第19話 精神のプログラム化

「素敵なお店ですね。いつもここでご昼食を?」


 弥永が向かいに座ると、男はイワシのブカティーニにフォークを突き刺した姿勢で固まった。グリーンのライトが等間隔に吊り下げられたイタリアンレストランをぎこちない動きで見渡して、恐る恐る言った。


「あの……どちら様でしょうか? たぶん、人違いでは──」

「いいえ。あなたに会いに来たのです、清水さん」


 男がフォークを置いて弥永が差し出した名刺に手を伸ばした。


「弁護士さんがいったい何のご用でしょうか?」

「今は、警察官としてこの場にいます。川島さんとは〝ひじょうに〟仲の良いご友人でいらっしゃると伺っているのですが、それについて少しお話をしても?」

「ああ──」清水は何度も細かく頷いた。「その件ですか。もちろん友人ですし、彼がどうなっているかも耳にしてますよ。でも、この場でお話しできることはありません」

「つまり捜査に協力するつもりはない?」

「そんなことはありません。こう見えて私はよき市民です。あくまでこの場では、というだけの話です。質問は社の窓口である法務にお願いします」


 ペースを取り戻してきた清水が料理に手を伸ばした。緘口令が敷かれている──予想の範囲内。


 弥永は素直に引き下がった。「分かりました。では、警察官はいったん店じまい。たった今から弁護士に戻ります」

「はあ」清水は首を傾げた。「……どうぞ?」

「フラ・ダ・リのキャストにドラッグの接種を無理強いしましたね? そういった行為は暴行罪にあたりますよ?」


 3秒=弥永の台詞と自分の立場を理解するまでに清水が要した時間。顔から血の気が引いて、スコールにでもあったように顔が汗で水浸しになる。


 とっさに立ち上がろうとした清水の肩を、音もなく後ろに回っていた羽瀬川の手が押しとどめた。そこで初めて背後の女の存在に気付いて清水が半開きの唇を震わせた。


 彼の座った椅子の足が床をひっかく/集まる店中の視線。弥永の笑顔で追い払われる。


 清水がテーブルに手をついてわなないた。「こんな場所でする話ではないでしょう」

「では、休日に自宅でご家族と歓談中のところに押しかけた方がよかったですか? それとも平日、奥様が家事をされているところに内容証明の書類を送りつけられる方が好みですか?」

「あれは同意の上だった」

「それを証明できるものはありますか? ドラッグを飲むことに同意した旨の録音データでも? その様子だと持っていないようですね。ということは、いま明確に存在しているのは、貴方との行為の後に店のキャストに薬物反応が出たという医者の診断書だけになりますが」


 清水の目に涙が溜まる。


「卑怯者」


 頭に血が上った羽瀬川の手が清水の肩を握り潰す寸前に、弥永は吹き出した。


「ふふ、今のはちょっと意表を突かれました。話を戻しますが、川島吉貴さんの関わっていたプロジェクト、仕事の内容についてご存じありませんか? それと、宇佐見賢介という名前に聞き覚えは?」


 ハンカチを取り出して目の部分を覆っていた清水が、しばらくして口を開いた。


「川島は……営業畑の人間です。色んなものを売って回ってます。何かの設備の部品だったり、セキュリティの仕組みだったり、護衛艦だったり……だから、とてもじゃないですが、全部を把握なんて……宇佐見の方に至っては、いま初めて聞いた名前です」

「どうも研究者のようなのですが、会社に所属の方ですか? 川島さんがその方と関わっていたというような話に心当たりは?」

「知りません。そもそも、そんなものわざわざ私に聞かなくても本人の持ち物なり連絡先なりを調べれば済むでしょう」

「残念ながら川島さんが襲われたころと同時刻に自宅が荒らされていたようなんです。おかげで目ぼしいものは何も見つかりませんでした。あなたの会社を問い詰めたところでなしのつぶてなのは分かり切っていますし、お昼休みのところ恐縮だとは思っているのですがこうして出向いたわけで」

