第13話 初夏 サマーベリーの呪い樹Ⅵ


 


 目を瞠るヨークラインは、動揺を誤魔化すように息を小さく吐いた。組んでいた足を組み直し、慎重そうに口を開く。

「……また大層な『噂』を仕入れたな。真実にするには、いささか荷が勝ちすぎるぞ。分かっているのか、ミスター・カムデン」

 ホーソンは、臆するように肩を下げて、頷いた。それでも、努めて冷静な声で告げる。

「真実とするか偽りとするかは、この際どちらでも良いのです。火のない所に煙は立ちません。噂が燻り立ったこと自体が問題で、都市に何らかの異変が起こっているのは間違いない。旦那は、解呪師として天空都市に関わりある身の上。どうか、御身にご注意を」

 情報を値踏みしているヨークラインは、噛み砕くために幾許かの間が必要だった。考え込むように沈黙する上得意を見守りつつ、ホーソンは気を紛らわすように、振る舞われた茶菓子をそろそろと手に取った。音を立てずに口に入れ、続けて二口、三口と、ジョシュア特製の菓子はするする入っていく。

 やがて、静かな声で問いかけてきた。

「ノーム・スノーレット枢機卿は、その噂の中心人物か?」

「ノーム・スノーレット? ……――ああ、旦那が支援を賜っているお方でしたかね。いいえ、そのお名前は耳にしておりません」

 ホーソンはお代わりの紅茶を自分とヨークラインの方にも注ぎつつ、難しそうな表情をしてぼやいた。

「あのお方は少々特別ですからね、常に陰でひっそりしていらっしゃる。旦那に提供し得る確証的なものは、ごく稀です。むしろ、旦那の方がお詳しいんじゃないですかい?」

「疑る者の数は、減らすに越したことはない」

 目を幾分伏せるヨークラインは、硬い口調で頼む。

「不特定の他人から聞けるものでも構わない。今は、少しでも情報が欲しい」

 ホーソンは眉を下げて、弱ったように頭を掻いた。程なくして、ぽつりと呟く。

「……旦那は最近、ガーランド家のお嬢さんを引き取ったそうですね」

 思わず目を上げて、ホーソンを睨むように見据えた。少女の名が、どうして今ここで出て来るのか分からなかった。

 ホーソンは、慎重そうに呟き続ける。

「スノーレット枢機卿が懇意にしていた孤児院があると、聞いてましてね。お嬢さんとは、何かしらの関わり合いがあるのでしょう。お嬢さんを、旦那の下――キャンベル家へ召致するよう動かしていたのは、あの御仁だと――そう噂では」

「――噂は、噂か」

 ヨークラインの肩が少し緩んだ。背もたれに体をやんわり押し付けつつ、その口元に皮肉気な弧が描かれる。

「成程。キャンベル家が、どうやってガーランド家を手中に収めたのか、天空都市としては甚だ疑問で、納得していないということか。……まったく、若造だからと、やること為すことに文句ばかりだ」

「まあ、それだけ旦那の人気が高いってことですよ。若くも解呪師としての実力を遺憾なく発揮し、枢機部の覚えもめでたい。そこに宛がわれる、花嫁ガーランド。何らかの意図が働いているに違いないと、旦那を面白く思わない連中が勘繰っているんですよ」

 ヨークラインは足を再び組み直し、軽く経緯を説明した。

「……天空都市の意図がどういうものかは知らないが、慈善事業という名目なのは間違いない。俺が、都市から下された指示に従ったまでだ。ただ、そのリストアップされた中から彼女を選んだのは、俺の意思ではある」

「成程、そういうことですか。棚から牡丹餅に、旦那はガーランド家のお嬢さんを手に入れたと。日頃の行いが良かったんですかねえ」

 元通りの調子の良い声で応じるホーソンに、ヨークラインはわずかに眉を寄せて控えめに返す。

「……どうなのだろうな」

 ――俺にとって奇貨だったかはともかく、彼女にとっては、幸運だったとは言えまい――その言葉は胸中に仕舞われた。

「彼女をこの目で見るまで、俺はてっきり、もう死んでしまったものだと思っていた。……だが、生き残っていたとなれば、それはそれで都合がいい。これからは、是が非でも俺の手の内にいてもらう」

