第33話 鉄平とチョコバーと……

「おいルナ! それ俺のだって!」


 デスクからチョコバーを抜き取ったルナに鉄平が叫ぶ。それを聞いてもなお、ルナは悪戯に微笑んで見せた。そして軽い足取りでソファに向かう。


 *****


 日常茶飯事なこのやり取りが始まったのはルナがSBにやって来た二年前からだ。鉄平がSBに所属した四年前からルナと出会うまで、自分のデスクの引き出しを誰かに勝手に開けられるなんて事は一度もなかった。


 そもそもSBの隊員の多くは特殊部隊からの異動である。実弾を使った銃の訓練や格闘経験を積んでいる事から、即戦力になるからだ。

 それとは別に戦闘訓練を受けていない者でもSBに勧誘されるケースがある。それは身体能力の高い者や、ある分野のスペシャリストなどである。

 ノエルは狙撃の達人であり、ハジメはF1で培った動体視力と瞬間的な判断能力に長けている。サラはウィッチと呼ばれるほどのハッカーであり、コウタは類稀なる反射神経を持っている。

 だが鉄平がSBに入ったきっかけは勧誘された訳ではないし、特殊部隊を経験した訳でもない。


 四年前、高校を卒業した鉄平は就職の為に色んな企業に連絡していた。高校に出される求人もあったが、就職なんてどうとでもなる、そんな気持ちからそれらには応募しなかった。しかし、実際はそう上手くいかず、面接すら行なってくれない企業がほとんどだ。だがそんな中、面接してもいいと返事をくれた会社が一つだけ見つかったのだ。


 その会社は製薬会社で、大手企業ではないが大抵の人が名前ぐらいは聞いた事のある会社だ。


「SB……ここだ。ここが俺のターニングポイントだ。絶対に受からないとな」


 面接を受ける会社の前で、ネクタイを締める鉄平の手にも力が入る。


 鉄平は普段着る事のないリクルートスーツに身を包んでいた。それはまるで鎧を纏っているかのようで、眼前に待ち構える製薬会社を前にしていても不思議と緊張する事はなかった。


「病院みたいだな」


 一人呟きながら門を通る。そして自動ドアを通り、エントランスに足を踏み入れた。


 中に入ると黒いスラックスに白いワイシャツを着た人達が鉄平の目に飛び込んでくる。心なしか奇異な視線を感じるも、鉄平は受付にいる女性に声をかけた。


「すいません。今日面接を受けて頂く梶原ですが」

「え? 面接、ですか? 確認致しますのであちらでお掛けになってお待ちください」


 面接に来たと伝えても話が通っていなかった様子で、生返事を返して促された三人掛けの椅子に腰を下ろした。


 ――――まぁ……忙しいんだろうな。そんな事も、あるよな?


 そんな事を考えながらしばらく待っていると、鉄平の名前が呼ばれ先程の女性が奥へと案内してくれる。


 案内されるまま部屋に入ると、いくつかのデスクが並べられていた。それ以外にもL字型のソファやテーブルも置かれている。ソファに座って待つようにと促してから女性は一礼して部屋から出ていった。


