第32話 待ち受ける巨体
先に地下四階に降りたルナ達を待っていたのは、紅い瞳をした大きな体躯の人型生物だった。
地下三階と同じ、だだっ広いフロアの中央で仁王立ちしているその生物に二人は銃口を向ける。
およそ二メートル以上あろうその巨体。頭の先から足の先まで毛が生えていない。筋肉はもはや常人の五倍はあろうかという太さ。服は着ておらず、至る所の血管が脈打っている。そして生殖機能を司る部位が無い。
もはやヴァンパイアなのかどうかすらルナ達には疑問だった。
「何? この変態」
ルナがそう言った時だった。
その巨体ヴァンパイアの後ろからヒョイと姿を現したのは、以前ルナを拉致したヨハネスだ。
「ヨハネス!」
「やぁルナ君。どうやら私達と同じにはならなかったみたいだね。君は本当に興味深いよ」
「お前がゲヒルンか? おい! コイツは何だ」
鉄平が巨体ヴァンパイアを指差して問うと、ヨハネスは呆れたと言いたげに息を吐いた。
「私の作品に向かってコイツとは失礼だね。いいかい? まず三体の人間を同時にヴァンパイアにする。そして完全に変異する前に体を切り刻んで首をはねてねぇ。後は全部一箇所にまとめてそこに三つの首を繋げたんだよ。脳はそれぞれ再生しようとするが三つあるからね。君達の言い方だとコアが争うんだよ。いわゆる蠱毒と言うやつだね。そしてその争いに勝った一つの脳が全てを取り込んで体を再生した……これぞ私の最高傑作だ」
ヨハネスは両手を広げて高らかに笑った。
「虫唾が走るな」
鉄平が言った言葉にルナも同じ気持ちだった。命を弄ぶようなその行為に、二人の怒りが沸々と沸いていく。
その時。
唐突に響いた巨体ヴァンパイアの咆哮。
二人が気圧された一瞬、巨体ヴァンパイアは鉄平の腹にその大きな拳をぶつけた。
鉄平は4メートルほど吹き飛ばされ、背中を床に擦り付けていく。
「鉄平!」
鉄平は腹を押さえて何度も咳き込む。その度に口から血が溢れ出して苦悶の表情を浮かべた。
「この変態野郎!」
ルナはヴァンパイアとの距離を詰めながら、体を左に回転させる。さらに刀を頭の上で回して遠心力を利用し、巨体を支える右太ももに斬りかかった。
しかし、ルナの刃はヴァンパイアには届かなかった。
その巨体からは想像も出来ない程の速さで平手打ちが繰り出されたからだ。辛うじて左腕で防いだものの、ルナの体も吹き飛ばされてしまう。
「何……だよ、この速さ」
ルナの脳裏にフリーダが思い浮かぶ、フリーダほどではないが、このヴァンパイアも桁違いの速度である。
「我々はいかに早く再生するか、いかに強く衝撃を与えるか、いかに速く動くか、長い年月をかけて体に埋め込んできた。私達の強さはいわば経験と記憶なのだよ。だからね? フリーダ君の代わりとなると少なくとも500年はかかる。そんなに待っていられないだろう? だから代わりとなる戦士を私が作り出したのだ。つまり、私は時間を超越したのだよ」
「何が……超越だよ」
言った鉄平がAOVを自分の首に打って立ち上がる。
その様子にヨハネスは紅い瞳を輝かせた。
「ほう、私達の力を使っているのか。君達にも良い研究者がいるという事だね」
そう言って不敵な笑みを浮かべるヨハネスに銃口を向けた。
鉄平は大型自動拳銃デザートイーグルを装備してきた。銃弾は.50AE弾。銀弾は装填していない、だがそれでも殺傷力は十分だ。
鉄平はヨハネスに向けて銃弾を放った。発射時の反動を簡単に抑えられたのはAOVによる身体強化のおかげだ。だが鉄平が放った銃弾は巨体ヴァンパイアの体に阻まれてしまう。
――――先にデカいのを仕留めないとダメか。
鉄平は間合いを取りつつ巨体ヴァンパイアに銃弾を叩き込む。動きが速い上に腕で頭をガードしたりとその見た目からは想像できない戦い方だ。
徐々に間合いを詰められているのが鉄平にも分かる。
その鉄平の戦いを、ルナは膝をつきながら激痛が走る左腕を右手で押さえて見ていた。折れているだろうと思いつつもAOVシリンジ銃には手を伸ばせずにいた。
