3. 木立

教会のかたわら、セイナの森と呼ばれる地帯には多くの伝承が存在する。


黒く湿った樹幹が村民の想像心を掻き立て、長年にわたり物語をつむがせていた。大半が荒唐無稽な物にもかかわらず、村中の幼子を震え上がらせ、親達のしつけに用いられることさえあった。

中でも頻繁に語られたのは、人の生血を好むというの噂である。



白昼、橙の光が林道を滑るように広がってゆく。朝の快い眠気が蘇る時分に、野原を舞う影があった。


「ハンキったら、苔桃プオルッカのパイをぜんぶ食べちゃったの。ひどいわ」


「……………」


不満を零す少女に、ハンキは困ったような顔で返す。彼は一瞬動きを止めた後、ゆるりと教会の方を向いて歩き出した。

暗い背面は、妖魔さながらの前時代的な恐怖を宿している。


「おやおや……。貴方が望むなら、明日も作ってあげますよ。暖炉カミーナ


神父が少女の鳶色とびいろの髪を撫でて言った。


「ほんと?」


少女は両目をさんさんと輝かせ、軽やかな拍子で森に歩み寄った。

淡いビーズをまとった服が可憐に光る。


「わたし、木の実をとってきてもいい? 今日のおしごと」


「ええと……はい、お願いします」


返事を聞き終わる前に、カミーナは木々の隙間へ飛び込んだ。


時折服を掴む小枝を払い、駒鳥のように頭を上下させる。美しい紅赤が両手を満たす頃、カミーナは小さな足音に気が付いた。

耳を澄ませてようやく聞き取れる程に弱々しい。巨躯な獣の立てる物ではない。


「あれ……何だろ」


彼女は少し躊躇ちゅうちょして、音のする方へ目をやった。枯れ葉越しに村を望める方角に、若い唐檜とうひの群れがジッと沈黙している。



その内の一つが、梢を広げて揺れた。



突然左肩を掴まれ、倒れそうになる体を両足で支える。


「部屋に戻りなさい。今日の遊びはここまでです」


いつの間にか背後にいた神父が、透徹とうてつした目を真っ直ぐカミーナに向けている。その顔貌からは至情しじょうが消えていた。

異様な気に恐れを感じたカミーナは、すぐに来た道を探し、引き返した。


高まりつつある空はわずかに寒気を流している。帰路の途中、神父が来ていない事に気付いても、振り返りはしなかった。

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