第20話 埃/錆び/カビ

 何かの手掛かりが残されていないか一番近い位置にあった中野区に足を運ぶ。壁は苔とカビに浸食された壁/埃が積もりっぱなしのタイル/ペンキが剥げてスラットが錆びたシャッター=どう贔屓目に見ても最近使われた形跡はない。


 デバイスが収められていたと思わしき新品でピカピカのコンテナを除いて目ぼしいものは見当たらなかった。それでも何か痕跡や手掛かりが残されていないかの家探し──何も見つからなければ移動も含めて都合三十分が無駄になる。


「佐藤、そっちは何か見つけたか?」


 空振りといった様子で倉庫内をうろついていたレトリバーが戻ってきた。


「いま確認するところです」


 コンテナに配置されたコンソールにアクセスしてログを確認──何もなし。起動用のプログラムをインストールして遠隔地からの操縦を許可したのちに削除したのだろうと推測した。


「こっちもダメですね」

「となると、目ぼしい発見は足跡だけか。比較的新しいのが二種類見つかった。人間と汎用デバイスのものだ。人間の方は金で雇われた誰かだろう。そいつがソフトのインストールだけをやった」


 恵三は頷いて同意した。


「前のところと同じだな。起動したデバイスはそのまま自分の足で歩き去ったようだ。足跡のサイズからみて、フード付きのコートでも着ていれば、ぱっと見では人間と見分けがつかないだろう。昼間なら目立つどころの話ではない恰好だが、夜なら──まあ、見かけても積極的に声をかけようという人間は少ないな」


 羽瀬川の証言──コールガールを送り届けたときにやってきた襲撃者はレインコートを着ていた。


「それで、どうします?」恵三が言った。

「可能性が少しでもあるのなら、残りも回らざるを得ない」

「とはいえ、この調子だと無駄足になりそうじゃないですか? なんかこう、うまいこと見つける方法ってのは他にないもんですかね?」

「あるにはある、というよりもうやっているが……こちらもこちらで多少の忍耐を要する方法ではあるな」

「へえ。もしかして、臭いでも辿るんです?」


 恵三が自分の鼻を指で小突いた。レトリバーは皮肉には取り合わない。


「金の流れを追うのさ。時間がもったいないから移動しながらやるぞ」


 一人と一匹は駐車場まで歩いた。昨日、ひっくり返って盛大に滑ったせいで天井が見るも無残な有様の借り物の車に乗り込む。


「さて、こいつを見ろ佐藤」


 事故車のイグニッションボタンを押す。田中からの画面共有申請──網膜のモニタにWebブラウザが大写しになったせいでアクセルを踏もうとした足が止まる。


 見たこともないサイト/何かの数字が羅列された一覧表。ヘッダ部分に半角カタカナでデバイスを購入した会社の名前が記載されていたことから、それが口座情報であることに気付いた。


「これは入金と出勤の記録ですか? いったいどうやって?」

「これは警察内部の捜査支援サイトでな、諸々の面倒な手続きをすっ飛ばして情報の開示を請求できる仕組みになっている。仮とはいえ今の我々の立場なら借用した警官IDでアクセスできるのさ」

「ほう……じゃなくて、こういうのあらかじめ教えておくべきじゃあ?」

「契約時に留意事項やマニュアルが配布されるはずだが、まあ、今回は私がいるから所長も説明を省いたのだろう。使い方を覚えておいて損はないぞ、今後も警察とは付き合いがあるだろうからな」


 各種資料が送信されてくる。マニュアルの該当資料に目を通す──何かしら事件が発生し、警察がその事件にコードを割り振ったら、その番号を使って各種機関に請求できる仕組みらしい。今回は殺人事件であるためレベル2相当──レベル2がいったいどれほどの深刻さを現しているのかは不明だが──とのことだ。


「銀行って、顧客の情報をこんな風にあっさり教えてくれるもんなんですね」

「大口の場合はそう簡単にはいかないがな。公的機関への協力によって得られる補助金との綱引きといったところか。デバイスの支払いに使われた口座の番号718-0907881と金融機関名で照会をかけたのが、いま映し出されているものになる」


 リストを上から順に見ていく──入出金の記録は数年前にぱったりと途絶えていたが、少し前にまとまった金額が数回に分けて振り込まれていた。


「振り込み元が海外の会社になっている。誰がその金を払ったのか容易に突き止めることができないよう迂回させているのだろう。よくある、プロの手口だな。なかなか周到に準備されているが、そのくせ犯行自体は計画性というものに欠けていて、稚拙とさえ言っていい。このイメージの乖離はなんだろうな。もしかすると相手は複数犯で、しかもそれぞれ別個の思惑で動いているのではないだろうか? 犯人グループは営利目的ではない。かといって声明を出して何かを主張するのでもない。となると、私怨か、もっと歪んだ何か別の──」

