第4話 春 常花の村Ⅳ



 日差しにさらされるとすぐに立ちくらみが起きて、歩いていられない。外出が出来るのは、曇り空のあまり晴れていない日ばかり。

 灼熱の太陽が燦々と輝く南国で、幼いリーンは母と共に暮らしていた。母は身体が弱くて、介添え人の手のなしには起き上がれない。

 元々は寒い場所で生まれた者が南国の気候で暮らしていくのは、あまりに負担がかかることだった。

 ――しょうがないのよ。私たちは、とても酷い目に遭ったのだから。でも、ここへ逃げ出さなかったらもっと酷い目に遭っていた。

 母は悲しそうにそう話してくれた。


 普段からぐったりしている母の容体が、一層悪化した時があった。医者が呼ばれてあらゆる方法を試したようだが、症状は悪くなる一方だった。

 何かを悟った母が、震える手で一生懸命に文字を記した。

 ――この手紙をクラム家に送って。

 いびつな文字で綴られた手紙を、郵便で送った。その一週間後に、彼は現れた。母の病を治しに来たのだと告げた。

 彼が来た途端に、母の容体が安定した。

 まるで魔法のようだった。

 リーンにとって、彼は奇跡を起こしに来た素晴らしい人。絵本にのっていた、病める人々を助ける立派な善き賢者そのものだった。

 彼の名前は覚えにくく、幼いリーンには上手く発音することが出来なかったから、あだ名でヨッカと呼んでいた。

 母の身体が落ち着くまではと、ヨッカはしばらくリーンの家で暮らすことになった。彼はリーンの遊び相手にもなってくれた。

 母と同じく熱さに弱い体質のリーンは外に遊びに行くことが出来なくて、家の中で過ごす方が多かった。家にはリーン以外の子供は暮らしておらず、他に遊んでくれる者はいなかったから、彼の滞在はとても嬉しかった。

 泣き虫リリ。ヨッカはからかい混じりにそう呼んでいた。実際に、リーンは良く泣いてしまう子供だった。大きな虫が目の前に現れた時には、家中に響き渡る叫び声を上げていた。

どうしてこんなに泣いてしまうのか、自分でも良く分からなかった。びっくりすれば途端に涙が出て来て、声が震えてしまう。

 母に厳しく怒られる時もあった。お前はガーランド家のたった一人の跡継ぎなのに。そんなに心が弱くては生きていけないと、脅し文句を付け加えながら。

 涙を止める方法が知りたかった。もっと強くなってみたかった。

 だから、善き賢者に聞いてみた。

『ねえ、ヨッカ。どうしたら悲しい時に涙はとまってくれるの? どうやったら私の中の弱虫を追い出せるのかしら?』

『君の弱虫は簡単にはいなくならないよ、泣き虫リリ。でも、泣くだけ泣いたら顔を上げて空を見ろ。そうしたら、ほんの少しだけ強くなれる』

『ほんとに?』

『ほんのちょっぴりだけ、だぞ。それに、上を見ていれば涙は自然と引っ込む。悲しいからと、俯いて下ばかり見ているのがいけない』


 ――泣きたくないなら顔は上げたまえ。いじけて下ばかり見ているのがいけない。

 夕暮れ時に言われた言葉と、意味合いは何一つ変わっていない。

(……そうね。ミスターは、やっぱりヨッカなのよね)

 思い出しながら、リーンはやっと心がすとんと落ち着けるべきところに降りた気がしていた。

「でも、あなたのお母様は……」

 マーガレットが言いにくそうに訊ねてくる。

「はい、治療を終えたミスターが帰ってしまって、次の季節の変わり目に、母は流行病で呆気なく亡くなりました。実はそっちの方があまり良く覚えていないんです。やけにあっさりしていた気がして……」

 リーンの心に強く根付いたのは、病の母を治してくれた善き賢者のヨークラインの方だった。

 昔話を聞き終えたマーガレットは、わざと気難しそうに顔をしかめて感想を述べる。

「むーん、結局弱みになるようなネタじゃあなかったわね。収穫不足だわ。兄さんの嫌味なぐらいのカッコいいエピソードをどうもありがとう」

「ご、ごめんなさい、期待していたような話じゃなくて……」

「あなたが謝ることじゃないのよ。こちらこそ色々聞いて悪かったわね。まぁそんな風なら、あなたが兄さんの悪評を言わないのは当然のことだし、兄さんがあなたをキャンベル家に引き取ったのも頷けるってもんだわ」