「言い切りますねえ。お嬢さん――いいえ、ガーランド家を使った目論見でもあるんですかい?」

 好奇の灯った質問を寄越すホーソンに、まるで褒美を与えるような目で見やって答えてやる。

「ガーランド家は、俺の宿命だからな」






「遅いわよ、二人とも! カムデンさんがせっかく待っててくれているのに、何処をほっつき歩いていたのよ」

 口調のきついマーガレットが、仁王立ちになりながらリーンたちを出迎えた。夕刻に、やっとキャンベル家へ帰ってきたリーンは、驚きと喜びが混じる声を上げる。

「ええっ、あの、リコリスさんの旦那さん、来ていたんですか!? それで、あの、カムデンさんは?」

「奥間でまだくつろいでいらっしゃるわ。早く挨拶してきなさい」

「わ、分かりました!」

「ああ、その前に……って、……行っちゃった」

 リーンの様子に気付いて引き止めようとしたマーガレットだったが、少女はたちまち玄関ホールを駆け抜けて奥へと行ってしまった。

「ホントに足が速いわねえ、あの子」

「かけっこ競争したら、きっと村一番よ」

 しみじみ呟く姉の後ろから、プリムローズが続けて言ってきゃらきゃらと笑った。

「おかえり、プリム。成果は?」

「ただいま、メグねえちゃま。モチのロンの、上々よ!」

 鼻も高々に言う妹の様子に、マーガレットは安心したように息をついて微笑んだ。

「そ。それなら良かったわ。……ちょっと、あんたもなあに、その口周り。いつまでも小さな子供みたいに」

 マーガレットは甘い苦笑を浮かべると、ハンカチを取り出してプリムローズの顔を優しく拭った。


「し、失礼します! こんばんは、初めまして、ミスター・カムデン!」

 ノックをして、慌てて入ったリーンではあったが、屋敷の奥の応接室にはただ一人、ヨークラインがいただけだった。

「帰ったか、リーン=リリー」

 リーンを真正面から見て、ヨークラインは一瞬目を瞠ると、途端に渋い顔をした。

「……随分、寄り道してきたようだな。俺の指示もなしに、解呪の手助けまでしたようだし」

 己の行動が筒抜けになっていて、少女はびっくりと声を上げた。

「ええっ、ヨッカ、どうして知ってるの? 確かに、リコリスさんちでお茶した後は、サマーベリーの森に行ったし、その後は、途中で会った村長のウィル君の家に行ったし、あ、そこでもお茶とお菓子をご馳走になったわ! ウィル君のお母さんの作ったサマープディングがとっても美味しかった!」

 外での出来事を楽しげに話す、少女の底抜けて呑気な調子に、自然とヨークラインの口からため息が零れていた。昼すぎにあんな物理的な騒動を引き起こしておいて、気付かない方がどうかしている。最も、リコリスからの告げ口もあるのだが。

 渋い顔のヨークラインに気付かないまま、リーンは無邪気な声で訊ねた。

「ねえ、ヨッカ。カムデンさんは? ここにいるって、メグから聞いたのだけれど」

「ミスター・カムデンは手洗いで席を外している。……君、その顔で、客人に会うつもりか」

 ヨークラインが寄越してきた手鏡で自分の顔を見やり、リーンは頬を赤らめた。口の周りが、ベリーの果汁によって見事に真っ赤に染まっているのだ。

「や、やだ……恥ずかしい」

「そのみっともない口で、人通りのある道を歩いて帰って来たのか」

 呆れ口調で重ねて問われ、リーンはおろおろしながら、手に持っていたバスケットを掲げた。

「あの、その、違うのこれは。ウィル君の家から出た後に、プリムがちょっとだけって言って、サマーベリーを摘まみ食いしてね。私もついつい我慢出来なくて、摘まんじゃって。あ、毒素はもうないから、ちゃんと食べられるわよ。プリムのお墨付き。ジャムにしてもきっと美味しいから、ジョシュアに作ってもらおうと思って」

「何の言い訳か分からんが、とりあえずさっさと拭いたらどうなんだ」

 ヨークラインは自分のハンカチを取り出すと、リーンの顔を固定した。手早くサマーベリーの名残を拭い取る。

「君は、本当にまだまだ子供だな」

「……ごめんなさい」

 肩をしょげさせてリーンは謝り、気する口振りで呟く。

「プリムの方が、もっとずっとしっかりしている気がするわ。村長さんへすごく堂々としゃべっていて、びっくりしちゃった」

「プリムローズは、少し特異のような気もするがな。ませているというか、耳年増というか……。君にも、何か滅多なことを吹き込んでいやしないだろうか」

「ええと……」

 リーンは笑みを貼り付けながら、後ろめたい気持ちに駆られていた。ヨークラインの悪口で、少し盛り上がったのを本人に言うのは憚られたのだ。何か良いところは言っていたかと、必死に思い巡らす。

