第14話 仕事の成したもの

「羽瀬川さん」


 呼ばれて振り返ると、カフェスペースでクラッチバッグから取り出したタブレットPCの画面を食い入るように見つめていた弥永が片手を上げていた。羽瀬川はコーヒーメーカーからカップを取り、スティックシュガーを2本ケースから引き抜いてテーブルに向かった。


「えっと、なんでしょう?」

「あの夜、川島吉貴の待つモーテルに派遣されたのはこちらの女性ですか?」


 弥永の指は受注した依頼一覧の担当者の欄の上にある。


「はい。そちらのロバーツさんで間違いありません」

「こちらの方ですが、本日も出勤していらっしゃるようですが。確か、病院に運ばれたのでは?」

「ええ。頭にこぶができていたのでスキャンしてもらったそうなんですが、お医者様が言うには特に異常はなかったとご本人が」

「オーナーさんは無理をするなと言ったんでしょうね」


 気恥ずかしくなった羽瀬川は額に浮いた汗をぬぐった。弥永が紙スティックの端をちぎってコーヒーに砂糖を流し込む。


「その方に少しお話をうかがうことはできますか?」

「……少し確認してみます」


 羽瀬川がインプラントの通話機能でキャストに割り当てられた番号にかける。


『もしもし?』

「あっ、ロバーツさんですか? 今お時間ありますか? もしよろしければカフェに来ていただけると助かるんですが──あっ、あっ、すいません、言い忘れてました、羽瀬川です……」


 笑い声──通話が切られた。数分もしないうちにシンプルなニットとスカートといういでたちの女がカフェにやってくる。羽瀬川が弥永のことを紹介しようとまごついているうちに、彼女は席を立って右手を差し出した。濡れたような栗毛色のショートボブをかきあげてロバーツが応じる。


「弁護士の弥永湊です」

「ヘレン・ロバーツです。あなたが、噂の」ロバーツの目が弥永の背後に控える犬に行く。

 弥永は噂については言及せずに向かいの椅子に手を差し向けた。「どうぞ、おかけになってください」

「それで、いったいどういう要件なの?」

「川島吉貴さんのことについて質問をいくつか」


 ロバーツの視線が羽瀬川と弥永を往復する。羽瀬川が小さく頷くと、納得を示すように席に着いた。


 弥永が言った。「ロバーツさんは、川島さんから指名されることが多かったようですね」

 ロバーツが指の間に挟んだ煙草をもてあそぶ仕草をした。「ええ、そうね。初めて会ったのは多分、一昨年ね。しばらくは何人か別の子を試していたみたいだけど、相性が悪かったのか、そのうち私だけが呼ばれるようになった。もうその頃には手つきも大分慣れてきて──ああ、最初の時は彼、すごく緊張してたの。奥さんのことは喋りたがらないから、もしかするとうまくいっていないのかも。声がかかるのは大体2、3か月に1回。プレイはいたってノーマル。いたぶったりいたぶられたりもないし、仮想人格のインストールも要求してこない。ひとつだけ性的指向を挙げるなら、彼、脱がすのが好きってことくらい? だから、呼ばれたら服や下着は少し手の込んだものを身に着けるし、自分からは脱がないようにしてる」


 ロバーツがぺらぺらと喋った。小娘に対する威嚇射撃──羽瀬川はひやひやしながら弥永の顔色を窺ったが、彼女は1mmも表情を変えることなく質問を続けた。


「お得意様、ということですね? あなたは川島さんを害して得をするような立場にはない」

「……ええ、そう。もちろん。これって、そういう話?」

「ええ。そういうお話です。疑われてお気を悪くされたのであれば謝罪します」内容とは裏腹に弥永はひどく事務的な声で言った。「では、あなたが川島さんのお気に入りであると知っていた方は職場に何人いらっしゃいますか?」

「親しい子たちは、多分みんな知ってると思う」

「何人くらいですか?」

「10人以上」

「その中で普段とは様子の違う方はいらっしゃいませんか? 最近でも、少し前でも構いません。どこかよそよそしいとか、急に羽振りがよくなったとか、あるいは店内の人間関係が険悪になって秘密の暴露や足の引っ張り合いが起こっていたりは?」


