12. 安寧

ハンキは、全員が穴に降りたのを見届けると、少しの跡も残らぬよう慎重に入口を閉じた。


足先まで呑み込む闇の中では、家守やもりのように進むしかない。神父は、じっとりと濡れた手の片方で壁を伝い、もう片方でカミーナの腕を引く。そこに溜まった湿気がただの雨水なのか、煩悶はんもんから生じた手汗なのかは、彼自身でさえ分からなかった。地上のざらざらした音が遠ざかるにつれ、かび臭い空気が一層濃くなる。


「……一体、何処まで続いているのやら」


神父が低い声で呟いた時、彼の遥か下方に、ボンヤリと輝くものが見えた。

──誘導灯である。

泥を固めたような闇の中心で、緑色の電気が弱々しく明滅している。近付いてよく見ると、その真下に大きな扉があるのが分かった。


四人は先に、電灯の方をじっくりと見た。

辛うじて、表面に浮かぶ文字は読み取れる。


「……『第二避難シェルター 中央部』……?」


「あの女、本当に一人で生活してるのか?」


「……分かりませんが、ひとまず入ってみましょう」


神父は恐る恐る冷えた取っ手を掴み、力を込めて引く。重々しい響きと同時に、まばゆい人工の光が彼の視界を満たした。


「ここは……」


天上の宮殿のような大部屋。

その広さも明るさも、礼拝堂とはまるで比較にならない。幾つもの照明が高い天井にぶら下がり、無機質な壁を白く淡く照らす。タイル張りの床には、玩具おもちゃのような丸椅子と机が、端から端までズラリと並べられていた。


「岩盤を削って、蟻の巣みたいに広げてあるの。すごいでしょ?」


四人は驚いて、声のした方を見る。

すぐ側に、敷物を置いた椅子に悠々と腰掛け、周囲を見回す女の姿があった。各々好きな場所へ座るようにと、微笑んで促している。彼等が勧められるままに席へ着くと、


「聞かせて頂戴。あの森で、どうやって生き延びたのか」


彼女は保護帽を脱ぎ、客人達に向き直った。



*     *     *



女は、名をルノと言った。

町が滅ぶ前、一般庶民であった彼女は幽鬼達の噂を聞き、迷信だと笑う人々に逆らっていち早く避難した。ややあって、混乱の末に町民はみな餌食となり、彼女だけが助かった。

今はこの強固な要塞を利用し、生存者を尋ねながら暮らしているという。


理知的な見た目に反し、彼女は随分と多弁であった。故に、神父が自らの境遇を語り終える頃には、とうに夜の影が地上を包み込んでしまっていた。


「遠慮しないでね。いろいろ教えてくれたお礼よ」


ルノは皆をこぢんまりした個室に通すと、缶詰や瓶、食器の諸々が入った箱を渡した。神父は謝辞を述べ、手際よく晩餐の準備に取り掛かる。その様子を見て、彼女は思わず問い掛けた。


「あら、食事前のお祈りはいいの?」


途端、重たげな目がパッと見開かれる。

彼は少しうつむいて、ばつが悪そうに答えた。


「お恥ずかしい話ですが、私は今まで、讃美歌の一句、聖書の一節も、ついぞ見たことが無いのです。……この礼服にどんな由緒が在るのかさえ、存じておりません」


「まあ……うふふ。変わった神父さんね」


彼女はふと、何かを思い出したように顔を上げ、


「ちょっと部屋を片付けてくるわ。どうぞ、お先に召し上がれ」


と、廊下へ出て行った。

タルヴィはやっと警戒を解き、大きな箱を漁りだした。そうして、取り出した缶詰を数個、ハンキの手元に並べていく。


「俺とカミーナはこの小さいやつ。お前のはこっちだ」


彼は不思議そうな顔で、与えられた物をしげしげと眺めていたが、すぐに自分の役目を理解したらしい。不器用な手つきでさじを握り、円形の蓋に突き刺す。

やがて、骨の砕けるような軽い音と共に、金色の油が流れ出してきた。


「えーと、神父様の分は……」


続いてタルヴィは食糧を一つ一つ手に取り、表面のラベルを確認し始めた。

カミーナも真似をする。


「これは? 野菜の名前しか書いてないよ」


「……お、大丈夫そうだな」


少女は嬉しそうに、選んだものをハンキへ手渡す。無論、これも簡単に開いた。赤い液と生ぬるい香りの溢れた缶が、神父の前に置かれる。


「有難うございます」


彼は一礼し、器の中身をすくってゆっくりと飲み下す。するとタルヴィが、彼の側に寄ってささやきかけた。


「……やっぱり俺は、アイツが信用出来ません」


「分かっています。ですが、もう私達には、彼女の他に頼れるものが無い……」


神父の憔悴しょうすいしきった目が、煮汁に浮かんだ豆をジッと見つめている。話し声をうんとひそめ、タルヴィは言った。


「あんたは………恨んでますか?」


「いいえ」


先程と同じ、淡白な答えが返ってくる。


「けれどあの子には、絶対に同じ思いをさせたくない」


不意に、神父はカミーナの視線に気付いて会話を止めた。眉を落とし、柔らかく笑ってみせる。


「なんのお話?」


「何でもありませんよ。これからの事について、少し相談しただけです」


そう言って、彼は目を横に逸らした。


「……ああ、ハンキ。匙を使って飲みなさい。口を切るといけませんから。カミーナ、貴方も何か食べなければ、体が持ちませんよ」


渋々カミーナは諦めて、簡素な食事に手を付け始めた。後ろめたい心のある時、空間の一点を見つめるのが神父の癖であり、彼女もまた、それを知っていたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る