「あ、そうだ! ヨッカの好きなものがオムライスって聞いたわ!」

 笑顔で言い放ったリーンの台詞に、ヨークラインの表情が凝り固まった。

「……別に好物というわけではない」

「ええっ、そうなの? じゃあ、何でたまに自分で作って、黙々と食べているの?」

 目を丸々とさせて不思議そうに訊ねれば、ヨークラインは増々苦々しい顔つきになる。あのおしゃべりめ、と悪態をついているのをみると、どうやらあまり口外してはならないものらしい。

 リーンは両手を胸の前で組んで、ささやかな願い事を口にした。

「私もヨッカの作ったオムライスが食べたいわ」

「……はっきり言って、大して美味くないぞ、あんなもの」

「そうなの? でも、一度でいいから食べてみたいわ」


 少女は、花のような可憐な微笑みでヨークラインを見つめ続ける。それをどう扱って良いものかと、困り切った表情を見せるキャンベル当主は珍しく、手洗いから戻ってきたホーソンにとっても同一の所感だった。

「これはこれは、キャンベルの旦那をそんな表情にさせるのですね、ガーランド家のお嬢さんは」

 普段の柔和な笑みを振りまいて、ホーソン・カムデンはリーンと向き合った。

 滑らかな長い黒髪と、雪のような白い肌が相反的で印象的。何処か少し寂しげな佇まいのある、ほっそりとした一輪の花。それが第一印象だった。

 少女はホーソンの姿を捉えた瞬間に、はっとした表情を見せた。深々と頭を下げてから、緊張した大きな声で挨拶する。

「こっ、こんばんは、ミスター・カムデン! 私はリーン=リリー・ステファニー・エマ・ガーランド。少し前から、ヨッカ……じゃなくて、ミスター・キャンベルの下でお世話になっています。リコリスさんとも仲良くしてもらっています! どうぞ、よろしくお願いします!」

「やあやあ、ご丁寧にありがとうございます。ボクはホーソン・カムデンと申します。家内からも話は聞いておりますよ。うちの大事な奥さんと、これからも仲良くしてください」

「はい、仲良くします!」

 リーンはきっぱりと告げると、ホーソンにわくわくとした表情を向けた。

「カムデンさんは、色々なところを旅しながら商売をしている方だと聞いています。私も、色んな話が聞けたらいいなって思っていて……」

「ああ、そうでしたか。ご興味を持っていただけて、ありがたいことですね。しかし、さすがにそろそろお暇せねばと思っていたのですよ。今日は久々に家に戻って、家内の作った夕食を食べると約束してしまったものでしてね」

 ホーソンは申し訳なさそうにやんわりと退出を告げ、窓辺をちらりと見やった。そこから覗く茜色は、陽の沈む間際である証だった。

「そうですか……。残念ですけれど、リコリスさんの作ったごはんは、食べ逃しちゃいけないですもんね」

 気落ちした声だったが、渋る様子ではなかった。リコリスとの団らんを大事に思うリーンにとっては、自分の我がままの方が勝るものにはなり得ない。

「また、近い内に会いに来ますよ。キャンベル様たちは、ボクを高く買ってくれていますしね」

「是非、また来てください。カムデンさんの楽しいお話が、聞きたくてたまらないんです」

 少女が熱心な口調で惜しんでくれるので、ホーソンは幾分照れ臭そうに頭を掻いた。

「とても素直な方ですな。神の花嫁エル・フルールと言われる所以は、このような気質によるものでもあるのでしょうね」

 リーンは、聞き慣れない言葉にきょとんとする。

「エル・フルー……なんですか?」

「おや、ご存じなかったですか。神の花嫁エル・フルール。貴きご身分の方を、直接呼びかけるのは憚られるものなのです。誇り高きガーランド家を敬い申し上げる、二つ名ですよ」

「……ミスター・カムデン、そろそろ夕闇の時間だ。道が真っ暗闇に染まらぬうちに、帰った方がいい。悪いものが、あなたの背後から這いずり寄って、襲われでもしたら大変だ」

