第36話 ファイトクラブ 11

 壁に貼り付けてあったフロアマップを眺めて正面入り口へ向かった。静まり返った建物内──しばらく歩いても医師やその他のスタッフとすれ違うどころか姿すら見かけない。診察を含めた大部分の業務が機械化しているのだろう。恵三は目についた監視カメラに侵入を試みた。無線で外部へとつながっており、到達したゲートウェイを調べてみると警備会社のものだった。何か問題を起こした場合は即座に彼らが駆け付ける手筈になっているというわけだ。


 自動販売機はロビーの端の方で見つかった。5つ並んだ自動販売機を見比べ、無糖/無脂肪のコーヒーを選ぶ。


『佐藤さん、いまどちらに?』


 恵三は缶を拾い上げながら弥永からの通信に応答する。


『すいません、ちょっとコーヒーを買いに行ってまして。もう話は終わったんですか?』

『いえ、もう少しかかりそうです。誠心誠意お願いして、今しがた臓器移植ネットワークに連絡を入れてもらったところです』


 さすがの手早さだったが、声に含むものを感じて恵三は訊いた。


『なにか気がかりなことでも?』

『肝臓や膵臓といった内臓が外部の保管庫に運び込まれたところまでは確認が取れました。ただ、肝心の脳に関してはネットワークの方で受け取った記録が無いらしいんです」

『……移植用じゃないからその法人を経由していない、っていうことですか?』

『医師の言では、そのようなことはない、と。なので、記録のミスか──』

『どっちかが嘘をついている』

『そうなりますね。こう言ってしまっては身も蓋もありませんが、怪しいのは断然病院側です』


 恵三は缶のフタを開けた。


『言い切りますね』

『このネットワークは多くの方に利用されている仕組みですので、不審な動きをしているならそもそもそういった事実を隠しきることができないはずです。裁判記録を参照しましたが、臓器移植ネットワークという法人が訴えられたという記録はほとんどありませんでしたし、そのいずれも原告が正当な理由でもって敗訴しています』

『お医者さんは何て言ってるんです?』


 恵三はコーヒーに口をつけた。慣れ親しんだ苦味に自然と目が細くなる。


『記録に間違いはないとか、情報の管理部署に問い合わせが必要といった──まあ、ありふれた反応ですね。少なくとも本心から焦っているように見えます』弥永が苦々しそうな声で言った。『病院側も自分たちの手落ちの可能性があるため一応は協力的ですが、こちらの開示請求に正式な手順で応対されると数日かかってしまうかもしれません。なので──』

『了解です』


 缶に半分以上残ったコーヒーを一気に飲み干してロビーから院内に引き返した。歩きながら恵三が訊いた。


『ちなみにこれがもし臓器の密売や横流しだったとして、病院ぐるみでやってるってことになるんでしょうか?』

『さすがにそれはないかと。無思慮な物言いになってしまいますが、得られるものに比べてリスクが大きすぎますので』

『ごもっともです』


 久瀬の脳にいったいどれほどの値がつくというのだろうか。仮に研究試料としての人間の脳に大きな金銭的価値があり、研究者が大枚をはたいて買うつもりがあるのだとしても、それならそれでわざわざ横流し品など使わず公募をかければいいだけだ。肉親を殺してその頭を持ってくる輩すら現れるだろう。法に触れて病院の評判を下げる危険を冒す必要などない。


『過去に起こった臓器の紛失や盗難事件の判例を参照しているのですが、詳細を見るに輸送車のドライバーが偽物とすり替えたり、病院の担当者が偽の配送先を運送会社に伝えるといったケースが多いようです』


 弥永が必要な情報を適宜連携してくる=スキャナー並みの速度でテキストを読み込んでいる。流通の末端での横流し──ありふれた手口。駐屯地の軍需品の管理担当者が似たようなことをやっていたのを思い出した。その臓器移植ネットワークとやらが崇高な目的のために設立され、誠実に運営されているのだとしても、関係者すべてが善良ということはないだろう。


 対外的には臓器がそもそも摘出されなかったことにして、内部向けには搬送したと誤魔化すには、データの改竄が必要になってくる。


 恵三は通り掛けに見つけたゴミ箱に空き缶を放り込んで周囲に目を配る。幸いにも病院は電子機器の宝庫だった。MRI/CTスキャナー/X線検査装置/超音波診断装置/心電図モニター/血圧計/血糖測定器──そのどれもが病院の運営システムと連動している。無線を利用している機器を選んで侵入し、セキュリティの甘いゲートウェイを選んで病院外のどこぞのデータセンターに接続を行った。〝臓器〟、〝移植〟のキーワードで検索──ヒット。〝久瀬〟を加えてさらに絞り込みをかけ、頻出単語を抜き出した。


