第27話 ファイトクラブ 02
「佐藤さんは何を熱心にご覧になってるんです?」
恵三が顔を上げる。ちょうど書類仕事が一服したのか、さっきまで自分のデスクでラップトップPCと向かいあっていた弥永が正面のソファーに腰を下ろすところだった。今日の服装=颯爽としたターコイズグリーンのスーツ。
「このあいだ受けた健診で大分ガタが来てるって言われて。軍から支給されたときは最新式の──かなりいいやつだったんですが、まあ何年も前の話ですからね。せっかくそれなりの定期収入が得られるようになったわけですし、ちょっと奮発してみようかなと」
恵三は目を落としていたタブレットを半回転させてテーブルの上に置いた。義手/義足/義眼/神経/内臓/筋肉──人工的な人間のパーツの製品カタログ。機械のものもあれば100%生体のものもある。
黒い毛並みのラブラドールレトリバーの田中がテーブルの下からタブレットを覗き込む。機械化された前脚をテーブルの上に乗せて言った。
「私のようにブレードをつけてみたらどうだ? 多少は箔がつくかもしれないぞ?」
「そんなもん付けてもどうせうまく扱えないので結構です」
「まさしく付け焼刃というわけだ。検診といえば、だ、頭の方はどうだったんだ佐藤?」
「それなんですが」
恵三は先日の会話を思い返した。診察をしたその医者は、素人には理解できない専門用語を交えながら言った。
大脳皮質の大部分が機械化されていて、記憶を電子化してそこに留めておくことで元の機能を再現しようとしているようだ。奇跡的に海馬と小脳は無事なため、近時記憶の習得を行う機能や体に染みついた動きなどは元の佐藤さんのままと言ってもいいでしょうね。
つまりどういうことなのかと聞くと、医者は一言で表すのは難しいと言った。
元の佐藤、ってことですが、今の俺は前とは別人ってことなんですか?
大脳皮質にはその方のそれまでの経験したことが蓄積されます。それがそっくりそのままデータにすり替わっているとなると、私個人としては似て非なるものである、そういう見解になります。補助的に機器を取り付けて脳の欠陥や欠損を補うといった施術はしばしば行われていますが、ここまでのものは──
俺の中身は電子データであって、もはや生きている人間ではない?
正直なところ、あなたが人間ではなく何か悪い冗談のようによくできた機械だと言われても、私の中の医者の部分は納得するでしょう。しかし、そもそも生きているということがどういうことなのか──哲学的な問題です。差し出がましいようですが、そういったことはご自分で結論を出すべきではないか、と。
そうします。ああそうだ、ついでに聞きたいんですが、俺の頭って大丈夫なんですかね? えー、つまり何が言いたいかというと、明日や明後日にいきなりぶっ壊れないかってことなんですが。
動作は安定しているためその心配はないと思います。実によくできていますよ。あえてリミットを申し上げるなら、機械の耐用年数でしょうか。それも新しいものに差し替えれば済む話ですが──ただ、その場合、入れ替えた前後で同じ存在なのかと言われると、これもまた難しい話ですね。
恵三が自分のこめかみを小突きながら言った。「新しくものを覚える部分は原型をとどめてるみたいなんですが、過去の記憶の蓄積をつかさどる部分がほぼ完全に機械化されてるそうで。ようするに、メイン部分が機械で、もとの生身の方がその補佐に回ってる状態らしいです」
「分かるような分からんような話だな」田中が言った。
「俺もです。まあそれはともかく、今回は手か足にしときますよ。メモリ内蔵のやつで、処理能力を上げる感じで。本当は神経系を優先したいんですけど、物も手術代もバカ高くて──」
無駄話を遮るようにインターホンが鳴った。恵三が目で尋ねる。
「予定していた来客です。といっても、今朝方連絡をいただいたのですが」
弥永がにこやかな顔で応対に向かう/付き従う田中。恵三はそそくさと応接用でもあるソファから立ち上がってお茶を汲みにいった。
「今日は突然押しかけてしまって申し訳ありません、弥永さん」
ドアが開くなり開口一番に謝罪の言葉を口にしたのは、聖職者用の黒いガウンを羽織った背の高いアフリカンだった。ややたどたどしい喋り──お世辞で流暢ですねと言われる程度の。弥永は差し出された黒い両手をこちらも両手で握り返し、相談所内に男を招き入れた。
「いえいえ、いつでも歓迎ですよ。さあ、こちらへどうぞ」
ついさっきまで自分が座っていた位置に腰を下ろした聖職者の前に恵三は緑茶を置いた。
「ああ、これは恐縮です」まっすぐな背筋が印象深い聖職者が、ほとんど白くなった頭を下げる。「新しく入られた方ですか?」
「佐藤です」
「アームストロングです」
「強そうな名前ですね」
聖職者が笑った。握手を交わす。強そうなのは名前だけではない。アームストロングの手は大きく、甲側の指の付け根の部分が異様に分厚くなっていた。皮が何度も擦り切れるとこうなる──繰り返し行われた拳打の証。そもそもガウン越しに分かるくらいがっしりとした上半身をしており、背の高さもあって威圧感がある。
「それでボス、こちらの神父様はどういったご用件で?」
田中が目をつむって首を振る。「佐藤、彼は牧師だ」
恵三が首を捻った。「はあ」