 口を挟んできたのは、硬い響きを持つ声だった。リーンを隠すように前に出たヨークラインが、鋭利な視線をホーソンに目がけて射抜いていた。暗に告げられた警告に、ホーソンは本日二度目の肝を冷やした。口外無用の口出し厳禁――キャンベルも、ガーランドも、ヨークラインが囲う花々については。

 ――とてもとても大事にしておられるのだな。

 ホーソンは柔和な笑みを浮かべ、丁寧に頭を下げた。

「ではでは、またお会いしましょう。キャンベルの旦那に、ガーランドのお嬢さん」




 リビングで皆が夕食後の紅茶を啜っている時に、リーンはふと質問を寄越した。

「……ねえ、ヨッカ。カムデンさんが帰り際に言っていた、神の花嫁エル・フルールって、何なの?」

 返すヨークラインの言葉は、淡々としたものだった。

「ミスター・カムデンも言っていただろう、ガーランド家の二つ名だと」

「ううん、そうじゃなくて。……私、自分の生まれた家の名前が、そんな風に呼ばれているって今まで知らなくて、……どういう意味を持つものかもきちんと知らないの。神の花嫁エル・フルールと呼ばれるのはどうして? ガーランド家って、何かすごいものでもあるの?」

「……君の言うすごいものに当てはまるかは分からないが、ガーランド家は、古くから続く一族なのだ」

 静かに続けるヨークラインの言葉に、マーガレットが思い出したように付け加えた。

「あ、あたし前に聞いたことある。女系継承の、代々の女性が家長になって治めてきた家って。その清らかな神聖さを失わないためとか、なんとか……」

 ジョシュアが紅茶のお代りを注ぎながら話に加わってきた。

「そうだよ、メグ。神に仕える一族だったんだ。その名残を、古来から未だ引きずっている特殊な血筋。神の花嫁エル・フルールと呼ばれて、王家で管理されてきた。けれど、数十年前に王制は解体されて、王家の様々な利権は剥奪され、王に連なる利権を持った貴族もお家取り潰しに見舞われた。ガーランド家は、その一つだよ」

「へえ、意外と大層な。つまりリーンは、没落した家のお嬢様ってやつなのね。詳しいわね、ジョシュ」

「村のご年配の方々が耳に入れてくれるのさ。割と有名な話なんじゃないかな。いわゆるスキャンダルだしね」

「そうだったんですね……」

 ガーランド家で過ごした日々が五歳で止まっているリーンにとっては、空の上の、縁遠い話に聞こえる。

 『とても酷い目に遭った』という母の言葉は、没落に追い込まれたことを言っていたのだろうか。未だ知らないことばかりだと気付かされるが、それでも少し見えてきたものがある。

「キャンベル家が王侯貴族もお客様にしていると、前にメグが言っていたけれど……。だから、ヨッカは、ガーランド家に来て、私のお母さんの呪いを解いてくれたのね」

 納得したように呟いたリーンを横目に、ヨークラインは黙しながら紅茶を飲んでいた。

 プリムローズが、ぴっと右手を真っ直ぐ伸ばした。

「ところで、にいちゃま。そろそろあたしから話してもいいかしら」

「発言を許可する、と言いたいところだが……。まずはプリムローズ。お前とマーガレットの向こう見ずさに、説教をくれてやらなきゃならん」

「説教も罰も後にして、にいちゃま。これは大事なことよ」

「先に言わないと、お前は更に調子に乗るだろう」

 プリムローズもヨークラインもお互い弁を引かなかった。

「俺は、まだ待てと忠告していた。にもかかわらず、言いつけを破って、乱暴乱雑に、しかも無理を重ねた使い方をしたな。自分の力を過信しすぎるな。マナの力をどれだけ引き出せても、その制御は容易ではないのだぞ」

 プリムローズは椅子に乗り上がった。両手でスカートを握り締め、苛烈な心を滲ませつつも冷静な口調で訴える。

「もう待てなかったの。サマーベリーまで使って、フラウベリーの土地はおろか、村の人まで呪おうとした不届き者の所業を、指咥えて黙って見てられなかったの。メグねえちゃまのは奇策も甚だしいけど、一度何もかも失くしちゃった方がいいって、あたしも思っちゃったの」

