おっちゃんはこわくないよぉー♪ (旅が人生?人生が旅?どっちだろ?)

ユニ

怖いおっちゃんだと思われた!!




コメントでこーいうのを教えていただいた。私には貴重な情報である!!


>いつもユニさんの知識凄いな、自分には無い 社 会 へ の 敵 愾 心 みたいなのが新鮮で面白いなと思いながら読ませていただいています。

 特に委員長無双が人間関係が密で、更新を楽しみにしております。(自分、人間関係重視しがちなんで)

作品も近況ノートも、けっこう毒を吐かれているので 怖 い 方 か も 、と思い、今までコメントを避けておりましたが、コメントとレビューいただいたのを機に思い切ってコメントさせていただきました。



上記、スペース組み込みは、私がむしゃくしゃ(なんか)して(いないで)やりました、後悔はしていない!(しゃきん!!)


(注:”むしゃくしゃしてやった”というのは、警官が調書に書く常套句。犯罪者とされた者がサインするか、拇印を強制的に押させりゃ証拠になる。ちなみに法治国家では、そんなの参考文書程度だけなんだけどね?あれ?我が国は?あれえ?)



えーと、、

まず思ったのは

その返事に書いたのでこぴぺ


>言ってくださってありがとう!!

こーゆーこと、自分じゃ気づかない。こっちに住んでいるから尚更。

こっちではその程度は普通でアリマス!(兵士調で)


ーー


それから思ったのは


>しょーっく!!!YUNIだいしょーっく!!!


まーいーけどwあっはっはっはーー!!、、、、はぁ〜〜(口から魂)

冗談です♪


昔はこの程度可愛いもんでしたねー、昔ってもそれほどではなくにちゃんねるが潰されるまで(博之騒動)こんな感じでしたねー。ネットが出来る前はリアルででもだったし、Windowsが出てからネット(主ににちゃん)でも、みんなこんな感じ。

だから議論ができる!!


熱くなるけど冷静!感情的(特に衝動的)なのが議論に最も不利。それは自分で自分を撃つのと一緒なのですから。良いように煽られ誘導され自爆させられる。


でも、感情的になると本音がでるので、そこで「ああ、こいつ良いやつ!!」となると、敵側でもこちらに引き込むようにしてましたね。


議論は面白いものです。熱くなればなるほど面白い。本音が見え始める頃が最も面白い。自分の本音を自分でわかってない奴等もいくらでもいた。

皆そういうとこでその自分を知ったり。


逃げたら”もう可能性はゼロ”だということを皆なんとなくわかっていたので、逃げない。

追い詰められても逃げない。

(あ、思い出した、、しっつこくこっち側に転向するよう誘った者は、一度来なくなったら二度と現れなかったw)


闘うことを知っていたんですねー皆。

多分、そういう者達は、本当の戦闘でもそれなりに生き残ってしかも戦果をあげることができるでしょう。某自衛隊の一般兵倍を駆逐できるんじゃないかなぁ、(結構海外組いた)

とすら思ってたんですが、15?年くらい前に帰国してから


「あれ?異世界??」

くらいに日本人社会が激変していた。

なんか箱の中のみかんが全部腐ってましたみたいな。

「怖い」となり今ココっす。

論理的会話できない=合理性無い=話しにならない=恐怖しかねぇ!!=怖いからまともなとこに行く(移住)=今ココw

あの頃の皆はかわってしまったのでしょう。変わるんですねぇ、、、


だから、多分、私のほうがほんとに恐怖していますよ?