 ヘレン・ロバーツが足を組んだ。膝に手をやって弥永を見据える。


「いない。少なくとも、私には分からない。ただ、弁護士先生にひとつ言っておきたいのだけれど、うちには店に迷惑をかけて平気な顔をしていられる子は一人だっていない。客を取ったり取られたりはもちろんあるけれど、それだって実力の問題で、正々堂々とした勝負の結果なの。あなたもそういう世界で生きてるのだから、分かるでしょう?」


 弥永が微笑んだ。ロバーツは一撃をくれてやろうとした相手にカウンターを食らったことを悟り、ため息をつく。


「では、これらの中にロバーツさんと川島さんの関係を知っていらした方はいますか?」


 弥永がタブレットを相手に見やすように回転させて押し出した。羽瀬川も遠目に覗く。表示されているのは人物名のリスト。


「そちらはここ半年で退店された方の一覧です。やはり優良店とはいっても、他業種よりは入れ替わりが多いのでそれなりの数になっていますが」


 ロバーツのレッドスマイルのマニキュアがひとりの名前を〇で囲む。


「彼女。関村眞理。新人だったこともあってお客さんからの評判があまりよくなくて……よく泣いてた。それで元気づけようとしたり、親身になって相談に乗ったこともあったんだけど、結局このあいだ辞めちゃったの。こういうことを言える筋合いじゃないのは理解してるけど、あの子に会って、もし話が悪い方向に向かいそうだとしても、厳しくあたらないでもらえない? 人生をそつなくこなすなんて、誰にでもできることじゃないの」


 弥永は胸に手を当て、厳粛な顔つきをして言った。


「お任せください。そのように振る舞うために、私はこの仕事をしているのですから」




 *****




 名簿にあった関村眞理の住居は、数年前に新しくできた埋め立て区画の西側にあった。幼稚園跡地、歯科医院、薬局に囲まれた集合住宅。建物の前にはごみ袋の山が積み上げられている。


「関村さん、お引っ越しされてないといいんですけど」


 羽瀬川がロビーを見回した。オートロック式になっているため、ここからから先に進むには住居者の許可が要る。


「少なくとも空き部屋ではないようですね」


 弥永がタブレットで不動産情報を検索した結果を羽瀬川に見せる。弥永は少し考える素振りを見せ、インターホンで部屋番号をコールした。


「こちら関村さんのお宅でいらっしゃいますか? 私、弁護士の弥永と申します。フラ・ダ・リに関することで少しお話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか? 夜分遅いことは重々承知していますが、なにぶん店の進退に関わることであるため、失礼ながら押しかけた次第です」


 反応──無し。きっかり5分後、弥永は同じ部屋にまったく同じ台詞を繰り返す。反応──無し。再び繰り返そうとした弥永に田中が制止した。


「所長、外から慌ただしい物音が」レトリバーが耳を動かして首を回す。「この建物からです。ベランダか、窓でしょうね」


 関村の部屋は2F──羽瀬川は踵を返して外に出て建物を見上げた。開いた2Fの窓からカーディガンを羽織ったパジャマ姿の女がぶら下がっている。足をふらつかせ、意を決して窓枠から手を放して建物脇の道路に飛び降りる。


 羽瀬川は一足飛びで女に近づくと、可能な限り優しくその両肩を掴んで引き寄せた。


 恐怖にひきつった女の顔──羽瀬川は悲鳴を上げる前にそっと女の口をふさいで、人差し指を立てた。


「あの、夜も遅いので、静かにお願いします……その、周りの方々の迷惑になりますし。だっ、だ、大丈夫です。危害を加えようとしているわけでは、ないです」


 女が何度も細かく頷く。羽瀬川も頷いて口から手を放し、恐る恐る距離を取る──女は、叫んで誰かに助けを求めるようなことはしなかった。


 遅れて駆けつけてきた弥永が言った。「そちらが関村さんですか?」

「ええと、そのう──」


 普段から他人の顔を見ないようにしている羽瀬川には彼女が目当ての人物かどうかが分からなかったが、彼女自身がそれを肯定した。


「そうですけど……今さらお店の人がなんの用なんですか? 私はとっくに辞めてるはずですよね?」


 表面上は落ち着きを取り戻したように見える彼女の顔つきにはあどけなさがある。弥永が言った。


「関村さん、どうして逃げようとされたのですか? それも、窓から」


 関村の肩が小刻みに震える。場所を変えた方がいいですかと羽瀬川が聞くと、関村は首をふってカーディガンを体の前に引き寄せた。


「答えたくないのであれば構いません。その代わりというわけではありませんが、こちらの事情を少しお話しします。昨晩のことなのですが、フラ・ダ・リの客がひとり襲われました。警察沙汰になり、その場に居合わせて接客を行っていた従業員は病院へ搬送されています。警察はこの事件に対し店側の関与を疑っており、厳しく追及するつもりでいるようです」