デザートイーグルの装填数は七発。銃弾が大きい分、装填数は少ない。その七発を撃ち尽くした鉄平は、もう一丁の銀弾を装填したハンドガンに持ち替えた。
――――クソ! 撃ってもすぐに再生しやがる。
ヴァンパイアに近づかれないよう距離を取って戦っていた鉄平だったが、気づけばその背には壁があった。
「やば……」
鉄平が壁に気を取られた瞬間に、巨体ヴァンパイアが一気に距離を詰める。そして鉄平を掴んで投げ飛ばした。
宙を舞った体は床に打ち付けられ、鉄平が呻き声をあげる。
だがそれだけでは終わらない。投げ飛ばされた先はヨハネスの足下だった。
「これがその薬かな?」
覗き込むように見下ろしながらそう言うと、鉄平の太ももからAOVシリンジ銃を取り上げる。
そして背中に背負っていた剣を抜くと鉄平の腹部に突き刺した。
「ぐっ! あぁぁぁぁぁぁぁ!」
筋肉を裂きながら体内へと侵入してくる刃が全身に悪寒を走らせる。そして次の瞬間には燃えるような痛みが鉄平を襲った。
「この薬は調べさせてもらうよ」
そう言ってヨハネスが突き立てた剣を勢いよく抜くと、悶え苦しむ鉄平を壁際まで蹴り飛ばした。
「鉄平!」
――――私が迷ったから。
AOVを打てば、また自我を無くしてしまうかもしれない。その恐怖がAOVの使用を躊躇わせていた。しかし、今は違う。もう迷いはない。あるのは鉄平を助けたいと言う気持ちとヨハネスへの怒りだ。
ルナはAOVシリンジ銃を首筋に当てて引き金を引いた。碧い瞳が紅に侵食されていく。
左腕の痛みが消えていくのを感じたルナは、立ち上がって鉄平のもとへと向かう。
――――大丈夫、意識ははっきりしてる。
だが、壁際を走るルナは慌ててその動きを止めた。
大きな音と共に、巨体ヴァンパイアの前蹴りが眼前のコンクリートの壁にめり込んだ。足を下ろすと壁には亀裂と窪みが出来ていて、そこからコンクリート片がバラバラと落ちる。
気付くのがもう少し遅れていればルナは挟まれて潰れていたかもしれない。
ルナはすぐにでも鉄平にAOVを打ちたい。けれどそうするには、眼前に立ちはだかる巨体ヴァンパイアを倒さなければならない。
そのもどかしさにルナは奥歯を噛み締める。
ルナが壁から離れる様に距離を取るとヴァンパイアもそれを追いかける。ある程度離れた所で体を向け直し、追従してきた標的の頭にハンドガンを撃つ。当然、ルナが引き金を引く前に巨体ヴァンパイアは腕を顔の前に出して頭を守る。それは鉄平との戦いを見ていて、予想がついていた。一瞬、ほんの一瞬だけ、巨体ヴァンパイアの視界から自分が消えればいいのだ。その瞬間、ルナは距離を詰める。そして巨体の足元を滑るように右足首を斬って抜けた。
少し体勢が崩れたヴァンパイアの後方から再び頭を狙い撃つが、反応が早く振り返って腕で防がれた。
再度、ルナは間合いを詰める。その頭を守っている左腕に向かって渾身の力で刀を振り下ろした。
斬り落とすつもりで放った一撃だったが、ヴァンパイアの左腕はまだ半分ほど繋がっている。それでも考えていた攻撃を展開出来た事に、確信めいた自信が生まれた。
――――いける。
今度は右足を踏み出して、下から刀を振り上げる。再生する前に同じ箇所を斬るつもりだ。しかし、刃が届く前にルナの視界は暗くなった。
慌てて上体を引くも間に合わず、巨体ヴァンパイアの右拳がルナの顔面に直撃してしまう。
ルナの体は後方に押し返され膝をついた。視界は歪み、鼻からはボタボタと血液が流れ出る。
――――クソ。
ルナは左手の甲で鼻血を拭った。もしAOVを打っていなければどうなっていたのかと、そんな事が脳裏をよぎる。
「……ルナ」
戦いを見ていた鉄平は、か細い声でルナの名前を呟く。刺された腹からの出血が酷く、激痛だったのが嘘のように痛みを感じなくなっていた。ただただ、寒さだけが鉄平の体を震えさせる。それでも、鉄平は目を閉じなかった。ボヤける視界と意識の中、ルナの戦いを見守っていた。