 どうしようかと迷った後、鉄平は立ったまま待つ事にした。


「お前か? ウチに入りたいってヤツは」


 ドスの効いた声でそう言いながら一人の男が部屋に入ってきた。


 ――――すげぇ怖いんですけど……。


「座れ」


 顎でソファを指しながらそう言うと、面接官もソファに勢いよく腰を下ろす。その眼力や放たれる威圧感に鉄平は萎縮してしまいそうだった。


「早く座れ。……履歴書を見せろ」

「は、はい!」


 鉄平は慌ててソファに座って履歴書を差し出す。


 面接官は差し出された履歴書に目を落とした。そして一通り目を通した後、鉄平に質問する。


「何でウチに来たいんだ?」


 その質問に鉄平の鼓動が高まる、それは昨晩から考えに考えたその質問の答えを用意しているからだ。


「はい! 御社のコンセプトに感銘を受け、自分も同じように誰かの為に何かを成したいと思ったからです」

「コンセプト? コンセプトか……どっから漏れたんだよ。ったく」


 面接官は右手で頭を掻きながら言った。その表情には呆れの色が宿っている。

 鉄平は失敗したのかと、握りしめた手にも汗が滲んだ。


「明日……朝六時からここに来い。試用期間を設けてやる」


 それから面接官は胸のポケットから名刺を出して鉄平に渡した。


「これで終わりだ。明日、入り口で止められたらこれを見せろ」

「ありがとうございます!」


 名刺を両手で受け取った鉄平は頭を下げる。そして面接官に言われるまま部屋を後にした。

 それから鉄平は、建物から出るまですれ違う人にお疲れ様ですと頭を下げながら歩いた。

 門を出たところで小さく握りしめた拳の中には、喜びと期待が重なり合っていた。


 ふわふわとした気持ちのまま、一時間かけて実家に帰った鉄平に母親から告げられた言葉は「面接に行かずに何処行ってたの」だった。


 聞けば製薬会社から連絡があったそうだが、鉄平は確かに製薬会社で面接を受けた。何かの間違いだろう、そう母親に告げて部屋に戻った。


 鉄平はスーツのジャケットを脱いで椅子の背もたれに掛けた。そしてネクタイを外して机の上に放り投げると、ベッドに倒れ込む。

 疲れが押し寄せて来た事もあって、眠ろうかとも考えたが母親に言われた言葉が気になって起き上がる。そして先程掛けたジャケットから面接官に貰った名刺を取り出して目を落とした。

 SとBで描かれたロゴとSilver bullet、そして突入部隊第Ⅶ班班長、須藤銀次と書かれている。


「シルバー? あれ? 確か製薬会社の名前はSB製……似た名前だから間違えたのか? ……マジか。突入部隊って……俺、どこの会社に入ろうとしてんだ」


 こうして鉄平は勘違いからSBに所属する事になってしまった。


 銀次の訓練は厳しく、刀の才能が無いなどと言われながらも鉄平は耐えた。そして試用期間が終われば正式に突入部隊の隊員として第Ⅶ班に迎え入れられる事となる。

 ヴァンパイアの存在、SBの任務など、にわかには信じられない事ばかりだったが、それでも鉄平は受け入れた。歩き出した道を後悔するよりも、前を見ていたかったからだ。


 それから二年後、鉄平は衝撃的な出会いを果たす。


 白い髪、白い肌、目は少し切れ長でグランディディエライトのような瞳とレッドダイヤモンドのような瞳を持つ少女。


 高槻ルナである。


 少し険悪な雰囲気になったが、挨拶を終えたルナの為にSBの中を案内した。その途中で身体的な質問をして少し後悔した鉄平だったが、それでも徐々に打ち解けていった。


 その後も様々な質問をした。中でも鉄平が気になっていたのは、どうして銀次に投げられた後に大人しくなったか、と言う事だ。


 その問いに、ルナは視線を逃がしてから答えた。


「何か、父親がいたら……こんな感じなのかなって」


 そう言ったルナの白い頬が赤みを帯びている。それを隠すかのように、先程よりも少し大きい声で独り言ちた。


「あー、お腹空いた」

「あ、そういや……食べる?」


 鉄平は思い出したように、ポケットからチョコバーを取り出した。この日はたまたまチョコバーだったが、訓練で身体を動かすと小腹が減るのだ。その為に鉄平はお菓子や携帯食料を持ち歩く事があった。


 甘いものが好きなルナは紅と碧の瞳を輝かせてチョコバーを見つめる。


「いいの? ありがとう」


 そう言って、受け取ったチョコバーをその場で食べた後、ルナは満面の笑みを浮かべた。

 そのあどけない笑顔に鉄平の目は釘付けになった。

 それ以来、鉄平はチョコバーを二本、デスクに常備する事にした。一本はルナに、もう一本は自分用だ。しかし、結局二本ともルナに取られるのだが、そんな毎日は鉄平にとって小さな幸せになっていた。


 *****


「勝手に取るならもうやらねぇからな」


 悪態をついた鉄平にルナが振り返る。


「鉄平……大嫌い」


 そう言った後に、ルナが舌を出してはまた悪戯に微笑む。そしてソファに腰を下ろしてチョコバーを食べ始めた。


「ったく」


 日常茶飯事なこのやり取りが、鉄平には堪らなく愛おしいのだ。


 鉄平は溜め息を付いた後、誰にも気付かれないようにそっと笑みを浮かべた。

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