9. 出立

早朝、無音の霧で覆い隠された森。

太陽は中天の白に溶け込み、姿を消していた。


教会から少し離れた所に、いかめしい表情の男が立っていた。雲を越えんばかりの背丈を更に伸ばして、ひたすら空を睨んでいる。彼の、焼け焦げた枝のような髪と、黒い地に広がる枯れ草が、寒々しい大気になびいた。


「……どうだ、空は」


礼拝堂の中から、重たげな矢筒を背負ってタルヴィが現れた。隣にカミーナを連れている。


「…………」


ハンキはゆっくりと片手を上げ、何かを描くように動かした。その合図に、タルヴィの背後で神父が呟く。


「昼からはずっと雨、だそうです」


「……じゃ、急いだ方がいいですね」


彼らは歩きながら、カミーナに呼び掛けた。


「森を越えた先に、卵の町ムナ・カトゥという町がある。……数時間はかかるが、まずはそこを目指そう」


「私の力とタルヴィの目で、貴方を守りながら進みます。もし『奴ら』の側を通る時は、できる限り音を立てないで下さい」


「町は村と真逆の方向だから、『奴ら』に会う確率は低いと思うが……油断しないでくれ」


早歩きの二人と、少女の距離はだんだん離れていく。突如、カミーナは深い恐れに囚われた。


「……どうするの? 町の人も食べられちゃってたら……」


彼女のささやきで、話し声がふっと途切れる。二人は互いの顔を見合わせた。


「……『奴ら』の情報は、既に村外へ伝わっているはずです。住民達が何らかの対策を立てているでしょう」


「神父様の言うとおりだ。町は広いし、便利な道具も沢山ある。きっと誰か生きてるさ」


神父はうなずきながら、カミーナの目の前に歩み寄った。月長石のような細い指が、彼女の両肩に触れる。


「ここで救助を待ち続けるより、確かな希望があります。……信じて、進みましょう」


「…………」


彼女は何も言わず、透明の瞳を見つめ返していた。


「……もう、出発しなければ。ハンキ、カミーナをお願いします」


いつの間にか、三人の隣にハンキが立っている。カミーナは彼の背に負われ、闇深い森へと進んでいった。


(………さよなら)


錆びた砦の影が、少しずつ遠ざかっていく。教会の黙々たる威光は、死した枝木に埋もれ、やがて見えなくなった。



*     *     *



痩せ細った樹冠の下を行き過ぎる、大小様々な影の列。

その先頭をタルヴィが往く。

彼は熟柿色の目をギョロリと開いて、木々の隙間を覗き込んでいた。一時も休まず使っている為か、眼裏の筋がきりきりと痛む。

彼は少し力を緩め、自らの後に続く神父へ問いかけた。


「神父様、『声』はどうですか」


「……ほとんど無くなりました。やはり、村とその周辺が住処のようですね」


彼は安堵を交えた声で答える。

しかし、その表情は陰りを失わなかった。


(……数は、確実に増えている)


思案する彼の隣で、更に不安げな声が上がる。


「ねえ、あとどのくらいかな……?」


タルヴィはカミーナに見えるよう、正面を指差して言った。


「もう少しだ。ホラ、向こうにでかい屋根が見えるだろ?」


「見えないよ」


「他にも目立つもんがあるぜ。屋根と、看板と……後は……」


「…………」


「タルヴィ? どうしたの?」



彼の言葉は、それ以上続かなかった。

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