5 東部のならず者たち(猫)

 さて、次の調査先を町長の家と決めた若たち。


 彼らは猫島の東部へと向かった。


 島の中央を南北に走る大通りの向こう側。閑静な住宅地が広がっているこの地域は、老獪な白猫ソンチョーの縄張りである。


 一行は若の部下を駐在所の玄関と裏口が見張れる路地の影に配置すると、見慣れない道をズンズン進んで行った。


「初めてこんな遠くまで来ました……。うぅ、すごく緊張します……」


 尻尾を股に挟み、ビクビクと不安げな様子で周囲を見回すハカセ。


「ばーか、こういう時こそ胸を張って堂々と歩くんだよ。そんなあからさまにビビったら、相手を調子づかせて余計に危なくなるだけだろーが」


 と、余裕たっぷりの若は、不敵な笑みを浮かべたままノシノシと我が物顔で道のど真ん中を歩いている。


 何度かソンチョーの部下と思われる野良猫を見かけたが、たんぽぽを一目見ただけで、ギョッと目を見開いて大慌てで逃げていった。


 このあたりでは餌が十分に取れないのか、ガリガリで体格が良くない猫ばかりが目につく。


 ここまでかなりの距離を歩いてきたが、野良猫に出くわすことはあっても、一匹としてケンカを売って来ることはなかった。


「あーあ。なんだ、つまんねぇの。これだけ目立つ行動をしているのに、ケンカを売るどころか、偵察すらせずに逃げて行くとはな。どうやら、ソンチョーはうちのボスと違って部下に恵まれていないらしい。それなら、こっちも勝手にさせてもらおうじゃないか。歩き回ればそのうちソンチョーの根城なり、町長の家なりにたどり着くだろうさ」


