番外編Ⅰ リーンとヨッカのオムライス



 夏季が近付くにつれて、屋敷内の涼しさを抱える空気も、昼下がりには徐々にぬるい温度を纏わせるようになった。

「――……だめ、暑くて集中出来ない……」

 リーンはしかめた顔を書籍から離して、上向かせた。暑いのが元より苦手な少女は、薄着の長袖を捲って少しでも涼しさを求める。喉の渇きを感じ、テーブルの上のグラスを手に取るが、その中身はとうに空だった。ジョシュア特製のハーブシロップ入りアイスティーは、最近のリーンのお気に入りだ。スッとした喉越しが、暑い日中でも爽やかな気分にさせてくれる。

 とりあえず、書籍に視線を戻すが、中身が空だと思うと余計に飲みたくなってしまう。削がれてしまったやる気を取り戻す爽快さも求めたくて、とうとうリーンは勉強机から席を立った。

 お代わりを求めて、ジョシュアが常駐している台所へと足を進める。

「ジョシュア、あの、アイスティーをもう一杯貰えるかしら?」

 入って声をかけるが、そこにジョシュアの姿はなかった。ただ、一人だけ、先客がいる。朝から外出していた筈のヨークラインだった。

「ヨッカ。戻っていたのね、お帰りなさい」

「リーン=リリーか。ああ、先程帰ってきたばかりだ」

 少女の声を聞き、ヨークラインは振り向いてその姿を目に捉えた。暑さをあまり感じないのだろうか、今日もきっちりと衣服を着込んでいる。さすがにジャケットは羽織っておらず、ベストと長袖のシャツだけに留めていたが、暑がりのリーンにとっては着込みすぎの格好に思えた。

「……あの、ヨッカ。ジョシュアは何処かしら?」

「村の会合で外出中だ。夕方までには戻ると思うが」

「夕方まで……。そうなの……」

 グラスを持ったまま、残念そうに肩を落とす少女へヨークラインは訊ねた。

「何か飲みたいものがあるのか? ジョシュアはいないが、自分で適当に作ってこさえればいいだろう」

「え、でも、勝手にいじったら怒られないかしら? 何が何処にあるのかもいまいち分からないし……」

「彼はそんなことで怒りはしない。俺もあいつが居ない時は、自分で適当に作っている」

「そ、そうなの!? 意外だわ……」

 目を丸くするリーンに向けて、ヨークラインは小さく息をつく。

「まあ、そう言われるのも無理はない。滅多に台所に立たないのは本当だしな。だが、食材や調味料の場所も大方は把握済みだ。……で、君は何がご所望なんだ?」

「あ、あの、紅茶と、ハーブの入ったシロップが欲しくて……」

「紅茶と、ハーブのシロップ? ……ああ、コーディアルのことか」 

 ヨークラインは納得すると、背の高い棚の戸を開けた。そこから紅茶缶と、『コーディアル』とラベルの貼られたボトルを取り出し、作業台の上に置いた。そして胡乱な眼差しで不躾に問う。

「……君、紅茶は入れられるのか?」

「い、入れられるわよ。確かにどうしたってジョシュアのより美味しくはならないけれど……」

 リーンはケトルに水をたっぷり入れて、火の入ったキッチンストーブの上に置いた。

 その隣では、蓋のされた小さな鍋がくつくつと湯気を立てている。

「これは何かしら? 今日の晩ご飯の仕込み?」

「俺の昼食だ」

「えっ、ヨッカ、お昼ごはんまだだったの?」

「出先では、つい食べ損ねたのでな」

「……ということは、これはヨッカが作っているもの?」

「ジョシュアがいないのなら、他に誰が作ると言うんだ。致し方あるまい」

 調理場に立つヨークラインを見るのは初めてかもしれない。ケトルの湯が沸くのを待ちながら、リーンはついつい興味津々に訊ねてしまう。

「何を作っているの?」

「……オムライスだ」

「オムライス……!」

 リーンはハッと目を瞠った。そのメニューは、前にプリムローズから教えてもらった彼の好物だった。

 手元の懐中時計で時間を確認すると、ヨークラインは鍋の蓋を開けた。中身は少量の米が炊かれたものだった。

 その米をフライパンに移し、少しのハーブスパイスと塩と胡椒を振りかけて一緒に炒める。それをフライパンの脇によせ、空けた部分に溶き卵を流し入れた。すぐに固まる薄焼きの卵で、脇によけてあった米を器用にくるむ。その慣れた手つきは、何度も作っていることを窺わせるものだった。

