第35話 ファイトクラブ 10

 日をまたごうとしているのに病院の受付はパンクしていた。患者がひとり、またひとりとオートメーション化された診察室に飲み込まれていくが、ロビーは座れる場所もないくらい人でごった返している──怪我人/病人/暇人を健康にする加工場。


 正面玄関脇にある植え込みの縁石に座った恵三は、またひとりストレッチャーで運び込まれていく患者を見送る。


「あれは何をやってるんです?」


 顎をしゃくった先では弥永が腰に手を当て、星のない夜空を見上げながら、ローファーのつま先でブロックタイルを一定のテンポで叩いている。


 植え込みに並べられた木の匂いを嗅ぎながら田中が言った。


「さてな。たぶん、弁護士会経由で開示請求を行っているのだろう」


 月との睨み合いを終えた弥永が長い歩幅を強調するような強い足取りで近寄ってくる。顔つきにいつものにこやかな雰囲気はない。


「久瀬さんの足取りが掴めました」


 密林をかき分けるような勢いで突き進む弥永に付き従い、敷地の外を大きく回り、関係者用の通用路にIDを提示して病院へ裏から入った。ライト/壁/タイルすべてが白い廊下を通り、建物の隅に位置する部屋のドアを開けた。


 弥永が振り返って頭を下げた。「すいません、田中さんはここで待っていてください」

「心得てます」


 部屋は中に入ってすぐの小部屋と、そこからつながる大部屋に区切られていた。室温は思わず身震いしそうなほど低く保たれている。ジャケットの前を閉めている間に消毒らしき薬品が噴霧され、脇の棚に置いてある手袋とマスクをつけるようアナウンスをされる。


「弥永さんでしょうか? お待ちしておりました」


 大部屋で待ち構えていた手術着の女性が頭を下げた。繰り返しの徹夜の合間にようやく取れた仮眠の最中にたたき起こされたような顔と声をしている。壁際にずらりと並べられた金属製のボックスを見渡して、恵三は言った。


「ここは……死体安置所ってやつですか?」


 医者はいったん頷きながら遺体安置所ですと訂正を入れ、ボックスに記載されたナンバーを見比べて左から4列目中段のカバーのロックを外した。


 引きずり出されたひとつの死体──恵三は眉をひそめ、弥永は体を強張らせた。喉元から下腹部までが縦に大きく切り開かれており、中にあったものが腸を除いて無くなっている。消えているのは内臓だけではない。腕や足の筋繊維や骨までもがきれいに抜き取られていた。


 医者から手渡されたタブレットで身元の確認を終えた弥永が深呼吸を挟んで言った。


「久瀬陽平さんで間違いありません」


 恵三も少し気を引き締めながら頷いて同意を示した。顔と背格好がアームストロング牧師から提供された情報と一致する。弥永が断定する以上、血液やDNAといったものも同様なのだろう。


 弥永がタブレットを返しながら訊いた。「これは、病院に運ばれてきたときには既にこの状態だったんですか?」

「いえ、まさか。彼はドナーとして登録されていたので、手続き通りに処置されたと記録されています」

「ドナー? 登録されたのはいつのことですか?」

 医者は咳ばらいをして手元の端末に目を落とす。「ええと、その」

「いつのことですか?」


 弥永が繰り返す──ゲージのリミットいっぱいまで急速に上がっていく彼女の怒りが目に見える。


「……こちらの方がいつドナーとして登録されたかは、我々には分かりかねます。というのも、ドナーの管理は臓器移植ネットワークという専門の公益法人が行っていまして、病院は規定に従って検査と摘出、それから配送会社への引き渡しを行っているに過ぎないんです」


 その手続きが正式なものであることを医者は繰り返し強調した。腹いせをする気はないのか、弥永もその点に関して追及はしなかった。


「死因は何でしょう?」

「報告によると、多量のアルカロイドによる心不全、とあります。それで脳死判定が出され、摘出処置がとられたようです」

 恵三が口をはさんだ。「アルカロイド?」

「ドラッグの過剰摂取です」


 久瀬のような人間にとってありがちな末路だった。警察はいちいち捜査に乗り出さないだろうし、弥永であってもこの件がなければ深く追求しようとはしなかっただろう。


 恵三が一目でそれとわかるよう義手を動かした。「いまどき、他人の生の臓器なんて買い手がいるもんなんです?」

「需要は多岐にわたります。免疫の問題や宗教上の理由から機械を体に埋め込むことができない方は珍しくありませんし、自身の臓器の一部からスペアを予め作っておくにしても維持、保管には決して少なくない額が必要になりますから」

「じゃあ、これも? こいつは移植には使えないでしょう?」


 恵三は久瀬の頭を指さした。頭部が額の部分から上が切り取られ、頭蓋骨の中がぽっかりと空いている。弥永がたじろいでいたのはこれを目にしたせいだった。


「たぶん……ブレインバンクではないかと。脳の働きは完全に解明されたわけではありませんし、剖検の試料としてまだまだ価値がありますから」

 弥永が言った。「たぶん?」

「先ほども申し上げましたが、臓器がどう差配されるかについては先ほどの法人がすべて取り仕切っているんです」


 弥永が少し外しますと医者に断りを入れ、目くばせをしてきた。恵三は頷いて、連れだって廊下まで戻った。部屋を出るなり弥永は大きく息を吸い込んで両手を壁に叩きつける。


 彼女なりの怒りのコントロール方法──彼女はこの仕事を軽い調子で引き受けたことを後悔しているだろうか。多分しているだろう。だから恵三は慰めの言葉をかけるといった馬鹿な真似はしなかった。


「それで、どうします?」

「どう、とは?」

「牧師さんから引き受けた仕事って、久瀬君の捜索なわけでしょう? 足取りは掴めたわけですし、ひとまず完遂したと言えなくもないわけで」


 弥永の背筋が伸び、まなじりに力がこもる。そしてことさらに毅然とした印象を与えるような立ち姿で言った。


「この件に関して背後を──誰が関わって、どういう経緯でこうなったのかを明らかにします。関係者には納得が必要です、我々も含めて。そして、久瀬さんの臓器が何か不当な取引によって抜き取られたのだとしたら──可能な限りそれを取り戻し、元の姿にして牧師にお返しします。このままではあまりに忍びありません」

「無くなった臓器をかき集めるんですか」

「既に移植先が決まっているとしたら牧師にご相談することになるかと思いますが。ただ、脳に関しては問題ないでしょう。研究用とのことなので、取り戻しても誰かがすぐに困るということもないでしょうし。先ほどの医者にもう少し詳しい話を聞いてきますが、なにか質問は?」


 弥永は背後の扉を指さす。恵三と、それから足元にいる田中が示し合わせたように首を振った。


「ありません」


 よろしいとばかりに頷いて遺体安置所へと入っていく弥永を見送り、恵三は伸びをした。あくびを噛み殺しながら足元に断りを入れる。


「ちょっと眠気を覚ましてきます」

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