第30話 ファイトクラブ 05

「おっと、見つかった」


 恵三が枝豆コーンをつまむ。物憂げにノートPCの画面を眺めていた弥永湊が、はっとなって顔を上げる。


「動きがありました?」


 弥永が二階の窓際の席からはす向かいのビルを見た。その建物の3階にガルベラがあり、事務所の面々は二手に分かれて出入りする人間を見張っていた。恵三と弥永は深夜営業中のマクドナルドに、店員にやんわりと入店拒否された田中は不満を口にしながらビルの裏口が面した通りの物陰に陣取っている。


 ガルベラが開店する18時をすぎるとぽつぽつと人が入っていくようになったが、他の部屋に入っているテナントも似たような酒提供飲食店であり、件の店が繁盛しているかどうかは分からなかった。


「ああいえ、ちょっと動画を漁ってまして」恵三が言った。

「動画? 何の動画ですか?」

「アームストロング牧師の試合です。活躍されてたって話だったんで、ネットを漁ったら当時のものが出てくるかと思って検索かけてみたんです」

 弥永が優しく笑った。「佐藤さん?」

「あ、いえ、仕事の方もぬかりなくやってますよ」


 恵三は天井にはめ込まれたドーム型カメラを指さした。監視カメラのレンズの向きは店内ではなく窓の外──店のカメラを拝借して目の代わりに使っている。


 夜だがマクドナルドの店内は客でごった返している。旧新宿駅のダンジョンが近いせいか、武装こそしていないが物々しい雰囲気の連中がたむろしている。これからゾンビ狩りに向かう、あるいは帰ってきた連中が手持ちの撮影道具でその成果を配信していた。


 恵三は体内のストレージにダウンロードした動画ファイルを弥永の端末に転送する。弥永がため息をついてウーロン茶の入ったコップを退かし、タブレットをテーブルの上に置いて動画を再生しはじめた。


 画面に映ったのは30年前のアームストロング牧師──引き締まった上半身をさらした黒のショートパンツ姿は力に満ち溢れている。面影はあるが、まったくの別人と言われても納得しそうなほど印象が違う。顔に柔和なものは一切無く、鋭い眼孔は戦う男のそれだ。


「なんというか、今は随分と丸くなられたんですね」弥永がどこか感心したように言った。

「ボスも初めてご覧になったんですか?」

「はい」


 恵三は曖昧に笑った。詮索は趣味ではないらしい──いかにも脛に傷を持つ男を好んで雇うような女の台詞。


 動画の説明にある牧師のプロフィールを見ていると、スポンサーが極端に少ないことに気が付いた。つまりそれは、彼がメーカーによって生み出されたのではない、一組の男女の共同作業によって制作された可能性を示唆している。


「牧師さん、ハンドメイドだったんですね」


 弥永が一流企業の受付嬢のように笑った。手作り/ハンドメイド/DIY/クラフト──そういう生まれを揶揄する冗談を好まないのだというアピール。恵三は大げさに両手を上げて謝罪の意を示し、動画に集中した。


 今やショービジネスの世界のトップ層は完全に先鋭化し、煮詰まっている。何世代にも渡る過去の実績から選定された遺伝子から製造される選手。企業傘下の専門機関による適切な育成。ルールで許される範囲での改造と投薬。そして彼らのために誂えられた器具。


 トップアスリートとは、各企業の技術の粋を集めたものだ。工業製品としての側面を持つのが現代の人間なら、企業付きのスポーツ選手はさながらワンオフの高級な精密機械だった。


 企業がバックについていない=それとは真逆の人間。


 より優れた結果を残すのはどちらか──あまりにも明白。それでも、建前上はあらゆる人間にスポーツの門戸は開かれている。


 粗製品に期待されているもの=善戦/踏み台/愛すべきやられ役。


 だが、生まれ持った才能や努力で稀にその下馬評を覆す人間も存在する。アームストロング牧師もその稀有な例に当てはまる人物だったようで、リーチと足を生かした徹底的に怪我を避けるファイトスタイルを駆使し、生涯戦績における勝率は実に6割を上回っていた。