アームストロングが仲裁に入る。「馴染みのない方からすればどちらも同じようなものですし、そのうえ見た目で区別するとなると難しいでしょう」
検索をかける──どうやら宗派が違うことで役職名が異なるらしい。恵三は頭を掻いた。
「サッチモ牧師は地元の名士なんですよ。地域のコミュニティの発展に非常に精力的に尽くされていまして」
「サッチモ?」恵三が眉を寄せた。「トランペットがお得意で?」
「いえ、音楽は専ら聞く方が専門で。アームストロング姓ということで、そういうニックネームになりまして」
牧師が笑って自分の黒い肌を指さす。第一印象=嫌味のない人物。
「それで、人探し……でしたか?」
弥永が切り出すと、牧師は困り果てた表情で両手を組んで背中を丸めた。
「はい。ご存じかとは思いますが、私は職務の合間に子供たちにボクシングを教えていまして。探してほしいのは、その教え子のひとりなのです」
聖職者とボクシングというのもまた変わった取り合わせだと思ったが、話の腰を折らないように恵三はこっそり通信で聞いた。
『ごつい拳の理由は分かりましたが、ずいぶん変わったキャリアですね?』
田中が、こちらも通信で言った。『彼は過去にボクサーとして身を立てていたらしくてな。その頃から信仰心があったのか、それとも後ほど芽生えたのかは定かではないが──まあ、少なくとも、祈りを捧げてただ救いを待つといった類の人物でないことは確かだな』
牧師が、まるで釈明するように続ける。
「とても熱心で優秀な子だったのですが、悪い連中と付き合うようになってしまって。そんな彼がつい先日私のもとにやってきて、『スパーリング相手を紹介してほしい』と」
弥永が頷いた。「それで、どうされたのです?」
「頭ごなしに批難するのもまずいと思って理由を問いただしたのですが、説明できないの一点張りで……そういうところは変わっていなくて困り果てました。ただ、絶対に悪いことをやるつもりではない、諸々の問題にカタをつけるつもりだと言うので、懇意にしているジムを紹介しました」
弥永が口元に手を当てる。
「ここまで聞いた限りでは、あまり悪い話ではないように思えるのですが。その教え子さんは、更生されたわけですよね?」
「恐らくは、そう……だと思うのですが、彼の切羽詰まった様子がどうにも気になってしまって。悲壮な決意、とでも言えばいいのでしょうか。情けないことに、詳しい話を聞こうにも連絡がつかないといった有様でして」
「悪い予感がする?」
「弥永先生以外に、このような相談をできる方がおらず……とても馬鹿げたお願いだとは重々承知していますが、なにとぞ」
恵三は弥永湊の顔色を窺った。見るまでもなかった──彼女はひどく機嫌がよさそうだ。
「お引き受けいたします」
サッチモ牧師が両手を膝について深く頭を下げた。
「ありがとうございます。このお礼は、必ず」
「教え子さんについて詳しいことを教えてもらえますか?」
「久瀬陽平、それが彼の名前です。そのほか私の知りうる限りの個人情報はこちらのチップに」
サッチモ牧師が相談所を後にしたのち、置き土産を自分のスロットに差し込みながら恵三が言った。
「あの方、あんまり羽振りがいいって感じでもなさそうでしたが」
牧師の着衣は年季が入っていた/アクセサリーの類もなし/体型も年齢の割にこれっぽっちも贅肉無し=清貧を絵にかいたような人物。
「大丈夫ですよ、プロボノでやるつもりでしたし」
「プロボノ?」恵三が聞いた。
「職業上の専門知識を用いた無償奉仕──つまりボランティアですね。年間これだけの時間をプロボノに費やしてくださいねと法曹協会が推奨しているんです」
「それをやると、何かいいことが?」
弥永が笑った。「協会の覚えがめでたくなります」
つまり即効性のある実利は無い──相談所にとっては。恵三にとっては、雇い主が報酬を支払ってくれるならどちらでも構わない。
「まずは人探しですか? その久瀬くんを見つけないと話が始まりませんよね? 顔は分かってるんだし、街の監視カメラを使わせてもらえればすぐにでも──」
田中が言った。「今回は警察の手を借りることはできないぞ」
「あれ、そうなんです?」
「何か事件が起きたわけではないし、一人の少年が音信不通になっただけだからな。それに言い方は悪いが、牧師の口ぶりでは久瀬少年はまったくの善良な市民というわけでもなさそうだ。この件について警察が進んで骨を折ることはないだろう」
言われてみれば、先日警察が弥永法律相談所と契約を結んだのは、企業の社員が殺されたことに端を発する。
「となると、途端に面倒になりますね」
街のインフラへのアクセスもできなければ、国の所持する衛星からの画像を見ることもできない。書類仕事をしなければならないというのにPCの使用を禁じられているようなものだった。
田中が得意げに鼻を鳴らした。
「なに、大した問題ではない。前と同じ──手がかりを全て調べて辿っていくだけだ。幸いにも私はこの手の仕事のエキスパートといっても過言ではない。今日も仕事のやり方を一つずつレクチャーしてやろう。さあ行くぞ」
そのしらみつぶしの作業が面倒なんですがという愚痴を飲み込み、恵三は適当な相槌を打ってレトリバーの後に続いた。
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