10. 閑散

「タルヴィ! 一人でいっちゃだめ!」


カミーナは必死で高声を上げるも、青年の影は見る見る小さくなる。間髪を入れず、神父が梢を掻き分けながら追っていった。


「待って! ……待ってよ!」


ハンキの背から振り落とされそうになり、彼女は両腕に強く力を込めた。やがて、だんだんと近づいてくる森林の切れ間から、弱々しい輪光の下に立つ、二人の姿が見えた。


卵の町ムナ・カトゥ』。


整然とした道路が引かれ、真新しい小綺麗な住宅に、旧時代の木造家屋が入り乱れる小都市。そこには最早、烏の一羽すら見受けられず、わずか二三枚の落ち葉の他に、何も動くものは無かった。


「神父さま……」


ハンキの背を降り、神父の顔を見上げながらカミーナは呟いた。色白な肌はろうのように強張り、眉ひとつ動かない。彼はただ、込み上げる動悸を漏らさぬよう、必死に努めている様子であった。


「………なぁ」


「確か……確か西の方に、避難所になりそうなデカい倉庫があったんだ。……行ってみようぜ」


生気を失った青い唇で、タルヴィが言う。

程なくして、誰一人声を発さぬまま、彼の示す方角に歩き始めた。自動車、住居、看板等はそのままに、生物だけが跡形も無く消失している。いくら進めども、血痕はおろか死体ひとつ見当たらないのは、確たる異常であった。

そうして、灰色の街路に沿ってひたすら歩き、住宅地を半分ほど過ぎた時。


「待って下さい!」


静寂を破ったのは、神父だった。


「『声』が二つ……あの家からです!」


彼らが視線を移した先に、二階建ての小さな家屋があった。淡い黄色の切妻屋根の下、傾いた外壁に大きな四角窓が取り付けられていた。その中央にぼんやりと、青みがかった霧のような物が浮かび上がる。

同時に、タルヴィが叫んだ。


「……女だ! 中に居る!」


「行きましょう!」


神父が言うが早いか、狭い歩道を野人の影が走り抜けていく。彼は強靭な二足で戸口へ踏み込み、その片方を鍵穴の高さまで振り上げると、一気に踵を落として蹴破った。

木材と錆びた蝶番の割れる音。

それに呼応して、地の底から湧き立つような、獣性に満ちた呻きが上がる。


「来やがれ!」


既に瞳孔を開ききったタルヴィが、揺らめく異形の像を捉える。

彼はハンキの肩越しに矢先を合わせ、歪んだ首筋へ斜めに撃ち込んだ。無数の太い血管を貫いてもなお、矢は勢いをそのままに、後方の壁板に深々と突き刺さった。


「ハンキ、二人を頼むぞ!」


タルヴィはそう言うと、生暖かい肢体を飛び越し、血痕の続く廊下を一目散に駆け、居間に通ずる扉へ辿り着いた。暗い部屋に踏み込んだ所で、彼のわずか半丈先に、一人、若い女の姿がある。

彼女は、無残に引き裂かれた家財の中、古びた散弾銃を構えて彼を凝視していた。青色とも黒色ともつかぬ短い髪に、貝のように丸い保護帽が被さり、冷ややかなへきの瞳を際立たせている。


(……軍の人間か?)


娘の凛然たる視線に、タルヴィはかすかな怖れを感じた。それも束の間、割れ砕けた机の陰から、もう一匹の獣が転がり出て来た。彼女はサッと身をひるがえし、迫りくる悪鬼の額に向けて銃口を掲げる。


「撃つな!」


咄嗟とっさに、しかし威勢よく放たれた矢は、その軌道を下方に大きく逸れ、標的の頬をかすめただけだった。


(何で当たらねえんだ……!)


彼はすぐさま弦を引き、二の矢をつがえんとする。


しかし既に、女のか細い指は、引金の中に潜り込んでいた。


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