 清水は顔を伏せたまま呟くように言った。「多分、直接の社員じゃなく、協力なり契約なりしている外部の人間だと思う。詳しいことは……社に戻って調べてみないと」

「なるほど。ではお戻りいただいて結構です。一時間でその名刺の番号に連絡をください」

「もし、

遅れたら?」

「あなたの滅私奉公の精神を称えるつもりです。わが身に代えても、とは、忠義ですね」


 席を立とうとした弥永に、まる一日水を飲めなかったような声で清水が言った。


「私は家庭を大切に思っている。これは心からの本音なんだ。だからこそ、言えないことやぶつけられないものだってあるだろう?」


 弥永は先ほどまでの挑発的な雰囲気を引っ込め、正面から清水の顔を覗き込んだ。


「依存症は立派な病気です、まずは医者にかかることを強くお勧めします。その後に、ご家族と話し合ってみるべきでは? 必要なのは自分がどういう人間か認め、さらけ出す勇気です。自分を抑圧して独りで不幸になるか、あるいは他人をはけ口にして不幸をまき散らすか、はたまたご家族で手を取りあって立ち向かうか──それから決めても遅くはないと思いますよ」





 公園のベンチで迷惑料代わりにレストランで買ったテイクアウトのお菓子をつまみながら、清水から手渡しされた社外秘レポートの数々を読み込む。


 宇佐見賢介:国立の精神・神経医療研究センターの職員/定年で引退したあとは客員研究員として同センターに勤務/軍事高等研究財団のアドバイザーを経て、その後に霧島重工と契約──満了を待たずして老衰死。専門は精神科学、人間心理学。


 宇佐見は虚栄心や自己顕示欲の表現の仕方が古風な人物のようだった。SNSをやっていないどころかネット上にほとんど情報が落ちていない。そのため、彼については知るには清水の用意した資料を読み進めるしかなかった。


 クルミのビスコッティに手を伸ばそうとして、弥永はプラケースを挟んで隣に座った羽瀬川がちらちらと自分の様子を窺っていることに気付いた。


「どうされました?」

「あの……八千穂さんのこと──あっ、さっきの方のお相手をした娘なんですけど、その、ドラッグのこと、オーナーには」

「いえ、心配なさらないでください。医師からの報告で既にオーナーさんはご存じですよ。だからこうして資料にも記載されているわけですし。オーナーさんの性格からして既に鷹村八千穂さんにはきつい訓戒が与えられているでしょうし、記録によればドラッグの服用もその一度きりのようです」


 羽瀬川が胸をなでおろす。フラ・ダ・リではドラッグを固く禁じている。トラブルのもとにしかならないし、オーナーが毛嫌いしている。


「このことをご存じだったんですね?」

「戻ってきたとき、その、臭いで。それといつもよりおしゃべりで、あとは……眼孔の異常から」

「気づいていたのに黙っていた。それで、隠していることを気に病んでもいた」


 弥永の想像が当たっていることを裏付けるように羽瀬川は両手を握りしめてうつむいた。


「羽瀬川さん、もし私に対して何か言いたいことや気になることがあった場合、今みたいに遠慮する必要はありません。率直に言ってくださって結構です。いえ、むしろ、お願いできないでしょうか? 耳を閉じた独善的な人間にはなりたくないと常々考えていまして」


 理解したようなそうでないような羽瀬川のひきつった笑み。弥永も微笑んで資料に目を戻した。


 専門知識がないため、宇佐見が執筆したレポートはタイトルや章題を流し見るしかできない。自我という個々人のストーリーの統一化/記憶と自律神経系反応の関連性/存在概念の形成過程。


 人の精神について研究する科学者と重工メーカーの接点──自律型兵器の開発プロジェクト。


 何十番目かになるファイルを開いて、ようやく目当てのものを見つける。件のプロジェクトについて記載されたもの──ヘッダやファイルのタイトルで関連資料を探し、そこから人名を抽出した。


 わざわざ会見を開くだけあって、プロジェクトに関わっていた人間は数百に上った。だが、集計の甲斐はあった。川島吉貴に加えて、第一の被害者でもある加藤毅の名前も見つかった。ようやく当たりらしきものを引いたかもしれない──別行動中の二人に連絡を入れる。