 果たしてそうだろうかと腑に落ちないリーンは膝を抱え、俯きがちに視線を下にやる。

「でも……ミスターは、あまり昔のことを思い出したくないみたい。私にとっては大事にしまっておきたい想い出なのになあ……」

 プリムローズが、身体をリーンに預けてきた。頭がこっくりこっくりと緩慢なリズムを刻みながら揺れている。眠りに落ちるプリムローズを、マーガレットは苦笑しながら自身のショールで包んだ。少し目元を伏せながら、静かな声音で言う。 

「そうね、素敵な想い出は大事よね。でも、過ぎた昔のことに引きずられないのも大事なことなのよ、それより明日をどうするのかも考えないと」

「明日のこと……。そう、ですね。そうなんですよね」

 優しく言い聞かせるような言葉に、リーンは寂しく思いながらも素直に頷いた。

「良い子ね。じゃあ、そろそろお開きにして寝ましょうか」

 マーガレットはプリムローズを丁寧に持ち上げる。部屋から出て行く前に、思い出した風に訊ねてきた。

「そうそう、あなた、このキャンベル家でお世話になるって言うけど、ヨーク兄さんから何か言われているの?」

「へ?」

「兄さんから何か仕事を頼まれているならいいけれどね。何もすることがないと、ヒマで退屈で死ぬわよ?」





 次の日、書斎にいるヨークラインを訪ねてみた。朝食を終えたばかりの時間帯にもかかわらず、キャンベル家当主は何やら忙しそうにしていた。窓辺近くの机に向かってペンを動かしている。外出することが多いと本人が言っていたように、すぐにでも出かけられるためなのか、家の中でもきっちりとした服装を身に着けていた。大量の書物と封筒が重なる机の上には隙間なく書類が敷き詰められていて、ヨークラインの仕事の多さが、リーンにも一目で理解出来た。リーンが近くまで来ると、ようやく視線を書類から外して顔を上げた。向けられるその鋭利な眼差しは、リーンの記憶に残るヨッカのものとはまるで別物で、やはりもう彼を『ヨッカ』と気軽には呼べないのだと思わせた。寂しい想いをぐっと喉奥に押し留め、リーンは、「おはようございます、ミスター」と挨拶した。



「君に任せる要件は特にない。当面、君はこの屋敷で自由に過ごして良い」

 そう言われて、リーンはきょとんと目を丸くした。困惑の声で質問を重ねる。

「へ? あの、でも、何かお仕事を与えてくれるんじゃあないんですか? 掃除とか、洗濯とか……。ミスターだってお忙しいでしょうし」

「俺はハウスメイドを雇うつもりで君を引き取ったわけではない。君を、れっきとしたキャンベル家の人間として迎え入れた。キャンベル家の者は皆、自分の身の置き方を自分自身で決めている。君がしたいことをしていれば、それに特に文句を言うつもりはない」

