何かありませんでしたか』と」

 一度姿勢を正したリーンは、ジョシュアから頼まれたものをカウンターに置き、伝言をそのまま伝えた。

 伯領の仕事で忙しいヨークラインの代わりに、フラウベリーにはジョシュアが細やかな手入れを行っている。表立ってというよりかは、領主や村長の目に届きにくい部分をサポートする役割だ。そのため、村のざっくばらんな情報が入りやすいパブや商店に良く顔を出している。

 カウンターに置かれたのは重みある小さな革袋で、おそらく情報料だ。マスターは中身をちらりと見てから、きっちりと懐にしまった。

「そうですね、何事もなく平和ですよ。明日は収穫祭なので、皆意気揚々と支度にかかっているぐらいですな」

「そっか。だから今日はここは静かなんですね」

 店内をぐるりと見渡しつつ、納得する。客の出入りが全くないのは珍しく、昼間から酒を飲んでいる光景もしばしば見ている程である。人寂しい店内で、マスターは思い出したように目を瞬かせる。

「……ああ、そうだ。祭りに変わった連中が参加するようですな。なんでも、旅商人だそうで」

「旅商人? リコリスさんの旦那さんの、カムデンさんみたいな?」

 村のジャム屋、リコリスの夫にあたるホーソン・カムデンは、キャンベル家に良く出入りする愛想の良い行商人だ。リーンがその姿を思い出しながら問いかければ、マスターは片眉を上げて「まあそうですね」と頷く。

「ホーソン・カムデンの方がいささか眉唾は際立ちますが、似たような香具師やしめいたものは感じますよ。当日、広場で何やら店を出すらしい。余所者には気を付けているから、恐らく領主様のお耳にはすでに入っているかと思いますけどね」

「その商人さんは、今どちらに?」

「村はずれに荷馬車を泊めさせてくれと、村長の所へ伺ったとは聞いていますので、今も村の何処かにいるんじゃないでしょうか。どうやら子連れのようで小さな娘一人伴っていましたから、その子の相手でもしているのでしょう」

「ありがとうございます。じゃあそのようにジョシュアに伝えますね」

 リーンが丁寧に頭を下げると、マスターは感慨深げに呟いた。

「しっかし、リーンお嬢様がこのようなお役目をしてくださるということは……」

「マスタ~~、ちょっと休ませてくんりゃ~~!」

 突如、だみ声で叫ぶ赤ら顔の農夫が、多少ふらついた足取りでパブの中に入ってきた。

「おい、あんまり大声出しゃあすな。キャンベル家から、かのお嬢様がお見えだで」

 マスターが礼儀正しい口調を崩して咎めれば、農夫は少女の存在にやっと気付いたようでハッと表情を改める。慌てて背筋を伸ばし、作業帽を脱いで頭を下げた。

「あっ、そいつぁ失礼しやした! あの、もしや、あなた様が領主様の……?」

「あ、はい、リーン=リリー・ガーランドと申します。キャンベル家でお世話になっています! よろしくお願い致します!」

 リーンも慌てて足の長いスツールから飛び下り、深々と挨拶の形を取る。農夫は半ばおろおろするようだったが、気恥ずかしそうに眉尻を緩める。

「いやいやいや、これはご丁寧にどうも。プリムローズお嬢様といい、マーガレットお嬢様といい、キャンベルの花の君はわしらにもお優しいですな」

「んで、どうしたんだ、おみゃあは」

 祭りの準備をサボっているのかとマスターが睨み付けたが、農夫は困り顔でうなだれた。

「ちょっと熱があるみてぇでなあ、頭ん中ぼーっとすんだわ。昨日雨に降られちまったのがいかんかったわ」

「はぁ? しゃあねえな……なら早よう病院行きゃあせ」

「うんにゃ、そこまでじゃねえ気もすんだよなあ。ほんでも祭りの準備はしんといかんし、まいったもんだわ」

 ふぅと熱っぽい息を上げる農夫の姿をリーンはじっと見やっていたが、やがておずおずと切り出した。

「あの……良かったら、私に少し見せてくれませんか?」

「お嬢様が……?」

 目を瞬かせる農夫に、そっと頷いてみせる。

「少しでしたら、お力になれるかもしれません」

 リーンはスカートのポケットに忍ばせていた革張りのカードケースを取り出し、その中から紙札を一枚取り出した。長椅子に腰掛けた農夫にゆっくりと向け、少しだけ恥じらいながら上ずった声を出す。