 その時、ハカセとマグロの耳がぴくりと動いた。


 二匹そろって、緊迫した様子で声を上げる。


「大変です! 誰かが猫の集団に追われています!」


「今日という今日はぶっ殺す! とか、かなり物騒なことを叫んでるよ! 早く助けに行かないとヤバそう!」


 それを聞いた若は、にんまりと好戦的な笑みを浮かべた。


「ははっ、向こうさんから来てくれるとは有り難てぇ。さっそく案内してくれ。追われている奴に先回りして保護するぞ。恩を売れば聞き込みに応じてもらえそうだしな」


 ハカセとマグロの先導で走って行くと、怒鳴り声がはっきりと聞こえて来るようになった。


 ぶっ殺すだの、死ねだの、待てだのと怒鳴る猫の声が聞こえて来る。追い追われる集団の進行方向に先回りした若たちからは、その光景が良く見えていた。


 最初に走って来たのは、やや小柄なオスのキジトラだった。その猫は、たんぽぽの巨体を見てギョッと目を見開き、キキキーっと急ブレーキで足を止めた。


 このまま逃げ出すのではないかと思った若たちは、急いで呼び止めようとした。


 ところが、キジトラは目の前の猫が敵ではないと直感的に悟ったらしい。


 追われてきた彼は、助けを求めるような悲痛な叫び声をあげながらたんぽぽに駆け寄った。その巨体の後ろに隠れ、盾にするようにして縮こまっている。


 たんぽぽは、自分より小さな猫に頼りにされて庇護欲を刺激されたのか、すっかりやる気になっていた。


「よく頑張ったな。もう大丈夫だぞ。何があってもおれが守ってやるからな」


 そして、獲物を追い詰めたと歓声を上げながら少し遅れて走り込んでくる野良猫の集団。すっかり勢いづいていた彼らは、目の前の光景に度肝を抜かれることになる。


 行く手には、恐ろしい唸り声をあげ、完全に戦闘態勢に入った巨漢が立ちふさがっていた。


 ビビった猫たちは、先ほどのキジトラと同様、急ブレーキをかけた。


 そんな中、群れの先頭を走っていた大柄な白猫を見て、ピンと来た若が口を開く。


「よぉ、アンタがこの辺の頭をやっている、ソンチョーって奴か?」


 年老いた白猫は若を睨み付ける。


「あ? 何だお前? 見慣れない顔だな?」


「俺は若。例の浜にうち上げられた虎猫の件で、色々と調査をしている最中だ。俺は今、ちょうどこいつから話を聞いているところなんだが、何か用か?」


 彼らのやり取りに驚いた顔をするキジトラ。ハカセがそっと近寄り耳打ちをする。


「適当に話を合わせて。今はそういう事にしておいてください」


 キジトラは不安げな顔で状況を見守っている。


 5対10か、いや、遠巻きに様子を穿っている下っぱを含めると、頭数にはもっと差があるだろう。


 若たちは四方八方を取り囲まれている状態だ。数が多いソンチョー側が圧倒的に優勢に見えるが、若は物おじすることなく堂々としていた。


 その態度は、威嚇するより効果があった。


 悠然と構えているのは、明らかにケンカ慣れしているボス猫。そして、その後ろには恐ろしく巨大で強そうな猫が控えている。


 気圧されたソンチョーは一歩後ろに下がると、苦々しそうな顔で言った。


「はっ。よそ者が偉そうに。誰の許可があって、うちのシマをうろついているんだか。そいつは、俺たちの獲物だ。大人しく引き渡してもらおうか!」


 精一杯の威嚇をして見せたが、受ける若は落ち着きはらっていた。


「こいつが獲物だって? おいおい、東部の猫は共食いをするのか? 野蛮だな。まぁ、今はそれよりも。……なぁ、本当にいいのか? そのでっかい猫はこいつのマブダチだぞ? 目の前で手を出すなんて、アンタ勇気あるな。怒ったこいつはマジで手に負えないが、お前にこいつを倒せるのか?」


 狙いすましたようなタイミングで、たんぽぽが恐ろしい唸り声を上げる。


 ソンチョー達がビビッて腰を浮かせたのを見て、マグロがニヤニヤと得体のしれない余裕そうな顔で畳みかける。


「ねぇ、悪いことは言わないから、それ以上はやめときなって。そこのデカい猫、マジでめっちゃ強いよ? うちらの間じゃ、あのヤシチの跡目はこいつじゃないかって噂されてるくらいだし。大型犬も怖がって、ケンカを売らずにしっぽを巻いて逃げていくから、相当ヤバいよね。しかも、こっちにはそんな猛者をぶん殴って家来にした強~いボスまでいるんだよなぁ」


 若の額の傷を見て、ソンチョー達に動揺が走った。


 あんな信じられないほど大きな猫を、力づくで従えているのいうのか。何て奴だ。


 下っ端の猫たちは、すっかり怖気づいた顔で若の姿をチラチラ伺っている。


「やべーよ、目つきがマジで殺し屋みたいだ」


「ボス~、あいつらああ言ってますけど、どうしますぅ?」


 部下たちは、情けない声でソンチョーに泣きついている。


 メンツを潰されたソンチョーは、部下たちをポカスカと叩いた。


「馬鹿! みっともない声を出すんじゃない! 俺が恥をかくだろうが!」


 若は大きくため息をつく。


「おいおい、今度は仲間割れか? 俺もこいつも気が短いんだ。――やるか、やらないか? いい加減はっきりしろやワレ!」


 そんな若の恫喝にかぶせるように、たんぽぽは一層大きな唸り声を上げた。


 ソンチョーはすっかり引きつった顔で、及び腰ながら精一杯の虚勢を張って捨てゼリフを吐いた。


「……き、気が変わった! お前ら運が良かったな! 今日のところはこれくらいにしておいてやる! そいつはお前たちにくれてやるから、とっとと失せろ!」


「おう、そうか。邪魔したな」


 悠然と立ち去るよそ者たちに手出しができないまま、ソンチョー達は黙って見送っていた。


 ソンチョー達と十分距離が取れたあたりで、ハカセがへなへなとその場に座り込んだ。すっかり蒼白な顔でハァハァ荒い息をこぼしている。


「ああ、死ぬかと思った……。あんな多勢に無勢な状態で、ハッタリかまして啖呵を切るなんて……。撤退してくれたからよかったものの。下手したら乱闘になっていたかもしれないんですよ! 二度とごめんですからね!」


 涙目でキレられた若は、まぁまぁとハカセをなだめた。


「言っただろ? ああいうときは、ビビった方が逆に危ないって。ハカセも堂々と構えていて、なかなかの名演技だったぞ」


「怖すぎて固まっていただけです!」


 若に詰め寄ろうとするハカセを、マグロが間に入って止めた。


「まぁまぁ。何はともあれ、結果的に何とかなって良かったじゃない。ところで、きみ、初めて見る顔だね。名前は何て言うの? その黒い皮の首輪、ロックで超カッコいいね! もしかして、この辺に住んでる飼い猫?」


 スンスンと匂いを嗅ぎながら、まるで長年の友のようになれなれしく話しかけるマグロ。


 急に話を振られたキジトラは姿勢を正した。


「俺、ムギっす。そこの公園の隣にあるおじいさんの家に住んでます。さっきは助けてくれてありがとうございました」


「どういたしまして~。それにしても、さっきは危機一髪って感じだったよね。ソンチョー達、めっちゃ君の事を嫌ってたみたいだけど。どうしてまた、あんな風に追い回されてたの?」


 ムギはきまりの悪そうな顔で答えた。


「それは、俺がいつもあいつらの弱い者いじめの邪魔をしてるからッス。といっても、虎徹さんやそこの強そうな兄貴たちと違って、ケンカは得意じゃなくて。せいぜい、ソンチョー達をおちょくって囮になって引き付けてる間に、絡まれた奴を逃がしてるだけなんッスけど……」

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