第3話 春 常花の村Ⅲ



 暖炉の火が、室内をゆるやかに暖めてくれていた。

 ジャム入りのほのかに甘い紅茶を一口飲めば、身体の芯から冷たいものが取り除かれていく。リーンは幸せそうにため息を零した。

 少女の様子が無事落ち着いたと判断したヨークラインは、自分のカップをテーブルに置くと、テーブルを囲む者たちに大きく呼びかける。

「では、それぞれ自己紹介といこうか」

 堂々と背筋を伸ばしてヨークラインは名乗る。

「キャンベル家当主、ヨークライン・ヴァン・キャンベル。キャンベル伯領を維持、管理するのが主な仕事だ。外に出かけていくことが多いので、用件がある時はメモにして残しておくこと。以上」

「ヨーク兄さん、それ、自己紹介というより業務連絡に近いわよ…」

 ヨークラインに呆れたような眼差しを送るのは、背の高い大人びた少女だ。蜂蜜色のまっすぐな髪が肩上に乗っかり、それに似た琥珀色の瞳を併せ持つ。両耳につけられた蒼空色のピアスが際立って色美しく映える。清廉さを感じさせる見目麗しい風貌で、少し強気そうな目つきをしているが、少女はにこりと目元を和らげて、リーンに優しく微笑みかけた。

「キャンベル家長女、マーガレット・エレナ・キャンベル。ヨーク兄さんとは八歳違いの、花も恥じらう十七歳よ、よろしくね。あたしのことは、メグとかメイとか適当に好きに呼んでちょうだい」

 そして気まずそうに背を少し曲げ、詫びを入れる。

「さっきはごめんなさいね。あの電話のお化けは、あたしたち姉妹のイタズラなの。あんなに怖がってくれて、実は結構嬉しかったり。おどかし甲斐があるってもんだわ。ちょっとクセになりそう」

「マーガレット」

 ヨークラインの冷ややかな一声が横から飛んできて、マーガレットは苦笑しつつ両手を上げて肩をすくめた。

「兄さん、心配しなくても承知してるわ。ま、今後、あなたを怖がらせるようなマネはしないから安心して。ちなみに、趣味はホラー映画鑑賞よ。映画館で一緒に見てくれると嬉しいわね」

「あの、誘ってくれるのは嬉しいけど、見れないと思います……」

 怖がりのリーンが申し訳なさそうに言えば、ケラケラと気軽に笑ってくれる。

「はっきり断るわねぇ。正直な子は嫌いじゃないわ。改めてよろしくね、怖がりさん」

「はい、よろしく、です。マーガレット」

「メグでいいのよ。気楽に呼び合うには、少し時間が必要ね」

 緊張して硬くなっているリーンは、言葉少なにしか返事出来なかった。けれど、あっけらかんと笑うマーガレットは特に気を悪くした様子はない。


 マーガレットの隣に座るもう一人の少女が、ぴっと右腕をまっすぐ上に伸ばした。

「発言を許可する、プリムローズ」

 ヨークラインが低い声で告げる。

 許可をもらった少女は、その小さな背を補うために椅子の上に乗り上がった。

 幼い背中にたっぷり降りる、シェリーカラーのふわふわした巻き髪。長い睫毛に縁取られた、鮮やかな紅玉色の瞳。咲き誇る花のような可憐な面立ちは、人並みならぬ神秘的な美しさも兼ね備えていた。

 少女はふんぞり返って声高々に名乗る。

「キャンベル家次女、プリムローズ・サラ・キャンベル! プリムって呼んで! メグねえちゃまとは四歳離れた妹よ!」

 そう主張する少女だったが、リーンの目にはどう見てもジュニアスクールに入ったばかりの幼子にしか映らない。ヨークラインに戸惑いの眼差しを送ってみれば、腕を組んだままのキャンベル家当主は、むっつりと呟く。