「そ、其は、リンゴ風味のホッとひと息ぬくぬくドリンク――エンコード:『カモミールティー』!」

 唱えると、瞬く間に札からきらきらとした細かい光が宙に放たれた。

 仄かなきらめきを頭から降り注がれた農夫はしばし目をぱちくりとさせていたが、己の変化を感じたらしく、そわそわと身をよじる。

「んん……? なんだかポカポカしてきたで……あ~~、どえりゃー気持ちいいがね……」

 そしてふにゃふにゃと何やら言いながら、椅子に寝転がって気持ち良さそうに寝息を立ててしまう。身体が冷えてしまわないようにとリーンが毛布を頼めば、マスターはすぐに奥間から持ってきてくれた。そして驚き満ちた表情で農夫とリーンを交互に見やる。

「お嬢様は一体何を……?」

「ええと、風邪の引きはじめの諸症状に、ということみたいです。安眠効果もあるらしく……。でも、あくまで気休め程度ではあります」

 マーガレットの説明を思い出しながら、リーンは伝えた。

 リーンに持たせられたものは効果の薄い、いわゆる民間療法の部類になるものだ。薬師が処方する薬の方がよっぽど効き目がある。まだ解呪初心者のリーンには、あまり強い力を使わせてはならないというマーガレットの判断だった。

 『通常の解呪符ソーサラーコードより効果は小さいわ。でも、その副作用も半減する。頭痛薬飲むと、代わりに胃が荒れやすくなったりするじゃない、そういうことよ。ま、効果の半分はあなたの優しさで出来てるって思えばいいわね』と、多少意味の分からない説明をされた。

 そして、唱える部分がどうして他の解呪符ソーサラーコードより遊び心に溢れているのかは、『その方が可愛いからに決まってるでしょ、恥ずかしがってる表情も相まって』と、またまた良く分からない理由で述べられた。

 頭の中でやりとりを反すうしつつ、リーンは少々どもりながらマスターに言付けた。

「と、とにかく、もし具合の悪いのが続くなら、きちんとお医者様にかかってくださいと伝えてください」

「いや~~てえしたもんだなあ!」

「さすが領主様んとこのお力。とんでもねえがや」

「村長んとこのヴァイオレットばあさんみてえだなあ」

 いつの間にかパブには他の農夫たちも姿を見せていたらしく、陽気な騒ぎ声に溢れていた。その声に煽られて、マスターもしみじみと口零す。

「ああ、ちょいと昔を思い出すわ。ばあさんはどえりゃー立派なフェアリー・ドクターだったでなあ」

「フェアリー・ドクター……?」

 リーンが聞き慣れない言葉を繰り返してみると、マスターが柔らかく目元を緩めた。

「バーフォード村長の母君、ヴァイオレット・バーフォードが、村の相談役として皆からそう呼ばれていたんです。数年前に、天寿を全うしちまいましたがね」

 隣にいた年配の農夫たちも和気あいあいと話に入ってくれる。

「昔は医者もおらんかったもんでな、その代わりの知恵袋みたいな役どころをヴァイオレットばあさんが良くやっとった。病も、他の何かの困り事も、みょうちきりんな目に遭えばぜーんぶばあさんに頼っとったわ」