「話が逸れかけてませんか?」


 口を挟むとレトリバーが器用に喉を鳴らした。銀行の口座記録とは別のものが表示される。今度のは数字ではなく文字ばかりが映っている。


「今度のはいったい何です?」

「この会社の営業許可書と登記情報だ。重要なのは人名の部分──役員、出資者、代理人。履歴を見ると、会社が営業停止して怪しい金が振り込まれる間に役員の変更が行われている。これは、よからぬ目的のために死に体の会社を買ったということだ」

「つまり?」

「汎用の人型デバイスというのは、とにかく電気を食う。そして、目立つ風貌をしているから容易には出歩けない。つまりだ、金の出所を誤魔化すくらいの知恵のある人間が犯人グループにいるなら、それ用の隠れ家を用意しているのではないか、ということだ」


 説得力はある──恵三は首を傾けてこめかみを人差し指で掻いた。


「なるほど。それで、肝心の隠れ家ってやつに目星はついてるんです?」

「それをいま説明していた。こういった不正送金を行うためのペーパーカンパニーは当局に睨まれるし、それに加担した人間には味噌がつく。だから、そんな会社の登記申請を行う代理人など──大抵は弁護士だが、限られているのさ。その会社が犯罪やテロに使われた場合、連座する可能性もあるからな。そのため、同じ代理人を使って別の建物を取得している可能性は高い。犯罪を行う上で情報の流出する可能性を最小限に抑えるという意味でも利がある。代理人、あるいはその家族、親類の名前が記載された企業や、その所持している物件をピックアップする」

「その名前が偽名やまったくのデタラメってことは?」

「それはない、本人確認は厳密に行われる。お役人の目も案外節穴ではない。いや、むしろ徴税能力に関しては全幅の信頼を寄せてもいいくらいだ」

「信頼、つっていいんですかね、それは」


 表示される都内の地図/ところどころに記された緑の点──20近くある。そこから大通りや住宅街など人の目が多いところが省かれていき、最終的には6か所が残った。


「割と現実的なラインですね。予定変更してそっちに向かいますか?」


 田中が首を傾げて自説に難色を示した。


「どうだろうな。いまの推測にはいくつか穴がある──向こうが情報漏洩のリスクを取って複数の代理人を使った時点であてが外れる。ペーパーカンパニーや土地、建物を斡旋するブローカーの類は幾らか知っているが、連中は大体そうするしな」

「空ぶったら?」

「また一からやり直しだ。とにかく辿れるところから行けるところまで行く。諦めず、根気よく、何度もな。一流の仕事というやつだ」

「どうりで乗り気じゃないわけだ。必要なのは忍耐っていうより運じゃないですか?」

「当たりを手繰り寄せるためにこそ辛抱が必要になるのさ」


 行き先を一任された恵三は近いところから順繰りにポイントを回った。反時計回りに杉並、世田谷、目黒、品川へ。


 品川区の調査すべき建物は取り壊されていないのが不思議なくらいの公営住宅だった。遠くからでもヒビと赤茶色の染みだらけなのが見てとれる。走行中にぽつりぽつりと見かける空のテナントもここいらで営業できる見込み無しとの判断を下したのか外装も整えずに放置されていた。


 開けっ放しにの門を通って車を敷地内の道路へ入れる。見上げると、老朽化したベランダにぽつりぽつりと洗濯物が干してあるのが見える。まだ住んでいる人間がいるらしい。途中には公園らしきものがあった。遊具らしきものが見えたが、伸び切った雑草でそれが何かは分からなかった。