「奇策とは何よ。名案と言いなさいな」

 マーガレットが気に食わなさそうに横やりを入れたが、プリムローズは無視した。

「リーン嬢ちゃまの能力と、あたしのマナならいけるって思ったの。判断は正解だった。――見た瞬間、分かった。あの悪種は、あれ以上蔓延しちゃだめ」

 燃え広がるような紅玉にあてられて、ヨークラインは背もたれていた体を少し前にやり、身を乗り出しそうな緊迫の声で訊ねる。

「どういったものだった?」

「一瞬だけ、キラキラとしたキレイなものが見えたわ。でも、あたしたちにはだめなもの。あたしたちの中に取り込んじゃ、だめなものなのよ」

 


 その後、プリムローズは眠いと言い放って、自分の寝室へと戻っていった。

 リーンも何か思うところあるのか、それからぼんやりと考え込むようにして黙ってしまう。ヨークラインに、眠いのなら自室で休むよう促されると、それに大人しく頷いて部屋から出ていった。

 残った三人は、仕切り直すように書斎へ移動して、話し込むことにした。


「プリムローズは、リーン=リリーをどう見極めたというのだ」

 早速ヨークラインから少女の素質の件を尋ねられ、マーガレットは贔屓目なしを努めながら報告する。

「あの子は、サマーベリーの急所を『ここ』だって、きちんと把握していたそうよ。樹の中ではなく、近くの沼地の水底を示し、そこから悪種は見事に見つけ出されたわ。そうね、うーん……、何と言うか、バグを見つけるのが上手いって言うのかしらね。急所を瞬時に見抜くのは、本当に大したもんだわ。むしろ神がかりレベルだわね」

 ジョシュアがのんびりと口を挟む。

「さすがはガーランド家の血筋、と言ったところなのかな。良い逸材に恵まれたね、我がキャンベルは」

「で、ジョシュ。その神の花嫁エル・フルールって呼ばれる、そもそもの何かは知っているの?」

「その名の通り、神さまのお嫁さんさ。つまりは巫女のようなものだね。昔から神殿に住み着いて、神を祀っていたんだ」

「ふうん。神さまのお傍に控えて世話をしてきたと。体質的に、マナと共感、もしくは同調出来るのかもしれないわね。ちょっとはマナの扱い方を心得ているのかしら。本人には、全くその自覚がないようだけれど」

 推測を確信めいた口振りで述べるマーガレットの言葉を聞きながら、ヨークラインは未だ難しい顔をしている。

(……だとしても、それは本当に、彼女の生まれ持った特質なのだろうか)

 ――ヨッカ!

 ためらいなく指し示した時に零れた、あの揺るぎない声は、少女の秘め隠された素質――無自覚のものとは、やはりヨークラインには思えないのだ。

 かつての泣き虫の少女は、いつも何かに怯え、己を害するものには泣きじゃくって逃げ出していた。その名残が今も垣間見れるぐらいには、普段からいつになく気弱そうな風情を見せる。リコリスに告げた『何の変哲もない少女』という言葉は撤回するつもりはないし、実際に、少女は己の生まれた家のことすら良く知らず、何も聞かされずに育ってきている。何も知らないまま、何を秘め抱えているのかも自覚のないままで、身寄りなくも孤児院で穏和に暮らしてきたのだろう。

 けれど、あの声や、解呪師になりたいと請うた時の強い眼差しは、ヨークラインの知るリーンのものではない。知らない十年の中で少女の作り出した、生き抜くための強さのようなものが滲み出ていた気がするのだ。

(――根拠などない。俺の記憶と現実が相違なり、違和感を覚えているにすぎない。幻想と言い切られても構わん憶測だ)

 そう結論付ける胸中は、やはりヨークラインの口からは決して零れない。

 リーン=リリー・ガーランドに関しては、ヨークラインは慎重に慎重を重ねなければならない。それが、ヨークラインの抱え込む宿命のためなのだから。





 自室へと戻ったリーンはベッドに座りながら、貰った手紙を読み返していた。キャンベル家に来てからは、出すのも忘れていた憂い顔が、窓から注がれる月影で青白く染められている。最後の締めくくりの一文を、哀しげに揺れる眼差しが、何度も何度も繰り返し辿る。知れず唇が、きゅっと硬くすぼまった。



 ――孤児院では、あなたにお話し出来なかったことがあります。あなたと、ガーランド家にまつわる、口外無用のお話です。人目を忍んでお会い出来たらと思います。お越しいただくための良い口実が思い浮かばなければ、こちらで思案いたしますので、遠慮なく申し出てください。久しぶりに、あなたと会えるのを楽しみにしています。


 それでは、天空都市でお待ちしています。 エミリー・スノーレット――



初夏の章 了


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