第31話 ファイトクラブ 06

 スレッドのフィードバックを受けた恵三から電話番号を受け取ると、弥永はすぐさま通信会社に勤める知人に連絡を入れた。


「もしもし? 弥永です。ご無沙汰してます。ええ、その節はどうも。いまお時間よろしいですか? 実はですね、事件の解決のために教えていただきたいことがありまして──いえいえ、お手間は取らせませんし、それほど大したことではないんですよ。ただ少し急ぎと言いますか、もちろん正式な開示申請に関してはすぐに提出させていただきます。ですので、先に結果だけをお伝えしてもらえると──大丈夫です、ご迷惑はおかけしません。私が今まで嘘をついたことがありますか?」


 支払いを済ませて駐車場に停めておいたフィアットへと戻る。田中の方は引き続き情報収集にあたるとのことだった。数日後には謎の辻斬りの話題で持ち切りになっているだろうと伝えると、弥永が言った。


「表沙汰になる前に終わらせてしまいましょうか」


 通信会社より送信されてきた大量のデータを恵三は目で追う。登録された住所=足立区4丁目の住宅地。滞納履歴無し/通信のトラフィックは通常の量/登録名にはごくありふれた日本人の名前──AだとかQだとかいうふざけた名前ではない。


「この人が番号の持ち主?」恵三が聞いた。

「通信会社の精査が入るため登録された情報に虚偽はないでしょうが、利用されている本人かどうかは。誰か別の方に契約させて、回線だけ利用するというケースもよく見受けられます」


 固定電話ではなく携帯電話であり、GPSをOFFにしているため中継地点は分かっても通話をした場所は絞り込めない。資料を読み進める──直近何週間かの通話記録が文字に起こされている。繰り返される世間話や追従に辟易しながら読み続けていると、電話番号の持ち主はかけてきた人物と何やら商談らしきものを始めた。『何人か用意できないか?』『どういうのです?』『物を受け取る仕事だよ。運転手二人と……助手をあと何人か。頭は良くなくていいが、それなりには真面目じゃないと困る』『多少はわきまえてる奴ですね?』『そんなところだな』『お代は一人頭いつもので結構です』


 ブローカーの類──番号を知っていた連中の毛色から、後ろ暗い仕事を仲介していると考えられた。


 案は無くもなかったが、恵三は指示を待った。ドアアームレストに肘を置いて頬杖をついた弥永は、一定のリズムでハンドルを指で叩いている。何気ない仕草もいちいち洗練されている。考えがまとまったらしく、弥永は姿勢を正して言った。


「居所を突き止めるのは難しそうですし、直接コンタクトを取ってみますか。ただ、私は特定の業種の人達に顔が知られているので──」

「まあ、勇名を馳せているようですしね」

「ので、そこから先は佐藤さんにお任せで」


 弥永が手早くプリペイドの契約を済ませて新しく手に入れた番号でブローカーに連絡を入れる。電話はたっぷり20コールで相手の心情を代弁したのち、繋がった。


『もしもし?』


 やや高めの声/警戒心混じり。弥永は畏まるようにひとつ咳払いをしてから言った。


「あなたが【Q】さん? それとも、【K】さんとお呼びすれば?」


 ボイスチェンジャーを通しているため弥永の声は浮ついた若い男のものとして相手側には届いている。


『……どこでこの番号を?』

「いや、知り合いに聞いたんですよ。四谷さんって方です。なんでも、人を手配してくれるそうで?」


 田中が襲撃したうちの一人の名前を弥永は挙げた。それで幾分警戒心が薄れたのか、少しの間をおいて応答した時より調子が上向いた声が返ってきた。


『四谷さんですか、なるほど。それで、何人くらいご入用で?』

「えー、そうですね、5人で足りるかどうかってところですかねえ」

『どういった目的で?』

「来週、大田区の埠頭に南米からのコンテナ船が到着するんですが、一部の積み荷の移送と、移送先の倉庫の一晩の警備をお願いしたいんですよ」

『その積み荷というのは?』

「いやだなあ、そういう詮索をしないって聞いたからお電話したわけでして。いえね、本来ならうちの人員を使うはずだったんですが、ほら、先日池袋の駅前で起きた爆破事故についてご存じです?」

『そういえば、ニュースで耳にしたような気がします。確か縄張り争いの抗争だとか──』

「その話はまた別の機会にしましょう。まあそういうわけで欠員が出てしまい、どうにかできないかと頭を悩ませているところなんですよ。まるっきりの馬鹿には任せられないし、かと言って悪知恵が働くような奴でも困る。それで、どうでしょう? 明後日までにお願いしたいんですが」

