第23話 収束点へ

 仮に──犯人が自分のコピーだとして、いったい何時から分岐したものなのか。自分が生成したスレッドはせいぜい数十分しか持たないし、人格を保持したコピーは死を恐れる人間と同じく消滅を忌避する。電子記憶の集合を人間として動かすためには、死の概念が不可欠だった。死なない生物はアクションを起こさない。そのためスレッドは自分から統合されに戻る。取りこぼしはない。


「佐藤、体調に乱れが見られるぞ」


 助手席で鼻を鳴らす勘の鋭い田中。恵三は拳で胸を叩いて顔を笑みの形にした。


「大丈夫です」


 頭を切り替える。想像が当たっているかどうかはともかく、まずは犯人を止める。最悪の場合は回収する必要がある。


 復讐の対象を見つけた後の行動=決行。恵三は車を運転しながら通信中の弥永に聞いた。


「ボス、リストの人物っていうのは残りどのくらいなんです?」

『数十人はいるはずです。コピーを取っているので送ります』


 リストの住所を流し見る。海外は除外できるとして、都内や付近の県に対象を絞ってもまだ二十人近くいる。普通に考えれば先回りは困難だが、実行するのがもし自分だとしたら、どのように動くかはある程度予想がつく。


『取りあえずは対象者の安全の確保が優先ですので、企業に連絡を取って避難してもらうよう伝えます』


 案が浮かぶ。ターゲットをうまく使えば、犯人をおびき出すことができるかもしれない。そのうえで他の連中を出し抜く。恵三は短い呼吸を繰り返し、逡巡を唾と一緒に飲み込んでから言った。


「ひとつお願いしたいことがあるんですが」

『なんでしょう?』

「この件、俺にカタをつけさせてもらえませんか?」

『ええ、もちろん引き続き事件の解決を──』

「あー、いえ、そうではなくてですね……その、企業や警察の横やりなしでやりとげたいと言いますか」


 弥永ははじめ訝しそうにしていたが、すぐに恵三が要求した理由に思い至ったようだった。


『なるほど……軍との契約に抵触する可能性がある、と。もし犯人のデバイスが誰かの手に渡り、詳細を調べた結果、佐藤さんの不手際によって今回の件が起こったと見做されるかもしれない。もしそうなったら──重い処罰が下されることになる』


 恵三はできるだけ感服したふうに聞こえるよう声のトーンを落とした。


「身勝手なのは重々承知してるんですが」


 弥永が短く考え込んで結論を出す。


『……犯人を捕らえた結果、もし冤罪であった場合は、貴方がこれから行おうとしていることを黙認します。ただし、佐藤さんの過失が明らかになった場合、罪を償うことを約束していただけますか?』


 勝算があるのかどうかすら分からない。何しろ記憶にないのだから。しかし、彼女たちの協力がなければ事をうまく運ぶことはできない。恵三は腹をくくり、脱力して手足をぶらつかせた。


「もし俺が罪を被るとなった場合、減刑されるよう取り計らってもらえます?」

『従業員価格でお引き受けしますよ』


 ひきつった顔の恵三/弥永が笑顔で訊いた。


『しかし実際問題、犯人を止める手段があるのですか? 向こうはデバイスが三体、並大抵の戦力では手に負えないような気がするのですが』

「それに関してはうまいこと調達しようかな、と。クラップスへは俺の方から連絡しても構いませんか?」

『では、霧島には私の方から』


 迷う素振りもない弥永のGOサインに感謝して通話を終える。恵三は神妙な顔つきで切り出した。


「ひとつ、ご協力いただきたいんですが」


 レトリバーがまるで下々の陳情に耳を傾ける権力者のように頷く。


「言ってみろ」

「犯人を捕縛、破壊するために企業が武力を投入すると思うんですよ。で、なんだかんだ理由をつけてそいつを、まあ、お借りしようかと思ってるんですが」

「場合によっては、同意なしに? それがさっき言った調達の方法というわけか?」


 恵三が頭を掻く。まんざらでもない様子で田中が笑った。この犬は、根っこのところで荒事を欲している。


「いいだろう。折角できた後輩だからな、一肌脱いでやるとしよう」


 恵三はキャスパーへ連絡を入れた。こちらをじらすような数コールの後、すぐにあのやかましい声がまくしたて始めた。


『やあやあやあ佐藤さん、ご無沙汰しております。なんて、ご無沙汰どころかさっきぶりなんですがね。いったいどうされたんです? あっ、もしかして私の声が聞きたくなったとか? 友情を深めあいたいと? もしそうならこちらとしてもやぶさかではないんですが、生憎といまは仕事が立て込んでおりまして。今度の日曜日でもいいです?』