 出てきたのは様々な申請書類だった。この病院の意思決定プロセスについては知りようがないため、恵三は書類に記載された情報ではなく各種のタイムスタンプに着目した。ファイルの存在する物理領域へのアクセスの履歴をチェックし、久瀬が運び込まれる少し前から現在に至るまでに短い期間で修正が行われたファイルを抜き出して片っ端から弥永に送り付ける。


 ほどなくして連絡が来た。『見つけました。ネットワークが実際に臓器を受領する際に利用しているのと同じ業者を使って、つい先日とある住所に臓器を搬送しています。その後に文書を改竄しているようですね』

『なるほど。と、なると──』


 恵三は該当のファイルに対するデータの転送履歴から、送信に使われた使われたPCの位置と、それを操作したユーザーの名前を割り出した。


 どうやら2Fの医師部屋のようだ。セキュリティソフトのせいでネットワーク越しの侵入には少し手間取りそうだった。すぐ近くに見えた階段を駆け上がって直接部屋に向かう。


 2階に上がって正面に伸びる廊下を小走りで駆け抜ける。十字路にさしかかったところで右から足音が近づいていることに気づいた恵三は、先を譲るために急ブレーキをかけてその場で立ち止まった。そのまま何事もなく通り過ぎるつもりだったが、角から現れたのが見知った人物だったせいで、思わず間抜けな声を上げてしまった。


「ん、あれ、羽瀬川さんじゃないですか」


 顔面すら覆う長い髪と地味なダークカーキのスーツ──羽瀬川蓮花がびくりと足を止めて振り返る。


「いや、奇遇ですね」


 恵三が挨拶をすると、羽瀬川はそれまでぴしゃりと伸ばしていた背筋を丸めて、陸に打ち上げられた魚のように口を開閉させ始めた。喉の奥からは虫の鳴き声のような音が漏れ聞こえる。それを知り合いに対する挨拶のようなものだと解釈して、恵三の方も軽く頭を下げた。


「どうもこんばんは」

「こっ、こっ、こんばんは」

「いやあ、まさかこんなところで会うなんて。お仕事ですか?」


 羽瀬川は何かを言いかけ、失くした大切な物でも探すようにおろおろと視線を飛ばしている。


「わ、私はお見舞いです!」

「そいつは大変ですね。お店の方ですか?」

「そっ、そうです」


 羽瀬川があまりに居心地が悪そうにしているので何か悪いことをしているような気分になってきた──顔見知り程度の相手と立ち話をする趣味が彼女に無いことはありありと見て取れたし、恵三の方も急ぎの仕事の途中であったため、それではと手を振ってその場を離れる。少し歩いてから肩越しに背後を見ると、羽瀬川の方もちょうどこちらの様子を窺うために振り向いたところだった。お互いにぎこちない笑顔で会釈をして、今度こそ本当にそこから離れた。


 気を取りなおして歩幅を広げ、問題のPCのある部屋の前へとたどり着く。中では白衣を羽織った男が給湯器で飲み物をいれていて、こちらに側は背中を向けている。侵入できそうな無線機器無し──恵三は目ざとくPCを見つけ、ずかずかと部屋に踏み入った。


「何か忘れものですか?」医師がゆっくりと振り返って目を瞬かせる。「ちょっと、ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ!」


 医者が血相を変えてコーヒーカップから赤茶色の液体を飛び散らせながら詰め寄ってくる。それを横目に恵三は義手から伸ばしたコネクタをPCの外付け機器用のスロットに差し込んだ。接続部分が医者の目からは陰になるよう体の位置をそれとなくずらし、すっとぼけた顔で応じた。


「あれ、そうなんです? 友達が入院しちゃって、病室を探してるんですけど」

「ここにベッドがあるように見えますか?」医者が苛立ちを抑えるようにため息をついた。「それに、面会可能な時間はとっくに過ぎてますよ」

「そうですよねえ」


 へつらいの笑みの裏でコネクタを引き抜く。仕込みは完了──後はインストールしたスレッドが病院内のネットワークを経由して無線機つきの医療器具からデータを持ち帰るのを待てばいい。追い立てられるようにして部屋を出た恵三は、こそこそと歩き去りながら通信を入れた。


