第25話 リスタート

 今朝の恵三の目覚めはライブストリームのチャンネルが切り替わるのと同じくらいに一瞬だった。夢は一切無し。一瞬でブラックからクリアな視界へ。


 冴えわたる頭で身の振り方を考える。何か野望や大望があるわけでもない。切羽詰まった事情もない。果たさなければならない約束も無い。


 もっと根源的な問い=生きるか死ぬか/別に死に急ぐような理由もない。


 二度寝する気にはならなかった。恵三は乾燥機に入れっぱなしだった皺だらけのシャツを羽織って外へ。アパートメントの前に止めてあった警察から借りっぱなしの事故車に乗り込んで事務所へ。


 まだ朝もやの出ている時間──一番乗りだと思っていたのだが、事務所には先客がいた。


「あれ、早いね」


 ソファには足を組んだ弥永の姿がある。手にした紙の本という骨董品を脇に置いて肩越しに恵三の方を振り返った。。


 おはようございますと言いかけ、恵三は目をこすって首を左右に振った。弥永の服装が妙だった。


 どこかの学校の制服を着ている。脱いだブレザーはソファの背もたれにかけてあった。


「座らないの?」


 どう声をかけたものかと言葉を選んで右往左往しているうちに着席を促された恵三は、のそのそと歩いて向かいに座った。


 正面から見据えて初めて気づく。彼女は弥永湊とは顔つきや体型が違う。全体的に肉付きが薄く、髪もやや長い。


「……ボスの妹さん?」

「よりによってそれ? カンベンしてほしいんだけど。っていうか、あの女、ボスなんて呼ばせてんの?」


 弥永に酷似した女は甲高い声で笑った。恵三は自分の髪をかきまぜる。


「……同型のクローンか?」

「はい、正解」

「ふつう、同じ型番だからって横の繋がりはないもんなんだが。高級品ともなると違うわけか?」

「私たちのベースになった来須杏子っていうのは思い上がりの激しいナルシストでね。自分こそが真に世の中をより良いものにできると信じてたわけ。確かに才能もあったし、ある意味では無私で、虚飾を嫌い、人格的に高潔でもあった。だけど、一人じゃどうやっても限界がある。でも他人は信用ならない。だったら増やしちゃえばいいじゃないって感じで、自分の遺伝子と指向性を持った人間を製造して、ついでに色々と優遇措置を図るよう立場を利用して社会システムに細工をしてんの。クソみたいな職権乱用だよね? なにが良い世の中なんだか」


 その正義感だけは本物なんだけど。そう言って少女は来須杏子でフォーマットされた頭を指で叩く。


「同型が相互に連絡を取り合ってるのもその一つね。あとは、死後も運用され続けてる資産や特許料から配分されてる養育費や教育費にしては多すぎる額のお金だったり。個体同士の仲が良いかどうかはまったく別の話だけど。来須杏子のクローンは色んな分野にばらけてて、軍にも何人かいるわけ。佐藤くんのことはそのルートから教えてもらったの。正直アクが強くて馬が合わないのばっかりだけど、役には立つから付き合いを断つわけにもいかなくて。正直だるいんだよねー」


 恵三はゆらゆらと頭を振った。相手は少しハイになっているように見える──朝っぱらから相手にするには面倒なテンション。


「それで、君は何をしに? ボスならまだ出所してないが」

「別にあの女に用はないよ。さてここでクイズです。私は何をしに来たのでしょうか?」

「さあ?」


 恵三は素っ気なく答えた。正直なところ、事態に混乱していてあまり考えを巡らせることができなかった。


「萎えるわー。もっと真摯に対応してくんない?」


 女──少女が足をばたつかせた。パンプスが音を立てる。恵三は前かがみになって腕をテーブルに乗せた。


「そういう言い方をするってことは、俺には何か既にヒントが与えられてるんだな? このタイミングで現れた訳知り顔……ついでに言うなら、ボスは何か事件の裏にいる人物について心当たりがある風だった」自分で導き出した結論に恵三は首を捻った。「本当に、君が裏で糸を引いていたのか?」

「その言い方は心外かな。私はただ善いことをしただけだし」

「善いこと?」

「そう。正義ってやつ」


 少女がどこか嬉しそうに恵三を指さした。


「私って、きな臭い話を求めて日々ネットを徘徊してるんだけど、なんか外部から物理的にもネットワーク的にも隔絶された場所で後ろ暗そうな連中が怪しい実験をしてるじゃない? ってことで、侵入して詳しく調べてみたわけ」


 それが、窓際に追いやられた霧島とクラップスの連中が手を組んで作った研究所。


「仮にも企業の持ち物に侵入? いくらなんでもセキュリティがザルなわけはないと思うが」

「得意なんだよね、そういうの。自分で言うのもなんだけど、天才だし? そういうふうに作られたってだけだからこれっぽっちも自慢にはならないんだけど。ま、このオンボロ事務所のドアのロックよりは手ごわかったかな」


 少女が手を浮かせてキーボードをたたく仕草をする──ハッキング。侵入者に対して事務所のセキュリティが動作しなかった理由。


「研究内容なんだけど、はっきり言って、胸糞悪い以外の感想はなかったね。どこからどこまでの記憶があればデータ上で人格を保てるか、人間の最小構成要素を、佐藤恵三って人のデータを使って探ってんの。コピーを作るためのベースのかろうじて残ってる記憶の中から、友達の名前、恋人との思い出、部下の遺言、箸の持ち方、字の書き方、味覚、触覚、そういった構成要素を少しずつそぎ落としていって、どのラインから人間らしくなくなるかのテストをひたすら繰り返しててさあ。ログの大半は尊厳をボロボロにされ続けた佐藤恵三の憤慨と慟哭で埋め尽くされてたよ」


