13 黒猫にまつわる伝承



 それまで無言で話を聞いていたハカセは、不思議そうな顔をする。


「そういえば、西部にも東部にも真っ黒な猫は一匹もいませんね。テレビで黒猫を見たことはありますが、昔からそうなので、島で見かけない理由について考えたこともなかったですが……」


 ミケは悲しそうな顔で言った。


「それは、この島の歴史が関係しているわ」


 そして、彼女は公民館の歴史コーナーに表示されたパネル展示に目線をやった。


 つられてパネルを見たハカセは、そこに書いてある文字を読んで絶句した。


「もしや……人間が、罪のない黒猫を?」


 ミケはこくりと頷いた。


「ええ。この島の人間は黒猫を不吉だと嫌っているから、大昔は容赦なく殺していたそうよ。今はさすがに命を取ったりしないけど、黒猫を積極的に保護しようとはしないの。人間の家で暮らしている飼い猫から真っ黒な猫が生まれたら、子猫のうちに親から引き離して野に放つそうよ。年を取った漁師は特に黒猫にきつく当たるから、家を追われた黒猫や野良で生まれた黒猫を叩いて脅かしたり、追い払ったりするの」


 猫たちは目を丸くして話に聞き入っている。


 箱入り娘のミルクは別として、この島に詳しい若たちですら縄張りの周囲で黒猫を全く見かけないことを、ごく自然のこととして受け入れていた。


 猫である若たちはよく分かっていなかったが、彼らの世代では、すでに黒猫の多くが人為的に淘汰されて消えていたのである。


「今でもたまに黒猫が生まれることがあるけれど、人里から離れた山中に捨てられたり、人間に追いかけられて親とはぐれてしまったりするの。そうして行き場を失った黒猫は、人里を離れて北へ向かっているうちに、クロネコ団に発見されて保護されていくみたいよ」


 お調子者のマグロも、何か思うところがあったらしく、神妙な顔をしていた。


「うちに出入りしている人間が、黒猫を追い払っているのを見かけたことがあるけど。まさかそういう理由があったなんて……。これまで深く考えたことがなかったけど、色で猫を差別するなんてヒドイよ!」


 キジトラの若は、青い顔でポツリと呟いた。


「まさかアイツ……」


 耳ざとく聞きつけたマグロが尋ねる。


「アイツって?」


「いやなぁ、一緒に生まれたうちの兄弟で一番小さかった真っ黒い奴、いつの間にかいなくなっちまったんだよな、と。血相を変えた母さんが方々を探しまわったんだけど、結局見つからなかったって泣いてた」


 ミケは気の毒そうな顔で若を見た。


「おそらく、人間に追い立てられたせいで、お母さんと暮らしていた場所が分からなくなってしまったのね。それならきっと、クロネコ団に保護されたんじゃないかしら。それか、そこまでたどり着けずに……」


 猫たちは暗い顔で押し黙った。


 ハカセは納得できない様子だ。


「なぜ、そんなことになっているのでしょうか? 不合理すぎて、にわかには信じられないのですが……」


「それは、この島に古くからある言い伝えが原因なの。ほら、ここに黒猫とかの絵がたくさん展示されているでしょ。私は文字を読めないけど、これはストーリーになっているの。クロエおばあちゃんから聞いた昔話で、言い伝えの内容は知っているわ」


 ハカセは天井から釣り下がっている、大きな看板の文字をじっと見た。


「郷土史……この島の歴史に関する展示ですね」


 この島で人間から黒猫が忌み嫌われる原因となった伝説。


 ミケの語る昔話を聞きながら、日本語が読めるハカセとミルクはイラストの下にあるパネルに刻まれた文字を読んで回った。


 内容は書物の版によって異なるらしいが、大筋のストーリーは黒猫が神社の神官たちを食い殺し、漁の神様に呪われた人間たちが原因不明の疫病でバタバタと死ぬというストーリーである。


 この伝説のせいで、猫島では昭和初期あたりまで、しっぽの長い黒猫は年を取ると人を食らうとか、漁に出る前に黒猫を見かけると海の神様に嫌われて生きて帰って来られなくなる、などの迷信が信じられていた。


 それがこの島の置ける今日の黒猫への差別につながっているらしい。


 猫たちは長年にわたりこの島の人間と共存してきたが、黒猫だけは人間から虐げられてきた。


 この展示を読む限り、過去に多くの黒猫が人の手によって間引かれたり殺害されたことは、まぎれもない事実のようだ。


 それらの歴史を動物愛護の精神に反すると反省し、教訓にするような記述もあったが、それで死んでいった命が報われることはない。


 ミケは郷土史の展示コーナーを感慨深げに眺め、クロエから聞いた昔話を語った。それは猫たちの目線から語られる、この伝説の真実だった。


 ミケの話も大筋は伝承と同じだったが、猫が神社の神官を殺したというのは全くの濡れ衣だった。偶然そのあたりの地域で、流行り病で亡くなる人間が相次いだだけ。


 ある時、疫病で亡くなった神主たちの死体が獣に食われていたのだが、島民はこれを神社で暮らしていた黒猫たちのしわざだと思い込んだ。


 それどころか、人々はこの災いを全て黒猫のせいだと糾弾したのだった。


 その後に行われたのは、島民によるヒステリックな黒猫の虐殺。彼らを排除さえすれば、自分たちの命は助かると思いこんだ人間たちの暴走は、人里から全ての黒猫が消えるまで止まらなかった。