「まさかパンを切らしているとは思わなかったがな……」

 珍しく愚痴っぽくひとりごちるヨークラインの横で、リーンは紅茶を入れつつも、調理の光景が気になってしょうがなかった。あれが噂の、ヨークラインの好物とされる彼の手作りオムライス。

 少女の様子が物欲しげに映ったらしく、青年は顔を苦々しくしかめて告げる。

「はっきり言って、美味くないぞ」

「えっ、あの、その、食べたいとかじゃなくて……、お腹はそんなに空いてないし……」

 焦って弁解しつつも、どうしても正直な気持ちを誤魔化せないリーンは、気恥ずかしそうに告げる。

「でも、ちょっと気になるわ。ヨッカの手作りのごはんって初めて見たから。……味見はしたいかも」

 ヨークラインは、少しだけため息を重くすると、重要な確認事項のように再び呟いた。

「……はっきり言って、そんなに美味いものではないからな」


 

 作業台の片隅に、アイスティーが二つと、大きなオムライスが置かれた。小さな取り皿には、リーンの分として小山が盛られている。

 リーンは顔を綻ばせると、ヨークラインに元気良く礼を述べる。

「ありがとう、ヨッカ! いただきます!」

「口に合わなければ、残していいからな」

「またそんなこと言って。とにかくいただくわ!」

 リーンは意気揚々と食べ進める。その勢いはいつも通りの控えめな口運びだったが、やがてぽつりと告げる。

「……その、……とても素朴な味ね」

 少女の隣で黙々と口に入れているヨークラインは、それ見たことかと言わんばかりに片眉をつり上げた。

「だから言っただろう、そんな美味いものではないと」

「べ、別に不味いってわけじゃないわ。ただ、その……」

「物足りない、と言うべきだろうな。申し訳ない程度のハーブスパイスと塩だけしか入ってないからな。美味く感じないのも道理なんだ。保冷庫にケチャップが入っている。それをかければ多少マシになるから持ってきたまえ」

 忠言通りに、リーンは保冷庫からケチャップを取り出してきてオムライスの上にかけた。そして食べてみれば、確かに味わいは少しだけ悪くないものに変わっている。 

「本当……。ケチャップって、とっても偉大だったんだわ……」

「旨味の濃縮成分だからな。まあ、元より、米にタマネギかベーコンの切れ端でも混ぜておけば、恐らく君の口にも合ったのかもしれないが」

「え、あの、でも、保冷庫を覗いたら、タマネギもベーコンもあったわよ? 知らなかったの?」

「知っている」

「じゃあ、わざとこういう風に作っているってこと? ……ヨッカは、これが美味しいものなの?」

「いや、美味くないものだ」

「どうして、美味しくないものなのに作っているの?」

 不可思議そうに眉を寄せて訊ねるリーンに向けて、ヨークラインは静かに理由を述べる。

「……初心に戻るための、一番容易い方法なんだ」

「……初心?」

「キャンベルの名を、貫き続けるためだ」

 そうきっぱり告げると、ヨークラインはもう取り合わないように、黙々とオムライスを食べ進める。

 何やら明確なこだわりがあるようだが、やはりいつも通りにその事情は打ち明けない。寡黙さを意地でも貫き通すヨークラインは、冷ややかな隔たりを感じる程だ。生まれ出る寂しさを誤魔化すように、リーンは清涼なアイスティーを一口飲んだ。

 けれど、ひらめいたように少女は顔を上げて、ヨークラインに投げかける。

「そうだ、ねえ、ヨッカ。今度、私の作ったオムライスを食べてくれる?」

 少女の提案に、ヨークラインは一瞬だけ目を瞬きさせた。

「……何故、君が作る? ジョシュアに任せておけばいいだろう」

 リーンは苦笑して、頷いた。

「それはそうよね、ジョシュアの作ったものが一番美味しいに決まっているわ。でも、その、何て言えばいいのか私も分からないけれど、……ヨッカがそうやって意味の見出して作るものがあるみたいに、私も自分で作ったものに意味を込めてみたいのかも。それに、私が美味しく作ったら、ヨッカも負けじと美味しく作るかもしれないじゃない」

 思わず呆れたような顔つきになるヨークラインは、ため息交じりに言い返す。

「君に張り合って何になると言うんだ。そもそも君は、俺の召使いでも飯炊き担当でもないだろう」

「お手伝いさんのつもりはないわ。ヨッカに何かしてあげたいっていうのは、この家に来てからずっと考えていることだもの。ヨッカの理由がどうあれ、美味しくないって分かっていてあえて食べるのって、何だか切ないわ。だから、少しでも美味しいものを食べさせてあげたいって思ってしまうの。それは、私の単なるわがままかしら。……許されないことかしら?」