ルナは立ち上がろうと足に力を込める。けれど、それを許さないヴァンパイアの蹴りがルナの左腕を襲った。
「クッ……ソがぁ」
蹴られた瞬間、左腕からボキッと鈍い音が身体中に響いた。ルナは痛みと衝撃に持っていたハンドガンから手を離してしまう。
蹴り飛ばされながらも、ルナは折れた左腕の痛みをおして二本目のAOVを太ももに打ち込む。
すぐにシリンジ銃をホルスターに収めて立ち上がり、ヴァンパイアに向かって駆けて行く。しかし、ヴァンパイアの前蹴りがルナの足を止めた。
両腕で防いだルナは後方に押し返されるもなんとか踏ん張った。しかし、ルナの眼前には大きな拳が迫る。
――――ダメだ。
殴られたルナは飛ばされてしまう。
――――歯が立たない。
床に転がったルナが立ち上がろうとしたところに、巨体ヴァンパイアの蹴りが飛んでくる。
――――再生が間に合わない。
素早い攻撃に体の至る場所から血が流れ、痛みが走る。
――――力もスピードも桁違い。
「ガアアァァァァ!」
慟哭にも似た咆哮。巨体ヴァンパイアが雄叫びをあげながらルナに体当たりした。
――――死ぬ、のかな。
さらにルナの頭を掴んでコンクリートの壁に投げつけた。
――――でも。
叩きつけられたルナは動かない。
――――でも、でも、でも。
「負け、られない」
ルナは三本目のAOVを打った。
――――だってコイツ……泣いてる。
ヴァンパイアの咆哮からルナが感じたのは怒りや憎悪といったものではなかった。
――――助けを求めてる。
嘆き悲しんでいるように感じたのだ。
AOVがさらなる身体強化を促す。身体中が熱を持ったように傷を癒やしていく。これまでとは明らかに違う感覚。
立ち上がって間合いを詰めたルナが右太ももに斬りかかった。
今までの比ではないスピードで振り抜かれた刀は巨体ヴァンパイアの右足を切り離す。
膝から下を失ったその巨体が崩れる。すかさず反対の足にも一閃、同じように左足も切り離した。
両足を失ったヴァンパイアは、まるで膝をついたような体勢になり、背丈はルナよりも低くなった。それでもまだ殴ろうと右腕を振る。
ルナはその腕も切り落とし、さらに反対の腕も切り落とした。
四肢を失ったヴァンパイアに言葉は無い。ただ眼前に立つ白髪の少女を見つめる。
ルナもまた、ヴァンパイアの紅い瞳の奥を見据えていた。
「苦しいんだろ? 今解放してやるよ」
そしてルナは刀の切っ先を後ろに引いた。
「ア……リガ」
ヴァンパイアがその言葉を言い切る前に、その口の中から剣が突き出してきた。
突然の出来事にルナは目を見開く事しか出来なかった。血の付いた剣の切っ先は真っ直ぐにルナへと伸びる。そしてルナの鼻先の少し手前で止まった。それは巨体ヴァンパイアの後頭部から突き刺したヨハネスの剣だ。
「まさか、私の最高傑作が負けるなんてね。その薬もそうだが、やはり君を調べなければ」
そう言ってヨハネスは剣を抜く。
剣が抜けた事で巨体ヴァンパイアの口からは大量の血が溢れる。そして、突っ伏すようにルナの足下に倒れた。
「……この、クソヤロォォォォォォ!」
言うが早いかルナはヴァンパイアの体を飛び越えてヨハネスに殴りかかる。
「言っておくが、私も」
以前よりも強くなった、そう言おうとしたヨハネスの口をルナの左拳が塞ぐ。殴られたヨハネスの体が宙に浮いて、地面に叩きつけられる。そしてさらに、這いつくばったその腹にルナの蹴りがめり込む。
実際、ヨハネスは自身にコアウィルスを投与していた。強くなっていたのは事実だ。それでも今のルナには敵わなかった。ヨハネスは情け無い声をあげて、逃げようと這う。
しかし、ルナはそれを許さない。ルナが灰色の後頭部を刀で突き刺すと、ビクンと体を硬直させた後、ヨハネスは息絶えた。
「ル……ナ」
その一部始終を見ていた鉄平の意識はそこで途絶え、その心臓は動きを止めた。
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