第38話 ファイトクラブ 13

「どうです? 直りそうですか?」


 眠気があるのかそう言った弥永の声はやや間延びしていた。413号線を東に進むフィアットの後部座席で恵三は暗視を使って義足の切断面を眺めた。ちょうど機械化した部分から下がすっぱり斬られている。義足に仕込んでいた基盤は配線やらチップやらが断ち切られているため演算装置としては最早役に立たないだろう。


「なんとか、軽く走れるくらいにはしてみます」


 恵三はシートに脱いだジャケットを敷いてその上に右足を乗せた。義足からズボンの切れ端を剥がしてカバーを外し、脛骨にあたる中心の金属棒に、道中のホームセンターで買った板金を添えてドリルでネジ穴を開けた。ボルトを通し、反対側をナットで締めて板金を固定する。手を動かしながら恵三が聞いた。


「いま向かってるのって、脳を買ったやつのところですよね? その人を、あーっと……説得して、譲ってもらう?」


 弥永が指でシフトノブを叩いて一定のリズムを刻んだ。


「違法な手段で入手したもの、あるいは取り扱い自体が違法とされる物品を運ぶ場合、どこへ向かったのか、誰が受け取ったのかを後から追跡できないように誤魔化すはずなんです。例えば荷受けの代行ですね。受け取ったものを運送御者の介在しない手段で指定の場所に配送したり、本当のクライアントにそこから直接引き渡すといったように」

「渋谷のビルは中継地点ってことですか」

「その可能性が高いかと。こういった陳腐な誤魔化しはいつでも切り捨てられる臨時のアルバイトを利用することが多いのですが、今回は物が物であるためか、そういった犯罪を手掛ける組織が関わっているようです。不動産仲介業者と共謀して架空の人物を契約者にした虚偽の登記だったのですが──まあ細かいことは置いておくとしましょう」


 脇道に入って狭い道を左右に曲がりながら進む。路肩に止まったフィアットから降りた恵三は赤茶色のレンガ模様のタイルの建物を見上げた。エレベーターは動いているしビル横の回り階段もふさがっていない。セキュリティに関しては緩いようで人の出入りは自由にできそうだった。


 恵三は何度か右足で地面を踏みしめてみた。疑似神経が切られているため脛から下の感覚がなく、指も足の足首も動かせない。血行不良でしびれた足を引きずって無理やり歩いているようだった。田中がこちらを見上げていたが、大丈夫かとは聞かれなかったので、恵三も何も言わず平気なふりをしてビルまで歩いた。


 エレベーターで4階まで上がって荷物の届け先になっていた部屋の前まで来ると、田中が言った。


「生活の臭いはしますが、寝ているかもしれません」


 もうすぐ午前の2時──弥永がインターホンを押したが反応はなかった。恵三はドアのノブを回す仕草をしてみせた。


「押し入ります?」恵三が訊いた。

「ううん、まだ限りなく疑わしいという段階ですし、今の立場上できれば穏便にいきたいのですが」弥永が難しい顔をして体ごと頭を傾ける。


 恵三は探査範囲を拡大してビルの受信アンテナからセキュリティに侵入して使えそうなものを探した。階段の踊り場まで戻って手招きし、火災報知器を誤作動させる。


 一棟建て10階もない小さなビルに、まばらに明かりがつき始める。着の身着のままで飛び出してくる者/訝しげな顔でそれでも階下に向かう者/頑として無視する者──騒ぎは恵三たちがいるビルだけでなく近隣の建物にまで飛び火した。けたたましく鳴る非常ベルの音に、ドアや窓を開ける音や、ざわめきが混じっている。


 目当ての部屋から誰かが出てくる気配がない。しびれを切らしたのか、弥永がドアまで駆け寄って強く叩いた後に大声で叫んだ。


「火事よ! 火事が起きてる!」


 周囲でそれを聞いていたほかの住民たちが我先にと足を早める。すぐさま陰に隠れた弥永の目の前で、髪をグリーンとレッドのまだらに染め上げた若い男が半分閉じた瞼をこすりながらよたよたと部屋から出てきた。階下に向かっていく人の流れを見て、呪術師にそう命令されたゾンビのようにおぼつかない足取りでスリッパを引きずりながら列に加わっていった。