「妖精の矢を撃たれてまって痺れて動かん、かどわかされて霧の草原をいつまでもぐーるぐる、そういう妖精のいたずらや魔術を治すのがフェアリー・ドクターなんだわ」

「お伽話の賢者みたいですね……」

 リーンが感心するように呟くと、農夫は少し懐かしそうに微笑んだ。

「今じゃあ迷信だのペテンだのと蔑まれちまいますがね。わしらにとっちゃ、それが当たり前の暮らしの知恵だったんですわ」

「ま、ちゃんとした医者がいてくれる今の方がずっと楽だがよ」

「酒を止められるのだけは勘弁してほしいもんだわ」

 そう言ってケタケタ笑う農夫たちに別れの挨拶をして、リーンは次なるおつかい元へ向かっていった。



 雑貨屋はパブと同じく大通り沿いにあり、一人の女主人が切り盛りする年季の入った店だった。先代から受け継いだとされる煤けた色の店内は、包丁から箒といった家事道具、石鹸、歯ブラシ、ハーブスパイスや小麦粉、乾物類までぎゅっと棚に陳列され、様々な日用雑貨と食材が所狭しに置かれていた。

「あんれま、今日はジョシュアはいないの? 残念だこと」

 おつかいを届けに来たリーンを見やると、唇に艶やかな紅を引く女主人は途端に気だるげなため息をついた。奥に引っ込み、レジ台の片隅に置いてあった細い煙管に火をつけて、ゆっくりと椅子に背もたれる。何処か年齢不詳の艶麗な面立ち。首筋に流れる赤髪は大きく開いた豊かな胸元まで垂れ下がっており、リーンはいつ見てもどぎまぎしてしまう。

「す、すみません、マダム。今日は忙しいみたいで」

「今日こそデートの約束をしてもらおうと思ったのにねえ。何だかんだで逃げられちまう」

「……やっぱりジョシュアはモテるんですね」

 リーンがしみじみと呟くと、女主人は煙を少女から逸らすように、は、とゆっくり吐いた。

「あんな美形、誰がほっとくもんかい。しかも物腰柔らかい、紳士的な立ち居振る舞いと来たもんだ。村娘の大概はジョシュアに骨抜きさ。特定の恋人はいないみたいだから、明日の収穫祭では大勢からアプローチかけられるだろうねえ」

 村娘はおろか、年配の夫人からも熱烈な視線を送られていることはリーンも知っていた。主婦の集いである井戸端会議に参加した後は、必ず野菜だのチーズだのと沢山のお裾分けを貰って屋敷に戻ってくる。