 恵三は大きく息を吐いた。


「なるほど、君は電子情報に憐れみを抱いたわけだ」

「あー、どーだろ」


 少女が遠くを見る。


「どっちかっていうと、実験してる方に怒りを覚えたんじゃないかな? 少なくともあいつらはそのデータを人格を持った人間として見てたわけじゃない? どこから人間じゃなくなるかを試してたんだから。そう考えた上で、平気な顔をして精神をズタズタに切り刻んでる。金とか、地位とかのために。そういうことをやってる連中の精神性に私は気分を害した。そんなところだと思うよ。かっとなってやったから実際はそんな深いこと考えてたわけじゃないけど。それにしても佐藤くん、けっこう薄情なんだ? ひどい目にあったのって、一応は自分なわけでしょ?」

「今となってはどっちが主流だったのかは確かめようがないが、別個に存在している以上、それはやっぱり別人なのさ。それに、あいつは自分が受けた仕打ちを全部自分のものにした。俺はそれを尊重したいね」


 奴が凶行に走った理由は納得できる。共感してやることはできないが。そもそも、向こうがそれを望んでいない。


「へえ? 感覚的にはそんな感じなんだ?」

「ああ。しかし、なんだって霧島とクラップスの窓際族の連中はふいになったプロジェクトなんかに固執してたんだ?」

「メールのやり取り見てると、出世コースから外れて焦ってたっぽいよ。ありきたりすぎてなんも面白くなかった。で、一発逆転を狙ってたわけ」

「単なる機械を動かすプログラムで?」

「人間のバックアップの構想として。半分事故みたいなものとはいえ、実際に脳死状態から復活しちゃった人がいるわけだしね? それから研究が進めば人間が炭素の体を捨てることも可能なんじゃないかって夢見てたみたい」


 大それた計画──ほとんど願望に近い。上手くいきさえすれば確かに地位も名誉も手に入るだろうが。


「結局、破滅したけどね。死ななかったのが残念だけど、悪行は知られたわけだし? これから何十年ものあいだ塀の中で失意の内で過ごすと考えれば、まーそこまで悪い終わり方じゃないんじゃない? 70点くらいだね。あー気分がいい。やっぱ悪党は痛い目を見てこそでしょ」


 底抜けの笑顔。恵三は聞いた。


「そのために回収した複製人格を野に放って、ついでに大金を出して物理的な復讐の行使手段まで用意してやったっていうのか? それが君の言う正義ってやつなのか?」

「うん、そう。他人をないがしろにする悪い奴がひどい目にあう。善良なひとが幸せになる。これ以上分かりやすいものってある?」

「そのための手段が犯罪でも?」


 恵三は浮かれ気味だった少女から急速に熱が去ったのを察した。凄みを感じる顔/これなら大それたことをやってのけそうだという雰囲気。


「法律はあくまで社会を維持するための仕組みであって、人間の善悪を決定付けるものじゃないでしょ。あ、いちおう言っておくけど、犯罪じゃないから。どうせ証拠がなくて有罪まで行かないし。善悪っていうのはねえ、好悪だよ。好ましく感じるものが正義で、不快に感じるものが悪」

「私はそうは思いません」


 一切迷いなく言い切った主張を、事務所のドアを開けて入ってきた人物が真っ向から否定する。


「周囲の賛同が得られなければ、それはただの独善でしかありません。他人を納得させるためには明確な基準が必要です」


 弥永湊がいつものように護衛の犬を連れて事務所に入ってくる。レトリバーは、両者を見比べて珍しくうろたえていた。


 少女が嘲笑った。「へー。じゃあ法は絶対で、この世には悪法なんて無いし、法律で不幸になる人はいないんだ?」

 弥永湊が佐藤の横に腰を下ろす。「法律は不変ではありません。都度、適切に修正していけばいいのです。トライ&エラーの否定ですか? 人類の歴史の否定ですね、晶さん」


 晶と呼ばれた少女がブレザーを掴み、皮肉をはねのけるように勢いよく立ち上がった。


「うるさいのが来たし帰るね。ま、いじめられたりはしてなさそうでひと安心ってとこ?」


 恵三が頭を掻いた。


「用事っていうのは……まさか、それのことだったのか?」

「いちおう責任があるわけじゃん? 紹介した手前さ」


 彼女が、自分に弁護士がつくよう取り計らった。恵三は少女が立ち去る前に訊いた。


「配達中の俺が爆発した現場に居合わせたのは仕組まれたことだったのか?」

「まさか。完璧な偶然。まー、だからつい、思うところがあって? こういうこともあるんだなって。だから、らしくないけどフォローとか入れてみたわけ。それじゃまたね、佐藤くん」


 何食わぬ顔で少女が事務所を出ていく。恵三は弥永の顔色を窺った。非の打ちどころのない笑み。恵三は貴賓に接するつもりで恭しく聞いた。


「それで、今日はどのように?」

「もちろん、お仕事です」

「正義を成すために?」

「その通り」


 弥永が自分の額を指で小突く。


「私を駆り立てるものが例えどのような経緯でここに入ったのだとしても、私にとってこれは掛け値なしの本物、まやかしではありません」


 力強いまなざし/貴方なら分かるでしょう──そういう。恵三は頷いた。


「ご随意に、ボス」

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