『いま、少しよろしいですか?』

 田中と佐藤恵三、両方から同時に応答があった。『ひと段落ついたところです』『どうぞ、ボス』

『宇佐見賢介について調べがつきました。彼の専門は精神科学、心理学で、霧島の契約研究員だったようですね』

『だった、というと今は違う?』

『亡くなられています。斜め読み程度ですが、プロジェクトで開発していた自律兵器はその……どうも、プログラムだったようです。戦車、戦闘機、ドローン、デバイスといった特定の機械ではなく、あらゆるものに応用のきく万能の自律稼働プログラム。それで兵器を動かそうという試みのようで』


 田中がほう、と興味深げに言った。恵三の方は黙っている。


『プロジェクトに関わっている人間のリストを作ってみたところ、川島と加藤の名前が揃っていました。もしかするとこれが次の犯行を突き止める手掛かりになるのかもしれませんが、ちょっと膨大な数でして』

 佐藤が言った。『研究員のランクで絞ってみては? 例えば、主任やチームリーダー以上とか』


 弥永は苦心しながらフィルタリングをかけた。まったく領分の違う職業、あずかり知らない会社の内部だけで通っている役職名で立場の上下を判断することは難しい。


『うまく出来ているかどうかは不安ですけど……確かに川島と加藤は残ります。それでも数十人いますが。愚直かもしれませんが、片っ端からあたるしかないでしょうね。佐藤さんの仰られた条件を対象にして、警察のデータベースで住所を調べて有力な話を聞ける人物を探すつもりです』

 田中が言った。『警察からの増員は?』

『我々と契約している時点で人手不足なのは見て取れますし、恐らく期待はできないでしょう。ただ、この情報を企業側に伝えてみるのもいいのではないか、と考えています』

『霧島とクラップスにですか?』

『被害者の情報を提供するあたりまったく無関心ではないらしいですし、向こうの方で防備を固めてもらえるなら手間が省けます』

『警察の度量次第でしょうね』

『組織の面目を優先して市民を危険にさらすような人ではないと思いますよ、高良さんは。態度や言葉は刺々しいですが。それで、そちらの状況はどうですか?』

『犯人の使った凶器から辿ってデバイスを組み上げた工場で話を聞きました。注文を入れたのは都内の会社ですが、恐らくペーパーカンパニーです。人の出入りがほとんどありません。犯人が特定できるかと思い、街頭の監視カメラの映像から納入されたデバイスに接触しにきた人物を洗っているのですが、やってきたのは一人だけ──警察のデータベースによると地元で軽犯罪を繰り返すチンピラのようで、恐らく金で雇われたのでしょう。とても企業に喧嘩を売るような度胸があるようには見えません。佐藤が言うにはデバイスが収められたコンテナのロック解除と、遠隔操作用のセットアップを自動で行うチップをコンソールパネルに挿しただけではないかと。それから、納入先はそれぞれ別ですが類似の注文が他に三件あり、チンピラの件はひとまず脇に置いて、運搬された住所をいま訪ねようとしているところです』


 正しい判断。その金で雇われたらしき方を問い詰めたところで大した証拠は出てこない──買収されたフラ・ダ・リのキャストがそうだったように。


『他に三台のデバイス、ですか』

『ええ。犯人は随分と金を持っているようで。企業を脅迫して稼ぐための先行投資かとも思ったんですが、今のところ犯人から声明は無いようですし、やり方も稚拙だ。その線は薄いのではないかと考えています』

『お金儲けではありません。資金に不足はないはずですから』


 田中はなぜ、とか、どうして知っているんですかとは聞かず、了解とだけ言った。


『それでは引き続きお願いします。佐藤さんも、それでよろしいですか?』

『ええ』


 通信終了──宇佐見の話を聞いてからどうも恵三の口数が少なくなっているようだったが、わざわざ問い詰めるほどではないように感じられて詮索はしなかった。

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