「で、でも……引き取って頂いた身ですし、何かお役に立てることが欲しいんですけど」

 おどおどとリーンが困りながら訴えれば、ヨークラインは呆れ顔で返す。

「君は、誰かに何かを言われければ、何も出来ないのかね」

 突き放すような冷たい声に、思わずかちんと来た。だから、そんなことありませんと言おうとして、けれどリーンはハッと口を噤んだ。

 リーンは孤児院から引き取られたというだけで満足していたが、このキャンベル家で特に目的もなく、やってみたいことが全く思い付かなかったのだ。


「それで僕のお手伝いを買って出てみたんだね。レディのご厚意は有難いけれど、下ごしらえはあらかた終えてしまったところなんだ」

 皮むきが終えられた籠いっぱいの野菜の山を見て、リーンはがっかりと肩を落とした。孤児院では食事作りも役目の一つだったから、簡単な支度なら出来るのだ。

 台所にいるジョシュアは、オーブンの中を覗いたり、コンロに置かれた鍋の出来具合を見たりと忙しなくしながらも、その口調はのんびりしたものだった。

「僕のお手伝いはひとまず脇に置いておくれ。そうだなあ、メグとプリムに聞いてみるのはどうだい?」

「それが、二人とも朝から姿が見えなくて」

「ああそうか。どちらとも篭ってしまったか」

 ポットから熱い紅茶をカップに注いで、リーンに差し出してくる。礼を言い、調理台の近くの椅子に座ってゆっくり飲んでいれば、ついでにと焼き菓子も与えられた。なんだか手伝うどころか邪魔しに来た気分になってしまう。

「二人とも各々集中したいことがあると、それぞれの好きな場所でしばらく篭ってしまうのさ。今日一日は姿を見せないだろうね」

「好きな場所? 二人とも違うんですか?」

「メグはああ見えてインドアなんだ。自分の部屋に篭っていることが多いよ。基本的に当人以外の人間を立ち入らせないんだ。プリムは外に出ているよ。庭の色んな所をフラフラしてるから、僕たちでも探すのは大変なんだ。だから、二人がお腹を空かせてここに来るまでのんびりお菓子か食事を作って待っているのが、僕の仕事になるのかなあ。好きでやってるからあんまり仕事っていう気分ではないんだけれどね」

「皆、それぞれやりたいこと、やれることがあるんですね……。私は、何をしたら良いのかちっとも分からなくて。ミスターから何か仕事を与えてもらえるとばかり思っていたから、特にやりたいことも考えていなかったんです」

 しょげて俯くリーンの前のティーカップに、お代りの紅茶が注がれた。再び小さく礼を言う。

「じゃあ、君の仕事は、ひとまずここでの暮らし方を見つけることかな」

「ここでの暮らし方……」

 リーンは、カップに目を落としてひたすら考え込んでしまったが、それでも特に思い浮かぶものはない。困り果てた少女の様子に、ジョシュアはただ穏やかな笑みを向けた。

「そうだよねえ、何か考えろと突然言われても難しいものだよね。なら、まず簡単なところからいってみようか。お昼ごはん、何食べたい?」

 あまりに簡単な質問だったので、リーンは目をぱちくりさせた。

「そ、そんなことで良いんですか?」

「それも立派に考えることだよ。キャンベル家の皆の食べたいものを作るのが、この僕のお役目。新来のレディよ、僕の仕事を果たすために、一役買ってくれないだろうか?」

 仰々しいまでの台詞でお願いされて、リーンはおずおずとだが、自分の希望を伝えることにした。

「あの、じゃあ……」



 一口サイズのミートパイ、ツナとチーズと香草のホットサンド、スコーンとザクロのジュース。

 外で手軽に食べられるものが欲しい。リクエストしたものを丁寧にバスケットの中へ入れて持ち、外出用の帽子とケープを身に纏う。

「行ってきます」

 玄関ホールにて、リーンは誰に言うでもなくそっと呼びかけて、屋敷の外へ出かけた。

 フラウベリーの郊外にあるキャンベル家から二十分ほど歩けば、賑やかな村の中心部に着ける。水車を通り越し、橋を渡って、林の中を進んで、最後に蔦バラのアーチをくぐり抜ければ、店がそこかしこに並ぶフラウベリーの大通りだ。

 小さな村だが、花と緑で溢れた美しい景観を見に訪れる者も少なくないようだ。大通りには、村人の中に紛れた観光客が、物珍しげに辺りを見回している。リーンも同じようにゆっくりした足取りで、大通りに並ぶ店舗を見やった。

 東側は主に観光客向けの店のようで、みやげ物屋、菓子屋、アイスクリーム屋、カフェ、二つのホテルが建っている。対する西側は、花屋、雑貨屋、パン屋、肉屋、野菜や果物などの生鮮食品を売る食材市場。村人のための店がずらりと並ぶ。

 リーンがこの村の住民になったことなど、村人はまだ誰一人も知らなかった。孤児院で支給された白い帽子とワンピースを身に着ける少女は、どこぞの街に住まう観光客と思ったのかもしれない。顔をきょろきょろと左右に動かしていれば、人が良いのか店の者が誰彼構わず声をかけてくれる。