 ノーマルとしては驚異的な数値だった。こういうルサンチマンをくすぐるプレイヤーにはコアなファンが付く。動画が今も現存していて、あっさり見つかったことにも納得がいった。


「牧師さん、仕事の傍らボクシングを教えてらっしゃるんでしたっけ? 人気でしょう、元一流ボクサーに見てもらえるなんて」恵三が言った。

「ああ、いえ、あの方はいわゆる教室のようなものを開いているわけではなく、あくまで個人的なボランティアの範疇で、それが必要だと感じた子供たちに教えていらっしゃるそうで」


 曖昧な物言い──なんとなく想像はつく。牧師自身と似たような境遇≒恵まれない子供たち。



「なるほど、ボスが快く頼みを引き受けるだけのことはある」恵三は椅子の背もたれに寄りかかって店の方を眺めた。「しかしですね、牧師さんに吉報を持って帰るためには、こうして遠巻きに眺めているよりは店の中に入って待った方が色々と手っ取り早いような気がするんですが?」


 弥永が横目で恵三を見た。


「そういうやり方の方が佐藤さんの好みだというのは承知してますが」

「そういうのがないとは言いませんけども」冗談に付き合うかたちで恵三がぎこちなく笑った。「過去に何かしでかして、それで店の方に入れなくなっているとか?」

「いえいえ、そういうことではなく──大した理由ではないんですが、まあ何と言いますか、色々と敏い方ですので、できれば影も見せたくないなあという思惑がありまして」


 恵三は言葉の意味をゆっくり飲み込んでから聞いた。


「あの店のオーナーの赤星さんって、フラ・ダ・リのオーナーでもあるんですよね? ボスのお得意さんだった気がするんですが」

「人間関係というものは、同じ人間同士でも時と場合によって様々な形をとるものだとは思いませんか? それがビジネスであるなら、なおのこと」


 弥永は彼女の容姿にそぐわない貫録をにじませた声で言った。


「なるほど?」

「そうですね……私と赤星さんとの関係をあえて定義するなら、そう、お互いに利益を共有する立場になることもある──といったところでしょうか」








『まさしく、仕事上の付き合いってわけですか?』


 自分の頭の中で再生される音声に、物陰に隠れてガルベラのビルの裏口を見張っていたレトリバーは器用に顔をしかめた。


『面と向かっての会話や通信でのやり取りならともかく、自分の中に入りこんだ他人と会話するというのは、なんとも気味が悪いな』

『そういうもんですかね』


 レトリバーの外部補助領域を間借りしている恵三のスレッドが言った。別行動する田中をサポートするため一時的に生成されたものだ。


『まあでも、慣れりゃ便利だと思いますよ。一人で多方面のバックアップをこなすのと、そもそもの人員数を増やすのでは遥かに能率が違いますからね』

『その理屈を認めるのにやぶさかではないが、ことは感覚の問題だからな』

『別に頭の中を覗き見たりはできないので安心してくださいって。で、話は戻りますけど、赤星さんって方は、もしかして過去にボスとひと悶着あったり?』

『まあな。というのも赤星氏はなかなかに後ろ暗い人物でな、要するに暴力団上がり──というより、今もそれに片足を突っ込んでいるはずだ』

『なるほど、そりゃあうちのボスとは食い合わせが悪そうですね』

『とはいえ、それだけの人物でもないので折り合いがつけられる部分もある。フラ・ダ・リの弁護がその例だ。もっとも、こうやってこそこそするよう命じられているということは、今回は恐らく逆のケースだろうがな』


 恵三のスレッドが頭の中で笑った。田中も愉悦の感情を浮かべてそれに応答した。


『どうりで敵が減らないわけだ。今月に入って何回襲われましたっけ、俺たち? 事務所に危険物が届いたり、妙な連中がやってきたり、車で移動中に銃で撃たれたり、ちょっと立ち寄った店で襲撃されたり──まあ別に仕事ですし我々が被害を被る分にはいいんですが、無関係の喫茶店とバーが臨時休業することになったのには流石に気が引けましたが』