多分、日本とアメリカ以外には住んでも恐怖しないんじゃないかな?とも思っていますけど。でももう歳だから動けないけどwアフリカや中近東だと今なら3日も持たずに死ねると確信しているけどw

なので子供が結婚して家庭持ったらまた出るつもりですけどw今度こそ約束の地を!(3日でw)

>あ、あと、、人間的に良い社会には敵愾心なんかかけらももってないっす、、、、

「悪い社会」にのみ怒りを持っているだけで、、それを「自分の周囲に気づいていね?」と書いているだけで、、


でも、気づいて?くれはじめた人たちも存在するようなので、やっている意義あるなーと嬉しいやら、やらねばならない祖国を憂いて悲しいやら、どっちでもいいけどw


基本、どーでもいいや、byネコ に似ているuniですw


ーー(以上。少し手直ししました)




であります!(シャキーン!!AA略)


で、

にちゃんとかでは当時、

「ほほえましい可愛い初心者達のひとり」扱いされておりましたです!!


大学時代は同じアパートの一年上の他校の学生に毎回論破されてたであります!

しかもそいつ毎晩一升瓶半分、レッドの手つきボトル半分、のみます。

それでも抑えているそうで、わしが差し入れとか酒持ってくと、+αとして喜んで普通に飲んでた。

そーいうの(酔っぱらい)に論破されていた。勿論当時でも言葉遊びやごまかし論理で殺られるようなワシではなかったので、彼の、つーか、やつの頭の中はどーなってんだ!!と毎回思ったものです。

まぁ、にちゃんでもそいつ並の者は見なかったけど。


あと、彼は一度他の大学中退し、社会に出て、また大学入ったので、人生経験は幾つかのバイトしか知らん俺より遥かにあった。人間関係の泥沼みたいのも聞かされ、うわぁー、とよくなっていたもんだ。

笑いながら「こわいよー?」とか平然という彼。それが終わってから数年しかたっていないのに、、、


おれながらにして、「あー、こいつ、しにたがってるんじゃないかな?(今時のそれとは程度が違う。泥の河の世界?にちょと近いかな?)」とも感じていた。ただ、彼は、生きるべき、ということを知っているので、自ら断つこと、もしくはそう追い込むことは無かった。そこいらへんは安心できていた、見てても。


彼も俺も一緒な性格で、つるむこと嫌い。小説好き、漫画好き。ちなみに少女漫画の面白さを教えてもらった。

良い作家がすげーいるんでびっくらこいたモンだった。

「あれ?少年誌、だめだめじゃね?」とかすら思った。今なら「編集の力量の差だな」ってわかるけど。


縦走しない登山(なんちゃって登山だな、今思えば)と、バイクでの単独ツーリング、これは金が続く限り、が趣味だった。故障は基本「バイク乗りは自分で治せ」だった。

当時は安全だったんで、駐車場の端とかにテント張って、とかも。金あるときはユース利用。

金は「使う分しか稼がない」、バイトで。バイトは掛け持ち。


学生当時やそっから少しは、「俺は日本語のみでいい。海外なんぞに出ない。日本に来る外人は日本語覚えてから来い!」と真剣に考えていたんで、大学で英語は4年まで持ち越し、出席のみで単位貰ったくらい外国語嫌いだった。


社会に出てから結構たった頃からWindowsが出て、ネットが始まり、、、にちゃんを教えてもらい、いつの間にか熱湯浴になっていたw

が、リアル右翼がバカ?低能?売国?なので、違和感を感じ、またネット右翼でも、リアルでそういうお人にお呼びがかかり飯おごってもらったりしたが、、なんか違う。

なので、やっぱつるまない。

右派が売国の最右翼だとその頃わかった。それに比べりゃ左派なんか幼児みたいなもんじゃんw



向こうも、「あーこいつはだめだな」と思ったんじゃないかな?容易にリクルートできると踏まれちゃって呼ばれたんだろーけどw残念だったねーw


で、その後、数年おきに彼らのサイトとか見てるけど、「全く成長がない」ので、こりゃだめだー。

人間的に成長しない、しかも成人後だぜ?月単位でも容易に成長するのに、年単位で見てもぜんぜんなんだよ?

最初信じられなくってさぁ、、、

見る都度そう何度か書き込んだら、いつのまにか、数人いなくなってたw活動一時期休止します、だってw

いや成長すりゃいいだろが?