 嘘は見当たらない──弥永が一言喋るたびに関村の震えが大きくなっていく。もはや彼女が何かしらの形で関わっていることは明白だった。羽瀬川には、あまり追い詰めないでやってくれと願いながらそわそわするしかできない。


 弥永が言った。「あなたを痛めつけに来たわけではありません。事実と、事情をお聞かせ願えますか?」

 ぽつりぽつりと関村が喋りだした。「電話があったの。知らない人から。『お前の店の客の中に川島吉貴という人物はいるか』って」

「男性ですか? 女性ですか?」

「分からない。ボイスチェンジャー使ってたから」

「それで、あなたは何と?」

「無視した。そしたら、またかかってきた。今度は、教えてくれたらお金を払うって。その証拠に手付金を振り込んでおくからって。しばらくしたら、ホントに私の口座にお金が入ってて、それで」

「お客の情報を教えた?」

「スタッフのPCをこっそり使って調べた予約日と派遣先の住所を、電話の相手に」

「相手の連絡先は分かりますか?」

 関村は首を振った。「番号は非通知だったし、連絡は相手からだけだった。振り込まれた額を見て最初は浮かれてたんだけど、とんでもないことをしたって後で気づいて、慌ててオーナーに辞めますって伝えて」関村が耐えきれなくなったようにすすり泣く。「病院に運ばれたひとは無事なの? こんなことになるなんて、私、ちっとも思ってなくて──」

「命に別状はないそうですし、少なくとも私が見た限りでは元気そうでした」弥永の声が深刻さを帯びる。「関村さん、あなたを幇助による共犯には絶対にさせません。ですが、まったくのお咎め無しというのも難しいと思います」


 顔をくしゃくしゃにした関村がうつむいて涙が道路にこぼれた。弥永は自分の名刺を彼女に差し出す。


「この事件の清算が終わったあと、何かお困りのことがありましたら遠慮なくご連絡ください。こう見えて仕事柄顔は広いので、新しい生活を送る上での一助になれるかもしれません」

「どうせうまくいかない。私、何をやっても駄目だもの。事務も、体力仕事もできなかったし、お店にも馴染めなかった。ちゃんと施設で作られた人間じゃないから。パパとママは考えの足りない貧しい人間で、生まれる前に遺伝子のデザインも施してもらえなかった」

「人間は生まれだけで決まるものではないと私は信じています」

 関村は目を赤くしたまま皮肉気に笑った。「私と正反対の人が言っても説得力がない。その若さで法律相談所の所長? あなたがどれだけのコストをかけられて生産されたのかっていうのが一発で分かる。自信に満ちていて、どこで何をしていても絵になりそう。そんな人に私のことが分かるわけがない」


 受け取った名刺を突き返そうとした関村の手を、弥永の両手が包み込んで押しとどめた。ふらふらと集合住宅に戻る背中を見送って、来る途中にあったパーキングエリアの車に戻る。


 その途中で、羽瀬川は弥永の背中に向けて言った。「わ、わ、私は、弥永さんにすごく感謝していますし、尊敬も、してます……ご迷惑かもしれませんけど。ずっと怒られてばっかりだったせいで、ひ、人と話すのが怖くて、まともに受け答えできなくて、いっつもお客さんにチェンジされてばっかりだったせいで、前の店の店長に何度も殴られて……ほんとに殺されるかもって思っ、思ったときには手に血まみれの刃物を握ってて、それで、そっ、それで……私を檻からだしてくれて、私にもできる仕事と、新しい職場を見つけてくれて、それから、それから」


 喋っている途中で弥永は振り向いて、羽瀬川の髪を、犬の毛皮をそうするように両手でくしゃくしゃにした。

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