 C棟の正面ロビーから入って左手にあったエレベーターのボタンを押す──いつまでたってもドアが開かない/上階の方からガタゴトと嫌な音。


 田中が無言でホール脇の階段から上っていく。恵三も無言で汚らしい階段に足をかけた。何年放置されたのか分からないプラスチック容器がブーツの下で粉々になる。


≪足音を消せ≫


 7階まで上がったところで田中から通信が入った。恵三は借りっぱなしのH&Kの拳銃をホルスターから抜いて慎重に続く。


 レトリバーは鼻先を通路に出し、デバイスを購入した会社の代理人の妹の名前で契約された部屋を眺める。恵三が通信を送った。


≪先客? 何人です?≫

≪そこまで多くはない。三人かそこらだ≫

≪人間ですか?≫

≪何かの駆動音はしない。開けられるか?≫


 ドアをスキャン──ロックはかかってない/1秒で開けられる。恵三は人差し指と親指で○をつくった。部屋の前まで忍び寄り、指で3カウントを数えてドアをハックする。


 スライドするドア/電撃を帯びた黒い犬が突っ込んで床、壁、天井を蹴って室内を跳ねまわる。部屋の中を漁っていた連中は、何が起きたのか理解する間もなく全員が昏倒する。


 中の連中は全員がスーツを着ていた。安物ではない/空き巣ではない。部屋には家具や金目のものなど一切なかったが、ぼろ部屋には似つかわしくないごつい変圧器がひとつだけ置かれていた。


 恐らくはデバイスの充電用。


 恵三は手近な一人の持ち物を漁ったが、身分証の類は持っておらず、ロックのかかったハンドサイズのスマートデバイスしか見つからなかった。男の首根っこを引っ掴んで錆びの浮いたシンクまで引きずり、流し台に頭を突っ込ませて蛇口をひねる。


 濁った水を頭にかぶった男が目をしばたたかせた。恵三は男の腕を捻り上げて壁に押し付ける。


「意識ははっきりしてるか?」

 男が汚水を吐き出してうめいた。「俺の仲間は生きているのか?」

「生きてるよ」

「何が目的だ?」


 恵三は笑った。


「俺は警官だよ。取りあえずの目的は、怪しい人間の事情聴取ってところだな。結構な身なりをした男三人がこんなところで何をやってるんだ?」

「まて、我々は犯罪行為を行っているわけではない」

「へえ。何か身分を証明できるものは?」


 押し黙った男の背中に恵三は銃口を押し付けた。


「おい、無抵抗の相手を撃つのか? そもそも、本当に警官なのか?」

 恵三は通信で聞いた。≪こういう振る舞いはまずいんですか?≫

 田中の返信。≪場合による≫

 恵三は小さく頷いてさらに銃口を突き入れた。「申し開きがあるなら早いうちがいいと思うぞ」

 男が壁に額を押し付けて言った。「電話をさせてくれないか」

「どこに?」

「相談をしたい。場合によっては、素直に答えることができるかもしれない。スーツのポケットにスマートデバイスが入ってる。指紋と静脈認証になっているから、俺の手でしか解除できないようになっている」

「それをすると、お仲間が大挙して押し寄せてくるわけか?」

「本当に電話をしたいだけなんだ。おかしな真似をしたら、その時には撃てばいい」


 恵三は先ほど男が昏倒しているうちに掠め取っておいたスマートデバイスのスリープモードを解除して、背中側へと締め上げている男の手に画面を押し付けてロックを解除する。


「連絡先は?」

「C」


 電話帳を探す──ふざけているわけではなく、〝C〟と登録された人物がいた。


「かけたら俺に交代して──」


 恵三は男の要求を無視してスマートデバイスを自分の耳に押し当てた。


『もしもーし。どうしたんですか? あんまりこちらにはかけないように言っておいたはずですが。もう終わった、なんてことはありませんよねえ。いくらなんでも早すぎますし、もしかしてトラブルでしょうか?』


 やけに軽い、ふざけたような雰囲気をした男の声──どこかで耳にしたような気がする。恵三は既視感を振り払って聞いた。


「トラブルもトラブルだよ。なにせ警察に捕まっちまったんだからな。それで、あんたはどこの誰なんだ?」

『うわー、やらかしてくれましたねえ。うん? あれ、どこかで聞いた声ですね。私たち、もしかして知り合いじゃありませんか?』

「そんなわけないだろう」

『いやいや、そんなことないですよ。私、こう見えて記憶力はいい方なんです。まあ顔なんて見えないでしょうが。ちょっと待ってください、いま声紋データで検索を、と。えーと、佐藤さん、で、よろしいですか?』


 恵三は田中の方を振り返った。レトリバーは鼻を振って続けてみろのポーズ。


「え、ほんとに誰だ?」


 通話の相手が笑った。


『やだなあ、つい先日知り合ったばかりじゃないですか。キャスパー・アイスラーですよ。ほら、急な来訪にも関わらず真心を込めて対応した誠実な──』


 恵三はそこで通話を切って、男に言った。


「あんたら、クラップス社の人間か」

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