 幸い、人間と違って俊敏な黒猫たちの多くは難を逃れ、鉱山の裏手の山に逃げ込んだ。草木に隠れ、ひっそりと生き延びるために。


 やがて長い時が経ち、人々が鉱山を去ると、多くの黒猫たちがその場所に移り住んだ。うっそうと木々が生い茂った山奥より、はるかに暮らしやすかったからだ。


 さすがにミケが語る昔話には、展示に書かれているようなエグい表現はなかったが、この迷信により過去に多くの黒猫の命が失われたのは事実のようだ。


 現在は人間が猫を殺すことはなくなったようだが、黒猫たちは人里に全く現れない。


 ミケの話が本当ならば、心に負った傷は未だに癒えていないと思われる。


 生き残った黒猫たちは今も先祖を殺した人間を恐れており、人目を避けて北部の廃鉱山の近くでひっそりと暮らしているのだから。

 

「ほら、私の体にも黒い模様がポツポツあるでしょ。私の父方のご先祖様に黒猫がいたんですって。彼は心無い人間に殺されてしまったそうなの。それでどうしても自分のルーツを知りたくて、この島の黒猫について調べて回ったわ。黒猫たちの過去を知ることで、大爺さんが確かに生きていた証になるんじゃないかって。まさか、こんな酷い話だったとは、想像もしていなかったけど……」


 ミケはしょんぼりと肩を落として言った。


「ごめんさないね、嫌な話をして。こんなこと仲間には語れないし、墓場まで持って行くしかないのかなって思っていたから。話を聞いてくれて、少しだけ気が楽になったわ。この展示の絵を見ていると、いつも何とも言えない気持ちになるの。この体の黒い文様を見ると、大爺さんも全身が真っ黒でなければ長生きできたんじゃないかなって……」


 ため息をついたミケは、言葉を続ける。


「でも、真実を知ったって私たちにできることは少ないし、人間たちの行動を変えられるわけじゃないものね。黒猫たちのことは気の毒に思うけど、私達だって子供を育てなくちゃいけない。食べ物をたくさん分けてあげられるほど、暮らしに余裕があるわけじゃないし……」


 重い空気がたちこめるなか、気を取り直すようにマグロが明るい声で言った。


「そのクロエ婆さんって猫に仲介してもらってさ。クロベエに話を通してもらおうよ。話を聞いた感じだと、人間と仲良くしている黒くない猫には当たりが強そうだし。できれば、差し入れでも持ってさ。失踪事件の被害者が食べ物をくれていた恩人だって教えてあげれば、力になってくれると思うよ。ボク、元野良だったから分かるもん。腹ペコで困っているときに、たっぷりゴハンにありつけることのありがたさ。きっと、黒猫たちもひな子さんに感謝しているはずだよ」


 こうしてクロエに会うべく斎場へ向かおうとした若たちだったが、ここで次の問題が浮上した。


「なぁ、この中で斎場に行ったことがある奴いるか?」


 全員が首を横に振った。


「っていうか、お寺って、ハカセが住んでいる神社の向かいにあるだろ? 一度くらい行ったことがあるんじゃねーの? お前だって立派なオス猫なんだし、縄張りのパトロールくらいするだろ?」


 不可解そうな顔をする若。


 ハカセは気恥ずかしそうに、仲間から目を逸らした。


「白状しますと、その……。墓地がすごい迫力で。テレビでよくやってるじゃないですか。人気のない墓地にお化けが出るって。だから、寺やお墓を遠目に見ることはあっても、敷地に入ったことはないんです」


「いや、なんでだよ! 墓地なんて石が並んでるだけだろ!」


「だって! 怖いじゃないですか! お化けですよ! お化け!」


 ニャーニャーと言い争いになっている二匹を見て、ミケは深々とため息をついた。


「仕方ないわね。斎場までの道は私が案内してあげるわよ。ここからそんなに遠くないし」


 ミルクは気づかわしげな顔でミケを見た。


「ありがたい申し出だけど、大丈夫かしら? 子猫たち、乳離れはしているみたいだけど、まだ小さいし」


「ええ、長時間家を空けなければ大丈夫よ。子猫たちはここの人間が面倒を見てくれるから問題ないわ。仕事中に私たちを家に置いておくのが心配だって言って、ここに連れてきているだけだもの。家はこことは別にあるの。締め出されることはないから平気よ」


 ミケの提案をありがたく受けた一行は、公民館を出た。


 夕焼けで西の空がすっかり赤くなっているのを見て、予想以上に時間を食っていたことに気付いた彼ら。


 村長の居所を見つける手がかりを求め、斎場へと急いだのだった。

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