 村の案内を申し出てくれた若者には丁寧にお辞儀をして断り、その代わりにと公園への道のりを尋ね聞いた。若者は残念がっていたが、詳しく教えた後にはあっさりと仕事へ戻っていく。

 

 公園に着くと、ベンチに腰を落ち着けて、手に持っていたバスケットから昼食を取り出す。膝上にハンカチを敷いてから、遠慮なくかぶりついた。

「美味しい……! ジョシュアの作るものって、何もかも美味しいのね」

 サンドイッチのツナには程良い酸味のあるドレッシングが絡まり、少し苦みのある香草も平気で食べられた。それを挟むパンは、サクサクとした食感が楽しい。パイの中のひき肉は、噛めば噛むほど旨味が出てくるようで、いつまでも口に入れたくなるほどだ。

 サンドイッチとパイを頬張った後、満腹になったリーンは背もたれて、向かいにある噴水のしぶきをぼんやり見つめた。暖かな陽気の昼下がり、美味しいものをお腹いっぱいに食べた後にやって来る眠気にはどうしたって逆らえない。爽やかな風が奏でる樹木のざわめきを聴きながら、リーンはしばしの間だけうとうとした。


『気持ち良いわよね、わたしもお昼寝だいすきよ』

『でも、そろそろ起きないとだめよ。風がそろそろ強くなる、あっという間に身体が冷えちゃうわ』


 リーンがハッと目を覚ましたが、周りには誰の姿も見当たらない。

 奔放で無邪気な幼い少女のような甘い声だった。

 首を傾げながらも、リーンは囁かれた言葉通りに立ち上がり、公園を後にする。

 大通りに戻る道を辿っていると、ふんわりと漂ってくる甘い匂いが、リーンの足を立ち止まらせた。『トゥッティフルッティ』と看板のかかる小さな店舗だった。

 窓から店内を覗くと、包装された瓶が棚に所狭しと並んでいるのが見えた。それぞれの瓶の中には、色とりどりのジャムが入っている。どうやらここはジャム屋のようだ。甘い匂いの正体は、フルーツを煮込んだものだった。

 窓の近くのカウンターに一人座っているのは、穏やかな目元の女性だった。濃いブラウンの髪を二つに分けてお下げにしている。リーンやマーガレットより一回りは年上のようだが、少し幼い印象を持たせる。外から覗き込んでいたリーンに気付くと、出窓からひょっこり顔を出す。

「こんにちは、見ない顔ね。観光かしら?」

「……あ、いいえ、昨日から、ここに住むことになった者です」

「あらそうなの! ようこそ、フラウベリーへ。私はリコリス。ここでジャム屋をやっているの」

「初めまして。私は、リーン。リーン=リリーです」

「リーンちゃんね。ねえねえ良かったら、お店の中、見ていかない? 試食も良かったらしていって。イチゴやブラックベリー、マルベリー、ルバーブなんかもおススメよ」

 軽快に手招きされて、リーンは店の中へ入った。部屋の真ん中にはテーブルが置かれ、二脚の椅子がある。その一つを勧められて腰を落ち着けた。

 ジョシュアが焼いてくれたスコーンをリーンが差し出すと、リコリスは大層喜んでくれた。付け合せに丁度良いと、数種類のジャムを小皿に盛ってテーブルに並べる。

 いそいそと紅茶の支度をするリコリスは、リーンに向けて嬉しそうに話しかける。

「うふふ、お引越ししてくる人なんて珍しいわあ。ここは綺麗なところだけど、ひなびた田舎でしょ? 来るのは観光の人ばっかりで、住み着こうとする人なんて滅多にいないの」

「そうなんですか……。私は縁あって引き取って頂いた人がここで暮らしているから、やって来たんです」

「へえ! そうなの、何処のお家に?」

「キャンベル家です」

 そう言うと、紅茶をカップに注ぐリコリスの手が一瞬止まり、その目が大きく見開かれた。

「……あらあらまあ! それってうちの村の領主様よね、すごいじゃない! 良かったわね、領主様は勿論、あの家の方々は素敵な人たちなのよ。とても良いところへご縁があったのね!」