でも、そう気付ける者はまだましだな。


一時期出版社で事務やって、夜はバーでバーテンやって、土日は労働バイトしていた。一人一つの人生じゃ経験値足りねーとか思ってたんで。

で、友人から「アフリカ行かねー?」とお呼び。

アフリカというか、砂漠だけには興味が合った。むかしから。

なのでいろいろ処理するまで数ヶ月待ってもらい、

会社に「長期休暇ください!」「ダメです!」「んじゃ、すみませんがやめさせてー」「OK」

車、バイク、パソ等売りまくり、保険解約、支払い関係全て終わらせ、イエローカードもらい、やっと旅券とビザ鳥。チケット無いとビザくれないとこもあったんで、友人とすぐチケット買いに。



最初はなれないんで、総重量70−80キロ。預ける荷物は20キロだけなので、他は2つの中くらいのザックに入れて機内持ち込み。

友人は旅慣れているので25キロのザックとウエストバックのみ。当時は5キロくらいは大目に見てくれていた。


(ナイロビで他のパッカー達に爆笑されたり呆れられたりされ、いろいろ聞いて、いらないもんを日本に送り返したwそんでもまだ50キロ近くあったかなぁ、、最後のほうでは結構あげてきちゃったから減ったけど。今では”冬があっても20k−30kでおさまる”と思う。)


最初の中継地バンコクで1週間滞在。

「これいくら?」=How much?

すら知らなかった俺様!!友人にいろいろ教えてもらいながら、、


次は、長距離バスみたいにいろいろ中継地経由飛行でナイロビ。安いチケットだからね。

ナイロビに一ヶ月滞在。そのあいだにやっと自分だけで買い物できるようになった。

で、これさえあれば1人でいけるな?と、英和・和英辞書を掲げ、

「俺、一人で南部にいく!!」宣言

同じ宿の日本人全員が、全員は一人残らず反対。

「おめーひとりじゃあぶないわ、、、」だとさ。


でも、ルート決め、ビザとり期間(滞在期間等)の予定を作って見せたら、

まぁ、、いけるかな?とか。

で、いってきまーす!

別に、「何かあったらあったで、仕方がないな」と、出る前から俺の中では決めていたんでOk。

最後まで最善を尽くし、んでもダメだったらどーしょーもないだろ?

(何が最善なのか?も重要だけど。でもその意気込みというか、、アレな部分、、は皆同じだったと思う。)


ただ、行って良いのか?だめなのか?の線引きがなれないと難しい。その線の一歩向こうに行く。で、帰ってくる。そこで自分は少し強くなる。それを続ける。=経験、ってやつ。


いや、今回は不味いと思ったけど、ラッキ♪

という事は、多分、あっちに行った者達の少なくない数の者達は、いろいろ経験あるんじゃないかな?そう、いろいろと。


いろいろやってきた世界出っぱなしで10年以上日本に帰ってないや、そういえば。って者がいたけど、、、もう「余生」なので、という認識を持っている。ちなみに五体満足、大きな傷もないくらいラッキーなやつw


ナイロビから下ってカラハリ砂漠まで行ってトラックウンチャン用のモーテルに少し滞在し、南下し、東進し、海沿いからナイロビに戻る。(砂漠を見る!滞在する!を達成!!しますた!!)

ナイロビの宿では、友人は先にインドに出たという。こっちも友人の予定に合わせインド、ネパールなどうろついたが会えず。国際携帯とか一般的でなかったからね。

一旦バンコクに戻って、再度西に。で、なんだかんだで、またバンコクに戻り、日本へ。


今思えば、、、今もそうかもしれないけど、


なんにもかんがえていないんだなぁ、、、あっはっはっはっはっは!!!

みんなが危ぶんだのはこっちだったんだなっつ!!!


