第21話 キャスパー・アイスラー

 握りしめたスマートデバイスから鳴り響く単調なコール音──表記は〝C〟。さっさと取れという田中のジェスチャー。恵三は観念して画面をスワイプした。


『いきなり切らないでくださいよ佐藤さん』

「すいません、思わず」

『ええ、ええ、そういうことってありますよね。お気になさらず。私なんて久々のオフだったのに上司から電話があって思わず、げ、なんて口走ったことがありますよ。しかも相手を見ずに電話に出てから口を開いちゃったんですよねえ。何年も前の話なんですが、そのときの上司には未だに顔を合わせるたびにネチネチ言われますよ。だから先日お宅にご招待いただいたとき奥様と娘さんに、旦那さんがまた新しい秘書を──』

 放っておけばいつまでも喋り続けそうなキャスパーを遮る。「話を戻してもらってもいいです?」

「あ、はいはい。えーと、我々の仲なので気にしてませんってことですよ。というわけで、多少いざこざがあったかもしれませんが、水に流しませんか? モニターしてるバイタルは正常値のままなので殺してはいらっしゃらないと思うんですよね』


 恵三が締め上げていた腕を放す。クラップス社の工作員は聞こえないくらいの声で毒づいて同僚を介抱しに行った。


「少し借りとくよ」恵三はスマートデバイスを掲げて部屋を出る。キャスパーに向けて言った。「目当ては同じってことでいいんですかね?」

『まっ、そういうことでしょうね』


 クラップス社も連続襲撃事件の犯人を追っている──社員に被害が出ているのだから当然ともいえる。


 どう切り出そうかと考えながらポケットに手を突っ込んで通路をうろつく。吹き抜けから見える階下=よれよれのリネンシャツを着て足を引きずりながら独り言を呟いている爺さん/タブレット片手にゲームに勤しむ歯がボロボロの婆さん──恵三は思わず笑った。


『どうされました?』

「いえ、風情がある光景だったもんで、つい。しかし、案外真面目に仕事されてるんですね」

『社命ですしねえ。これでも結構な高給を貰ってますので、おざなりにはできなくて』

「それは結構。ちなみに、どこまで掴んでるのか教えてもらっても?」

『あ、やっぱりそうきます? とりあえずは顔を合わせて話しませんか? ちょうど下に来てるんですよ』


 犬の吠え声。振り返ると、田中が部屋から顔を出していた。


≪お誘いを受けようじゃないか。ここは不衛生でかなわない。それに、既に退散した後のようで大したものもなかった。セーフハウスの一つといったところだろう≫


 都営住宅を出て少し西へ──少し歩いたところに、ゴーストタウンには場違いな三台の新車。強面たちに囲まれて車体の横面によりかかっていたスリーピースの優男が手を振る。


「いやあどうもどうも」護衛をかき分けて前に出るキャスパー。「今日の相棒は随分と可愛らしいじゃないですか」


 普通の犬に対してそうするように、キャスパーが口笛を吹いて指でレトリバーを呼ぶ。田中はややうんざりしたようにそっぽを向いて、尻尾を丸めて車の反対側へと消えていく。


「おや、人見知りですかね? いや、実は私、犬が大好きでして。実家がアーカンソーのド田舎で農業を営んでるんですが、まあ無駄に土地だけはあるもので何匹も犬を飼ってまして。よく川釣りや狩猟なんかに一緒に行ったんですよ。んー、懐かしい」