 恵三は笑いをかみ殺した。見張りは田中に任せて、ドアのロックを解除して弥永と一緒に部屋の中へ。散乱した洗濯物/空のプラスチック容器/フタのないペットボトル──部屋主の生活が窺える。


「恐らくこれを本来の顧客に引き渡す手筈になっているのでしょう」


 弥永が部屋の隅に積まれた運送会社のロゴ付きの段ボール箱を指さした。いくつか開封され、粗雑に扱われた梱包材が部屋の景観を悪くするのに一役買っている。背の低いテーブルの上には取り出したものと思われる商品=小型の機器/時計/アクセサリ/ウイスキー/錠剤──残念ながら臓器の類は無し。


「それにしても毎回素晴らしい手際ですが、なんというかその、専門家にとってああいったことは容易いものなんでしょうか?」


 何かの調査に使えるかと部屋の様子を録画していた恵三は、それがビルのセキュリティを誤作動させたことを言っているのだと気づいて振り返った。


「そうですね……実のところ、簡単ではないです。まあ、日々の勉強の成果ってやつですかね。ボスも常日頃から法律の条文や判例について勉強されているでしょう? 田中さんだって毎日鍛えてますし。それと一緒ですよ」


 ハッキングにおいて最も重要なこと──この世にある数多の仕事と同様=知っているかどうか/練習しているかどうか/準備ができているかどうか。


 恵三は身体を動かす必要のない就寝の前に、スレッドをネットワーク上に解き放っていた。肉体は休眠状態であっても意識は絶えずネットワーク上を駆け回り、アクセス可能な機器への無断侵入を行って経験値を積み上げていた。その結果を餌に、同業者の集うフォーラムでの情報交換を繰り返す。これを各スレッドの数だけ並行して行える。有能さを示せばコンタクトを取ってくる人間が増え、それは更なる知識の蓄積へと繋がる。


 純粋な学習能力の面では恵三は平凡という程度でしかなかったが、人格の電子化と複製という技術がそれを一変させた。生成したスレッドに各自学習を行わせてから統合──常人の数倍の効率で知識を得ることができ、しかも疲労とは無縁で睡眠に影響しない。CPUとメモリのリソースが許す限り仮想化された人格は集中力を発揮できる。そのため恵三は大きな勢力に属していないフリーの身でありながら、一線級の腕を今も維持し続けていた。


「今回はハードウェアの脆弱性を突いて警報を誤作動させました。セキュリティのアップデートがソフトウェアに比べてコストがかかるんで、物理端末は古いまま放置されてることがよくあるんですよ」


 無駄話を続けながら部屋を漁る。メモや走り書きの類──無し。財布や小物入れといった古風な趣味も無し。ワン・デバイスに生活を預けた、典型的な低所得者。肝心のデバイスそのものは部屋を出るときに欠かさず持って行ったらしく部屋には残っていなかった。


『足音が下から上ってきている』


 田中にタイムリミットを告げられる。


「切り上げましょう」


 弥永が手を振って撤収を促す。恵三は目をしばたいた。


「大したもんは見つかってはいませんが」

「実を言うと、目星はもう付いているんです。念のため確認しておきたかったのと、探し物がここにあれば手間も省けるかなと」


 部屋を出て、まばらに戻ってきている住民達とすれ違いながら階段を下りる。入り口に面した道路には避難した住民と野次馬でごった返していた。遠くからサイレンの音──更なる騒ぎになる前にフィアットに乗り込んだ。


「あの部屋にあったのはほとんどが盗品の類でしょうね。例えば時計ですが、セイコーのあのタイプは通常はディーラーを介して売買を行う物で、あの部屋には似つかわしくないものでした。そういったものを現金に換えるには、特殊な販売経路が必要になってきます」

