8. 混迷

冷えた廊下にたたずむ、先の見えない巨大な闇。

中には無数の死骸が折り重なり、熟れた果実の様な塊を作っていた。



全身に絡みつく血を取り去った後、一同はタルヴィの部屋に集まった。

沈黙の中、鉄錆に似た不快な残り香が漂う。

各々は膝を曲げ、揺らめく灯を囲んで座っていた。


「あれ、何だったの?神父さまもタルヴィも、どうしてこわがらないの?」


誰もカミーナに目を合わせなかった。

彼女は声を震わせ、問い続ける。


「……本当は知ってるんでしょ。教えてよ」


「…………ああ」


部屋の隅で、沈んだ声が上がった。

真紅色の両目がジッとカミーナを見ている。


「ここ三ヶ月、全く村の人間が来ていないよな?」


「うん」


「恐らくだが、みんな殺された」


「……あいつらに?」


「そうだ」


タルヴィは静かに語り始めた。


「『奴ら』は急に現れて、夜の村をうろつき始めた。そのうち村中が騒ぎ出して、いくつかのルールが作られる事になった。『夜間は灯りを消して、家で静かに過ごす』とか、『全ての門を封鎖し、外部との接触を断つ』とかな」


「俺は只事じゃねえと思って、こっそり教会へ逃げ出したんだ。それから神父様と相談して、ここを守るって決めた」


「『奴ら』の目は光に弱いらしい。その上、用心深い性格でな。少しでも不利と思ったら、手を出さずに逃げていった」


彼は灯の方を向き、淡く白熱するガラスを眺めた。


「たった一つの灯でも、『奴ら』を追い払うには十分だった。適当な場所に置いておくだけで、警戒して寄って来なかったんだ」


タルヴィは、自身に困惑の念が向けられているのを感じた。

彼は落ち着いた様子で答える。


「お嬢ちゃんの思った通りさ。今は……妙な事が起きてる」


彼はふと視線を泳がせた。

神父が、床についた手を細かく震わせている。


「……もし、『奴ら』が少しずつ成長しているんだとしたら……」


教会ここも、長くは持たないでしょう」


神父はうつむいたまま言った。

すぐさま、カミーナの顔が色を失っていく。


「それって……まさか」


「……突然の出来事で、貴方の不安な気持ちは良く分かります。しかし、最早ここは安全ではありません。一刻も早く離れなければ……」


「絶対いやだよ! その方があぶないに決まってるじゃない!」


「……どうか、私達を信じてください」


「いや! いまさら、信じてほしいなんて……」


再び息苦しい沈黙が戻る。

見かねた様子で、タルヴィが語りかけた。


「思い出してみな。今日、神父様はに帰って来た。……ただ運が良かったって訳じゃねえ。そうでしょう?神父様」


彼の言葉に、神父はゆっくりと顔を上げた。

その瞳は何も映していない。


「……あの日、私の体にも変化が起きました。今まで狂っていた感覚が、正常に戻った様な……」


彼は片耳に手を触れ、呟いた。


「窓の裏です」


一瞬、カミーナの視界を黒い物体が横切った。

彼女が反応する間もなく、鈍い衝撃音が響き渡る。


「え……?」


カミーナは恐る恐る窓へ目をやった。

刃先から柄まで、全面が赤黒い粘液で汚れた斧。

それが、硬い窓枠に深々と突き刺さっていた。


「……行きました。もう戻って来ないでしょう」


「ありがとよ、ハンキ」


混乱するカミーナの前を、ハンキが通り過ぎる。

彼は窓際まで辿り着くと、血生臭い得物えものを乱暴に引き抜いた。


「カミーナ、私は……貴方を本当に愛しています。故に、貴方が『奴ら』と一切関わらないように努めていました」


神父は手を降ろし、よどんだ目をカミーナに合わせた。




「この力を使って」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る