 恵三が言った。「ご両親がいらっしゃるんですか」

「珍しいでしょう? おっと、お仕事の話をしますか。提案なんですが、ここは相互干渉なしってことにしません? お互いその方がやりやすいと思うんですが」


 恵三は高良が言いそうな台詞をひねり出す。


「こういう言い方は高慢ちきかもしれませんが、協力は市民の義務ってやつなのでは?」


 キャスパーが両手を広げて笑った。


「しかし、憲法では自己防衛の権利も認められている。暴力が国家に独占されていた時代は当の昔に終わっているわけでして。ああこれは別に佐藤さんが信用ならないってことを言っているのではなく、組織としての警察の信用度に問題がある、という意味です。なにせ、貧乏でしょう? そのくせ年々危険は増していくばかり。となると、真面目にはやっていられないというのも分かりますがね。私がこういった外部との折衝を担当する部署に所属しているというのもあるのでしょうが、本業を疎かにして副業に勤しむ──ようするにちょっとした恐喝やら御用聞きやらで小銭を稼ぐのにご執心な、職務に対しておよそ真剣とは言い難い方々を目にする機会もありまして。うーん、そうだな、じゃあこうしましょう。事態がうまく収拾がつきそうになったら、なにか目に見える手柄をご用意しますよ。犯人でもいいですし、犯人の資金のルート、あるいは関連する犯罪の企みなんかでも構いません。いかがです? 反故にされることを懸念されていらっしゃるのでしたら、誓約書をご用意してもいいですよ」


 恵三は両手を組んで目をつむった。鞄持ちを批判しながらそうしろと言ってくる──企業風の譲歩。高良がひねくれるのも理解できる気がした。


「多分、相当いい条件なんでしょうね」


 キャスパーは笑顔を崩さない。


「ええ。ですので、私の提案が気に入らない理由をお聞きしたいですね」

「なんて言ったらいいか……そうですね、こいつは、恐らくですけど、個人的な事情なんですよ。だから、引き下がるのもなあ、って感じです。これで伝わります?」

「ま、納得はできますね」


 難しい顔で頷くキャスパーに、恵三は出し抜けに言った。


「宇佐見賢介って名前はご存じですか? なんでも霧島の客員研究員で、それがこの事件──そちらの加藤さんの死にも関わってるんだとか」


 すかさず田中から抗議の通信が入る。


≪おい、佐藤≫≪まあまあ、いいじゃないですか。こうでもしないと平行線ですよ。それにボスだって企業と協力したって構わないと言ってましたし、少なくともこいつは話が通じる相手です≫≪どうだかな≫

「……んっんー、そう来ましたか」


 キャスパーは顎に手を当てたまま回れ右をし、自分たちの車をぐるりと一周して戻ってきた。


「では情報提供に対する感謝として、こちらもカードを1枚切りましょう。どうして我々がここにいるかというと、その加藤の手がかりを求めてのことです。彼の私生活の方は叩いても埃が出そうになかったので仕事の方から辿ったわけなんですね。すると、彼の名前で立ち上げられたプロジェクトの報告書の内容がどうにも胡散臭いことが分かった。ありもしない仕事をでっち上げて稟議を通し、予算を確保していたのです。おやおやこいつはどうにも怪しいぞとカードの履歴や領収書を調べてみると、郊外の山中に小規模な施設をこっそりと作っていたようなんです」


 自社の醜聞を垂れ流すキャスパー。恵三は首を捻った。


「いいんですか? 外部の人間にそんなこと喋って」


 キャスパーが指を振る。


「隠して明るみに出た時の方がダメージが大きいので。ご心配いただかなくても落としどころは考えていますから」

「そうですか。で、施設っていうのは?」

「何かの研究を行っていたようですが、我々が発見した時には完全に破壊されていましたので、詳細は分かりません」

「それは、つい最近の話ですか?」

「ええ。比較的新しい破壊跡でしたので」


 殺す前に施設の情報を聞き出したのか、それとも施設を襲ってから情報を抜き出して加藤の居場所を突き止めたのか。恵三は手早くキーワード=破壊/施設/爆破でWebサイトを検索してみたが、それらしい記事は見つからない。