「嘘ではない。プリムローズは現在十三歳だ」

「私より一、二歳しか違わないの……」

 プリムローズはくすくすと不敵に微笑んだ。

「とてもおちびさんでしょ。上等上等、チビ上等なのよ! 見た目でなめてかかってくれれば、あたしの思惑はそれだけ通りやすいってことだもの!」

「このように、我が家では一番ずる賢い。注意するように」

「よ、よろしく。プリム……」

 リーンが戸惑いを失えないまま小さくお辞儀をすれば、プリムローズの微笑みをたたえた口元が、更に弧を描いた。絢爛の花々のような美しさで形作られる。

「あたしのこと、そうやってちゃんと警戒してくれるの大歓迎。おちびでも対等ってことだもの! これからよろしく!」

「プリムローズ、詫びを忘れていないか」

 ヨークラインから冷たく横やりを入れられ、途端にむくれた顔つきになる。

「にいちゃまの冷や水浴びせ、うっとうしい」

「プリムローズ?」

 今度こそ声色が不機嫌な響きを持った。

「ううっ! ごめん、ごめんなさい! こわい思いさせてごめんなさい!」

 首を縮こめるプリムローズは逃げるように席に座り戻った。その上から大きなティーポットが現れて、目の前の空になったティーカップにお代わりが注がれる。

 ミトンをはめた手がポットの取っ手を掴んでいる。反対の手には、焼きたてのマフィンの入った皿がある。

「えらいね、レディたち。ちゃんと謝れたからご褒美だよ」

 一人の青年がそう言って微笑みかけた。

「ありがとジョシュ! 待ってたわ!」

「待ってたのよ!」

 姉妹たちは焼き菓子を見た途端に顔を輝かせ、我先にと手を伸ばし始める。

「夕飯前の菓子は感心しないんだが? ジョシュア」

「まあまあいいじゃないか、ヨーク」

 ヨークラインが片眉をつり上げながら苦言するが、ジョシュアと呼ばれた青年は小さく笑うだけで気にもせず、当主のカップにも紅茶を注ぐ。象牙色のさらさらした髪、砂色の瞳。ヨークラインと同じぐらいの年齢に見えるが、その身に纏う雰囲気は柔らかい。硬い気質の当主が横に並べば更に顕著だ。

「元々このお菓子も、ティータイム用に仕込んだものだしね。食べてくれないと僕が困るよ。はい、君もどうぞ。カラント入りで美味しいよー」

「あ、ありがとうございます」

 リーンが礼を言いながらマフィンを受け取り、一口頬張った。品の良い甘さがほのかな酸味と共に口の中に広がり、ぱぁっとリーンの顔が輝いた。そのまま二口目、三口目とするする口に入り込む。

「おいしい……! すっごく美味しいです!」

「ありがとう、光栄の至りだよ。レディたちのその声と、その笑顔のために作っているようなものだしね」

 お茶目にウィンクする顔が、とりわけて整って見える。まるで歌劇役者のような振る舞いだが、公演してみせたら世の全ての女性が頬を赤らめるぐらいの自然な艶やかさだ。リーンも少しだけ、どきりとしてしまった。

「僕はジョシュア・ヒューゴ・キャンベル。ヨークラインたちの従兄弟だよ。この家の台所番長を仰せつかっているんだ。いつも何かしら作り置きがしてあるから、お腹が空いたら遠慮なく言ってね」

「あ、はい、よろしくお願いします」

 深々とお辞儀をして、それからリーンは思い出したように顔を上げた。その穏やかな声は、何処かで聞いたことがあると思ったのだ。

「もしかして、廊下で私にココアをくれましたか? あったまるよって言って」

 ジョシュアはにっこり笑って頷いた。

「ココアの幽霊の正体見たりってね」

「でも、あの時、あなたの姿は見えませんでした。どうやって消えたんですが?」

 ココアがいきなり手元に現れたあの時、リーンの周りには一歩の足音も聞こえなかった。人間離れの技に思えてならない。

「そうだね、……妖精の仕業、かな」

「妖精……?」

 リーンの質問に、まるでお伽話を語るような声でジョシュアが答える。

「このキャンベル家には、妖精のいたずらのような秘密が満ちあふれているのさ。でも怖がることはないよ。秘密は暴かなければ、君の隣にそっと咲く一輪の花のようなものだからね」