 少女の大きな瞳が何処となく不安そうに揺れ、ヨークラインはとうとう文句を飲み込んだ。ほんの些細な、切ない響きがつい滲む。

「リーン=リリー……、君は、俺などに……」

 青年の小さな呟きを上被せるように、二つの盛大な足音が近付いてきた。

「――兄さん! 終わったわよ!!」

「終わらせたのよ!!」

 マーガレットとプリムローズが、ものすごい剣幕で台所に突入してきた。額に汗の滴を浮かばせた姉の方は、被っていた麦わら帽子をむしり取ると、証拠物を籠に入れて見せ付けた。

「庭の草むしり終了! ついでにスープで使うハーブも収穫してやったわ! あーもう、しんどいってのよ、只でさえインドアだってのに、乙女の柔肌に鞭打つんじゃないわよ!」

 妹は大きめの真っ白なハンカチに敷き詰められた綿密な小花模様を、両腕で広げて見せびらかした。

「刺繍完了したのよ! 貴族のご婦人方に幾千万で売れる代物なのよ! いいお天気なのにお外行かせないとか、にいちゃまのサド! へそまがり!」

 ヨークラインは小さくため息をついてから、妹たちに冷淡な言葉で応じる。

「結構。……これ如きの些細な罰を疎むのなら、今後は自重に自重を心がけるんだな」

 独断でサマーベリーの解呪を行った二人への仕置きは、ヨークラインにとっては可愛げのある部類の罰だ。けれど、気質に正反対の作業を半日行うだけで、姉妹は際立った疲労困憊を見せている。

 慌てて席を立ったリーンは、戸棚からグラスを二つ取り出した。コーディアルを混ぜた紅茶を氷と共にグラスに注いで、二人の少女に手渡す。

「お疲れ様、メグ、プリム。これ、良かったら飲んで」

 キャンベル姉妹はアイスティーを一気に飲み干すと、ぷはっと声を出して満足そうな息をつく。

「ありがとね、嬢ちゃま。これ、嬢ちゃまが作ってくれたの?」

「うん、ジョシュアより美味しくないかもだけれど……」

「そんなことないわよ。疲れ切った身体には、存分にありがたく染みるわよ。それに比べて、兄さんは何よ。まあまた、こんなしみったれたもの作って」

 マーガレットはオムライスに嫌みたらしい視線を向けた。どうやら好き好んで食べているのは、ヨークラインだけなのは間違いないようだ。

「やかましい。お前たちが食べるものじゃないものに、文句言われる筋合いはない」

「ふうん、リーンにも食べさせているのに?」

「……彼女がどうしても食べたいと言うから、仕方なくだ」

 マーガレットは、今度こそ愉快そうに目を細めた。

「本当に、リーンには甘いのね。兄さんは、随分とまあ特例の多いことで」

 何処か居心地悪そうにしかめ面するヨークラインを見れて、マーガレットは溜飲を下げた。痛快な心地のまま、台所から出て行こうとする。その後ろへ続こうとするプリムローズは一旦足を止め、振り向きざまにくすくす笑いながらリーンに告げた。

「あのね、嬢ちゃま。にいちゃまはホントなら、朝昼晩のお食事と、おやつ以外の時間は、つまみ食いの一つだって許してくれない筈なのよ」

「え……」

「だからね、そうやって甘やかされるのが、嬢ちゃまのここでのお役目。いとしこいしのわがままは、思う存分によろしくどうぞなのよ」

 そう言い残し、プリムローズは走り去っていった。ぽかんとしたままのリーンは、幼い少女の台詞をどう捉えていいのか分からず、首を傾げるしかなかった。言葉に困りながらも、ヨークラインの方へおずおず顔を向ける。

「あの、ヨッカ……」

 青年は小さく息をつくと、ためらいがちに呟く。

「……君がそれで満足するのなら、勝手に作りたまえ」

「……え?」

「オムライス。……君の作りたいように作って、それを俺が食べれば納得するんだろう? 許しなどなくても、そのアイスティーよろしく、好き勝手にこさえればいい」

 リーンは、たちまち花開くような満面の笑顔を見せた。

「本当? ありがとう、ヨッカ! じゃあ今度、ヨッカの時間のある時に作るわね! また教えてね!」

 外出の多いヨークラインの事情は承知しているのか、控えめなリーンの申し出は、それこそいつ果たされるのか分からなかった。

 けれど、ヨークラインは自覚していた。忙しなく刻まれた日々の案件に、隙間を入れる算段をし始めたことを、いつになく眉をひそめた苦々しい顔つきのままで。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る