 建物の影に溶け込んだ漆黒のレトリバーの体がわずかに動いた。やや前かがみになって、今しがたビルの脇道を通って現れた3人組にピントを合わせる。


 恵三のスレッドが言った。『どうしたんです?』

『あの連中が少し気になってな』


 視界を間借りしている恵三のスレッドにも同じものが見えていた。それぞれオーバーサイズのシャツ/コーチジャケット/フランネルシャツ──ストリートファッションの若者たち。ただし、ボクシングジムのビルの監視カメラに映ったものとは別人。


『探してるのとは別みたいですが』

 レトリバーが首を振った。『だが、外見には類似性がみられる上に、彼らはズボンの下に銃を隠している。この辺りは火器の携帯が禁止されてるのにも関わらずだ。さあ、無駄話はここまでだ、遅れずに付いてこい佐藤』

『付いていくもなにも、頭の中にいますよ』

『そうだったな』


 黒いレトリバーの毛皮が透明に変色していく──光学迷彩により夜景と同化。三人組は談笑していて音もなく背後から忍び寄る見えない犬の存在に気付かない。


「あー、マジであの女むかつく」「まーだ言ってんのお前? フラれたくらいでクソうぜえな」「いや、フラれたのは別にいいんだけどよ、いやよくねえけど、それよりあの顔? 目がイラついたわ。完全にこっちのことコケにしてんの。しかもそれが俺にバレてねーと思ってんだぜ?」「じゃあもう店の前で待ち伏せして攫っちまうか? 久しぶりにさ」


 男たちが立体駐車場に入っていく。監視カメラに姿が映ることを警戒した田中は中に入らず、大きな音を立てて下りてくる金属のシャッターを尻目に外壁を垂直に駆け上って屋上のフェンスの上に立った。


 月光を跳ね返す湖面のような地上=ライトアップされた街並みをじっと見下ろす。しばらくして一台のスープラが西側の出口から出てきた。


『佐藤、あの車をどこかカメラや人目につかないところに誘導できるか?』


 運転席にコーチジャケットの横顔があることを視認して田中が言った。恵三のスレッドが難色を示す。


『この街中で? そういう場所って、私有地以外にありますかね? ちなみに、どうするつもりか聞いても?』

『ちょっとしたインタビューだ』

『まあ……そう来ますよね。マーカーをつけておいて後から追跡するんじゃダメなんです?』

『奴らを泳がせておけば欲しい情報が確実に出てくるというのなら待つのもやぶさかではないが。かといって、こういった細かいところを疎かにするのもよくない。つまり手早くやってしまおうというわけだ。それで、どうだ?』

『リクエストそのままに応えるのはちょっと厳しいですね。とりあえず、車に近寄ってもらえます?』


 黒い犬がフェンスから身を投げ出す。道路を挟んだ向かいのビルの屋上に着地し、中央道路の渋滞をゆったり進むスープラを見下ろしながら建物を飛び渡って並走する。


『歩行者側は人の視線やカメラが多いので、念のため右側から寄ってください』


 田中が左車線のライン上に飛び降りる/車の間を縫ってスープラに追随。まるで歓迎するように右後部座席のドアがわずかに開いた。


 ロックの外れた音/吹き込む風=異変に気付いた後部座席の男がドアの方に目を向ける。次の瞬間、車内に飛び込んだ透明な存在がスタンガンを食らわせる。立て続けに助手席の男を昏倒させた田中は、運転席のコーチジャケットの男の首筋に前脚のブレードを押し当てながら言った。


「少し聞きたいことがある」びくりと体を震わせたコーチジャケットにまくし立てる。「驚くのは構わないがブレーキは踏むなよ。それからハンドルから手を離すな。前を見て安全運転を心がけろ。抵抗するのは自由だが、あまりお勧めしないとだけ伝えておく」『車のシステムは乗っ取ったのでそいつ拘束していいですよ』「状況が変わった。両手を上げて両足をダッシュボードの上に乗せろ」