『明後日ですか?』ブローカーの声が思案を含んだものになる。

「いえ、なに、何も難しいことはない簡単な仕事ですし、予期せぬトラブルはほぼ起きないと思っています。あ、そうだ、前金として相場の代金分をお支払いしますよ。仕事が無事に終われば、さらに同じだけ支払いましょう。いかがです?」


 ブローカーが押し黙る。通信越しにあえぐ声が聞こえてきそうな沈黙だった。唐突に舞い込んできた割りのいい仕事に浮足立つ姿が容易に想像できる。簡単な仕事/トラブルは起きない/金は倍払う──いかにも見え透いた都合のいい話。だからこそ、もっともらしく聞こえる。弥永は自分からは何も言わず、魚が餌に食いついてくれるのを待っている。釣りにおいて無理にせっつくような真似は厳禁だと理解している。


『まずは、仕事の内容について詳しくお聞きしたいのですが』

「もちろんです」


 獲物がかかった手ごたえをそのまま口から出したような声で弥永は言った。


「とはいえ、こうやって電話で会話するのもはばかられる話題ではありますし、どこかで直接お会いすることはできませんか?」

『今からでしょうか?』

「今からがいいですね」


 弥永が通話をミュートにして振り返った。


「佐藤さん、構いませんか? 場所に希望なんかあったりします?」

「街中ならどこでも構いませんよ。そこがジャングルの奥地や砂漠のど真ん中でもない限り、どうにかなると思います」

「うーん、実に頼もしい」弥永が通話に戻る。多少なりとも信用を得るために相手に選択権を譲った。「落ち合う場所を指定してもらえますか? 今、渋谷にいるのですが」

『それでは、【バグス】というプールバーでどうでしょう? 座標をお送りします』

「すぐに向かいますよ」


 電話を切った弥永はすぐさまスタートボタンを押してフィアットのエンジンに火を入れた。アクセルを踏み込んでタイヤを摩耗させる音と共に意気揚々と発進する。


 井の頭通りを通って駅の方角へ。恵三は両手を頭の後ろに組んで、代々木公園をぼんやり眺めながらこれからの段取りを考えていた。店の名前と住所で検索をかけて収集した店舗の情報──構造/規模/客とスタッフを含めた中の人間の数。それらをもとに行動指針を固める。


 ふと、先ほどの弥永とブローカーのやりとりを思い出して、恵三は含み笑いを漏らした。「しかし、よくあんな作り話を咄嗟にでっち上げられますね」

「ああ、いえ、実はまるっきりデタラメというわけではないんですよ。南米産のオピオイド系が東京湾から入ってきているのは事実でして」

「え、そうなんですか。てっきり出まかせかと。いや、そういうものの事情には疎くて」

「普通はそうですよ。私も、前にそちらの方面のかたの依頼を受けたときに知る機会があっただけです」


 恵三は意外に感じて公園に向けていた目を弥永に戻した。正義の味方を標榜し、善人対しては無償奉仕を行いながらも、麻薬を売りさばくような人間の仕事も受ける。支離滅裂とまでは思わないが、行動の噛み合わなさを感じる。弥永自身が言っていたように、ビジネスは一筋縄ではいかない──そう思うことにした。


 恵三の視線に気づいた弥永がバックミラー越しに微笑んだ。「私はその手の人種が好きではありませんが、彼らが実社会において多少なりとも影響力を保持しているという事実を認めないほど頑迷ではないつもりです」

「ああ、やっぱり嫌いは嫌いなんですね」

「そのうち根絶やしにできればなあ、とは思っています」


 恵三が笑った。


「見損ないました?」

「いえ、特には。誰にだって嫌いなタイプの人間ってのはいるもんじゃないですか?」

「一般論としてはそうですが、意外ですね、佐藤さんはあまり他人に興味がなさそうなので、そういうのは無いんじゃないのかなと漠然と決めつけていました」

「そう見えます?」恵三は自分の記憶/記録や過去を少し遡ってみた。その時その時の衝動に身を任せて自分を満足させることばかりやっている気がする。「独りよがりな部分はあるかもしれませんね」

 弥永が笑った。「参考までに伺いたいのですが、佐藤さんの嫌いなタイプというのはどんな方ですか?」

「あー、そうですね……言い訳をする人間ですかね? それが上官だとなおのことタチが悪い」

 弥永がまた笑った。「肝に銘じておきます」

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