11. 雨露

曇天の僅かな光が、とうとう降り出した雨に混じって室内に射し込む。埃っぽい無垢材のフロアからは、モヤモヤと硝煙が立ち上っている。既に冷たくなった遺骸の、顎から上の肉は、何かの爆発を受けたように抉り取られていた。


(この野郎……死にてぇのか? それとも只の馬鹿か?)


悪血の濃い臭気が漂う中、タルヴィは女の面を、激しい怒気を込めて睨みつける。一方で彼女は、何も取り立てて騒ぐことは無い、というような、ました顔でこう言った。


「大丈夫よ。こいつらに普通の音は聞こえないから」


「……何だと?」


「その代わり、人間には聞こえない音で会話をしてるの。『超音波』っていうのかしら、蝙蝠とか象がやってるのに近いと思う。特に……」


話の途中で、彼女はふとタルヴィの背後へ目をやった。すぐさま、板材のパキパキと軋む音が幾重にも連なって響いた。


「タルヴィ! 無事ですか!?」


青ざめた顔の神父を先頭に、狭い入口から二人の朋友ほうゆうがなだれ込む。女はほんの少し驚いた様子を見せ、神父が落ち着くのを待った後、彼に話し掛けた。


「あなた達、ここの住人じゃないでしょう。避難所を探しに来たのね?」


「はい。この広い町ならば、多数の人間も逃げられる場所があると思ったのです。けれど、いくら歩いても見つけられなくて……」


にわかに、娘の美しい蒼玉の瞳がにごった。


「残念だけど、今生き残ってるのは……私だけよ」


皆が予想していた通りの答えだった。

とはいえ、誰も言葉を返すことは出来ずに、乾いた沈黙の間を、秋雨の透き通った音が厳かに響いていく。しばらくして、声を上げたのは女だった。


「……もし、他に行く宛が無いんだったら、私について来て。安全な場所を知ってるの」


彼女は半ば自失状態となった神父の手を引き、部屋を出た。細く降りしきる雨粒を避けて、突き出た屋根の下を進んでいく。


「それにしても、良く生き残れたわね。村の中じゃ車も使えないでしょうに」


女の言葉に、神父はゆっくりと答えた。


「……何故分かったのですか?」


「変わった服を着てたから。森の生活は……最初は安全だったけど、あいつらの習性が変わって、隠れられなくなったんでしょ?」


「その通りです」


「確かに、あれは大変だったわね……」


民家の裏に回った所で、雨空によく似た灰色の、四人乗りの商用車が停まっている。女はドアの前に立つと、戸惑った顔の客人達に向かって呼び掛けた。


「昼に動けるようになっても、警戒心の強さは相変わらずみたい。走ってさえいれば安全よ」


「……本当に?」


「ええ」



*     *     *



車内には濡れた石の匂いが満ち、ガラス窓の外を、水煙にかすんだ景色が滑っていく。しかし、冷雨の陰気に当てられた四人には、言葉を交わす力さえも残っていない。


「起きて。着いたわ」


いつの間にか浅い眠りに落ちていた彼らを、優しげな声が目覚めさせる。皆が車を降りた後、娘は苦笑した。


「狭くてごめんなさい。でも安心して。私の家はもっと広いから」


「……俺には一面の雑草しか見えないが、何処にあるんだよ?」


うら寂しい空き地を眺めながら、タルヴィが吐き捨てるように言う。女は、あからさまな疑心に満ちた言葉を、唇の端を上げて笑った。


「ここ」


薄黒いブーツを履いた足が、力強く地面を撫でる。すると、砂利の払い退けられた所から、魚の腹に似た銀色の光がちらちらと覗き始めた。丁寧な加工の施された、四角い金属板のように見える。


「よいしょ…っと」


娘が手を伸ばした途端、それは簡単に持ち上げられ、地面には同じ長方形の深い穴が残った。幅は、人間ひとりがやっと通れる程狭く、目も眩むような地底の闇の中へ、緑苔りょくたいにまみれた階段が真っ直ぐに伸びている。


「気を付けて。節電中だから」


呆気に取られる神父達をよそに、彼女は踊るような足取りで段を降り始めた。誇らしげな顔はみるみる暗黒に飲まれ、見えなくなった。

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