「……ええと、良く分かりませんが、消えた方法は謎のままにしておいた方がいいということでしょうか……」

 ジョシュアはにっこり笑ってまた頷いた。

「怖がりの君がどうしてもと言うのなら、喜んで教えるよ」

 リーンは大人しく黙った。これ以上話に深く食い込むのは良くないらしい。元より、怖いものには免疫がないのだ。関わらない方が身や心の為にも安全だろう。

「では最後に、ミス・ガーランド。君の自己紹介だ」

 ヨークラインから硬い声で告げられて、思わずびっくりして振り向く。

「わ、私もですか?」

「何を言う。このキャンベル家の者は、君のことを何一つ知らないのだぞ」

「そうか、そうでしたね……」

 ヨークラインにはすでに名乗っていたのもあって、自分の番はとうに終わっているのだと思い込んでしまった。

 腹部に力を入れて、緊張しながらも告げる。

「私は、リーン=リリー。リーン=リリー・ステファニー・エマ・ガーランド。この度はミスターのご厚意で、孤児院からこのキャンベル家に住まわせてもらうことになりました! これから、どうぞよろしくお願いいたします!」




 リーンに与えられた寝室は、南東に窓があって陽光が入りやすい部屋だった。

薔薇模様のカーテンは年季の入ったものだが、その色合いは落ち着きがあって何処となく懐かしい気持ちにさせてくれる。母も薔薇が好きで、調度品は薔薇を象ったものが多かったことをぼんやり思い出した。


「……お休みなさい」

 誰に言うでもなく、リーンは呟いてシーツの中に潜った。

 これからキャンベル家で暮らしていくことになる。居候が寝坊なんてことはあってはならない。早く寝なくてはと、リーンは更に深くシーツに包まった。けれど、深呼吸を数回しても心はほのかに熱く、鼓動も一際大きく耳に入る。身体が思ったより興奮しているのがますます分かるだけだった。今日は色んなことがあって、色んなことを聞いたのだ。心細さや不安な気持ちもあったが、それ以上に驚きと疑問が頭に満ちていて、そう簡単には眠れなかった。

(……ヨッカ)

 ヨッカ――ヨークラインは、リーンの想い出の人とは少しかけ離れてしまったような存在になっていた。泣き虫リリとからかいながらも優しい手つきで頭を撫でてくれた。柔らかい笑顔を向けてくれていた。心からの温かな眼差しは、今の彼の瞳には浮かび上がって来ない。夕暮れ時、悪戯に怯えて飛び出したリーンに無礼を詫びたヨークラインは、記憶に違わぬ気遣いと優しさがある。けれど、冷えたような眼と声を滲ませるような人では決してなかった筈だった。

(――でも、そうだ。ヨッカと離れて、十年は経っているんだ)

 昔の俺は死んだことになっている。そうヨークラインは言っていた。自身に言い聞かせるような厳しい声は、リーンの胸に悲しく響いて耳の奥にこびりついてしまっている。離れてからの十年の間、彼に一体何が押し寄せていたのだろう。


 こつん、こつん、こつん。

 物音がして、リーンは瞬時に竦み上がった。こちらへ這い寄る足音が一人、二人。真夜中の来訪者など、リーンが知るものと言えば幽霊の一択だった。やっぱりここはお化け屋敷だったと、青ざめたリーンは一層丸まったが、二つの足音は確実にリーンのベッドへ迫って来ていた。