 だからといって、リーンたちに恋人の存在を示す風でもないから、先程女主人の言った台詞には一つ引っかかりを覚えた。

「『特定の』ということは、……その、特定でないお付き合いはあるってことですか?」

「噂じゃあ、貴族令嬢、踊り子、歌姫やらの絶世の美女たちと、それはもう人には言えないくらいの爛れた関係になっているとかいないとか」

「えっ」

 リーンの目を真ん丸にする様子に、女主人はくつくつと笑いを堪えるようにして肩を揺らした。

「根も葉もない噂は真に受けないことだねえ、お嬢様。そんなに素直がすぎると、領主様の苦労が知れるようだ」

「ヨッカのことは、あんまり関係ないように思いますが……」

 からかわれて少し面白くないリーンは、唇を尖らせてそう言い返す。煙管の燃えかすを灰皿に落とした女主人は、愉快そうにほくそ笑んだ。

「関係はちゃーんとあるだろうさ。領主様の懐にすっかり入っちまってるんだ、その責任は必ずお取りになるだろうってこと」

「責任って、どういう……?」

「さあてねえ。それは領主様のお口になさることだから、こちらの言葉は只の邪推でしかない」

 何処か煙に巻くような物言いに、リーンは首を傾げるしかない。


「たのもう!」

 高らかな声が発せられた。店の入口には、丸みのある眼鏡をかけた小柄な少年が、生真面目な表情で突っ立っていた。

「おんや、ウィル坊じゃないか。ママのおつかいかい?」

「そうだとも、マダム。ふくらし粉を一ついただこう!」

「ありゃ、それだけかい? どうやらおつかいを言い訳に体よくあしらわれたようだ」

 からかいまじりに投げかけられ、少年は地団駄を踏んだ。

「失敬な! ちゃんとお駄賃までくれたのだ、これは村長として立派に使命を果たせという叱咤激励に他ならないッ!」

「まったく、息子に甘々なのは別にいいけど、もうちっと常識を育んでくれないもんかねえ」

 女主人はそうひとりごちると、億劫そうに椅子から立ち上がった。村長と自ら主張する少年の隣をすり抜けて、商品の陳列棚を物色し始める。

 少年の顔に覚えがあったリーンは、そのすぐ傍まで近寄って声をかけた。

「ウィル君、こんにちは。今日も元気だね」

「おお、リーン嬢。これはご機嫌うるわしゅう」

 少年ウィリアム・バーフォードは、フラウベリー村長の一人息子だ。まだ二桁にも満たない年齢だが、口調だけは大人ぶるように明朗でハキハキしている。同い年のような見た目のプリムローズには何かと突っかかってくるが、事実年上で口八丁な少女にとっては口ほどにもないらしく、いつもけちょんけちょんに言い負かされて泣かされてばかりである。

 初めてリーンと顔を合わせた時は同じように突っかかられたが、後にキャンベル家で世話になる話を父親から詳しく聞いたらしく、手のひらを反すように丁寧な応対になったのは少し不思議なところだった。

「何だ、プリムは一緒じゃあないのか」

 その姿を探すように、ウィリアムは店内をきょろきょろと念入りに目配りする。何度言い負かされてもちっともめげないところは、少年の長所なのかもしれない。そう心の隅で思いつつ、リーンは苦笑する。

「うん、プリムは身体の調子が良くないから、まだ家から出ちゃいけないみたいで」

「ふん、妖精プーカのくせに不養生か、情けない! で、いつになったら外に出てこれるんだ」

「……分からないわ。身体の治り具合が遅いみたいで……プリムもそのことでだいぶ落ち込んでるの」

 リーンが肩を弱々しく落とした様子を見て、ウィリアムはふと生真面目に眉をしかめた。

「成程、由々しき事態というやつなのだな……うむ、そうだな」

 ひらめくものがあったのかウィリアムは指をぱちりと鳴らして、堂々たる口調で言い放った。

「ならば身体の活力を呼び戻せればいい! となると、元気になる物を食べさせるのが一番だな!」

「そ、そうね……何かいいものを知ってるの?」

「よくぞ聞いてくれた。このフラウベリーの秋にしか取れぬ、貴重な食材があるんだ。我々村民は妖精のキノコとして扱う、その名も『ねんねこマイタケ』ッ!」

「『てんてこマイタケ』でしょうよ、ウィル坊。でたらめ言いなさんな」

 女主人が呆れ顔を寄越しながら、ふくらし粉を手に持って戻って来た。どちらにしろ、一風変わった名前には違いないなとリーンは内心で思う。

「あんまり真に受けないでね、お嬢様。てんてこマイタケは、確かに滋養強壮にはおあつらえ向きなんだけど、それを目的にした薬師の乱獲が目立ってねえ。今じゃ滅多にお目にかかれない幻のキノコというやつになっちまったのさ」

「だがしかし、村の森に必ず生えているのは間違いない。証言は取れているからな」

「誰かが見つけてるってこと?」

 リーンの問いかけに、ウィリアムは自信たっぷりに頷いてみせる。

「ああ、僕の素敵なお隣さんは、探すのが得意でな!」

「ウィル坊、まあた厄介事をしでかすつもりかい」

 女主人は品物を紙袋に入れ、ウィリアムの手に乗せた。ついでにキャラメルもおまけとして渡してくれる。

「良い子はおつかいだけして帰ること。ほれ、ふくらし粉をさっさとママに渡しておあげ」

「困った村人を助けるのが村長たる僕の責務ッ! マダムにどう言われようがこの意志を捻じ曲げるつもりなど皆無ッ!」

「はぁ、しょうがない坊やだこと。……お嬢様、申し訳ないけどテキトーに相手して、テキトーな時間で引き上げてくれる?」

 張り切る少年には何を言い聞かせても無駄だと悟ったらしい。苦い顔だったが、役目をリーンにあっさり引き渡した。

「わ、分かりました。ウィル君、行こうか」

「ああ、必ずやてんてこマイタケを手に入れ、プリムに元気になってもらうぞ!」

 勢い盛んに雑貨屋を飛び出し、村の大通りを駆けていくウィリアムをリーンは小走りで追いつつ、こっそり笑みを零した。プリムローズに向けては妖精プーカだのと言いがかりをつけるだけで、本人は仲良く接しているつもりなのだろう。こうして心配し、熱心になってくれる友人がいると分かって、こちらまで元気づけられたような気がした。