 我が事のようにリコリスがはしゃいでくれるので、それにつられてリーンも微笑んだ。

「私もそう思います。ちょっとびっくりすることあるけれど、皆さんとても良い人です」

「うふふ、キャンベルさんたち、面白い人なのよ。でも本当にびっくりしたわ。とうとうお弟子さんを取る気になったのかしらね」

「……お弟子さん?」

 紅茶を飲みつつもリーンは首を傾げて、リコリスを見つめた。

「あの、ミスターは、私を何か手伝わせるために引き取ったつもりではないと言ってましたけど」

「あらあら、違うの? 私、てっきりそうだと思ってしまったわ。皆さんお忙しそうにしていらっしゃるから、お手伝いが出来る人が必要なのかと」

「確かに、皆、やりたいことがあるみたいでしたけど…。弟子って、何の弟子なんですか?」

 何も知らないリーンの様子に、リコリスは少し不思議そうに質問で返してくる。

「……領主様が何のお仕事をしているのか、あなたに何も仰らなかったの?」

「キャンベルの領地を管理するのが主な仕事だと言ってましたが、他に何かあるんですか?」

 リコリスはコホンと咳払いをした後、少し声を潜めて答えた。

「……キャンベル様は、少々変わったお家芸をお持ちなの」

 それは、まるで誰かに聞かせまいとしているかのような囁きだ。

「村の皆は、どうしても困っていることがあると、キャンベルの家の方々にお願いしに伺っているの。領主のヨークライン様、マーガレットお嬢様やプリムローズお嬢様、ジョシュア様、皆様がそれぞれ力を出して私たちを助けてくださるわ」

「助けるって、何からですか?」

「――悪い魔法使いからよ」

「へ?」

 思わず眉をひそめてしまったリーンに、スコーンを美味しそうに頬張るリコリスはにっこりと笑みを浮かべる。

「リーンちゃんが悪いものに引っかかっても大丈夫。キャンベルの皆様が助けてくださるのだから。安心して暮らしてね」

「……はぁ」

 ジョシュアの言う、妖精の仕業。リコリスの言う、悪い魔法使い。キャンベルの家は、お伽話のような不思議な謎がそこかしこに見え隠れしている。キャンベル家とは一体何者なのだろう。

「リコリスさん、教えてください。悪い魔法使いって、どんな悪いことをするんですか?」

「うーん、そうねえ……私もぼんやりとしか知らないんだけれど」

 リコリスが言葉に迷うように口開こうとした時、喉が引きつるように痙攣して、思わず手で抑えて盛大に咳を繰り返す。

「あ、あの、大丈夫ですか?」

「……っ、ケホ、……いじょうぶよ。いつもの発作。私、生まれつき喉が弱いのよ。お話の途中にごめんなさい……」

「あの、いえ、いいんです。それより横になっていた方が……」

「心配しないで……ッゴホ、すぐに止まるわ」

 けれどリコリスの咳はなかなか治まらず、傍で見守っているだけしか出来ないリーンは、歯がゆそうに立ち上がった。

「お医者様、呼んできましょうか? 場所だけ教えて頂ければ、私、行けますから」

「……それなら、大通り沿いにある診療所に、この診察券を届けてもらえる? 私の主治医なの。渡せば来てもらえるから」

 リーンは小さなカードを受け取ると、すぐさま店から出て行き走り出した。リーンの姿が見えなくなった後、一人の客人が店先に現れる。

 リコリスは申し訳なさそうに今日の閉店を告げようと、窓際から顔を出した。客人の顔を窺おうとして、ハッとする。全身をローブで覆う、この村に不釣り合いな暗闇の装束。

 ――悪い魔法使い。

 その文句がたちまち頭に浮かんだ。表情の分からない顔をしていたと、後にリコリスは思い返す。

 今は、この背筋から這い上がる恐怖と対面することだけで精一杯だった。

 悪い魔法使いは、己の手にあった一粒の種をかざし、奇抜な笑みでもって囁いてくる。

 これが、お前に捧げるアナテマだ、と。


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