「ニュースにはなってませんよね?」

「なにせ我々ですら把握していなかったくらいですからねえ。警察には通報しなかったのでしょう。裏金で用意した施設が破壊されたので捜査してくれ、なんて言えるはずもありませんが。施設は散々な有様だったので直接の手がかりはなかったのですが、産業スパイ──機器を破壊する前にデータを盗んで送信をしたのではないかと考えて電話会社に問い合わせたところ、中継ポイントを経由してこちらの公営住宅への送信があったというわけで。既に引き払った後だったようですが」


 次はそちらの番だとキャスパーが手を差し向ける。コール/フォールドの選択──恵三はチップを乗せる。


「こっちは犯行に使われたデバイスの入手先を調べるうちに犯人が用意したいくつかのセーフハウスらしきものを見つけまして、ここがそのひとつってわけです。候補地はあと何か所かあるみたいなんで、これから回ってみるつもりですよ」

「ほほう。それは素晴らしい」キャスパーが手を叩いた。「ご一緒させていただいても?」


 明け透けにもほどがある態度──恵三は横を見て意見を求めた。


≪住所を渡してしまえ≫田中は後ろ足で耳の裏を掻いている。≪どうせ断っても後から付いてくるだけだ。それなら、こいつらをうまく使ってしまったほうがいい。もちろんタダではくれてやるなよ≫


 恵三は頷いて、データの入ったチップを取り出した。念のためにハード/ソフトの両方でトレーサーを仕込んでおく。


「何かあったら、何かが起こったら、それをこっちにも共有してもらえますか?」


 キャスパーがチップに手を伸ばす。


「もちろんですよ。市民の義務ですからね」


 恵三が曖昧に笑った。キャスパーが部下を手招きしてタブレットを持ってこさせて、中のデータに目を通す。


「なるほどなるほど。では、これらにはうちの人間を向かわせるとしましょうか。なにせ人員は豊富ですからね。いやあ実に有意義な話し合いでした! やはり顔を合わせて腹を割るのが一番ですね!」


 右手を前に出すキャスパー。恵三は緩慢な動きで握手に応じながら言った。


「こちらが二つ、そっちが一つ。あと一つ上乗せしてもらってもいいです?」

「もちろんですよ。なんなりとどうぞ。あ、社外秘以外でお願いしますね」

「気になったんですが、加藤はどうして横領なんて危ない橋を渡ったんでしょうね?」

「私もそこがどうにも腑に落ちなかったというか特定しかねていたんですが、それに関しては佐藤さんの出された名前、宇佐見賢介でピンと来ました。加藤が過去に参画していたプロジェクトが頓挫していまして、まあ社内での立場が若干危うくなっていたんですよ。その巻き返しを図ったのではないかと。ちなみにそのプロジェクトというのが──」

 恵三がその先を言った。「コピーしたパイロットの記憶をベースに仮想人格を生成して兵器の操縦をさせる、ってやつでしょう?」

 キャスパーが目を丸くする。「なんだ、これについても調べがついていたんですね。いやいや感服しました」


 それでは、と言い残してクラップス社の面々が撤収する。三台の車が影も形もなくなってから田中が言った。


「おい佐藤、まさか」

「個人的な事情ってやつです」


 歩きながら弥永に進捗の報告をしようと連絡を入れる──中々つながらない。ようやく応答があったのは、団地を半周して駐車した車が見えてきた頃だった。


「ボス、今ちょっといいですか?」


 返事はない。その代わりに何か物騒な音=金属の塊がぶつかり合うような。


「ボス?」

『すいません、ついさっきまでは、その、暇といっていい状況だったのですが──』


 破砕音。物が倒れる音。かなり危うい状況──車まで急いで走る。


「何が起きてるんです?」

『自律兵器プロジェクトのメンバーの家を訪ねて回っていたんですが、そこで襲撃を受けまして。羽瀬川さんが応戦してくれているので私は今のところ無事ですが……えー、できれば早めに来ていただけると』


 息を切らしながら開けた運転席のドアから田中が飛び込んだ。恵三はジャケットのジッパーを下ろしながらイグニッションボタンを押してモーターに電気を回した。

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