「その仕事の話です。たったいま、プロジェクトの関係者がまた一人襲われました」

『おやおや急展開』

「犯人は暴走状態にあります。ですので、そちらで把握している限りのプロジェクトメンバーをすぐにでも避難させてもらってもいいですか?」

『ええ、ええ、すぐにでも。いやあ本当にありがとうございます。やはり持つべきものは──』

「ついでにひとつ提案なんですが、避難に使うルートをばらけさせずに一本に絞るっていうのはどうでしょう? そうしたら犯人はそれを追ってくるわけですよね?」

『なるほど。犯人の行動を制御しておびき出すと。そこに、わが社の鎮圧部隊を待ち構えさせればいいわけですね? いやあ感服いたしました』

「恐縮です。いま、襲撃のあった座標を送りますので」


 キャスパーに渡したチップに仕込んだトレーサーを起動──正常に動いている。


「それでは」

『ああ、待った待った。待ってください』キャスパーおどけたように慌ててみせる。『それで、佐藤さんからの要求は?』

「特にありませんけど」

『いやいやいや、ダメですよ、佐藤さん。我々の間で行われているのはそういうゲームでしょう? 与えたなら、要求しなければ。そうしないということは怪しんでくれと言っているようなものです。あれだけ入れ込んでいる様子だったのに、あっさり舞台の幕引きを譲る? 無いですね。ありえません。つまりこうですか? 我々を餌にしておいて、美味いところをかっさらってしまおう、と?』


 恵三がため息をついた。キャスパーが朗らかに笑う。


『私もこれで交渉事に関してはプロなわけでして。実際に顔を合わせずとも、声のトーンや言葉の選び方、雰囲気でなんとなく分かってしまうものなんですよねえ、悲しいことに』


 時間がない──向こうの疑念を晴らすだけの言い訳を思いつかない。恵三は観念し、隣のレトリバーに頭を下げてから白状した。


「犯人は俺が何とかします。なので、戦力を貸してもらえませんか?」

『どれくらい?』

「汎用型デバイスを三機」それが同時に動かせる限度。

『手配しましょう』


 あっさり許諾するキャスパー/恵三は思わずたじろいだ。


「ええ……いいんですか? 本当に?」

『いいんですよ。なにも私の方にも利がないわけじゃありません。件のプロジェクト、なにぶん大企業同士の共同だということで関わっている人数が多く、もみ消しを測るのも一苦労で。そのうえ実働部隊を大規模に動かすとなると、そこからも情報漏洩のおそれがあるときている。その点、佐藤さんであれば安心じゃないですか? なにせ本件の情報が出回った時点で窮地に陥るのはあなた自身なわけですから』


 恵三がうめいた。こいつは何をどこまで知っているのか──多分、ほとんど。なにせ開発会社なのだから、部外秘も含めて資料を漁れば被検者=佐藤恵三の名前すら出てくるだろう。


『佐藤恵三がキャスパー・アイスラーに借りをつくった。これさえ忘れないでいただけたら結構です。準備ができ次第アドレスをお送りしますので、デバイスへはそちらからアクセスしてください。あっ、言うまでもないでしょうが、必ず仕留めてくださいよ? できますよねえ、なにせ戦争のプロなわけですから。ジャンルを越えたプロ同士の信頼関係、うーん、いいですねえ』

 長舌に田中が割って入る。「心配は無用だ。なにせ私がついているのだからな」

『おや、佐藤さんのご同輩の方ですか? 先日の刑事さんとも違う声のようですが。いやあ、私、キャスパー・アイスラーと申し──』


 通信を打ち切った恵三は、雄たけびを上げながら運転席のヘッドレストに後頭部を何度も打ち付けた。


 田中が笑う。「色々な相手に急所を晒しているな」

「いいんですよ。今さらしくじりの一つや二つを気に病むほど完璧な人生でもありませんし」

「では、始めるとするか。ここからは自分の足で行った方が早い」


 インナーハンドルを器用に口で引っ張り、田中が走行中の車から外へ飛び出した。


『早速探りあてられました。社員とご家族を乗せた車を追跡する機影を確認しています』


 キャスパーから座標とメッセージ、それからデバイスにアクセスするための三つのアドレスが送られてくる。警察の権限を使って付近のカメラを一斉にそちらへフォーカスさせる。


 一台のハイヤーが車線を無視した強引な運転で車の間を駆け抜けていく/一瞬だけ映る鬼気迫った表情の運転手/それを追う三機のデバイス。出し惜しみは無し──ここで全てが決まる。

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