そっから、日本で派遣(その頃はまだ派遣法がまともだったので派遣が一般的ではなかったから稼げた)とバイトで稼いで、少しためちゃ外に出ていた。航空券も3万円くらいでBKKまで行けたし、BKKではBkkから他に行くチケット安かったし。


中国では友人宅に滞在。北部なので人は良かった。


って、金かからんトコしか行っていないww勿論猿岩石とかの出る前。

基本「いきてりゃラッキー」がデフォな者しか見なかったような気がするBKK以外では。BKKは、日本国内と一緒のようなもん。つか、もっとマシかな?よほどマシかな?


当時もBKKでは駐在員うざかったが、そんでも当時はいまよりもセコさケチ臭さは小さく、現地で反感もあまりなかったのでマシだったかな。そんでも日本をそのまま押し付ける阿呆がいるから、水路で浮いていたり、ってのはたまにあった。

他国にお邪魔していますよ、的な意識ゼロなんだよなぁ、自分じゃ「ちゃんとそう思っている」とか言ってるくせに。

そこがアメリカ人と一緒。そこらへん欧州人はちゃんとわかっているから話しても話があう。



で、いつの間にかタイでちっさい会社やったり、、

嫁貰ったり、子供出来たり、

私事で日本にもどらなければならなくなったり、日本で嫁子供がいじめにあいまくったり、


全く面識ないのに、「外人(カラード)」なだけで嫌がらせされるってのは日本が一番多かった。

アメリカくらいじゃね?日本以外でそんなことするの。(ハワイは結構平和だった、旅行でだけど。つか一部パラダイスw)


ちなみに、最初の旅行当時、アフリカでは日本という国を知っている者が居ない地域もすくなくなかった。

チーノ!チーノ!ってバカにした口調で子どもたちが言うの、、中国人見下されてんだなぁ、、

と思ったら、タザラ(タンザニアザンビアレイルウエイ)で中国人技術者達に列車の中で会った。列車の技術指導に来ているという。「早く帰りたい」だって。そーだよなぁ、、。現地人がアレってのもあるが、主に飯が合わないと愚痴ってたけど、、、どうだろ?


でも中古で日本車いくらかあった。主に欧州車だったけど。古くても直して走るのは主に欧州車。

車の修理屋に、日本車は長く持たない、とグチ言われた。(流石に日本を知っていた)

仕方がないよなぁ、、根っこが違うんだから。作っている者達の。

壊れやすいアメ車でも治せばすごく長持ち。あの豪州車でさえも!!

でもそういうのと比較しないで下さい。今なら韓国車や中国車と比較してください。そーすりゃ買い得だと思うかな?


(結構思い出すもんだね?年寄りの記憶力って、、、、。もともと記憶は下手な方だったんだけどねぇ、、だから勉強とか苦手だったし、、、物理とか理科とか技術とか理屈ものはまァ、好きだったけど)


西アジアはとてもよかった。

荒涼とした地域の良さを感じた、知った。岩漠を知ったのもここ。

現地に行かないとわからんものだった。

そんなところで暮らす者達。

ちゃんと対峙すりゃ、認め合える、ひと。


ちなみに、ホンコンのアレな社会のおひとで、ほとぼりさましにBKKに15年くらいBKKの半分を仕切るその手のお人のところに居候していた奴。

結構激しく議論したけど、お互いの言い分はわかって、結論はココでは出ないこともお互い理解しあえた。

嫁のマブダチ的な奴だった。

あとから嫁が

「あれだけ激しく議論する者などいなかった。普通怖がる」

そうだ。

理解能力持ってて、世界常識的な物差し持ってる者なら、議論程度なら怖がる理由ないだろ?

しかも、

「あの日本人(俺ね)がお前のだんなじゃなかったら、お前と結婚するとこだったんだが、、(奪うという意味)」

とか言ったとか?ほんとかよ?