「お願いだから、お化けは来ないで……!」

 か細い声で訴えれば、二つの気配はくすりと笑った。

「お化けじゃあないわよ、失礼ね」

「お化けなんかよりもっとずっといいものよ!」

「へ? ……きゃあ!」

 間抜けな声を上げた途端に、二人の少女がリーンのベッドの端から中に潜り込んできた。素早くリーンの傍まで身を寄せる。

「こんばんは、リーン。ご機嫌いかが?」

「あたしたち遊びに来ちゃったの!」

 マーガレットとプリムローズがにっこりといたずらっぽくリーンに微笑みかける。両側に挟まれる形となって、リーンは交互に顔を振り向かせながら困惑の声を出す。

「え、え? どうして、何でこんな真夜中に?」

「何でも何も、パジャマパーティに決まってるでしょ」

「お詫びをちゃあんと考えてたのよ、あたしたち。歓迎会の続きをしましょ!」

 キャンベル姉妹はシーツを盛大に捲り上げ、ベッドから飛び降りた。サイドテーブルに置かれたランプに火を灯し、室内を橙色の暖かな色味で染める。

 床にはテーブルクロスが広げられていた。その上には銀製のポットとカップ。そしてクッキーとパウンドケーキが乗せられている。

「これはジョシュからよ。パジャマパーティするんだったらって密かに作ってくれたの」

 うきうきした口調のマーガレットは、ポットから注いだ紅茶を差し出してきた。ベッドからそっと降りたリーンは両手でカップを受け取る。姉妹の気持ちが伝わるような温もりを強く感じた。口元を綻ばせて、二人に素直な嬉しさを伝える。

「ありがとう……」

「どういたしまして」

 得意気に返したマーガレットは口にクッキーを放り込んで、たまらないとばかりに身を震わせる。

「ううーん、お菓子を真夜中に食べる背徳感ったらないわね」

「大丈夫よ、ねえちゃま。あたしたちには若さと言うエンザイフがあるもの」

「それを言うなら免罪符でしょ。ま、兄さんは甘えって言うけどね」

「……あの、ミスターは、昔からあんな感じだった?」

 リーンが訊ねれば、姉妹は互いに顔を見合わせてからリーンに振り向いた。

「昔からあんな感じと言えば、そうよ」

「にいちゃまは、カタブツのむっつり屋さんよ」

「そうなの……」

 リーンは気落ちした声で呟いた。妹二人の目から見ても、兄であるヨークラインの性格は生来のものらしい。

「そんなことよりもよ、あなたから見たヨーク兄さんはどうなのよ?」

「え? 私から?」

 ずいと身を寄せてマーガレットが訊ねてくる。

「あなたが兄さんの昔の知り合いだってことは聞いているの。さっきもプリムが言った通り、ヨーク兄さんはカタブツであまり自分のことを話さない秘密主義なの。あたしたちでも分からないことが多いわ。そんな兄さんの知られざる秘話を、あなたがあたしたちにちょっと提供してくれれば、兄さんとの良い取引材料になるってもんだわ」

「と、取引って……」

「何もあくどいことしようってつもりじゃないわ。兄さんの、自分にも他人にも要求する厳しさを崩す切り札を、あたしたちは探しているわけ。隙のない兄さんは、正直言って面白くないのよ」

「要は、にいちゃまに歯向かいたい、いとけない姉妹のささやかな野望ってところなの」

「そう言われても……」

「別に美味しいネタじゃなくてもいいの。あなたとヨーク兄さんの昔話が聞いてみたいだけ。兄さんと初めて会ったのは、あなたがいくつの時だったのかしら?」

「ヨ……ミスターと出会ったのは、私が五歳の時……」

 ヨッカと言いそうになったのを思わず留めて、ゆっくり答える。

「何処で出会ったのかしら?」

「……私が、まだ、ここよりもっと南の方で暮らしていた時で――とてもとても暑いところだった。あの頃は、まだお母さんもいた。ミスターは、私のお母さんを助けてくれた人だったの」



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