 恵三のスレッドが気を利かせて、車外にまで聞こえるほどの大音量でオーディオから垂れ流されていたハウスミュージックのボリュームを下げる。コーチジャケットは、表面上は抵抗する素振りを見せずに口を開いた。


「金なんて持ってねえよ」

「その割には中々いい車に乗っているようだが」

「俺のじゃねえ」コーチジャケットが横目で助手席を見る。「そこの、隣のやつのだよ。殺したのか?」

「気絶してもらっただけだ。先ほども言ったように、聞きたいことがあるだけだ。さて、そろそろ言われた通りにしてもらおうか」

「運転しなけりゃ事故っちまう」

「心配は無用だ」


 そろそろとハンドルから両手が離れる──ひとりでにシグナルを出して左折するスープラ。コーチジャケットは目を丸くして、恐る恐るペダルから足を外した。車は減速するどころかスピードを上げて車線を変更する。


「よし。では、この画像の連中に見覚えはあるか?」


 車のフロントガラスをスクリーンにして何枚かの画像が表示される。画像が切り替わるたび、コーチジャケットは身じろぎするように首を横に振った。


「いや、まったく。なあ、あんた、見えないけどそこにいるのか?」

 田中は質問を無視して続ける。「誰ひとり?」

「ああ、そうだよ。本当だ」

「信じよう。先ほどまでガルベラにいたな? こういった──君のような胡乱な連中がたむろしている場所について他に心当たりは?」

「……あー、なに? うろん?」

「胡散臭いということだ」


 コーチジャケットは母親の小言を聞いたような顔で小刻みに頷いた。


「腐るほどあるよ」

「思いつく限り言ってくれ」

「ええと」コーチジャケットが天井の黒いビニールレザーを見上げる。「ヴェント、ワーム、フィレモン、V5、パシフィカ、それから……ポイント-66も、そうだと思う」

「協力に感謝する」


 田中がブレードを引っ込める。首に当たっていた冷たい感触が無くなったことでコーチジャケットが脱力し、上げていた両手をだらりと下げる。


 そこで3度目のスタンガンの電撃──コーチジャケットが倒れ、顔面で押したクラクションが暫く鳴り響いた。


『今のは、どうして? それなりに協力的だったと思うんですが』恵三のスレッドが聞いた。

『この車種は運転席のドアの下側に警備会社への通報ボタンがあるのさ。今の動きはあからさま過ぎたな』

『そういうことですか』

『佐藤、この連中から取れるだけ情報を取ってくれ。外部記憶にある連絡先や通話履歴などだ。あと、ドライブレコーダーへの細工も忘れるなよ』

『痕跡が残らないようにはやってますが、個人情報を抜いてもいいもんですかね。ほら、色々あるでしょう、法律とか』

『やれる範囲でやれという意味だ』

『ばれないようにやれって意味ですね』


 ガルベラの張り込みに戻って同じことを繰り返す──4回目のインタビューを終えたあと、気絶した肥満体の男を人目につかないところに隠そうとデニムジャケットに食いついて路地裏に引っ張り込むべく難儀している田中の頭の中で恵三のスレッドが言った。


『かれこれ11人ほど我々に協力してくれたわけなんですが、誰も久瀬くんのことを知らないどころかお互いに面識すらない完全な赤の他人ときてます』

『分かっている。それで?』

『で、まあ、彼ら自身もまったく繋がりのない赤の他人なんですが、どういうわけか共通の友人ってやつがいるらしくて。連絡先に同じ番号が登録されてるんですね』

『なんという名前だ?』

『これが、登録名はまちまちでして。【A】やら【Q】やら【K】やら、トランプが好きなんですかね?』


 田中が鼻で笑った。


『そういう勿体ぶったやつは三流、いいとこ二流というのが相場だ。番号は分かるか?』

『070-9292-8967。ネットを洗ってみましたが業者の類ではなく、個人番号のようです』

『電話会社にはコネがある。登録者について調べてもらうとするか』

『そいつは都合がいい。警察時代の伝手ですか』

『いいや。我々のボスは、何も敵ばかりを作っているわけではないということだな』

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