でも鉄火肌ばりばりだからな嫁w何も考えていないからww

年一度来るその上司、つまり黒のボス、の嫁となかよくなり可愛がられ、しかも食事の時にうちの嫁がそのボスにへいきで口答えするんだと、、、で、そいつもボスの奥さんも喜ぶんだとww(ボスは、BTSという高架鉄道の運営会社のホントのオーナー&タイで2大芸能プロダクション(もっと手広くやってるけどね)の一つのホントのオーナー。所謂経済マ**アとかいう?なんかホンコンで4大の組があってその1つだと言うけど、どーだろ。その芸能プロの一つに営業に行ったら、マネージャークラスでもその人の名を知っていた。)

まじこわいもの知らず!!(俺は無関係なのでそのボスが来ると嫁は行くが俺は行っていない)


そういえば、自分でビシネスやってた時にマレーでも少しやって、そん時嫁を呼んだ。

嫁は国外出るのはじめて。英語できません。BKKからの国際列車で一本だと説得したんだけど、

「チケット買ったら1000バーツも無かったんで、飯もくっていない」

とかわいそうなことをしてしまった。一泊2日の国際列車の旅です。台無しだよね?かわいそう。

国境超えとか他にタイ人多かったんでどうにか。でもその時にいちゃもん付けられてたカンボジア人と白人のカップルに加勢してタイイミグレ職員とやりあったそうな。マレー側の職員は「よくやった!」とか言ってくれたそうだけどw


BKKでのビジネスの方は最初1年が厳しかった。が、一度3星?5星?の国際的ホテルが客になったらあとは結構うまくいったのがよかった。日本じゃぜってー無理!!ww相手にされない、話すら聞かないだろ。


そーいえば、日本で派遣で営業やってた時、飛び込みは外資系ばっか選んでた。やりやすかったなー。

だって日系は偉そうなこと延々と言いたいこと言って、結局話しにならんのだもんなぁ、、決済権無いやつがそう偉そうにしているし、、外資は少し話すと決済権ある者が出てきたからね。大使館とかも標的だったなw


もしワシが怖い人だったら、そうはならんよね?特に外人なら相手にしてくれないよ?

契約にまで行く、ってのは彼らがそれなりに見てくれたから。基本、外資は阿呆を外地に出さないから人を見る目など持っている。ソコから全く違うよね、我が国の企業と。


ちなみに、日本で営業でまわった時、ケニア大使館でスワヒリ語で最初少し話したらすごく喜んでいた。

が、もう忘れたので後の会話は英語でお願い、ってったら、悲しい顔していた。

なので、

もし近所に良さげな外人住んでたら、その国の言葉で挨拶だけでもしてやってみてくれませんかね?

多分喜ぶともふ。喜んだら嬉しいかな。


こっちだと、ワシにそう言ってくれる者がおおいんで、喜んだふりするのが辛い、、

これがザイールとザンビア国境付近のちっさな部落とか、西アジアの禿山の麓のちっさな部落とかだったら、驚くし素直に喜べるかもしれんけど、、、bkkじゃ、ねぇ?



外で、その土地の者しかいない所で暮らしたり活動したりしてると、自分のセコさケチ臭さがすげーレベルだと言うことが嫌と言うほどわかった。

なので、抑制した。

(あとあと嫌と言うほど知ったが、そういうのは日本人の「業」みたいなので、)根性で押さえつける。続ける。と、それが習慣になり、常に自然に抑えてる。たまになんかのときに出てきちゃうが、反省する、でまた抑えつける。

論理的思考で、いろいろ考えなど変えることは可能だ。でも「業」はそれでどうにかなるものではない。


だから、日本人が人権や民主主義や法といった概念を世界標準で持てない、というのは、単なる経験が足りない。それができている地域で、それができている人たちに混じって生活していれば、そのうち感覚で少しずつわかってくる。つまり「概念ができてくる」ということ。じゃないかな?と一縷の希望w

知らない概念をいくら頭で考えても無いものは無い。なので「得る努力」を得るまで続けて初めて手に出来る。無いものを知識のみ補うことは不可能。二色の世界の住人に色を教えることは不可能なのと一緒。