 恵三が訊いた。「特殊というのは、盗品と知ってて買ってくれる客、ってことですか?」

「それに加えて、盗品と知りつつも、あるいは薄々感づいていながら取り扱ってくれる目利きのディーラーですね。興味深いもので、出所が後ろ暗いものであるがゆえに正規品より真贋の鑑定が重要視されるんです」


 弥永は国道を流しながらどこかへと連絡を入れ、二人に聞こえるように回線をオープンにして喋りだした。


「こんばんは。少しお時間よろしいですか? お聞きしたいことがあるのですが」

『いま何時だと思ってるんですかね?』


 通話の相手は抑揚のない声で言った。非常にもったいぶった話し口。弥永は気にも留めずに続ける。


「臓器の横流しに関わったそうじゃないですか? 近頃は扱う商品を増やしたんですね」

『はあ?』相手は大仰にすっとぼけた。『なんです、いきなり。んな、身に覚えないこと言われても』

「そうですか。つまりあの部屋にあったヴィンテージのウイスキーも、向精神薬も、シリアルナンバーの削り取られたプリント基板にも覚えがない? それでは市民の義務として通報しておくことにします。お手間を取らせました」


 弥永が通話を終了した。間髪入れずに呼び出し音が鳴る。


『いったい何が目的なんです? 俺は別に大したことはやっちゃいませんよ。いつも通り普通に商売やってるだけで──』

「臓器を買った人につないでもらえませんか? 買い戻せないか交渉したいのですが」

『……客のことをホイホイ口外できるわけないのは分かってんでしょ?』

「少し口利きしていただけるだけで結構です。ああそうだ、こちらの要求を呑んでくれたらお返しにいいことを教えますよ」


 相手の呼吸がうっすらと聞こえた。長く小さく息を吐いている。


『あんまり調子に乗ってんなよ。売春婦たちにあがめられてるせいで女王気分にでもなってんのか? 日がな一日命を狙われてるってのに、まーだ敵を作り足りないと見える。なんだったら、うちもそれに加わっても全然構わねえんだよ。例えば──そうだな、あんたが毎日コーヒーを買ってるチェーン店があるよな? そこの、あー、髪を金髪に若い姉ちゃんの店員を脅すなり買収するなりで、あんたの飲み物に一服盛るなんてこともできるわけだ』


 弥永の肩が微かに強張ったのを恵三は見逃さなかった。彼女は言った。


「私があなた方のことを見逃しているのは、多少なりとも有用だから、ただそれだけです。必要悪だとか独占された流通に対するカウンターパワーの発露などという戯言に付き合うつもりは毛頭ありません。私と取引をするか、しないか、いま決めてください」


 弥永の態度は平静そのものだった。悪意のある相手に生活を監視されていると知って恐怖を感じたのだとしても、それを声から読み取ることはまったくできなかった。


 5カウントで相手はギブアップ──少し待ってくれと言い残して、相手は通話を切った。弥永が車のアクセルを踏み込む。ほとんど車のいない国道を、怒りでもぶつけるように疾走させて返事を待つ。深夜のドライブが世田谷区に差し掛かったところで、タイヤのゴムの削れる音を上書きするように呼び出し音が鳴った。


『取引に応じてもいい、とのことです。どういうわけか』

「それはよかった。受け渡しについては?」

『こちらが指定する場所に今から来てほしいそうです』

「今から?」

『今からです。何か不満でも?』

「いえ、願ったり叶ったりです。住所を送ってください」

『その前に、何かいいことを教えてくれる、っつってましたよね? あれってなんなんです?』

「そちらのメンバーの使っている電話番号、定期的に変えた方がいいですよ。盗品を集積してる部屋の借り主の保証人の番号が見覚えのあるものでした」


 通話の相手はしばらく黙っていた──ガラスか陶器の類が割れる甲高い音。


『ご忠告どうも』


 弥永はいけしゃあしゃあと言った。


「いえいえ、礼には及びません。また何か用ができたら連絡します。それでは」

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スワンプマン・レポート @unkman

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