『ボス』

『どうですか?』

『首尾は上々です。ただ──あー、いや、大したことじゃないんですが』

 言い淀んだ恵三に弥永が言った。『なにか?』

 恵三は耳の裏を掻いた。『ええとですね、途中で羽瀬川さんとばったり出くわしまして』

『うん? ハセガワさん? あの羽瀬川さんですか? この病院で?』

『たぶんその羽瀬川さんです。で、まあ、軽く挨拶したんですが、どうやらお見舞いに来てたらしいんですね。それで──』

『面会時間はとっくに過ぎているはずですが』

『ええ。俺もついさっきそれを知って、どうして嘘をついたんだろうな、と。まあ手早くあしらいたかっただけなのかもしれませんが』

『佐藤、羽瀬川氏は今どこだ?』


 田中が会話に割り込んできた。


『今ですか? ほとんどすれ違っただけなのでなんとも』

『位置を調べられるか?』


 ちょうど近くにあったMRIを経由して、病院のシステムに入り込んでいるスレッドとコミュニケーションを取った。送信されてきたカメラの映像=日産ADに乗り込む羽瀬川の姿。


『もう病院から出てますね。裏口から駐車場に直行したみたいです』

『足止めできるか?』


 田中の要求をスレッドに伝えるが、返ってきた答えは芳しくない。


《車に電波を飛ばせる機器が無い》


 恵三は病院に入ってきたときのことを思い浮かべる──正面側にはスライド式のフェンスがあった。


《この病院、裏側にも門があるか?》

《ある。動かしているプログラムをパターン解析中──いま閉じるようコマンドを送った。正面側はひっきりなしに車が出入りしてる。ここを閉じると、けっこうな騒ぎになるぞ》


 そうなると、直接向かうしかない。恵三は階段を飛び降りるようにして一階に戻り、廊下を走ってロビーを目指した。


『正門の方に誘導してます。それで、羽瀬川さんに何の用事なんですか、田中さん』

『昼間のマンションの件は覚えているな?』


 田中が言った。弥永のボディガードをしながらであるためか、一般的な人間の走る速度で座標が移動している。


『あの血まみれの? もちろん』

『では、現場がどういう状況だったかも覚えているだろう』


 マンションの部屋の状況──争った形跡あり。銃はあったが発砲は無し。男たちは鋭利なもので手足が斬られていた。


『あ、つまり、羽瀬川さんがやったと?』

『彼女なら朝飯前のはずだ』

『いやまあ、可能かそうでないかで言えば可能でしょうが、それだけで疑うってのはどうなんですかね』

『可能性があるなら試してみるべきさ。それに、嘘をついたことを含めて、お前も何か引っかかったからこそ口にしたわけだろう?』

『そうなんですがね。羽瀬川さんの乗った車を正面の方に誘導してます』

『そのまま足止めをしておいてくれ。うまく探りを入れてみるとしよう。あの場所で嗅いだ血の臭いでもすれば、当たりだ』


 ロビーにたむろしている患者たちの奇異の視線を浴びながら恵三は外へ出た。左右を見渡しても夜闇で駐車場に繋がる通路がどこにあるか分からなかったが、そのうち花壇の低木の向こうからゴムタイヤとアスファルトの接する音が聞こえてきた。目を凝らしてヘッドライトの奥の車のフロントのデザインを確認する。


 ミラ──素通し。レックス──素通し。AD──電波の届く位置に入った瞬間にシステムを掌握。


 逃げられないようにドアにロックをかけ、ハンドルを遠隔操作して進路を無理やり正門から本館側へと変えた。ドアウィンドウを開けて中を覗く──ハンドルを両手で握りしめて涙目になっている羽瀬川。


「あー、その、不躾な真似をしてすいません。ただちょっとお聞きしたいことがあってですね……よろしいですか? たぶん、そんなにお時間はいただかないと思うんですが──」


 恵三の目の前でいきなり車が傾いた。同時に感じる浮遊感。車が垂直に突き立ち、右肩に衝撃を受けて、そこでようやく傾いたのは自分の方で、しかも地面に倒れていることに気が付いた。


 車のドア越しに斬られた──自分の立っていた場所に、右足の膝から下の部分≒義足だけが取り残されている。足のついでに四分割されたADのドアを蹴破って現れた羽瀬川は、謝罪の言葉を繰り返しながらあっという間に走り去っていく。上体を起こした時にはすでに後ろ姿は見えなくなっていた。


「またあっさりと逃げられたものだな」


 背後から田中の声。恵三は尻もちをついたまま振り返った。一人と一匹が病院から出てくるところだった。ロビーの患者も異変に気付いてちらほら騒ぎ始めている。


「避けるどころか見えもしませんでしたよ。次からは半径5メートル以内には近づかないようにします」

「倍は距離を取った方がいい。踏み込みも恐ろしく速いぞ」

「マジすか? 怖えな」恵三は斬られた足を見て言った。「これ、労災でなんとかなります?」

「そのあたりはご心配なく」弥永が義足を拾い上げた。「とりあえずは応急処置をしてしまいましょう。次に取るべき手も見えてきたことですしね」

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