 

 ごま粒程の大きさに見える頃合いまで二人の姿を見送っていた女主人は、両腕を組んでため息一つ落とす。

「これは一応、村長に伝えとく案件かねえ……」

「そうは問屋が卸さないってのよ」

 耳元に嬉々とした囁き声が落とされ、背筋が畏怖にも似た感覚で凍りつく。

 微塵も気配を感じさせない距離の詰め寄り方が、常人のそれではなかった。

「誰だい、アンタ……」

 視線をゆっくり後ろへやれば、生成りの古ぼけた外套が目端に見えた。そこから伸びるのは、子供と同等の華奢な腕。その指先にあるのは、薬草が絡みついた小枝のような杖。切っ先が弧を描くように揺れ動き、竪琴のような甘い響きの呪文が奏でられる。

「『パスリセージ・ロズマリアンタイン。これは永久凍土に在るイバラ、千紅万紫せんこうばんしの夢を君に』ッ!」

 訝しげに細められた女主人の目が、一瞬だけ強張るように見開いた。間もなく何処か陶然としたように力ない笑みを浮かべ、目の前の小柄な少女に向けて気さくに呼びかけた。

「ああ……アンタだったか。久しぶりだねえ、マッジー」

「うふふ、初めましてのお久しぶり、マ・ダ・ム。……ね、さっきの子が、ガーランドの?」

「……そう、この春に領主様の屋敷へ引き取られた、やんごとなきお家の子らしきお嬢様さ。深窓の令嬢ってやつなのかねえ、おぼこくて曲がったところがなくて、人が好いけどいっつもお花が咲いてるような向日性の能天気さがあるねえ」

「ふうん、どうにもこうにも日和ひよっこちゃんってワケ。それはそれは、赤子の手をひねるよりカンタンかも」

 くすくす笑う少女は、自身のおさげ髪を揺らして背後に振り向いた。目配せされ、すぐ傍らの中年の男がパンっと一つ両手を叩く。瞬間、女主人の意識が遠のいた。倒れ込む身体を男がしっかり受け止める。

「ごめんね、麗しきご婦人。ちょっとの合間だけお眠りを。ま、これだけのムチムチ美女なら、目覚めの魔法キスで起こしたいところだけどー」

「ちょっとタッジー、悪い癖」

 少女からじろりと睨まれて、男は残念そうに肩をすくめた。女主人を店奥の椅子に横たえると、二人はさっさと雑貨屋を離れる。

 男は大通りの道なりに北の方角へ歩を進める。反対の南へ歩き出そうとした少女がたちまち咎めた。

「ちょっと! 日和っこちゃんが向かったのはこっちの方角でしょ!」

「ガーランドのお嬢ちゃんはお前さんに任せるよ。俺はこれからキャンベル家でのアポイントがあるんでね」

「え、まさか本当に? ……後でヨークちゃんに怒られても知らないわよ」

「マッジーこそ、あんまりオイタすると後で坊ちゃんの雷が恐いぞ」

「うふふん。感謝されこそすれ、怒られる謂れはないわよ。これはヨークちゃんのためなんだから!」

「ま、言って聞かないのは承知。でも、とりあえずオレは止めたからね」

「アタシも忠告したからね。お叱りのとばっちりはごめんよ?」

 二人は責任の在り処を確認し終えると、くるりと背を向け合って正反対の方向へと歩き出した。

「そんじゃ気の合わない同士、お互い好き勝手やるってことで」

「目的を済ませたら南の森で落ち合いましょ」

「了解。お土産に期待してて」

 ――楽しみだなあ、解呪師キャンベルの秘技。男は愉快そうに呟いて、口元を歪めてみせた。


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