「自分が何を知らないのか?」(特に概念レベルで)

を、見つけることはすごく難しい。特に知っていると思い込んでいることに関しては。

そして、「それを俺は知らなかったんだ」と、今までの思い込みを全て捨てることも容易ではない。自分の中のクズが抵抗するから。そのクズをぼこぼこにして黙らせる。

そこから初めて「新しい概念を知る素地」を作ることができる。素地は素直さ、興味、好奇心、思い込みを排除する、などが重要になる。あとは実地で動いて経験を積むのみ。


知識ってのは参考になるときもあるが、「そういう話もあるこたある」程度にしておかないと自分を拘束(束縛程度ではない)する。それはとても怖いこと。自分の先を閉ざすから。


とか思うんだけどねw



で、日本に帰国後10年ほどでもう一人の親もいなくなったんで、今やっと放射能も狂気も無いところに帰ってこれたというわけ。

ちなみに、日本は合成添加物や農薬の規制のゆるさは世界随一だと言う者も少なくない。日本人にね。

そういうのに一番弱いのが脳神経です。放射能は甲状腺はもとより脳と心臓にかなりきっつい。

スリーマイルとかは、医者が買収とかされているの少ないので、結構表に出ている。

中国は農薬は規制しているけど、密かに製造され安く売られているので使用されちゃってる。民度の問題w

北部はマシだと思うんだけどね?



んなこんなで、今ココ。



で、もし議論(論理的なもの)とかしたいのであれば大歓迎なんすけど、ここのコメント欄ご利用ください。

ソース厨はご遠慮願いますw


議論は、それをしている者達になんからかのポジティブな要因を寄与するものでなければなりません。ですが、それが目的ではありません。知りたい、知らせたい、わかりたい、わかってもらいたい、の応酬が議論。

言うことだけ言って、相手の話を理解しようとしないのは議論ではないですね。


「言われるのが嫌」という人が今の我が国には多くみられます(晋三がその典型w)。

なのでコメント欄にも無難なものばかり、もしくはイミフな超短文。

理解するのたいへんw自分のコメ欄にイミフが来た場合、相手の作品読んだりして意識の方向等みつけてやっとコメントの内容わかったり、、

中学生程度の八つ当たりのほうがマシかな、というのも過去にあったし、一回目はそれなりに対応したけど「二回目はない」ので二回目は虫。俺は親でも兄弟でもないからね♪


でも、どう言ったら相手に理解できるだろうか?な努力しているなーと見える文はちゃんと対応。

こっちもにちゃんで最初の頃皆に世話になったからね。



まぁ、この文を読む人などほとんど居ないだろうけど。

でも


一応、書いておきたかった。


ので書きました。


乱文もいいとこですね?

ごめんなさい。素直に謝ります。でも、ここいらへんが私の能力的に限度かな?なので容認きぼんぬ!


ここまで読んでくれた人、偉い!!よく読み切ったこんな文!!

「駄文理解力読み切り力すごい一級」認定です!!おめでとうございます!!


ありがとうございました!!









注:なんか書いてないこといろいろあるだろー、とか勘ぐる事は禁止です!!ww

(何度か読み直したからダイジョブ!w)



注2:ちなみに、企画で「主人公がハゲ」に参加したんだが、小説でないけど、ワシハゲているんでいいかな?ダメかな?




注3:ちなみにノンフィクションである。

面白いのは、日本人以外はこれらの事実を話してもそのまま受け入れるけど、日本人だとまずダメ。信じられない様子なんだよねー。そこからして理解不能で怖いんだよおおおおおお!!否定する合理的理由が存在するならわかるが、まったくないくせにそうなんだから理解できるわけなかろう?

(除く同レベル以上のパッカーとか元パッカー。奴等にとってはこんなの日常)

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おっちゃんはこわくないよぉー♪ (旅が人生?人生が旅?どっちだろ?) ユニ @unittjtkhs

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